色の仕事が終わったとの連絡を受け、言われたとおりの場所に向かう。比較的近かったこともあってか程なく指定された場所に到着した。
まるで幽霊のようにぼんやりと立ちすくむ色の目の前に車をとめてやれば、視線がこちらに向く。窓を下げていつものように助手席に乗り込むように指示を出した。色は小さく頷いて助手席側に回り込み、ドアを開ける。
「ありがとう、ライ兄」
「……礼を言われるようなことはしていない」
シートベルトを締めながら無表情のままぽつりと言った色にそう返してから車を発進させる。
あの日……色との休みが被った例の日以来、彼女は俺のことを"ライ兄"と呼ぶようになった。別に嫌だとかそういうことではないのだが、コードネームをそのようにアレンジして呼ばれた経験が皆無であるため未だに慣れないのである。
比較的明るい時間帯であるため、交通量も多い。赤信号に捕まったため静かに停車すれば、唐突に自身の携帯電話が震えた。震えたのは組織用の携帯電話である。二つ折りのそれを開いて相手とその内容を確認する。
「……」
これは、そのまま向かった方がよさそうだな。
俺は静かにそう判断し、相手に了解の旨を返信して携帯電話を閉じる。そして信号が変わったのを確認すると、自宅とは別の方向にハンドルを切った。急に道を変えた俺を少し不思議そうに色は見上げる。俺は前から視線を外さずに言った。
「悪い、色。少し寄るところが出来た」
視界の端で彼女がぼんやりとまばたきをするのが見えた。
***
メールで指定されたとおりの建物付近に到着し、車をとめる。
「お前もついて来い」
助手席に座る色にそう告げれば、彼女は黙って頷いてシートベルトを外す。それから車を後にして、ふたりで建物内へ。
指定された階数の指定された部屋に到着し、指定されたとおりにノックを4回。すると数秒ほどのラグの後、ドアが開いて目的の人物がひょっこり顔を出した。俺とあまり年が変わらないくらいの、若くしてコードネームを得た優秀な男である。
「意外と早かったなライ」
「近くまで来ていたからな」
とりあえず入れと言われ、玄関の中に足を踏み入れる。俺の背後にいた色も一緒に中に入ってきたのを見て、ようやくその存在に気が付いたようだ。
「ライ。こいつは?」
「お前も聞いたことくらいはあるだろう。"人形"だ。今色々あって俺が一時的に預かっている」
「! なるほど、この子が組織の……」
俺の答えを聞いて驚いたように少し目を丸くした。そして人好きのする笑みを浮かべて、色に視線を合わせるようにしゃがみ込む。
「はじめまして、俺はスコッチっていうんだ。君の名前は?」
尋ねられた色はまばたきをひとつしてそっと俺の方を見上げる。俺が何も言わずに頷いてやれば、小さく口を開いた。
「……色」
その瞬間、スコッチが驚いたようにぴたりと固まる。
そしてがばりと色の腕を掴んだ。色はスコッチの予想外の行動に驚いたように固まってしまったようである。
「君、本当に色って名前なのか?」
「うん」
「うわ、まじか……! じゃ、じゃあ苗字は? 苗字はわかるか?」
「みょうじ……」
少し視線を下げて考えるような素振りを見せた後、自信なさげに言った。
「確か、十六夜……」
それを聞いてスコッチはますます大きく目を見開いた。まるであるはずのないものを見つけてしまったかのような、何とも言い表せない表情を浮かべる。何度も色に名前を確かめて、その度に色は小さく頷く。ひとしきりそれを繰り返し、盛大なため息をひとつ漏らした。
「どうしてこんな時に限ってあいつは任務なんだ……」
くしゃくしゃと頭を掻きながらほとんど聞き取れないほど小さくひとりごとを零した後、今度は顔を上げて俺の方に視線を寄こしてくる。
「この子……バーボンとは会わせたのか」
「いや、会わせてないが……なぜそこにバーボンが出てくる」
先ほどから様子がおかしいスコッチに思った通りの疑問をぶつければ、彼はしどろもどろになりながら「こっちの話だ、気にするな」と言った。……なんとなく疑問は残るが、今日は特に掘り下げないでおこう。
「……今日はこいつを会わせるためだけに、わざわざここまで来たわけではないのだが」
俺の言葉を聞いた途端、スコッチはハッとして色から手を離す。そして慌てて部屋の奥へ向かい、そして戻ってきた。
「これがさっきメールで言ったUSB。詳しいことはそこの中に入ってるから、あとはその通りにしてくれ」
「わかった」
シンプルなUSBを受けとり、目的を果たした俺は玄関の扉に手をかける。
「何かあったらまた連絡しろ」
「了解」
玄関から立ち去る寸前、スコッチが唐突に俺たちのことを呼び止めた。
「もし機会があったらその"人形"、バーボンにも会わせてやってくれ」
「……えらくバーボンに固執するな」
「アイツは俺よりも優秀だ。いずれ、そいつと一緒に仕事をする機会があるかもしれないだろ。そのためだよ」
スコッチの表情はいつもとほとんど変わらなかった。つい数分前のあの顔はもしや夢幻か何かかと思うほどである。
俺は静かに言った。
「機会があれば、な」
***
数日間の長期任務を終え、俺は久しぶりにあいつに連絡をとることにした。俺がこの任務に就くことを一番気にかけていた彼だ。
見慣れた番号を呼び出して携帯を耳に当てる。数コールしてあいつは幾分変わりない様子で電話に出た。
『随分長かったな、バーボン』
「ええ。僕もまさかここまで長くかかるとは思いませんでしたよ」
ため息交じりに言えば、スピーカーの向こうの彼が息を漏らすような笑みを漏らす。それを聞いてこちらも自然と笑みが零れた。
「僕がいない間、何も変わりありませんでした?」
『バーボンの料理が恋しくなる以外、特に何とも』
「それはそれは」
運転席のシートに身体を預けながら小さく笑う。すると、スピーカーの向こうのあいつがぽつりと言った。
『なあ、バーボン』
「何ですか、スコッチ」
俺が答えれば、それきり電話の向こうの彼は黙り込んでしまった。少し疑問に思い、もう一度彼の名を呼ぶ。彼はまた少しの沈黙の後、つぶやくように言った。
『……いや、やっぱりなんでもない』
それから仕事の話へと話題は移っていった。
――あの時、あいつは一体なんて言おうとしていたのだろう。
今となってはもう、永遠に解らないままだ。