身動きを取る事すら許されずに、私の腕に注射が打ち込まれる。
中の液体がぐっと体内に押し込まれた途端、ぼんやりと視界が揺れた。それと同時に気管が詰まるような、そんな感覚がして、息をするのが難しくなる。
なんだ、これは……なんだ。
「私の組織が最近手に入れた、とっておきの薬だよ。自白剤、と言えば、わかるかな。意識はなるべく残しつつ、幻覚症状や幻痛症状なんかが起こるように調合されている……拷問用の薬のようなものだよ」
辛うじて男の声が聞こえる。にやりと笑ったその口角が裂けて、輪郭からフレームアウトしていった。男の目はどろりと溶け、泣いているのか笑っているのかわからない。
「解毒薬は勿論ある。それさえ打てば後遺症も残ることなく正気に戻れるというわけさ……素晴らしいだろう?」
男の腕は徐々に変形し、注射器と絡み合って一心同体となる。針が伸びては縮んで、先から水滴がぼたぼたと落ちて、落ちるたびに地面は、視界は、揺れる。揺れる。ゆれ。
「苦しそうだねえ……痛みを感じない君にも、この薬は効くらしい。勉強になったよ」
目の前のバケモノが地を這うような声を出す。はあ、と吐き出した自身の息すら植物のような形をしていた。口から伸びた蔦が音も無く伸びて四方八方へ伸びていく。人型を保つのを諦めた流動性の化け物は遂に私の背よりも大きくなるが、私が縮んだのかもしれない。部屋の大きさもわからない。溶けて崩れて揺れて回って落ちて、また溶ける。
私の身体も……まるでこれはバケモノのようじゃないか。腹に開いた穴からいくつもの腕が伸びて、私の四肢を押さえつける。太ももは腐り落ちて黒ずんだ棒切れだけになり、中から豆粒程度の大きさの虫が何千何万と湧き出してくる。無いはずの肌を這う感覚が、ずるずると上って、今にも喚き散らしたいほどに。
「私の"人形"になれば、楽にしてあげよう」
バケモノが何かをのたまう。それと同時に彼の左腕から生えた針の先から新たな液体がごぷりと溢れた。床に滴った途端に、モノクロの花が咲く。次々咲いて、その美しさで私を誘うかのようだ。腐ったように甘い香りまでしてくる。
きっとあれは罠だろうと、意識の濁流の中で思う。あれは今私の中で暴れているものよりもきっと強力なそれだ。そうだと私の本能が叫ぶ。だがその美しさに魅せられそうになるのも事実だった。
肯定も否定も出来ない私を見たバケモノは、フレームアウトした口角を急降下させてのたまう。
「それなら、仕方ないなあ」
バケモノはくぐもった声でそう言った。
***
どれくらいの時間が経っただろう。
「すご――ョ君、――ん――ァに打た――××ぇてまだ――×―ォ××○―保って×○○――ぁられるな―――×××―、初め――――××○○!!」
バケモノはぐちゃぐちゃと訳の分からないことを言って、左腕の先端から針を落とした。もうかれこれ針の本数は片手じゃ足りないほどになっていて、私はもう目を開けているのか閉じているのかも定かではない。もしかしたら目玉なんてとうに無くなっているのかも。
「○×――×○○×――」
ついにバケモノはヒト語を話さなくなった。私の身体だったものは今やすっかり跡形もなくなっていて、まるで靄がそこにいるようで実態がない。これじゃ生きてるのか死んでるのかもわからんな。もしかしてもう死んでいるのかもしれない。
『生きているよ』
懐かしいヒト語が聞こえる。ふと首を回せば、バケモノの横にあの白いこどもが立っていた。首輪に繋がれた長い鎖がゆらりと揺れて、部屋全体に浮かんでいる。
君が見えるなんて、よっぽど私の頭は駄目になってしまったらしい。……それとも、これも夢だというのか。
『現実だよ』
口を開くことなくこどもは答える。この場に相応しくないほど白くうつくしいこどもは、ふわりとその身体を宙に浮かばせ、私の頬を両手ですくうように触れた。
『きみが、ぼくにおしつけてばかりいるから、こんなことになるんだよ』
こどもの言葉が宙に浮いてシャボン玉のようにはじけた。
『きみが、ぼくをみようとしないから』
ぐるぐることばが回るばかりで全く理解できない私を他所に、こどもは一方的にそう言って、両目から涙をこぼす。そしていつものように、ぼろぼろと崩れて消えてしまった。
――君はいつもそうだ。言うだけ言って、自分勝手に消える。
ゆらりと動く気配を感じて視線を動かせば、バケモノの腕から新たな針が生えていた。ぐちゃぐちゃとまたよくわからないことを言ってそれはこちらへ近づいてくる。のしりのしりと足取りは遅く、一歩一歩踏みしめるように進んでいく。
まだ、終わらないのか。
もういいだろう、こんな……思考回路がおかしくなった人形なんて、手に入れて何が嬉しいんだ。
『要らない?』
そうだな。もう、私は……――
その瞬間、パアンと破裂音がしてびしゃりと辺り一面に何か液体が飛び散った。バケモノはぶしゅぶしゅと液体を吹き出しながら、私にもたれ掛かるようにずるずると倒れる。その向こうに、新たなバケモノの姿が見えた。だがそのバケモノは、目の前に倒れているそれとは違う。
瞳が、違う。
その蒼い瞳を持つのは、私が知る限りではただ1人だ。