42 突発性難聴でも患ってんのか手前

 携帯電話と拳銃、それからマスターキーだけを持った俺はホテルの廊下を駆け抜ける。色と男の居る部屋までは走って30秒もかからないくらいだったと思うが、正直それすらもおしいくらいだった。

 実質20秒程度で部屋に到着し、音を立てないように最大限配慮しながらマスターキーを差し込んで扉を開けたところで部屋の中から男の悲痛な叫び声が飛び込んできた。
 慌てて俺は扉を開き、拳銃を構えながら目的の部屋へ向かう。なるべく音を立てないように部屋の中の様子を伺えば、そこには異様な光景が広がっていた。

 股間を押さえて、絶叫しながらベッドの横の床を転げまわる男。
 血まみれになったシーツ。
 ベッドに座ったまま服の乱れを整える色。
 そして……ベッドの上に転がる、血まみれの肉塊。
 
 ――その瞬間、俺は全てを察した。

「ママ、早かったね」

 俺の姿をとらえ、のんびりしたことをのたまう色。その口元はべっとりと血で汚れていた。

「色、あなた、まさかとは思いますけど……――」
「噛み千切った」

 口を大きく開けてべ、と舌を出す。
 背筋にさっと冷たいものが走り、咄嗟に股間を押えたくなる衝動にかられた。
 
 色は気にせずにベッドからひょいと降り、悶える男に尋問をし始める。男は何やら訳の分からないことを大声で喚くと、ぱたりと動かなくなった。気を失ったらしい。色は動かなくなった男を見て軽く首をかしげる。そりゃあんなことされればどんな屈強な男だろうと気を失うだろう。……俺だって正気を保てる自信は無い。

 そんなことも気に留めず色はごそごそと男の服の内側を漁り、何かをつまみあげてそれを俺に差し出した。
 
「これでいい? ママ」

 目的のメモリーカードを手にして平然とした様子の色。思わず顔を覆う。
 俺は少しだけ、本当に少しだけ……男に同情した。


***


「あんなの一体どこで覚えてきたんですか」

 帰りの車内で色に問いかける。
 因みに今、色がセーラー服の上から着ているのは俺が着ていたスーツのジャケットだ。流石にその服のままでは目立つと思い、ぼろぼろになったタイツを脱がせてジャケットを着せたのだ。それから組織に連絡して作戦成功の報告と後始末を頼んだ後、ホテルから何事も無く脱出し、今に至るというわけである。

 対する色はといえば、いつもと変わらぬ様子で淡々と俺の問いかけに答えた。
 
「ベルモット姉さんが、『絶対に情報を取れるから覚えておくといい』って」
「あの女……」

 ため息交じりに片手でガシガシと頭を掻いた。恐ろしい。まだこんな若く幼い少女にこんなことを仕込むなんて……。内心ベルモットへの不満でいっぱいだったが、そんな俺の脳内に割って入るように、色が口を開いた。
 
「ママ」
「なんです」
「前から聞きたかったんだけど、私の年、幾つだと思ってるの」
「随分と急ですね。……よくわかりませんけど、未成年であることは確かでしょうから……おそらく中学生ぐらいかと」

 そうでしょう? そう言って色を見ると、フッと視線を下げて「……そう」と言ったっきり、黙りこくってしまった。……何かまずいことでも言ったか。

 そのまま沈黙に支配された車は、あっという間に色の家に到着した。色のドアのロックを解除し、降りるよう促す。車からするりと降りた色が、思い出したように俺に話しかけてきた。

「ねえママ」
「なんですか」
「私が眠っている間、先生から何か聞いた?」

 思わず心臓がどくりと音を立てて跳ねる。一瞬どう伝えようか言葉に詰まったが、俺は正直に伝えることにした。

「……痛覚と、色覚のことを、少々」

 思わず言葉が尻すぼみになる。自分が知らない間に隠し事を吹聴されたら誰だって嫌だろう。もしかしたら軽蔑されるかもしれないな。逸らしていた視線をそっと元に戻す。
 そんな俺の考えとは裏腹に、色は特に表情を変えることなくけろりとしていた。

「じゃあ私の年齢の話は聞いてないんだ」
「はい?」

 まさかの返答に思わず素っ頓狂な声が出る。年の話、とはなんだ。
 そんなことを思っていたら「あとは先生に聞いて」と言って、色はさっさと車のドアを閉めてマンションの中へ消えてしまった。

 ひとりになってしまった車内で、とりあえず言われたとおりに彼女の主治医の番号を携帯で呼び出す。
 数コールして、彼女は欠伸交じりの声で電話に出た。

『ふァ……もしもし?』
「僕です。夜分遅くにすみません先生」
『ホントだよ……で? なんの用だバーボン』
「つかぬことをお伺いしますが、その……」
『なんだィ。言いたいことがあるならはっきり言えよ』
「色の年齢って、幾つだかわかります?」
『……はァ?』

 急に何を言ってるんだとでも言いたげな顔がありありと浮かんでくるような、そんな声色だ。彼女は畳みかけるように言葉を続ける。

『お前、数か月近く一緒に暮らしておきながら、あいつの年も知らないなんて言うんじゃないだろォな?』
「……返す言葉もありません」
『あっはっは! ほんっと、お前ってやつァ……』

 ひとしきり笑った後に、先生はあっさりと答えを告げた。

『26だよ』
「……16歳?」
『突発性難聴でも患ってんのか手前(テメー)。26歳だよ。お前の3つ下』

 ……理解するのに時間を要した。

 ひとりきりの車内に俺の「嘘だろ?!」という大声と先生の大爆笑が響くのは、その僅か数秒後のことである。