まず早朝からベルモットに呼び出され、ほとんど足と変わりないことをやらされた。他の奴を使えばいいだろうに。面倒なのだ、彼女はいちいちわかりにくい言い回しを使ってくるから会話するにも一苦労だし。
しかもそのまま足にするだけならいいものの、
早めに発見したからまだよかった。もし気づく前に部下から電話が来て、それに出ていたら一巻の終わりだっただろう。一応一応と言い聞かせながら車内をくまなく確認したあの時の俺に賞賛の拍手を送りたい。
その後は夕方までポアロのバイト。私立探偵兼喫茶店アルバイターの安室透としてそれなりに労働し、本職ではあまり使う機会が無い表情筋を酷使した。接客は嫌いじゃないがそれなりに疲れる。
休憩時間に少し仮眠をと思ったところで、クライアントからの電話がかかってきたときには流石に舌打ちが飛び出しそうになった。死ぬ気で堪えたけど。誰かに聞かれたら流石に気まずい。
安室透としての仕事が終わると今度は降谷零としての仕事が待っていた。
正直この時点でもうすでに心身ともにぐったりしていたのだが、ここ数日まともに登庁できていなかったのだから出来れば少しくらいは仕事を片付けておかねば、という謎の使命感である。
久しぶりに登庁した自分のデスクには書類が山のように――富士山もかくやというほど積みあがっており、周囲からはちょっとした好奇の視線にさらされていた。普通たった数日でこんなに溜まるか? 思わず写真に収めたくなるほどだ。写っちゃいけないものしかないから勿論撮らなかったが。
書類をある程度片し、何とか帰宅することに成功し(というか部下に帰らされた。かなり酷い顔をしていたらしい)、今に至る。
帰るのは安室の方の家。降谷の方に帰ってもよかったのだが、あっちは十分に休むスペースが無いほど散らかっていたのを思い出し、やむなく変更したのだ。
とにかく疲れた。車を運転している最中に事故らなかったのが不思議なくらい頭がふわふわだった。本当に今日は、さっさと風呂に入って寝たい。いや……風呂は明日でいいからとにかく寝たい。その一心でエレベーターに乗り込む。目的の階につくまで立ちながら寝そうになったりしながらヨロヨロ自身の部屋がある階までたどり着いた。
もうすぐ自分の部屋だ、というところである物が俺の視界に映り込む。
俺の部屋の前に、誰かがもたれかかるようにだらりと座っているのだ。
なんだ、酔っ払いか? 迷惑だな……こちとら疲れてんだぞんだぞ。
段々と苛立ち始める俺だったが、部屋に近づきその人物の詳細がはっきりするにつれて徐々にそれは収まっていった。代わりに大量のはてなマークが、過労でふわふわな俺の脳を占拠する。
「色、さん?」
なんと、俺の部屋の前に横たわっているのはジンの娘だと先日カミングアウトを受けた組織の"人形"の少女だった。
か細い足を廊下側に投げ出して、俯きがちに目を閉じている。どうしてこんなところで。家を教えた覚えもないんだが。というか相変わらず見ているこちらが寒くなりそうな薄着だな。
目立った外傷はなかったが、少し嫌な予感がしたのでまさかと思い首に触れるとわずかに拍動を感じた。知らぬ間に止めていた息を吐き出す。
「ちょっと、寝てるんですか?」
冷え切った頬を軽く叩いてみても目を覚ます様子が無い。もう夜だ。これ以上大きな声を出すわけにもいかないだろう。
仕方なく俺は少女を抱え、家の中へ運び込んだ。少女の身体は驚くほど軽く、臓器がいくつか足りていないんじゃないかと疑うほどである。
家に入れる前に一応盗聴器の類は無いか確認したが見つからなかった。こんな薄着だ、そもそも隠すスペースも無いだろう。それどころか少女の所持品は仕事用のナイフ2本のみだった。(いろんな意味で)恐ろしい子。
部屋の明かりをつけ、ソファに横たえる。ゆっくり上下する胸を見て少し安心していると、少女がうっすら目を開いた。そのままゆるりと身体を起こす。まるでゾンビのようだな。
「気が付きましたか」
声を掛けるが返事はない。ぼんやりした表情でゆるゆると瞬きを繰り返すだけだ。
「僕の家を教えた覚えはないんですが、どうして居たんです?」
「パパ」
「ジン?」
「パパから、何も聞いてない?」
ジンから? 何を?
失礼、といって携帯を確認する。うわ、充電切れてた。
いそいそと充電器に差し込み、改めて確認すればメールが一件。文面からして差出人はジンだろう。
内容は『"人形"の世話は任せた』と、ただそれだけ。
「パパ、海外で仕事だって」
ぽつりと少女が口を開いた。
「でも私は仕事があるから。そうしたらパパが、バーボンのところにいけばいいって」
「……なるほど、押し付けられたってわけですか」
というか今までこの少女、ジンとウォッカが世話してたのか。父親がジンだというならば母親はどうしたのだろう。そう思って聞いてみると、小さく首を振る。その寂しげな表情を見てそうですか、としか返す言葉が見つからなかった。
……というか、あれ?
「自分のことは、命令でないと教えてくれないんじゃ……」
「一緒に暮らす間、ちょっとくらいならいいって」
それがどうかしたのかといった風に、少女は答えた。本当に、なすがままだな。というか俺が断らないの前提で話進んでるし。
思わず苦笑するが少女はよくわかっていない様子。まあいいか。別に断る理由も無い。
「あなた食事は?」
「今日は食べてない」
「今日は、って……丸一日、何も食べていないんですか?」
「うん」
少女はけろりとしている。その表情からすると、どこがおかしいのか根本的によくわかっていないのだろう。
「……とりあえず夕食にしますか。もう遅いですが、丸一日食べていないよりはマシでしょう。話はそれからです」