10' 言ッてくれるじゃねーの

 色を例の病院に預けてから数時間後。ようやく主治医の彼女から連絡があった。

 その時は別の任務の関係で病院を離れていたため、すぐに向かうという旨の返事をしてから病院に向かった。一応受付に名前を記入してから事前に言われていた部屋へ向かう。改めて見ても普通の病院と大差ないな、なんて思いつつ廊下を進んでいけば、程なくして目的の部屋にたどり着いた。扉を3回ノックすれば、「どうぞー」と適当な声が聞こえる。引き戸を引いて中に足を踏み入れた。

 中は診察室のような作りになっているようだった。まあ普通の病院の診察室はここまで煙草の臭いが充満していることは無いが。部屋の中は医学書の詰まった本棚や鉢植えの観葉植物がセンス良く配置されている。部屋の真ん中にでんと位置する広いテーブルはごちゃついていて、煙草の詰まった灰皿や開きっぱなしの本や書き損じの丸めた紙屑なんかが散らばっていた。
 その机のすぐ傍にある背もたれ付きキャスター椅子に、この部屋の主――昨日出会った白衣の彼女が腰かけている。

「よく来たなァ。とりあえず、適当に座れよ」

 悪戯っぽく微笑みながら彼女は言う。俺はすぐ傍にあった椅子――医者の診察室にある、丸くて背もたれの無いあの椅子だ――に腰かけつつ尋ねた。

「色の容体は」
「まーぼちぼちってとこだ」

 そう言いながら彼女はちらりと奥に視線を向ける。カーテンで仕切られているが、光の透け具合でベッドがある事は明らかだった。そこに誰か寝かされていることも。恐らく眠っているのは色なのだろう。

「何しろ弾が肺のすぐ近くを掠ッてたからなァ。もし直接当たッてたら更に危なかッただろーよ」

 その言葉に、わずかに顔が険しくなる。昨日色が撃たれた時のことが脳裏を過ったのだ。もしものことを考えていたらキリがないとはわかっているものの、思考は止められない。
 俺の表情を見て、彼女は安心させるように言った。

「ま、そのうち目を覚ますだろ。そうなったら一応アンタにも連絡すッからさ」
「そうしてくれると助かる」

 彼女は足を組みながらそういやァ、と話題を変えた。

「手前とこうやって話すのは初めてだよなァ、ライ」
「闇医者の世話になる機会なんてそうそう無いもんでね」
「ハッハァ! 言ッてくれるじゃねーの、ネズミ候補の世話係さん?」

 悪戯っぽく微笑み、茶化すように彼女は言う。俺はほんの少しだけ息が詰まる心地がした。
 なんとか動揺を悟られないように振る舞いつつ、問いかける。

「……ネズミ候補?」
「あ? 知らねェのか? 色の世話係を頼まれる幹部はジンにNOCだと疑われてるッて話」

 どくりと音を立てて心臓が跳ねた。
 俺が疑われている? しかもジンにだと?

 静かにフリーズしていると「本当に知らなかッたみてーだなァ」と彼女は歯を見せて愉快そうに笑った。

「ま、その期間中にボロを出さなきゃ無事クリアだからよォ。それまで大人しくしてた方が身のためだぜ?」
「……忠告感謝する。だが俺は生憎NOCじゃないんでな。余計なお世話だ」
「おーおー威勢がいいねェ、新入り幹部さんは」

 胸ポケットから煙草を取り出そうとしたところで手を止めた。恐らく色が奥で眠っていることを思い出したのだろう。少し残念そうに白衣のポケットに両手を突っ込む彼女に、俺は問いかける。

「もしかして、お前も幹部なのか」
「おうさ。一応『アースクエイク』ッつーコードネームも持ってンだけど、あンまり呼ばれねェンだよな。医療系担当で幹部会議にはあンま参加しねーから、そもそも他のコードネーム持ちに会わねェし。ここじゃ『先生』で通じちまうし」

