04' 自由な奴だ

 無機質な音に睡眠を邪魔され、俺は渋々目を開く。時計を確認すれば午前8時。もう少し横になっていても良かったが、だんだんと目は冴えていく。仕方なく俺は身体を起こし、うんと伸びをした。関節がバキバキと音を立てる。ここ数日ソファに横になっていた弊害だろう。欠伸をひとつ零してソファを後にした。

 今日は珍しく丸1日何もない日だ。こんなのはいつぶりだろう。ここ最近特に忙しかったため、かなり久しく感じた。
 俺のベッドを占領している少女……色もそれは同じようで、今もすやすやと穏やかな寝息を立てているのだろう。思えば、互いの休みが重なるのはこれが初めてのことだった。

 コーヒーが朝食代わりになっている俺は、ひとまず日常のルーティンに従うことにする。湯が沸くのを待つ間に顔を洗って歯を磨く。口をゆすぎキッチンに戻ればちょうど湯が沸いた所だった。タイミングがいい。
 火を止め、適当に選んだマグにインスタントコーヒーの粉末を入れ、湯を注ぐ。黒々としたコーヒー特有の香りはいい具合に俺の鈍った頭を蹴飛ばしてくれる。注ぎ終えてマグを手に取り、一口含む。何も変わり映えしない、いつも通りの味だ。

 マグを持ったままソファに腰かけ、片手間にメールと着信をチェックする。組織からの連絡は特に無いようだ。このまま何もなければ晴れて優雅な休日を謳歌できる。是非ともこの携帯が震えない事を願うばかりだ。

 もうひとつ別の端末――FBIと連絡を取るためのものだ――を取り出し、同様にチェックする。こちらも特に連絡は無いようだ。そういえば昨日の分の報告を送っていなかった。さっと昨日の出来事を思い出しながら、携帯に打ち込んでいく。出来事そのままを文字として書き記すのではなく、ある程度カモフラージュをかけた暗号文として文章を作成する。因みにこの文の解き方を知っているのは上司だけだ。
 メールを送信し、二つ折り携帯を閉じる。少し湯気の薄くなったマグに口を付けた。

 煙草でも吸うかとテーブルに置いてあったそれに手を伸ばしかけた時、ガチャリと部屋の扉が開く音がする。視線を向ければ、ふわふわと寝ぼけ眼の色が立っていた。ちらりと時計を見て、色の睡眠時間を瞬時に計算する。5時間と少し。昨日の仕事ぶりにしてはやけに早いな、なんて思いながらソファを離れた。

 色は、一度横になって本格的に眠り始めると数時間は起きない。瞼を下ろし、まるで死んだようにピクリとも動こうとしない。だが6時間ほど眠ると、充電が完了したとばかりに唐突に目を覚ます。そしてまた限界が来るまで動き続けるのである。……ここだけ聞くと本当にロボットのようだ。

 戸棚からシリアルを一袋取り出し、封を開ける。深めの皿にざらざらと入れて牛乳を注いだ。木のさじを添えて少女の前に差し出せば、少女は何も言わずに受け取ってソファに腰かける。ことりと控えめな音を立てて皿をテーブルに置くと、しゃくしゃくとシリアルを頬張り始めた。それを見ながら俺はソファに座り煙草に火をつける。すっと息を吸い込めば煙で肺が満ちていく。
 言葉を交わすことなく1日が始まる。俺たちのいつも通りの朝だった。

 すっかり朝食を平らげると色は皿をシンクにそっと置き、ざばざばと水を出して洗い始める。使った皿は自分で洗えと教えて以来、色は毎回必ず自ら皿を洗っていた。覚えは良いらしい。

 皿を洗い終えると、ぺたぺたとソファに戻って俺の隣にすとんと腰かける。そしてやることなどありませんと言った風に動かなくなってしまった。ぼんやりと焦点の定まらない瞳が時々まばたきをするくらいで、本当に人形かロボットのそれである。2本目の煙草に火をつけたばかりの俺は煙を吸い込みながら頭を回す。

 何か買い足しておくものはあっただろうかと頭の中で確認していく。
 家の食料はある程度買い置きがある。服や生活雑貨も右に同じ。色の分も考えたが、すぐにやめた。少女の分の荷物は共同生活が始まった次の日に、少女自身の部屋からある程度持ってきたのである。ある程度、といっても部屋にあったのは大きめのバッグひとつで済んでしまいそうなほどの荷物しかなかったのだが。
 まあなんにせよ、色の分の生活用品は考えなくてよさそうだ。この共同生活がどれくらい続くものなのか見当がつかないのならば、あまり荷物を増やすのも良くないだろう。

