08' 上出来だ

 月が空に鎮座する夜。
 人々が眠りにつき始めるであろう時間帯に、俺たちは国内屈指のホテルの地下駐車場に足を踏み入れていた。かなりの台数の高級車が駐車場を埋め尽くす中、辛うじて見つけた1台分の駐車スペースにシボレーを滑り込ませるように停めた。エンジンを止め、時間を確認する。時間までまだ少しあるか。

「準備はいいか」

 俺は息苦しいネクタイを直しつつ、助手席の色に問いかける。
 今日の任務は情報交換だ。このホテルの最上階を貸し切って執り行われるパーティにふたりで潜入し、とある男からデータを受け取る……という実にシンプルなものである。メインの交渉役が俺で、その護衛役が色という設定だ。本来はジンが引き受ける予定だったようだが、生憎俺に回ってきたらしい。

「うん」

 そう答える色の服はいつもと違って煌びやかだ。何の柄も入っていないノースリーブタイプの黒いドレスだが、背中は大きく開いており少女の華奢さを強調している。足首くらいまである丈のスカートも、太ももの上ギリギリのところまでスリットが入っていて機動性も十分なようだ。恐らくこれもベルモットが用意したのだろう。服が違うとここまで印象が変わるのか。
 それにしても、と俺はぼやく。

「……こういうのはバーボンの方が適していると思うんだがな」

 話術に自信がないわけではないが、正直裏方に徹していたほうが気楽でいい。交渉能力に秀でているアイツが男からデータを受け取り、俺がライフルで遠くから補佐する、という作戦が本来は最適解なのだろうが……まああいつも今他の任務中だし仕方ないか。
 そんなことを考えていると色がぼそりと呟いた。

「バーボン」

 聞きなれない単語だったためだろうか。色はどこか不思議そうに俺の顔を見てくる。

「情報収集と話術に長けた組織の幹部だ。会ったこと無いか」

 そう尋ねれば小さく頷かれる。そういえばスコッチに合わせてやれと言われていたが……俺も最近顔を合わせないな。幹部同士とはいえ、任務の内容まで熟知しているわけではないからあくまで想像の域を出ないが、よっぽど厄介な任務を押し付けられたのかもしれない。
 そうこうしているうちに約束の時間が迫っていた。俺はもう一度自分の姿を確認してから色に声を掛ける。

「……行くぞ」

 俺は静かに車のドアを開けた。


***


 チン、と控えめな音を立ててエレベーターが到着した。音もなく滑らかに扉が開くと、豪華な装飾品に飾り立てられた開けたロビーが出迎えてくれる。ワインレッドのカーペットが床を覆い、天井からは煌びやかなシャンデリアが釣り下がる。壁にかかる絵の額縁は言わずもがな金縁だ。だがこの中でひと際目を惹くのが窓だろう。壁一面を覆うほどの大きさの窓からは眼下に夜の東都が一望できるらしく、天の星よりも多い光が天の川のように輝いていた。

 そんな絢爛豪華な装飾には目もくれず、俺たちは真っすぐ会場へ向かう。受付に名前を記入し、フロアの扉を開いた。
 フロアもロビーに負けず劣らずの豪華さで天井も高く、芸術的にも相当な価値があるのではないかと思うほどだ。会場の人たちもそれぞれ楽しんでいるようである。それなりに整った格好をしているためか、彼らは一見すれば高級志向セレブの集まりのように見える。まさかこいつらが裏社会に君臨する重鎮ばかりだとは夢にも思わないだろう。

 どうやらパーティーは立食形式の様で、客たちはそれぞれワインや食べ物をつまみながら談笑しているようだった。不自然に思われないように食事をいくつかつまみながら、対象の男を探す。
 男の特徴を思い出しながらしばらく視線をうろつかせていると、ほどなく発見した。窓際で腕を組みながら時々ちらりと時計に視線をやっている。どうやら俺たちが来るのを待っているようだ。

「お前は黙って傍に居ろ」

 そっと肩に触れながらそう小声で言えば、色はこちらを見上げることなく小さく頷いた。
 俺たちは男に近づき、さりげなく声を掛ける。男は俺の顔を見て一瞬顔を強張らせたが、すぐに納得したように表情を緩めた。