 そこまで言うと彼女は何か面白いことを閃いたかのように、軽く目を見開いた。心なしか頭上にビックリマークが見える。

「そうだ、折角だから手前が呼ンでくれよ。アースクエイク……は長ェから『アーク』でいい。その方がなんかあだ名ッぽくて面白ェし!」

 そうだそうだそれがいいと彼女――アークは嬉しそうに笑う。名前を呼ばれるだけでそこまで嬉しいのか。内心少し呆れつつも、望んだとおりに呼んでやった。

「……アークは、いつから色を知っているんだ?」
「ちゃーんと関わるようになったのはほんの5〜6年前からだな。名前はそれより前から知ってっけどよ」

 うーんと宙を見つめて記憶を辿るように言う。だがその言葉に俺は違和感を覚えた。

「待て、5〜6年だと?」
「ンだよ。こいつ今度23だぞ? 何にもおかしくねーだろうが」

 さらりとアークは爆弾を投下した。なんの準備もしていなかった俺は盛大に爆発する。
 あまりの衝撃に動作停止した俺を見てアークも察したようだ。

「ははーん? なるほど。その顔からするに手前もアレか、色を未成年だと思ッてたクチか」
「……あれで成人済みに見える方がおかしいと思うが」
「ッはは! ま、違ェ無えわな」

 アークは腹を抱えて笑った。目じりには涙を浮かべてすらいる。俺は対照的に頭を抱えていた。

「初めて聞いたヤツは皆驚くぜ。しかもジンが娘だって言うンだから尚更なァ」

 その言葉を聞いて、俺は話の流れに任せるようにアークに尋ねる。彼女ならば本当の事が聞けると思ったからだ。

「前から疑問だったんだが、ジンと色は本当に親子なのか」
「いンや? あいつらに血の繋がりは無ェよ。娘ッてのはアイツ等が勝手に言ッてるだけさね。ま、それとなく風貌が似てるから信じちまうのも無理ねェけどな」

 脚を組み替えつつ、アークは話を続ける。

「昔ジンのことを色が『パパ』って呼び始めてね。そこからアイツの組織疑似家族化計画が始まったってェわけさ」
「組織疑似……家族化計画?」

 なんだその頭の悪そうな計画は。

「まあそう呼んでるのはアタシだけなんだけどよ」

 お前の命名だったのか。
 俺は口に出すことなくツッコんだ。そんな俺を他所に、アークは話を続ける。

「アイツ、昔から親しくなった人を兄さんとか姉さんとか呼ぶンだよなァ。……多分、手前も心当たり有ンだろ?」
「……まあな」

 俺は曖昧に頷く。
 ふと脳裏に過るのはこの間の自室での出来事。寝ぼけ眼の色が初めて俺のことを『ライ兄』と呼んだ、あの一件だ。当時は急に何を言い出すんだと思っていたのだが……。

「何を思ッてそんな呼び方をしてンのかまではアタシも知らねーけど、恐らく組織に来る前がカギだろーよ。家族関係で何かあッたのかもしれねェが……正直憶測の息を出ねェな。アイツに聞いても覚えてねェみてーだし」
「……家族に関する記憶を何者かに消されているのか?」
「どーだかねェ。その辺もなんとも言え無ェな」

 アークはため息交じりに机の上に広げていたペンを手に取った。手持無沙汰そうに手のひらの中で弄んでいる。

「アタシが調べた限りでは、アイツの身体には異常は2つしか無ェが……それが記憶と関連しているとは思え無ェし」
「2つの異常、だと?」

 俺のつぶやきに、アークの目の色が変わる。

「アンタ、色の仕事を見たことは?」
「何度かある」
「率直にどう思ッた?」

 どう思ったか。
 俺は少し考え込み、言われた通り素直に感想を述べていく。

「手口は至って単純だが……速い。俺ですら目で追うのがやっとだ。とても人間技とは思えんよ」
「そ、アイツのナイフ捌き……つーか、動作そのものが常人と比べてとンでもなく速い。実際に、普通の人間ならありえねェスピードで動けるんだアイツは。常人にあるはずのモノが欠落してッからな」
「あるものが、欠落……」