 掃除は……必要なさそうだ。何せこの部屋にはほとんど寝に帰ってくるだけで、色が来るまではあまり使っては来なかったのだから。

 となると……後は仕事道具の手入れくらいしかやることが無い。俺も大概だな。ある程度短くなった煙草を灰皿に押し付けてもみ消し、ソファを離れる。自身の部屋に立てかけてあったライフルバッグと調整用の道具を手に再びリビングへ戻った。

 ライフルバッグにしまわれた、組織から支給されたレミントンM700をテーブルに取り出し、固定用のサンドバッグに取り付ける。ボア・ガイドを挿入。溶剤に浸したパッチの中心をジャグで突いてバレルの中を通し、バレル内の汚れを取り除く。続いて薬室内……。ひとつひとつ手順を踏んで、丁寧に手入れを施していく。
 黙々と作業をしていると、手元に視線が向けられているのを感じた。

「……」

 じい、っと。ふたつの目玉が手元を見ている。その目の持ち主は紛れもなく、俺の隣に座る"人形"の少女。手をとめて隣を見れば、少女は構うことなく俺の手元に視線を向け続けている。
 不意に少女がこちらを見上げた。

「…………」
「…………」

 視線がぶつかり、沈黙が落ちる。先に目を逸らしたのは俺の方だった。

「……そんなに見られると、作業しにくい」

 チャンバー・ブラシを手に取りながら言う。少女の視線は未だ自分に向けられていた。

「お前も、仕事道具の手入れをしてみたらどうだ。やり方はわかるんだろう」

 一応提案してみる。確か少女の数少ない荷物の中に、サバイバルナイフを研ぐための砥石も数種類あったはずだ。ある程度使われていた形跡があったから恐らく手入れの方法くらいはわかるだろうと思っていたのだが……。

「……」

 色は黙って立ち上がり、ぺたぺたと足音を鳴らしてソファを後にする。そして仕事で使う例のナイフ2本と手入れ用の道具一式を持って戻ってきた。ガタガタと道具をテーブルに広げ、俺の隣に座る。……ここでやるのか。あまりこのテーブルも広くは無いんだがな。

 それとなくスペースを取れるよう、端の方に寄ってやる。色はといえば至ってマイペースにナイフを鞘から抜いていた。砥石にオイルを垂らし、角度を固定して刃を滑らせるようにして研いでいく。しゅ、しゅ、しゅ、と滑らかな音がふたりきりの静かな部屋に満ちていった。俺も再び自身の作業に集中し始める。

 ライフルの外見をある程度綺麗に拭ってやれば、1本目の手入れは終了だ。この調子で他の銃も手入れしてしまうか。時間がある今の内にやっておいた方がいいだろう。
 道具はそのままに、レミントンをしまったライフルバッグを持って自室へ。ライフルバッグを元あった位置に戻し、AI L96A1、バレットM82A1、それからいくつかの自動拳銃を引っ張り出した。それらをまとめて抱えてリビングに戻る。

「……」

 リビングのソファに腰かける少女。だがナイフを研ぐ音は止まっている。足音を殺して近寄れば、こくりこくりと船を漕いでいた。瞼と瞼がくっつきそうになっている。

「……電池切れにしては、随分早いな」

 ぽつりとつぶやく。恐らく昨日の任務の疲れが十分に摂れていないにも関わらず、いつもより少し早い時間に目が冴えてしまったせいだろう。そっと銃をテーブルに置き、手に持ったナイフをどけてやった。手からナイフが剥がされる感覚で、ふと意識を取り戻したようである。ぼんやりとした目でこちらを見上げた。

「疲れが十分にとれていないんだろう。幸い今日は何もない。休める時に休んでおけ」

 くしゃりくしゃりと少女の髪の毛を撫ぜる。するとそれがスイッチになったのか、少女はゆっくりと瞼を下ろし、目の前の俺の脚にこてりともたれかかった。やれやれとため息をつきながら、俺はそっと色を抱き上げる。嫌に軽いな。

「ねえ」

 腕の中に抱きかかえた少女が不意に声を出す。視線をそこに向ければ、薄く開かれた瞼の中にある黒い瞳がこちらをとらえていた。そういえば少女から話しかけてくるのはこれが初めてではないだろうか。

「……どうした」

 少女をベッドまで運んでやりながら俺は返答する。すると少女は、酷く眠気を含んだ声で、ぽそりと言った。

「……ライ兄、って、呼んでもいい……?」

 色をベッドに横たえようとしていた俺はぴたりと動きを止める。急に何を言い出すんだこいつは。思わず色の方を見れば、うつらうつらと今にも眠りに落ちそうである。俺はそっと頭を撫でてやりながら言った。

「……構わない。好きに呼べ」

 俺の言葉を聞くと、色は安心したようにそのまま眠りに落ちて行った。
 ……本当に、自由な奴だ。