静かな振動を感じて意識を浮上させる。視界はぼやぼやして、正直夢か現か判別できないほどだ。ただどちらにせよ言えるのは、ここが車内で、私が後部座席に横たわっているということと、運転している人物に全く覚えがないことである。黒髪短髪にニット帽なんて、そんな人物に覚えはない。
ぼんやりと瞬きをして僅かに首を持ち上げれば、運転席の人物は後ろを振り返らずに言い放った。
「今病院に向かっている。そのまま寝ていろ」
低く落ち着いた声は、ますます覚えがない。
「だ、れ」
「……本当に覚えていないようだな」
彼は信じられないといったような声色で呟く。
覚えていない、といったということは、彼と私は面識がありそれを私は忘れている、ということだろうか。働かない頭を捻っていたら、また意識が沈み始めてきた。落ちる直前、彼はゆったりとした調子で言った。
「なに、無理に思い出す必要なんてない。未練がましくこの世に留まり続ける、ただの亡霊のことなんて」
***
気が付いた時にはまた、あの真っ黒い空間にひとり佇んでいた。目の前には相変わらず、真っ白いこどもが膝を抱えて座っている。
最近この夢を見る頻度が上がっている気がするんだが、気のせいかな。
ぼんやりそんなことを考えていると、こどもの目の前に真っ白い小さな光の粒が現れる。その光は小さく瞬きを繰り返しながら、ふわふわとこどもの目の前を浮遊していた。こんな展開は初めてである。何が起こるんだと思いながら黙ってこどもを見つめていると、色の判別が出来ない瞳が、ゆらりと私をとらえた。
「これももう、要らないよね」
目の前のそいつが意図していることがわからず、答えに戸惑う。そんな私を他所に、そいつはそうっとその光を右手でつかむ。
そしてすっと冷たく目を細めると、思い切りその光を、握りつぶした。
***
ハッと、意識が浮上する。目に映るのは見慣れた白い天井だ。また知らない間に病院に運ばれたらしい。
息をひとつ吐いて身体を持ち上げる。今日は特に難なくこなすことが出来た。部屋の仲は相変わらず殺風景で面白味も無い。
ぼんやりと壁の隅を見つめていると、がらりと部屋の扉が開く音がした。すいとそこに視線を向ければ案の定、立っていたのは先生である。先生はこちらの様子に気が付くと、ニヤリと笑って歩み寄ってきた。
「目を覚ましたみてェだな、色」
「先生……その」
「ああ、いい。そのままそのまま」
身体を動かそうとするのを先生は静かに制し、そのまま私の服をべろりと捲った。そこで初めて、私の身体が傷だらけであることに気が付く。……ああまた、任務で怪我をしたんだろうか。先生は丁寧に包帯をほどき、私の腹部の傷の具合を見てほんのり眉間のしわを緩めた。
「少しずつ良くはなッてる……1日かそこらしか経ってねェのに、流石の回復力だな」
1日かそこら、ということは私がここに来てからまだそのくらいしか経っていないのか。……そういえば私は、なんの任務をしていたんだったか。長く眠っていたせいか記憶も曖昧である。
「先生」
「なんだ」
「あの……仕事、は」
「ああ、NOCリストの件か? それなら解決しただろ。まあ流石に観覧車破壊はやりすぎだッた気もするがなァ……。お陰で根回しが大変だった。ジンの野郎、何も考えずにドンパチやりやがって……後始末する身にもなれッてもんだ」
先生は私の傷口に丁寧に新しい包帯を巻きつけながらぶつくさ文句を垂れている。対する私といえば、静かにその様子を見ながら頭の中を整理していた。
――NOCリストに、観覧車破壊がなんだって?
「元々あの作戦にアタシは反対だったんだよなァ。折角身を隠してンのに、派手にやらかしてどーするよ……。キュラソーを始末するためとはいえ、アレは流石に無いね」
盛大にため息をついた後にほらよ、と先生は真新しい包帯の上からぽんぽんと私の腹を軽くたたく。
キュラソー、始末、……――
「ねえ……先生」
「ん?」
「……その」
「なんだ? どうした。言いたいことがあんならはッきり言えよ」
先生はにやりと笑ってこちらの様子をそっと窺う。私は意を決して、口を開いた。
「ここ数日の記憶がほとんど無いんだけど私、何してた」
その瞬間、先生は僅かに目を見開き表情を失った。何かまずいことを言っただろうか。先生はしばらく黙った後、とたんにぱっと繕ったような笑顔を向けた。
「なんだ、忘れちまったのかァ? ……まあいいさ。いつもどーりの代わり映えしねェ任務だったからよォ」
先生はすっと立ち上がり、私の頭をひと撫ですると「怪我を直すためにもなるべく休めよ」とだけ言って部屋を立ち去った。がらりと扉が閉められる。
ひとりきりになった室内に、時計の音と自身の心臓の音がやけに大きく響いていた。