 そこで俺はひとつの考えにたどり着いた。
 ホテルで感じた違和感。それと彼女の証言を合わせて考えれば、おのずと答えは導き出される。

「痛覚が無いのか」
「ビンゴ! 正解だ」

 びしりとペン先を俺に向けた。ヒュウ、と下手な口笛を吹く。

「あれだけ動いたら確実に身体のアチコチにガタが出る。筋肉やら骨やらを明らかに酷使しちまうからな。しかもその痛みのおかげで注意力散漫になり、集中力も落ちる。下手したら反射力だッて落ちる。これが常人。人間なら誰しも当たり前のことだ。……だが、色は違う」

 ペンでこめかみのあたりをくいくいと押しながら、アークは至極愉快そうに歯を見せて笑う。その雰囲気は着用している白衣も相まってかマッドサイエンティストじみて見えた。

「痛覚を持ち合わせちゃいないアイツは、その痛みを知ることなく常に全力で動くことができるッてワケさ。ただし、本当に自分の身に重大な危険が起きた時に対処出来無ェーッつうデメリットもあるがよ」
「なるほど、それがひとつか」
「そーいうこった」

 くるりと右手でペンを回す。しばらく回した後、煙草でもつまむように人差し指と中指でペンを挟んで回転を止めた。

「もうひとつの方は……もしかしたら手前も気付いて無ェかもしれねェな。傍から見ただけじゃわかるッつーもんでもねーし。……一応聞くが、心当たりは?」

 彼女の問いに、涼しい顔で軽く肩をすくめてみせる。だよなあ、と彼女は笑った。

「アイツ、色が見えないんだ」
「色が見えない……色盲か」
「そ。世界を全て明暗のみで判断してンだよ、アイツは」

 アークの言葉が脳内を反響する。
 色盲……。全く予想すらしていなかったし、考えたことも無かった。俺は目を細め、口元を抑えながらため息交じりに言う。

「やけに夜目が利くとは思っていたが……そういうことだったのか」
「なンだ、思い当たるフシあッたンじゃねーか」
「たったそれだけで色盲とは判断できんよ」
「ま、そりゃそーか」

 くく、とアークは笑う。そこで聞きなれぬ呼び出しコールが部屋に響いた。どうやら部屋に設置されている内線の呼び出し音のようだ。ペンをテーブルに置き、流れるように受話器を取る。しばらく応対した後、ガチャリと切る。

「悪ィな、急患が入ッちまッた。とりあえず色が目を覚ましたらアンタにも連絡しといてやるから」
「ああ、長々とすまないな」
「いいンだよ。アタシもアンタと話せて楽しかったし!」

 名前も呼んでくれたしな、と目を細めて笑う。
 俺は椅子から立ち上がり彼女に背を向ける。診察室を出る直前、俺は振り返らずに問いかけた。

「最後にひとつ聞かせてくれ」
「ンだよ」
「何故色のことを詳しく喋った。……ネズミ候補の、俺に」

 そう。俺が途中から密かに疑問に思っていたのはそれだった。

 冒頭で俺のことを"ネズミ候補"と揶揄した割に、彼女は実に沢山の情報を俺に教えてきた。色の血縁関係や年齢、痛覚や色彩の欠落まで。途中俺がそういった話題に方向転換させたのもあったが、明らかにアークの方から話題を振ってきたような場面もあった。医学系統の組織幹部だといっても、流石に喋りすぎではないだろうか。あまりにもスムーズに情報を得られすぎて、今まで話してきたことすらも罠なのかと疑ってしまう。

 だがそんな俺の内心とは対照的に、アークの声は明るかった。

「はァ? ンなの、ひとつしか無ェに決まッてンだろ」

 俺は首だけでそっと振り返る。アークはこれまで見せたことのない優しい笑みを浮かべていた。

「アンタが色の兄貴だからさ」


***


 病院を後にしようと車に乗り込むと着信が入った。相手はどうやらジンらしい。通話ボタンを押して耳に当てる。
 俺が答えるよりも先に、ジンは低い声で言った。

「スコッチはネズミだ。奴を捕らえろ」