今誰かが客観的に俺を見たならば、随分間抜けな顔だと笑うだろう。
おいおいそんなことでいいのか公安の犬と。たった数か月前に擬態は完璧だとかほざいていたじゃないかと。だが生憎、客観的に見て俺のことをケタケタと笑い飛ばしてくれる誰かはこの空間に存在してはいなかった。
すっかり板についたはずのポーカーフェイスが完全に崩れていたが、正直それに気を遣っている余裕は今の俺には無い。
ジンが、この子の、父親?
少女の口から出た、たった今自らの耳で聞いたはずの言葉を脳内で反芻しては、いやいやそんなと脳が即座に否定しようとする。周りと比べて随分性能がいいと思っていた俺の頭もこの情報には流石に
だって、まさか、20年前に行方不明になって死んだと思っていた"あの子"と瓜二つな少女が、潜入先の敵組織の幹部の娘だったとか……そんなことってあるか?
というかジンに子供がいるなんて知らなかったし、何より子供まで組織に属していたなんて。
件の宮野家然り、家族ぐるみで組織に属するのは案外珍しい事でもなかったりするが……これは流石に、驚いた。
改めて少女の顔をまじまじと見る。……初対面の時からずっと"あの子"に似てるとしか思ってなかったが確かに、長めの前髪から見える少しクマの濃い目の雰囲気はなんとなく父親の面影があるような、ないような。
「うしろ」
「え?」
少女が小さく言ったのとほぼ同時に後ろからクラクションを鳴らされた。そうだ急停止して以来ずっと車は止まったままだった。慌てて車を発進する。
落ち着け俺。動揺しすぎだ、冷静になれ。とりあえず深呼吸をしておこう。あっ駄目だ全然落ち着かない。
「あなたは」
「へ?」
「パパは」
少女は言った。何の脈絡もなく。
急に話しかけてくるもんだから思わず声が裏返りそうだった。対する少女は毛ほど気にした様子も見せない。相変わらず何を考えているのかわからないな。
えっと、パパってことは……父親の有無、ということだろうか。少女が自ら俺に質問を投げかけてくるなんて初めてな気がする。ちょっと嬉しい。特に隠しているわけでもないし、素直に事実を伝えた。
「父親、ですか。僕の父親は随分昔に他界してしまって」
「そう」
少女は小さく相槌を返しそれきりまた黙ってしまった。自分で聞いた割にはどうでもよさそうだな。
***
沈黙したまま暫く車を走らせていると、少女が持つセーフハウスの1つだというマンションに到着した。見た目は普通のマンションだが、セキュリティがかなりしっかりしているためジンがここに決めたのだと聞いたことがあった。
今思えば、娘の安全を心配する親心だったりするのかもしれない。案外心配性だったりするんだろうか。あの見た目で。
「ここでいいですか」
「うん。大丈夫」
少女に一応確認すればここでいいとのこと。ドアロックを解除して、降りるように言う。ドアを開いてその隙間から外に出る。するりと車外へ出るしなやかな動きはまるで猫のようだと思った。口には出さないが。そのままドアを閉めるのかと思っていると、車外の少女とドアの隙間を通して目が合った。
「バーボン」
「なんですか?」
「あなたの名前、何て言うの」
カタカナじゃない名前。少女はそう続けた。
これまた唐突だな。カタカナじゃない名前ってことは……コードネームじゃないほうって事だろうか。そういえばまだ名乗っていなかったかもしれない。これも普段使ってる偽名の方だし別に伝えてもいいかと思って、ふとある考えが浮かぶ。開きかけた口を閉じ、我ながら悪戯っぽく口角を上げた。
「それは命令ですか?」
「……もういい」
「すみませんもうしませんから、待って」
ドアを閉めようとする少女に慌てて謝る。流石に悪戯が過ぎたか。眉を下げて困ったように笑って見せれば少女は手を止めた。表情の読めない瞳でじっとこちらを見つめる。俺の返答を待ってるんだろうか。
すっかり慣れた万人受けする作り笑いを浮かべ、改めて名乗った。
「僕の本名は安室、安室透といいます」
それを聞いて少女はほんの少しだけ目を伏せた。そう、と小さく呟く。
何でもない行動の1つだ。車内でも何度か少女が見せていた。でも、今のその行動はなんだかひっかかる。
作り笑いをしていたはずなのに、僅かに表情が固まって、喉のあたりでひくりと息が詰まる感覚がした。
心臓がひとつ、どくりと跳ねる。
なんだ、その反応。
なんだ、その表情。
俺の名前に何かあるのか?
名前を知りたがったのには何か理由があったのか?
もしかして、君は――
「おやすみなさい」
詳しく聞こうと口を開いたところで、少女はそう告げて一方的にドアを閉めた。バタン、と。普段から聞き慣れた音のはずなのに、どこかそれが大きく聞こえたのは俺の勘違いだろうか。
窓越しに見えた少女は、一度もこちらを振り返ることなくマンションの中に消えていった。
***
「ジンの娘……か」
一人きりになった車内で、誰に聴かせるわけでもない言葉が漏れる。
あの言葉が本当だとすれば、少女は確実に"あの子"ではないだろう。"あの子"の両親は交通事故でなくなったと聞いていた。父親が居たのなら、俺と同じ孤児院に居るはずがない。
……いやでも、交通事故で亡くなったというのが偽りだったとしたら? ジンと"あの子"の母親が別れ、子供を宿していた母親が亡くなり、ジンはそれを知らぬまま、"あの子"は一方的に孤児院に預けられて、しばらくして子供の存在を知ったジンが"あのような方法"で引き取ったのだとしたら、つじつまが合わないこともない、が……――
「何を言ってるんだ」
そうだ、何を言ってるんだ俺は。"あの子"は20年前行方不明になって死んだのだ。法的に死んだことになっていることも何年も前に確認済みである。だから、今さっきまで助手席に乗っていた少女は全くの別人だ。そう、赤の他人。頭ではわかっているつもりだ。それなのに。
どうしてこんなにも、ふたりを重ねてしまうのだろう。
「……やめよう」
こんなところでうんうん唸ってても仕方が無い。不毛だ。時計を見ればもうすぐ午前3時。明日も仕事がある。少女については後々ちゃんと調べることにして、一先ず今は自宅に帰って早く休むのが先だろう。
俺は車を発進させ、夜明けの方が近い夜の街に溶け込むように帰宅を急いだ。