09' アタシを誰だと思ッてやがる

 胸元の血が、少女のドレスを汚していく。
 元々黒いドレスだったが、それでも明らかに変色しているのがわかる。よほど胸の出血は酷いようだった。

 色はそこでようやく表情を変えた。目を丸くして、不思議そうに今しがた穴が開いた場所を見ている。まるで自分に何が起こったのか分かっていないようだ。
 ……俺はその動作に小さな違和感を覚えたが、今はそれどころでは無い。

「……は、ざまあ無いな」

 その背後には、先ほど色に切り裂かれたはずの男が息も絶え絶えに横たわっていた。上半身だけを辛うじて起こした状態で不敵に笑っている。その手には拳銃があり、銃口から一筋の煙が伸びていた。こいつが撃ったのか。案外しぶといやつだな。

 俺が持参した自動小銃に手をかけると、色はのたりと男の方を振り返る。男は怯え交じりの笑みを浮かべながら、なおも銃口を色に向けていた。色は何も言わずに鞘から2本のナイフをすらりと抜く。
 よせ、という間もなく、色は駆け出していた。男の引き金を引く指に力がこもる。

 だが男が引き金を引き切る前に、銃は音もなくバラバラに砕け散っていた。
 そして、それを認識する間もなく、男の首が胴から離れる。

 金属片と男の頭、それから色の靴が地面に着いたのはほぼ同時であった。

 ぶじゅぅ、と勢いよく噴き出す血を見て、色は静かに息をつく。そしてゆっくりと瞼を下ろしながら、力が抜けたように膝から崩れ落ちた。

「色!」

 なんとか駆け寄って抱き留めたが、色の意識は戻らない。血は相変わらず流れ続けている。呼吸が荒い所を見ると、呼吸器の辺りを弾が掠ったのかもしれない。とにかく急いで治療をしなければ。

 俺は色を抱えて素早くパーティ会場を後にした。途中で警察に見つかり不毛な鬼ごっこが始まってしまったが、なんとか切り抜けて駐車場に駆け込む。警察が既に何人もうようよしていたが、いちいち構っている暇はない。
 色を後部座席に寝かせ、素早く車を発進させる。夜の闇に紛れるように警察車両からの追手を撒きつつ、ちらりとバックミラーで後部座席の様子を見やる。未だに意識は戻らないようだ。どう手を打つべきかと考えたその時、ふとこの間の明美との会話を思い出す。

『私の親とこの子の主治医の先生が仲良くて――』

 主治医。彼女は確かにそう言っていた。
 医者ならば恐らくそれなりの処置も出来るだろう。もし専門出なかったとしても、他の医者に繋いでもらうことも出来る。

「……今は、それに賭けるしかないか」

 俺は藁にもすがる思いで携帯を取り出した。


***


 寂れた住宅街の中で異彩を放つ白い建物。彼女が言うにはこの病院に色の主治医がいると言うが……いや、今はごちゃごちゃ考えている余裕は無い。滑りこむように駐車し、色を抱えて病院に駆け込む。
 組織直轄の医療機関であるためか、こんな時間でも開いているようだった。ざっと辺りを見渡し、受付に居た女性に足早に近づいて話をする。

「胸を銃で撃たれた。こいつの主治医に会いたいんだ」
「え、っと……」

 受付の女性は驚いたように固まってしまった。急に現れた俺たちに戸惑っているのかもしれない。おずおずと腕の中の色を見て、眉を寄せる。

「その、主治医の先生のお名前を教えていただけますでしょうか?」
「それがわからないんだ。この病院にいるということだけは確かなんだが」
「は、はあ……」

 受付の女性はますます困ってしまったようだ。そうこうしているうちに色の呼吸がどんどん浅くなっていく。不味い、なんとしても最悪の事態だけは避けたいのだが……。
 すると、病院の奥の方から足音が聞こえてきた。

「なんだなんだァ? こんな時間に急患かィ」

 歩いてきたのはひとりの女性だ。
 日本人離れしたスタイルをしながらハイヒールを履きこなしている。膝上のタイトスカートに胸元の大きく開いたシャツを着用し、その上から白衣をさらりと羽織っていた。少し茶色がかった大きな瞳は軽く吊り上がっており、その気の強さを象徴しているようである。

「先生! 実はこの人たちが……」

 受付の女性がたった今現れたばかりの白衣の女性に駆け寄る。白衣の女性はその説明を聞くよりも前に俺たちに気付いたらしく、驚いたように目を丸くした。

「色!? おま、どうしたこれ」
「任務中に撃たれたんだ。ここにはこいつの主治医がいると知り合いに聞いて、急いで連れてきた」
「はァーなるほどね。ッたく、ホンッとに無茶すンなァこいつは!」

 呆れたように笑う彼女。その様子から察するに、色の主治医とは彼女のことらしい。
 ひとり納得していると、白衣の彼女は傍にいた受付の女性に指示を出した。

「とりあえずこの子を第一手術室に運ンでくれ。20……いや、15分後に緊急手術を始める。時は一刻を争う。休憩中の奴らも急いで叩き起こしてこい」
「は……はい! わかりました!」

 受付の女性はそう言うと、俺から色を受け取ってパタパタと奥に消えていった。残された白衣の女性も足早に病院の奥に向かおうとするが、ふと足を止めてこちらを振り返る。

「ッと忘れてた……。アンタ、この病院から離れるンなら、とりあえず番号だけでも受付に書いといてくれ。終わったら連絡すッからよ」
「……助かるのか、こいつは」

 俺が訊ねれば、彼女は自信ありげにニッと歯を見せて笑った。

「当たり前だ。アタシを誰だと思ッてやがる」