どうしてそんなそんな判断を下したのかって? いたって単純明快である。仕事が終わって彼の車から降りる時に訊いたのだ。本当の名前はなんていうのか、と。初対面の時に教えてもらったのはカタカナの名前だけだったし、カタカナではない名前を聞けば本当に彼が"フルヤレイ"なのか否かの最終確認が出来ると思ったのだ。
……いや、初対面の時点でもう半分……8割くらいは違うだろうと思っていたのだが、一応、本当に、最終確認のためだ。
もし万が一"彼"本人ならば、悪いことは言わないからこんな組織から抜けてまっとうに生きてくれと頼み込むつもりでいた。お前が言うなと笑われるのを承知で。
車内で散々質問攻めにあっていたのだし、答えてくれるだろう。そう思って聞いてみれば彼は「それは命令ですか」と悪戯っぽく返してきた。
……嫌味か。
そう思ってドアを閉めようとすれば慌てて謝られ、もうひとつの名前を教えてくれた。
「僕の本名は安室、安室透といいます」
アムロトオル。うん、"フルヤレイ"とは全然違う。奇跡的に一文字も被らない。
やはり彼と"彼"は別人だったようだ。知ってたけど。
確かめられたしもういいや。何も言わずに閉めるのも変かもしれないと思い、おやすみなさいと適当に言ってドアを閉める。マンションに戻りながら視線だけちらりと後ろを見ると、彼は何か難しそうな顔をしていたが、特に気にすることなくその場を後にした。
ポストからとった家の鍵を開けて中に入ると、つけたはずのない電気がついていた。誰かいるのか。……玄関にあった靴からして大体予想はつくけれども。
部屋に足を踏み入れるとそこには見慣れた姿の大男が立っていた。男の人には珍しいであろう色の薄い長い髪、年中無休で全身を覆う黒いコート、あまり人に好かれなさそうな人相。
「遅ェよ」
「ごめん」
小さく謝るとパパはふいと目を逸らした。おとがめ無し、らしい。
ちらりと私をみてそれはどうしたと聞いてきた。……ああ、そういえばバーボンに服を借りたままだった。それを伝えれば、パパはそうかと軽く返すのみ。自分で聞いてきた割にはどうでもよさそうだな。
「飯は」
「今日は食べてない」
「だろうな」
一瞬で返答が来た。わかってるなら聞かなきゃいいのに。
「机の上に置いてある。食ったら、風呂に入って休め。明日9時にウォッカがここまで迎えに来る。準備しておけ」
それだけ言うと、パパはさっさと家を出て行った。ばたんと閉まる扉の音が冷たく部屋に反響する。
半開きになっていたカーテンの隙間から見えるベランダのある窓を見るとその先に、エンジンのかかったままのパパの車が見つけられた。忙しいらしい。
さっとカーテンを閉め、ソファに座って袋からいくつか食べられるものを取り出し、適当に包みを剥いでかぷりとかじりついた。
ジンは、パパはパパでも血のつながらないパパだ。
簡単に言えば、私が勝手にそう呼んでいるだけなのである。
詳しい経緯はこれまたすっかり忘れてしまったのだが、色々あってこの組織に入ることになった私の面倒を見てくれたのがジンとウォッカだった。
ナイフや武器の扱いはずば抜けて得意なくせに、生活に関することがてんでなにも出来ない
ジンは仕事を共にすることが一番多い男である。仕事でも仕事以外でも無口な男であり、私の世話をしに訪れる時は、決まって必要最低限のことのみを伝えてさっさと帰ってしまっていた。別にそれを良いとも嫌だとも思ったことが無いので私自身はさほど気にしていなかったのだけど。
だが昔――少なくとも10年以上前、仕事の報告を受けるために私の家に訪れた際、すごく機嫌がよかったのか私の仕事が良かったのかは知らないが、「よくやった」と言って私の頭を撫でてくれたことがあった。
ふわふわと私の頭の上を往復する大きな手。そんなことをされたのは初めてで、その時はどう反応していいのかわからず黙って俯きがちになり大人しく撫でられていたのだが、そのごつごつとした手がなんとなく、記憶の欠片に微塵も残っていないはずの"父親"を連想させ、何故か口が勝手に動いた。
「パパ」
自分のしたことの重大さに気付いた時にはもう言葉は発された後であった。普段から勝手に喋るなと釘を刺されていたのに、喋ってしまった、怒られる。そう思い、顔を上げると彼は予想に反して無表情だった。私の頭をなでる手つきが乱暴になる。
……おそらくこれは、照れ隠し。
頭をわさわさと撫でられながら私はそう推測した。まあ、怒られないならそれでいいのだ。デフォルトの人相は悪いし、実際中身も冷酷で残忍な男だが、優しい所もあるんだとこの時実感した。こういう少し不器用なところも、なんだか父親のようだと。
それ以来私は彼をパパと呼ぶようになった。彼は特に何も言わなかった。
対してウォッカはジンの命令なのか、彼と比べて私のことを甲斐甲斐しく世話してくれた。
ただ、こういう何かを世話するだとか面倒を見るだとかいう行為に慣れていないらしく、大きな身体を私に合わせるように屈め、優しくこちらを伺うように「何か他に、必要なものは」と聞いてきたことが多々あった。
その戸惑ったような姿がまるで妹の扱いに不慣れな兄のようだった(勿論兄が実際に居た記憶も微塵もないのだが)ため、ふと思いついて返してみたのだ。
「大丈夫だよ、お兄ちゃん」
しばしの静寂。流石にお兄ちゃん呼びは無理があったか。そう思い訂正しようとすると、彼はサングラス越しでも僅かにわかるくらい目を丸くして、「そ、そうか」となんとも照れくさそうにはにかんだのである。その反応を見て察した。妹属性が好きなのだろうなと。
それ以来私は彼をウォッカお兄ちゃんと呼ぶようになった。彼も特に何も言わなかった。
因みに、一緒に仕事をしたことがある他の人達も時々私の家を訪れては世話をしてくれるようになった。多分パパの差し金なんだろうが。彼ら彼女らもまた、私のお兄ちゃんお姉ちゃんである。
キャンティ姉さんはこちらの都合も考えず一方的にやってきては酒を飲みながらパパの愚痴を言っていたし、キール姉さんはたまにしか訪れないが来たときは色々心配して必ず手料理を作ってくれるし、ベルモット姉さんは見てくれに無頓着な私を見かねて服をくれたりする。
他にも数人いたが、今は詳細を省こう。とりあえず、一度でも世話をしてくれた人はみんな私の兄姉なのである。
国際的な犯罪組織で疑似家族まがい。何とも歪んだ表現だと自分でも思う。
だが、その名前で呼ぶと、胸のあたりに引っかかったものが外れるような、なんだか落ち着くような、そういった感覚がするのだ。理由は、まだはっきりとはわからないけれど。
「バーボン」
アムロトオルさん。
……あの人もいずれ、私の兄になってくれるだろうか。