43 あの子は未だに優秀らしいな

 目の前の男がどしゃりと崩れて動かなくなった。むわりと辺りに鉄錆の臭いが充満し始める。は、と息を吐くことで、今まで自分が呼吸をするのを忘れていたことを思い出した。

 ナイフに付着した血液をさっと拭って鞘に納めると、インカムに連絡が入る。

『上出来だ。そのまま来た道を戻れ』
「わかった」

 言われた通りに来た道を逆に進む。途中で道に立ち塞がる残党たちを言われるがままにただの肉塊にし、20分もしないうちに建物から脱出することに成功した。

 返り血まみれの上着を脱いで、事前に隠しておいたライターで火をつける。全て灰になったところで、目の前にパパの車が現れた。乗れ、という合図を受けて私は後部座席に座る。いつも通り助手席にパパが座り、運転席にウォッカお兄ちゃんが座っている。私が座ったのを確認すると、運転席のウォッカお兄ちゃんは何も言わずに車を発進させた。

 真夜中の町は不気味なくらいに静まり返っている。まるでこの町の住人が全て消滅してしまったみたいだ。
 車内はいつも通り沈黙が支配していたが、今日は珍しく急にパパの携帯が鳴ったことでそれが打ち破られる。画面を確認してニヤリと不敵な笑みを浮かべた。

「どうしたんですかいアニキ」

 不思議に思ったのだろうウォッカお兄ちゃんが前を向いたまま問いかけた。

「例の計画、予定通り来週に決行できそうだ」

 その言葉を聞いてウォッカお兄ちゃんは納得したような声を漏らした。

 例の計画、というのは警察庁にあるデータを組織の構成員のひとりであるキュラソーが盗み出すというものだ。以前から水面下で進行していた計画で、もう少しで実行に移せるらしいというところまで来ていたのは知っていたが……案外早かったな。正直もう少しかかるかと思っていた。

 因みにキュラソーは私の友人で、同じ“人形”仲間である。彼女は私のように幹部のいろんな人と仕事をするのではなく、ラムという組織のNo.2の構成員専用の“人形”なのだ。昔はよく会っていたが、最近はめっきり会わなくなっていた。

 そんな危険で重要な任務を単独で任されるだなんて、あの子は未だに優秀らしいなとぼんやり思いながら、窓の外の移り変わる景色を見ていたら私の家に着いた。2人はまだ仕事があるらしく、マンションの前で降ろされる。夜明けの近い薄ぼんやりとした街の中にパパの黒い車が消えていくのを見送った後に自宅へ戻った。

 自宅へ戻り、まず手洗いうがいをする。続いて着ていた服を着替えて洗濯機へ放り込み、洗剤を入れてスイッチを押す。洗濯機が動き始めたのを確かめた後に、血生臭くなってしまった自らの身体も洗うために風呂場へ移動した。

 念入りに身体を洗い、風呂から出るとちょうど洗濯が終わった頃だった。洗濯機から取り出したものをハンガーに引っ掛けて次々干していく。洗濯機が空になる頃にはすっかり日は昇りきっていた。

 部屋に戻り、特にやることも見つからずにソファに座る。ふとテーブルの上のリモコンが目に入った。ママの家ではたまについていたけれど、自分の家でつけたことは無いな。テーブルの上にあったテレビのリモコンを手に取り、何も考えずにスイッチを押す。パッと画面が映り、途端に部屋に賑やかな声が増えた。その声を聞きながら、私は愛用のナイフの手入れをし始めた。

 作業に集中するとどうしても時間の流れに鈍くなる。ハッとした時にはもう10時近くになっていた。そういえば今日は食事をとっていなかったなと思い出し、キッチンへ向かう。冷蔵庫を開けると、中には何も入っていなかった。そこで、ここのところ任務続きでほとんど家に帰ることが出来なかったことを思い出す。

 まあいいか。特に食べなくても仕事に支障はきたさないし……と思ったところでふとママの顔が浮かぶ。
 眉を吊り上げて『食事は3食きちんととること!』と言うママの顔だ。

「……買いに行こうかな」


***


 とりあえずやって来たのは、以前ママの家に住んでいたときにも訪れたことがあるスーパー。本当はもっと近いところが良かったのだが、気づけばここに足が向いていたのだ。不思議である。……というか謎である。

 既にそうなってしまったことをうだうだ言っていても仕方が無いので、店内に入る。カゴを持って何か食べられそうなものを片っ端から放り込んでいく。料理なんてできはしないから、かごの中は調理済みの総菜ばかりで埋まっていった。

 さてこんなところでよいだろうかと、レジに向かおうとすれば後ろから肩を叩かれた。
 どうしたのかと思い、後ろを振り返った途端に逃げ出したくなった。

「これ、落とされましたよ」

 そう言って優しい笑みを浮かべながら携帯電話を差し出しているのは紛れもなく、昴さんだったのである。