60 そこに立っていたのは

「ああ。……わかった。僕も今からそっちに向かうよ。わかっているとは思うけど、くれぐれも無茶はしないように、……それじゃ」

 コナンくんからの着信を切って俺は部下に命令を出すために降谷名義の携帯を取り出した。

 今は組織壊滅の作戦の真っ最中である。コナンくんはこれからFBIや警察と共にボスの元へ向かうのだという。全く、小学生だというのが信じられないくらいの行動力だ。

 俺はといえば、部下を率いて組織の拠点のひとつであったこの場所をついさっき制圧したばかりである。部下は先に行かせたが、早く俺もコナンくんたちのところへ加勢しようと出口に足を向けた瞬間、足元に鉛玉がめり込んだ。咄嗟に身をひるがえして弾丸の出発点を見れば、そこにいたのは拳銃を構えたひとりの男。

「どこに行くつもりだ? バーボン」

 彼の低い声が一瞬にして部屋に緊張を走らせる。その男特有の長い銀髪が、どこからか吹き込んだ風で揺れた。

「どこって……決まっているでしょう。あなたのご主人様の元ですよ」

 にっこりと、いつもの作り笑いで返してやれば、奴は面白いくらいに機嫌を損ねた様子を見せる。案外奴の表情はわかりやすい。

「前からいけ好かねぇ奴だとは思っていたが、まさかテメェが本当にNOCだったとはな……キュラソーの一件も、俺たちのことを騙すための茶番だったんだろ?」

 銃口を突き付けたままジンは話を続ける。俺はいたって平静を装いながら返答した。

「あの時は流石に焦りましたよ……でも、天は僕に味方してくれたようで」
「よく言うぜ」

 ジンは鼻で笑った。するとポケットに入れていた携帯が音も無く振動する。どうやら向こうはボスの元へたどり着いたらしい。俺も急いで向かわなくては。

「そうだ。あなたに言っておきたいことがあったんでした」

 思い出したかのように俺は話を切り出す。不敵に笑って、彼の目を見つめて言い放った。

「娘さんを僕にください」

 それを聞いたジンは吐き捨てるように笑って、口の端を釣り上げて言った。

「そいつは出来ねえ相談だ」

 その直後、大きな爆発音がして、ぐらぐらと地面が揺れる。建物内に大きな亀裂が次々と走り、音を立てて崩れていく。
 思わずジンを睨みつけるが、奴はにやりとしたまま笑みを崩さず、銃を持っていないほうの片手をポケットに突っ込んでいた。恐らくそこで、起爆スイッチのようなものを押したのだろう。すべては、俺をここで足止めするためだったのかもしれない。

 そんな俺を他所に、ジンはここぞとばかりにこちらに向かって発砲してきた。足場が悪い中なんとかそれらを避けていたが、一発まともに左足に食らってしまう。

「ぐっ……!」

 思わずその場に膝をつくと、額にぐりと何かが押し付けられる感触がした。視線だけを上げてそちらを睨みつける。シニカルな笑みを浮かべたジンと目が合った。

「てめえと心中なんざまっぴら御免だが、この際仕方無ぇ。……地獄の果てまで付き合ってもらうぜ、バーボン」

 奴の引き金に引っ掛けられた指がゆっくりと動いていく。

 これまでか、と思った次の瞬間。
 ジンの手にしていた拳銃が一瞬にして鉄屑と化した。

 何が起きたのかわからなかったのは俺だけではなかったらしい。手のひらの中でバラバラと崩れる拳銃をジンは呆然と見つめる。
 俺の目の端にちらりと映るのは、崩れた壁に深々と突き刺さる大振りのサバイバルナイフ。特徴的なそのナイフの持ち主のことを、俺はよく知っていた。
 だが、彼女は今――

「パパ」

 その声を聞いた途端、俺たちはバッと声のしたほうを見た。
 そこに立っていたのは、今最も会いたくなかった人物である。

「……どういうつもりだ」

 ようやく振り絞ったようにジンが声を出す。色はゆったりとした調子でこちらに歩み寄り、膝をついていた俺を立ち上がらせた。若干ふらつくが、彼女がそれを支えてくれる。それを見てジンは自嘲気味にため息をついた。

「お前も"ネズミ"だったのか、色」
「違う」

 ジンの言葉を遮るように色は言う。

「私は人形。ご主人様の手足となって動く、感情を持たないただの人形。そう、思っていた」

 色は誰とも目を合わせることなく淡々と言葉を続ける。

「でも私は、人形である前に、人間だ。……私は、ふたりに死んでほしくない。ただ、それだけ」

 そう言い放った彼女の瞳には、これまでにないほど強い光が宿っていた。
 その言葉の直後、もう一度大きく爆発が起きる。地面は激しく揺れ、今にも建物全体が崩れてその瓦礫の下敷きになってしまいそうだ。

 色は弾かれたように俺とジンの手を取り、強く引っぱった。つんのめるようになりながらも、3人で建物の出口へと急ぐ。あちこちが崩落していても建物内の構造を熟知しているようで、彼女の進み方には迷いが無かった。余程俺たちのことを助けたいらしい。

 残り3分の1で出られる、そんな時に崩れた瓦礫が俺たちを襲った。俺たちは身をよじることで何とか下敷きになること避けられたが、その拍子に色はジンの手を離してしまったらしい。

 もう一度色が手を取ろうとした時に、ふたりの間を分かつように大きな瓦礫が落ちてくる。これではこの瓦礫が邪魔で、ジンが進むことが出来ない。色は、瓦礫を何とかどかして道の確保を試みようとするが、この様子ではどう考えても難しいだろう。助け出す前に俺たちも瓦礫の餌食になってしまいそうだ。

「バーボン」

 不意に瓦礫の向こうから、ジンが俺を呼んだ。

「直にここは崩れる。俺に構うな。そいつを連れていけ」
「駄目。絶対に連れて行く」

 ジンの言葉を遮るように色が言い放つ。その間も彼女は手を止めず、何とか瓦礫をどかそうと奮闘していた。小さな手が瞬く間に擦り傷切り傷まみれになっていく。

「……バーボン」
「待ってて、今助けるから」 

 断固として主張を曲げない両者。
 出来ることならどちらの意見も聞き入れたいところだが、生憎今は一刻を争う非常事態。対応を迷っている時間は無かった。

「〜〜ッ!」

 迷った末に、俺は色を抱えて走り出した。仕方ないのだ。こうしなければ彼女も俺も助からないと判断したのだから。俺は彼女が暴れるのも足が痛むのも構わず、わずかに見える出口を目指してひた走る。

 転がるように建物から脱出した途端、背後でひと際大きな爆発が起こる。先ほどとは比べ物にならないほど火の手は大きくなっていた。これではもう、救助するためにもう一度建物内に立ち入ることは不可能だろう。燃え盛る炎を見て色が静かに息を飲む。

「――――」

 声を出したのかわからないほどにか細く唇を動かす。
 糸が切れた人形の様にぷつりと、色は俺の腕の中で意識を失った。