61 もしかしなくても、これが

「早かったね」

 真っ黒い部屋にたたずむ目の前のこどもは、何の感情も乗せずに淡々と言う。

「こたえ、見つかった?」

 膝を抱えて座り、ちょこんと首をかしげて私の姿を真っすぐにとらえた。そういえば前の夢から覚める直前にこいつがそんなことを言っていた気がする。

 答え……か。
 私は同じようにしゃがんで、こどもを正面からはっきりと見た。首輪に繋がれた鎖がゆらゆらと揺れている。静かに足を動かして、こどものすぐ傍まで近づいた。こうして近づくと、私よりも随分小柄であるのがよく分かる。
 こどもは目を細めたまま、こちらをずっと見つめている。私の様子を窺っているようだ。
 私は静かに膝をつく。こどもは少し驚いたように瞳を大きくさせた。だが私はあまり気にせず、自分なりの”答え”を行動に示すべく、腕を伸ばす。

 そして、目の前のこどもをそっと抱きしめた。
 腕の中に収まったこどもの息を飲む音が聞こえる。

「これが私の答え」

 こどもは膝を抱えていた手をだらりと下ろし、ただ私に抱きしめられている。

「……どういう、こと」

 戸惑いに満ちた声色で腕の中のこどもは言った。ゆったりとした調子で私は言葉を紡いでいく。

「君が誰かなんてそんなこと、ほんとはとっくにわかっていたんだ。ただ君がどうしてこうなったのか、どうしたらいいのか、私にはわからなかった」

 でもやっとわかった。こどもを抱きしめる腕を強める。

「単純だったんだ。何もかも。ただこうされたくて、君は――」
「さびしかったんだ」

 私の言葉を遮るようにぽつりと、こどもは言葉を零す。それが呼び水になったのか、ぽろぽろと零れるように言葉が溢れだしていく。

「きみが要らないものをすべてぼくに押し付けて、知らんぷりしちゃうから。ぼくのことを忘れちゃうから」

 そいつの声は僅かに上ずって、震えていた。そっと、こどもの腕が私の腰辺りに添えられる。

「だからぼくは、きみに、見て欲しくて、……」

 私はそっと、こどもの背中をさすった。なだめるように。安心させるように。

「大丈夫。もう君を追い出したりだなんてしない。忘れたりなんて、しないから」
「……本当?」

 こどもは少し身体を離すようにして大きな瞳でこちらを覗き込む。その何色かわからない瞳は縋るように私を見つめる。小さく頷けば、こどもは幸せそうにうっとりと目を閉じて、顔をほころばせた。

「よかったぁ」

 こどもの目じりからつるりと雫が零れ落ちる。

 その瞬間、腕の中にいたこどもがぼうっと白い光を放ち、ぱあんと弾け飛んだ。一瞬にして辺りが光に包まれてゆく。私はそのあまりの眩しさに思わず目を閉じた。


***


 ぱちり、と。
 何の脈絡も無く目を開く。

 真っ先に飛び込んできたのはいつもの白い天井で、またいつもの部屋に寝かされていることを悟る。頬をするりと撫ぜる風を感じるのでおそらく窓が開いているのだろう。部屋の中は電気がついていないのに明るいことから今は昼間なのだろうと見当をつけた。

 詳しい状況確認のために身体を動かそうとして、違和感を覚えた。

 身体を引き裂くような、全身を刺すようなそれは、今まで味わったことが無い感覚である。特に目の奥底の方にかけて、その違和感が大きい。思わず苦し気な声が漏れてしまうほど。

 ……もしかしなくても、これが。

「"痛い"……?」

 かさついた小さな声が零れる。
 可能な範囲でゆったりと身体を動かすとある事に気付いた。右手が何者かに握られている。じんわりと右手を温めるその手の温度に、私は覚えがあった。

 "痛み"に耐えながら、もぞもぞと上半身を起こす。すると私の目に信じられない光景が飛び込んできた。

 誰かが、ベッドサイドにあるパイプ椅子に腰かけて、私の右手を握ったまま器用にベッドに突っ伏している。それだけでも十分信じられないが、私が一番信じられなかったのはそこではなかった。

 その人の髪……開いた窓から吹き込んだ風が時折優しくかき混ぜるように揺らす、その髪の色が、今までで見たことが無いほど輝いていたのである。
 それだけではない。その人の身に着けている薄灰のスーツから伸びる腕は、焼けたように健康的であった。

 まさかと思い、咄嗟に窓の外に視線を移す。
 飛び込んできたのは、無くなってしまった私の大切なもの。……目の奥が痺れるほど晴れやかな色彩であった。

 思わず呆然と窓の外を見ていると、右手を握ったその人の身体がピクリと動く。
 その人はそうっと身体を起こし、もったいぶるくらいゆっくりと目を開いた。伏せられた目だとしても、わたしにはわかる。

 それは紛れもなく、色を持たなかった私が唯一認識した輝き。
 その瞬間、私の両眼からはらりと雫が滑り落ちていった。

 ――ああ、なんて……なんて、うつくしい。

 彼はゆるりと視線と顔をこちらに向け、私の姿をその眼に捕えると、その蒼い目を宝石のように輝かせながら、大きく見開いた。

「色……?」

 まるで目の前の光景が夢でないのを確かめるように彼は震える唇で私の名を呼んだ。涙を流し続ける私がゆっくりと頷くと、彼は破顔して私に思い切り抱き着いた。

 勢いよく立ち上がったせいで椅子が倒れたのだろう、がしゃんとけたたましい音が響くが、お構いなしに彼は腕の力を強めた。そのあまりの強さに思わずうめき声が出る。

 そんな私に構わず、彼は私のことを抱きしめ続けていた。