「おお、てっきりジンが来るかと思っていたが……君が連絡役かね」
「ええ、彼は今他の任務で国外にいまして。私がその代わりです」
「そうかそうか。……ん? この子は」

 色を見て明らかに不思議そうな声を漏らす。その表情にはわずかに猜疑心が見え隠れする。なるほど、余程警戒心が強いという情報は本当だったらしい。俺は警戒心を解きほぐすように、あえてわざとらしくああ、と言った。色の肩にそっと触れる。

「万が一ということもあるから護衛役に、と押し付けられまして。気分を害してしまったらすみません」
「いや、構わないよ。だがそうか、このような少女まで護衛役に駆り出さなければならないとは……。さぞかしそちらは、人員が足りていないと見える」

 皮肉交じりに男は口の端を吊り上げる。明らかに色のことを馬鹿にしているようだ。それでマウントを取ったつもりらしい。この交渉で優位にいるのは自分だ、と。
 そんな彼の言動を不快に思った俺は、冷ややかな笑みを僅かに浮かべる。

「ええ。ですが、こんな少女でも護衛役として事足りてしまうんですよ。裏社会の戦闘員のレベルが低下している予兆でしょうかね」

 いざとなればお前くらい、今すぐにでも殺せるんだ。
 そう目で伝えるように鋭く視線を向ければ、男はびくりと肩を震わせ、明らかに怯えたような表情を見せながらぐっと押し黙る。そう、それでいい。

「そんなつまらないことより、早く取引を済ませましょうか」
「あ、ああ」

 仕切り直しだとばかりに俺が言えば、男が無造作にポケットからUSBメモリを取り出した。その手はわずかに震えている。脅しが効きすぎたか。そんなことを思いつつ、それを受取ろうと手を伸ばした、その時。

 バン、と会場入り口のドアが勢いよく開かれた。
 スーツに身を包んだ恰幅のいい男がぜえはあと息を切らして、近くにいる上司と思われる女に何かを伝えている。するとその男の言葉が周りに伝播し、明らかに辺りがざわつき始めた。

 伝わってきた話ではどうやら警察がこのパーティのことを嗅ぎつけたらしく、会場の下にパトカーが何台も止まっているんだとか。ふと窓の外を確認すると確かに、警察車両が何台も建物の周りにとまっていた。次第にざわつきは大きくなり、会場から次々と人が逃げるように飛び出していく。

 面倒なことになったな、と俺が眉間にしわを寄せると、目の前の男がわなわなと震えだした。

「さては……お前らが呼んだのか?! 私を嵌めるために!」

 俺は思わず面食らったように目を丸くする。
 男が言うには、俺が下の警察を呼んだのだと思っているようだが……勘違いも甚だしい。なんとか身の潔白を証明しようとしたのだが、男は意地でもその意見を曲げようとしなかった。どうやら思い込みと被害妄想が激しいという情報も本当だったようだな。

「とにかく! この交渉は決裂だ!」

 男がUSBメモリを再び自らのポケットに突っ込み、その場から立ち去ろうとしたその瞬間、控えていた色がタッと駆け出した。
 ひらりと男の頭上に飛び上がる。そのままくるりと宙を舞い、すたっと華麗に着地する。

 カツリ。
 色の靴が地面と触れ、音を立てた次の瞬間――

 男は色の背後で噴水のように全身から血を噴き出した。
 そのままぐしゃりと倒れこみ、血の海に沈む。

 色の手には、ドレスに仕込んでおいた愛用のナイフが握られていた。相変わらず色の表情は1ミリも動く気配がない。

 慣れたようにナイフの血を拭ってから鞘にしまい、しゃがみこんで倒れた男の手からUSBメモリを抜き取る。

「これでいい?」
「……ああ。上出来だ」

 俺の返答を聞いて、色はひょいと男をまたぐように飛び越えた。カツカツと足音を鳴らしながらこちらに歩いてくる。
 と、その時。

 ――パン、と乾いた音が辺りに響いた。
 一瞬遅れて、色の胸の中心から一筋血が噴き出す。

 色が撃たれた、俺が認識するのにそう時間はかからなかった。