アジトを後にした俺は、とりあえず色を連れて自身のセーフハウスに戻ってきた。出てきた時と寸分違わぬ動作でロックを解除し、室内へと入っていく。日本式の建物であるから履物は玄関で脱ぐ。俺がそうやって室内へ入ったのを見て、色も同じように部屋の中へ入った。まあこの子の場合、元から裸足だから靴を脱ぐなんて動作は必要ないのだけれど。
セーフハウス用に借りた家だったため最低限の家具しかない、言ってしまえば殺風景な部屋だ。どうせほとんど寝に帰ってくるだけだからと適当に選んだのである。家具は全部屋を通して10にも満たないであろう。その上ふたつほど部屋を余らせている。ひとりで過ごすには別に申し分なかったのだが、一時的にとはいえふたりで暮らすにはいささか寂しすぎる。これはしばらく少女に俺のベッドを使わせて、俺はソファで寝ることになるだろうな。
そんなことを考えながら、ふと少女の方を見る。俺の僅か後方に立ち尽くしている少女は、俺がこうしてこれからのことに関して頭を回している間、部屋を見回すでも無く何か言うでも無く、ただじっと前を見ていたようだった。能面のような生気の抜け落ちた表情は古びた家屋の奥座敷に佇む日本人形を彷彿とさせ、どこか背筋に冷たいものが走るような心地さえしそうである。一体今何を考えているのかなんて想像もつかない。……もしかしたら、何も考えていないのかもしれないが。
俺の視線に気づいたらしい少女が、視線をこちらに向けてきた。目を逸らすのも変だろうと、会話を試みる。
「食事は」
まず気になっていたのはこれだ。夜も深い時間で正直もう子どもは眠る時間なのだろうが、この少女の胴があんまりにも薄いもんで頭の端に引っかかっていたのである。もしまだとっていないというのならば近くのコンビニにでも……と思っていたところで、少女が動いた。と言っても、まばたきをひとつしただけであったが。待てど暮らせど帰ってこない返事にしびれを切らして、俺は言葉を重ねる。
「腹は空いていないのか」
そう訊くと少女はわずかに首を傾けて自身の腹部を見やり、正面に戻し、こてんと首を左に傾けた。
「食欲が無いのか」
そう訊くと今度は逆の向きに首を傾ける。
「……わからないのか」
そう訊くと、ついに動きを止めてしまった。
「…………」
一先ず落ち着こうか。
俺は眉間に皺が寄っているのを感じながら目を閉じた。
……正直、この少女がジンの娘でなかったならば「はっきりしろ」と叱りつけていた自信がある。それほどまでに少女の行動は俺の神経を逆なでして仕方なかった。第一、自分が空腹かどうかくらい瞬時にわかるだろう。動物ですらそれくらいのこと自分でやってのけるというのに。目の前にいるこの少女、実は精巧に出来たロボットとかだったりして。……なんて馬鹿げた考えを瞬時に打ち消し、ため息をひとつつく。俺は頭の片隅でずっと考えていた少女に関するひとつの考えが確信に変わるのを感じていた。
この少女、自身の身体の状態……というか自分自身に驚くほど無頓着なのである。
だから自分が今空腹なのかどうかも分からないし、命令や手本も無しに自分の意志で自分のために行動することも出来ないのだ。それが生まれ持ってのものなのか組織に訓練されたものなのかは定かではないが、恐らく俺の考えは当たっているのだろう。……今までどうやって生きてきたんだこいつ。
「少し待っていろ」
俺はそう言って少女を残し、ひとり部屋を出た。向かったのは徒歩数分の距離にあるコンビニ。そこで食べられそうなものを無作為にいくつか選び、購入する。ついでに切れかけていた煙草も購入した。15分もかからないうちに部屋に戻ってきたが、少女は俺が出て行った時と全く同じ位置で立ち尽くしている。違うのは、少女が部屋の奥ではなくこちら……部屋の出入り口の方を見ていることくらいだろうか。
少女の前を通り過ぎてソファに座っても、少女はじっとこちらを見ているだけだ。仕方なく手招きすれば、足音ひとつ立てることなくこちらへ近づいてくる。俺の傍まで寄ってきたが、そのまままた動きを止めてしまった。一向に座る様子を見せなかったため、座れと口に出す。そこでようやく少女は俺の隣に腰かけた。
コンビニのレジ袋をテーブルの上に置く。がさりという音に反応して少女の視線が一瞬そちらに向いた。だが数秒後にはまたするすると視線が俺に向けられる。どうしていいかわからないらしい。
「何でもいい。食べろ。ひとつだけでも全てでも構わない」
俺がそう言えば、まばたきをひとつして少女は袋の中を覗き込む様子を見せる。そしてサンドイッチを手に取ると、じっと包装を眺めた後に、たどたどしい手つきで剥ぎ始めた。初めは開け方がわからなかったが、包装に書いてあったのを見て順序を理解した、と言ったところだろうか。なるほど、理解力はあるらしい。
だが食事をとるだけでこれだ。手間がかかりすぎる。
これは、思った以上に。
「先が思いやられるな……」
買ったばかりの煙草を1本取り出しながら、俺は内心ため息をついた。