04 ……じゃあ、言わない

 少女と車内で二人きりになる機会はそれなりにあった。……というか、共に仕事をするときは必ず助手席に少女を乗せるため、必然的に二人きりになる時間は存在する。そういうとき決まって車内は静かだった。

 俺は比較的喋るのが好きな方ではあったが、別に沈黙も気にならないタチである。対する彼女は恐らくそんなこと気にも留めないだろう。実際、車内でどんなに沈黙が訪れようと彼女の方から俺に話しかけてきたことは今まで一度もなかった。

 赤く点滅する信号機を見ると今がかなり遅い時間だということを実感する。
 それなりに大通りを走らせているのだが、深夜の街は交通量も少なく店も大体閉まっているため目立つ明かりも街灯くらいしかない。かといって瞬く星が見えるほど暗いわけでもない。
 いってしまえば酷く中途半端で、全くもって通常運転な、都会の静かな夜だった。

 少女の様子を横目でちらりと窺えば、眠るように目を閉じるわけでもなくかといって窓の外を見るでもなく、じっと前を見つめていた。
 "あの子"によく似た顔を持つ少女の、人形のように大きな黒い瞳を、透き通るように白い頬を、撫でるように街灯の光が滑っていく。滑っていくだけだ。赤やオレンジなどの温かい色味を帯びた光は、そこに決して留まることはない。
 視線を戻して、交差点を右折した。

 少女は何を見ているのだろう。その黒い瞳には一体何が映っているのだろう。
 ……聞いたところで、到底答えてはくれないだろうが。

「そういえば、あなたの年齢を聞いてませんでしたね。いくつなんですか?」

 視線と顔は前を向いたまま、俺は口を開いた。
 特に理由はなかったのだが強いて上げるならそう、なんとなく沈黙に飽きて、唐突にそれを破りたくなったのである。話題だって別に何でもよかったのだ。それこそ、少女が見ていた風景の話でも。

 少女はといえば、相変わらず顔は真っすぐ正面を向いたまま視線をずらしてこちらを見た後、それをまた前に戻してぽそりと呟くように言った。

「それは、命令?」

 まるで感情が抜け落ちたような、無機質な声。

 いつもこうだった。
 自身に関することを聞くと少女は必ず命令か否かの確認をする。決まり切ったマニュアル通りに動く機械のように。その次に俺が続ける言葉によってどんな反応をとるのかもわかり切っている。
 だが俺はまるで初めて会話をするかのように、柔らかい笑みを口元に浮かべたまま何でもない様子を装って返答した。

「いえ。僕の単純な興味ですよ。命令なんて、そんな」
「……じゃあ、言わない」

 俺の返答を聞いて、少女は変わらぬ調子で言った。そのまま車内に沈黙が訪れる。

 いつもこうだった。
 命令だと答えれば勿論それにあった返答をし、命令でないと答えると途端に口をつぐむ。初めに聞いたときは随分戸惑ったが、今ではこれがもう一連の流れとなっていた。
 初めは全てのことに「命令だ」と答えて少女からそれとなく情報を聞き出すつもりでいたのだが、その言動は彼女から後日ジンに報告がいくと知って諦めた。それ以来、「命令だ」と答えることは滅多に無くなったのである。今もそうだ。

 いつもならここで会話は終わる。だが今日はもう一歩踏み込むことにした。
 このまままた沈黙するのはなんとなく惜しいと思ったから。"あの子"によく似たその声を、もう少しだけ聴いていたい気分だったから。理由は笑えるほど単純でありふれたもの。
 俺は再び沈黙した彼女に今まで投げかけたことのない質問をする。

「命令だといえば、教えてくれたんです?」
「うん」

 はっきり言った。随分投げやりな返答だが、会話を広げられる糸口はある。……それならば、次だ。

「……自分のことはあまり話すなと言われてるんですか」

 それは誰に?といった意味を込めて質問を投げかける。これくらいならば聞いても別に問題ないだろう。少女自身に関わるようなことでもないし、後日ジンに報告されても何とでも言い訳が出来る。
 その意図に気付いてるのかどうかは知らないが、少女は相変わらず感情の乗らない声で淡々と答えた。

「命令されたときだけ、自分のことを教えていいって。パパが」
「パパ?」

 思わず眉をひそめる。
 信号を左折するついでにちらりと少女の様子を伺えば、別に何でもなさそうな顔をしていた。少女にとってみれば本当に何でもない事なんだろう。俺にとってはその事実は全くもって初耳だったから衝撃がそれなりにあったんだが。

「あなたの父親が、この組織にいるっていうんですか。一体誰なんです」
「それも、命令?」
「……そう、ですね。命令でしょうか。これでも一応、数回とはいえ一緒に仕事をさせていただいてる身ですからね。あなたの父親に一言挨拶したいので」

 都合よく"命令"という言葉を使って、適当に思いついた言い訳を並べる。
 こんなその場しのぎの苦しい言い訳で口を開いてくれるのかは正直微妙なところだったが、少女は別段気にすることもない様子で少し目を細めただけだった。運転に集中するため視線を前に向けつつ、意識は耳に傾ける。小さな薄い唇が言葉を紡ぐのをじっと待った。

 少女の小さな声が、二人きりの車内の空気を通じて俺の鼓膜を震わす。

「ジンって、みんなからは呼ばれてる」

 ――ぐわっと、車が急停止した。
 何故って? 俺が急ブレーキを踏んだからだ。