56 言っただろう

 ふと、意識が浮上する。ぼやけていた視界が鮮明になっていく。通常通りになった網膜に映るのは、見覚えのない薄暗い部屋だった。

 どこだ、ここは。
 首を回そうとしたところでようやく、身体が動かせないことに気が付く。私は椅子に座らされており、両手首と首、それから腹を背もたれに、両足の膝から下にかけてを椅子の脚にそれぞれベルトのようなもので固定されているのだ。動かせるのは首から上と、両手足の指くらいだが、それだけでは拘束を抜けるのは難しいだろう。

 ゆっくりと視線を動かして状況を確認する。ここはどうやらどこかの地下牢のようだ。おそらくあの犯罪者集団の所有する地下牢。

 コンクリートに囲まれたシンプルな部屋のちょうど中心あたりに私の座る椅子がある。椅子自体が地面に固定されているようで、ピクリとも動かない。
 天井にはいくつかの裸電球がぶら下がっているが、電気がついておらずその役割を果たしていない。
 床は所々崩れたり水がたまったりしている。その水がどんな水なのか想像したくはないが、辺りに漂う何とも言えない臭いで大体の想像はつくだろう。
 壁に窓はないが、椅子の正面にある壁には出入りできそうな扉らしきものがついていた。だがドアノブには鍵穴がある。おそらく鍵は閉められているだろうな。

 そんなことを考えていると、遠くの方からカツコツと足音らしきものが聞こえ始める。一瞬身体をこわばらせ、じっと耳を澄ませる。やがて足音は止まり、がちゃがちゃと鍵を開ける音がした。

 程なくして解錠する音が小さく響く。ぎしりと音を立てて扉が開き、誰かが部屋に入ってきた。ランプを手にやってきたのは紛れもなく、あの時の初老の男だった。男は私の姿をとらえると柔らかい笑みを浮かべた。

「お目覚めのようだね」

 ぷちり、と小さな音がした。数秒のタイムラグの後、部屋につるされた数個の裸電球が点り、部屋内は先ほどよりはマシな明るさになる。男は部屋の扉を閉めてそのままガチャリと鍵をかける。ゆったりとした調子でこちらに歩み寄り、顔色を窺うようにこちらを覗き込んだ。

「気分はどうかな」

 よさそうに見えるのだろうか、この状況で。

「まあ、よくはないよねえ」

 間髪入れずに男が呟く。勝手に問いかけておいて自己完結か。まあ、喋る手間が省けたからいいけど。
 男は私の傍でしゃがみ、下から私の顔を見上げるようにしてにたりと笑った。

「さて、君をここに連れてきたのは他でもない。君と二人っきりで話がしたかったんだ。"ママ"には言えないような、秘密のお話がね」

 思わずぴくりと指先が動く。……インカムを切っていなかったことは、この男にはバレバレだったらしい。

「君でも理解できるように、簡単に言おう。――私は、君が欲しい」

 男の左手が私の太ももの上を撫でる。うっとりという効果音が似合いそうなほど男は目を細めて、生暖かい溜息を吐いた。

「この細い手足も」

 撫でていた左手は徐々に昇っていき、やがて腹や胸に到達する。

「滑らかな白い肌も」

 男は腕が昇るにつれて立ち上がり、肩を撫でるころにはすっかり私を見下ろしていた。そして首に差し掛かると、両手をつかって巻かれた包帯を解き始める。するりするりと包帯ははずれ、全てが地面に落ちた時、男は一瞬目を見開き口角を上げる。

「――白い肌によく映える赤黒い首輪も」

 それから両手で私の頬を包むように触れる。

「均衡のとれた顔立ちも」

 そのまま男は顔を近づけ、私の額に口づけた。

「全てが美しい」
「……何が、目的なの」

 思った以上に声が震えた。男は瞬きを一つして、私の問いかけに答える。

「言っただろう。君が欲しいと」

 男はにっこりと笑った。

「本当は君の組織の情報を聞こうとおもったんだけどね。でも君がそう簡単に口を割るとも思えないから、ちょっと作戦変更ってところかな」

 私を見下ろす男の目が怪しく光る。

「君に、私の"人形"になって欲しいんだ」
「……」

 私は口を開かない。ニコニコと笑みを崩さない男は話を続ける。

「君の様に美しくて有能な"人形"が、私もちょうど欲しいと思っていたところなんだ」

 男は緩やかに私の頭を撫ぜる。くるくると指に巻き付けるようにして弄びながら私の返答を待っているようだ。私は観念して重い口を開く。

「私は、あなたの"人形"には、ならない」

 はっきりと拒絶を示すように、一言一言区切って言った。男はと言えば一瞬拍子抜けしたような表情をした後に、大口を開いて笑い始めた。男の笑い声が部屋の中に反響する。

「そうだよね、君は"傀儡子(家族)"への愛着が強い……。知っていた、知っていたよ。ふふ、ふふふ……」

 ひとしきり笑った男は、懐から小さな注射器のようなものを取り出して、目を細める。

「この手は使いたくなかったんだけど、仕方ないなあ」