08 返事は?

 何か食べたいものは?という俺からの問いに、少女はまばたきを繰り返す。

「どうかされました?」
「料理、できるの」
「1人暮らしが長いですからね。それなりには」
「……そう」

 少女はまたそれきり黙ってしまって、ソファの背もたれにぽすんと身を預ける。特にリクエストは無し、という解釈でいいんだろうか。
 俺は一応テレビをつけ、適当な番組に固定した後ソファから離れ、キッチンへ立った。冷蔵庫の中を確認。まあ1人分くらいはあるだろう。
 タッパーに入ったいくつかの常備菜も見つけた。手に取りひとつひとつ確認する。お、こいつはまだ大丈夫そうだな。ちゃんと作った日付のラベルを貼っておいた過去のマメな俺グッジョブ。

 先ほどまでどっしりと泥のようにのしかかっていた疲労がいつの間にかどこかへ吹き飛んでいた。これはあれだ。徹夜を繰り返しすぎて3徹を超えてくると逆に眠くなくなるあの現象だろう。ついでだし俺も食べるか。俺の分を少な目にすればギリギリ2人分出来なくはない。

 手際よく作業を進めながら俺は考える。
 はじめは俺をNOCだと疑ったジンが、観察係として少女を俺のところに送り込んだのかと考えた。世話係なんて正直誰にだってできる。スコッチや赤井の件から俺のことを怪しんでいるのをなんとなく知っていたから尚更だ。
 だが少女から盗聴器の類を発見することは出来ず、携帯電話のような通信機器も所持していない。となると、世話をさせたいのは手段ではなくれっきとした目的らしい。

 だから、少女が懐いてくれれば、少女の心をなんとか開かせることが出来れば、組織の情報を手に入れられるかもしれない。俺はそう考えた。
 そのうえ上手くいけば、組織のさらに深いところまで入り込むことが出来るかもしれない。保護者ジンが日本に居ない今が滅多にないチャンスだった。亡き同胞たちのためにも、組織を倒すためならば手段を選ぶことはできない。

 ――他人とはいえ、"あの子"の面影を感じる少女についてもう少し詳しく知りたかった、というかなり個人的な理由は、そっと自身の胸の奥にしまっておいた。


***


 出来るだけ早く、と作ったのは、冷蔵庫にあった具材で適当に作ったチャーハン。それに数種の常備菜をふたり分皿にのせればそれらしくもなる。

「出来ましたよ」

 そう声を掛けてローテーブルの上に皿を並べていけば、ソファに身を預けていた少女がぱっとその身を起こした。テーブルを覗き込む姿勢をとる。どうやら興味があるらしい。

「ちょっとしか経ってないのに」
「時間がある時に作り置きしておくんですよ。そうすれば、疲れた時にもきちんとしたものを食べられますから」

 俺がソファではなくカーペットの上に直接座ったのを見て、少女はちらりとこちらを見てきた。

「どっちでもいいですけど、そっちに座ると食べにくくないですか」

 少女はまばたきをひとつして、いつもと変わらない無表情でするりとソファから降りる。テーブルを挟んで向かい側に座った。

 少女が座ったのを確認してから、食べましょうかと言って俺は手を合わせる。少女はそれを見て、ぽかんとした表情を浮かべてわずかに首を傾げた。

「どうかしましたか」
「手」
「手?」
「なんで、あわせるの」
「なんでって……」

 急にそんなことを聞かれるとは思わなかった。この子は時に突拍子も無いことを言い出すな。……確か、食前に手を合わせるという行為は日本の仏教の教えから来ていると聞いたことがあったが、少女が今聞きたいのはそういうことではないだろう。どう返すべきか。
 俺は少しだけ考えた後、口を開いた。

「食べる前に手を合わせるのは日本人なら割とメジャーだと思いますよ。宗教や家庭によって多少差はあったりするでしょうが……。父親から習わなかったんですか?」
「パパは、ご飯くれるだけだったから」

 少女はいつもの調子だったが、どこか寂しさを滲ませるような声だった。視線がわずかに揺れる。

「……まったく、教育がなってませんね」

 それもそうか。母親は居ないと言っていたし、父親はあのジンだ。あまり子供に手を掛けてやるタイプには見えないし、実際手をかけていないのだろう。
 食事を与えるだけが親? ふざけている。

 しかもずっと前から思っていたが、少女の身体はあまりにも痩せすぎなのだ。どうせまともな食事も与えられていないのだろう。
 組織の仕事に駆り出されているのだから睡眠もきちんとしたものはとれていないだろうし、仕事による精神的ストレスも大きそうだ。まだまだ育ちざかりだろうに、これじゃああまりにもかわいそうだ。

 ……せめて、俺と暮らしている間くらいは、まともな食事を食べ、きちんとした睡眠をとらせて、健康的な生活を送らせてやることができないだろうか。
 日本人として最低限知っておくべきマナーや、生きていくうえで必要になってくる生活常識なんかを教えることが出来ないだろうか。

 ――俺の頭の中でカチリと、何かのスイッチが入る音が聞こえた気がした。

「いいですか、仕方ないとはいえ、これから一つ屋根の下一緒に暮らすんですから、僕の家のルールに従っていただきますよ」
「ルール」

 俺は箸をおき、少女に語り掛ける。対する少女は急に何を言い出すんだとばかりに俺を見つめた。

「ええ、まずはそうですね。3食きちんとご飯を食べること。僕が居なくてもですよ。ジャンクフードはなるべく避けて、栄養バランスが整ったものを食べてください。食事の前には挨拶を。食べる時にはなるべく噛むように。20回以上が望ましいですね。そうそう、食べ終わったときにも挨拶するんですよ。使った食器は食洗器に入れてください。でもそのまま入れたら駄目ですよ。軽く水で流してから入れてください。それから――」
「バーボン」
「? はい?」

 まだ途中だったんだが、少女は俺の話を遮った。この子人の話を遮ることもあったんだ……と少し感心しながら少女を見れば、彼女は特に普段と変わらない様子で口を開く。

「私との生活は一時的なもの、だから」
「だから?」
「そこまでしなくても」

 いいから。少女の声が小さく消える。俺はまばたきをひとつして、ふっと笑みを漏らした。

「僕がしたいだけですよ。だからあなたには従ってもらいます。日本古来から伝わる諺にもあるでしょう。『郷に入っては郷に従え』と。そういうことです。わかりました?」
「……」
「返事は?」
「それは命れ――」
「返事、は?」
「…………はい」
「よろしい」