46 なんだそれ聞いてないぞ

「……どういう、こと」

 昴さんの言うことが上手く理解できずに、思わず疑問形で返してしまう。

「あのデータが組織に渡り、それを受けた幹部達が次々と海外へ向かっている……ここまで言えばお判りでしょう?」

 昴さんはそういうが、私は何一つとして推測することが出来ない。
 なんだというんだ、キュラソーが盗んだデータが、一体、何に関係すると。

 一向に口を開かない私を見て、何か思うところがあったのか昴さんは尋ねる。

「何も知らされていないんですか」
「……データの内容については、何も」

 私が言うと、昴さんはほんの少しだけ驚いたような、困ったような表情を浮かべる。そしてゆっくりと話し始めた。

「……キュラソーが盗んだデータ、それは"NOCリスト"と呼ばれる、世界中のスパイに関する情報が載っているリストなんです」

 私は黙って彼の話に耳を傾け、彼は彼で私の様子を気にかけることなく一方的に話を続ける。

「先ほどベルリンでひとりの女性が殺害されたという情報が入りました。彼女はその、NOCリストに名を連ねた組織に潜入中のスパイのひとりだったのです」

 そこまで聞いてようやく私は、昴さんの言いたいことが理解できた。脳内にびりりと電撃が走ったような感覚に陥る。自身の目が段々大きく見開かれていくのが手に取るようにわかった。

「まさか」
「……ええ、その中に、君の言う"透兄さん"の名前も」
「なん……で」

 ほとんど吐息同然のか細い声が漏れた。

 そんな、彼は"ネズミ"では無いと、私からパパにきちんと伝えたはずだ。それなのに、どうして、こんなことが。

 ばくばくと今まで体験したことのない速さで心臓は鼓動を刻み、世界が揺れる。
 ぼんやりと頭に白いこどもの姿が浮かんだ。

 どうしてお前が、なんて思っていると、昴さんにそっと肩を掴まれる。いつの間にか俯いていたらしく、ハッと顔を上げると彼と目があった。

「大丈夫です。君が協力してくれさえすれば、彼の命は僕が必ず保証しますから」

 なだめるように昴さんは言う。私に向けられた瞳は珍しく少し開いていて、鋭く真剣な光を宿している。そこでふと、あることを思い出した。それを思ったまま目の前の彼に伝える。

「多分……一番危ないのは明日だよ」
「どうしてそう思うんです?」
「パパ、明日の夕方には帰るって言ってたから」

 そこで昴さんも何かを察したらしい。

「……なるほど。確かに彼、好きですよね。"ネズミ狩り"」

 それからしばらく昴さんと情報交換という名の作戦会議をした。随分長いこと話し込んでいたように思える。ふと窓の外を見るともうすっかり空は夜になる準備をし始めていた。

 そろそろ何か食事でもとりましょうか、と昴さんが提案したところで唐突に着信音が部屋に鳴り響いた。聞きなれない音だと思ったら昴さんの携帯だったらしい。私がいるにも構わずその場で電話に出ると、そのまま話し始める。相手は誰だろうかと思っていると、今度は私の携帯電話が鳴り始めた。画面を見て番号を確認する。

 ……この番号は。

『ハァイ、色。気分はどうかしら』
「……ベルモット、姉さん」

 艶やかな声がスピーカーを通して私の鼓膜を震わせる。

「何の用」
『明日、私と一緒に警察病院に向かうわよ』
「警察病院……」

 私が思わず聞き返すと、電話を終えたらしい昴さんが何も言わずに、こちらに視線をよこしてきた。

「どうして急に」
『キュラソーが今、記憶を無くして警察病院にいることは知っているわよね?』

 なんだそれ聞いてないぞ。内心そう思ったが、ベルモット姉さんは私に口を挟む隙を与えずに一方的に喋り続けた。

『NOCリストが流失し、当の本人のキュラソーが警察病院にいる今、彼の次に取るであろう行動を予測するのは造作もないことだわ』

 今にも歌いだしそうなくらいに軽やかに、ベルモット姉さんは言う。

『きっと、記憶が戻る前に彼女の口を塞ぐでしょうね。……彼ならそうするわ』
「……」
『そこに現れた彼を捕えるの。そして例の場所……ジンの元へ連れて行く。出来るわよね?』
「…………」

 言葉に詰まった私をなだめるように、それでいて責め立てるように、ベルモット姉さんは言葉を紡いてゆく。

『色、わかるわよね。あなたの"ママ"はもう、"ママ"ではないの。なら、行うべきことはたったひとつ。そうでしょう?』
「……」
『明日、あなたの家まで迎えに行くわ。いい子で待ってるのよ』

 bye.そう言って一方的に通話が切れる。電話から耳を離したタイミングを見計らってか、昴さんが声をかけてきた。

「今のは"父親"……では、なさそうですね」
「……明日、警察病院に透兄さんを迎えに行くって。ベルモット姉さんと私の、ふたりで」
「!」

 私の言葉を聞いた途端、昴さんが僅かに表情をこわばらせる。それから何やら考え込むように口元に手をやり、独り言じみた声色で呟いた。

「……それは、こちらとしては都合がいい」