11' さッさと気付けよ

 しとしと、空が涙を流している。
 静かな部屋の内側から、アタシは灰色に曇った外を見ていた。

 アタシの手元には読みさしの医学書。その傍には、目を閉じたまま眠り続ける色が居る。仕事の合間に休憩がてら色のベッドサイドに引いてきたキャスター椅子に腰かけて、読書に耽っていたのだ。
 ちらりと時計を確認すると、読み始めてから30分ほど経過していた。アタシは重苦しい医学書をぱたりと閉じて、サイドテーブルに置く。そして視線を色に向けた。

 手術が無事に終わってもうすぐ1日経とうとしているが、こいつは一向に目を覚まさない。こいつにとっちゃ怪我なんて日常茶飯事だと思っていても、やはりこうして眠り続けている姿を見るのは不安だった。こいつの傷をしっかり縫い合わせたのは、何を隠そう自分自身だというのに。

「……何時になッたら目を覚ますンだろうねェ、お前は」

 頬のガーゼにそっと触れながら、アタシはつぶやく。タイミングよく色が目を覚ま……したりなんかしなかった。

「早く起きてやれよ。お前の兄貴も、心配してるぜ」

 兄貴、という自分が発した言葉をきっかけに、昼間に会った男のことを思い出す。
 諸星大……コードネーム、ライ。頭の回転と狙撃技術がずば抜けていると風の噂に聞いていた程度の人物だ。ジンと同じくらい人相が最悪だったが、中身は悪く無い。初めて会ったにしてはかなり話も弾んだ。あれなら色の兄として申し分ないだろう。

「あンまり敵に回したくねェなあ……」

 ぼんやりとつぶやきながら、アタシは白衣のポケットに両手を突っ込みながら背もたれにぐったりともたれかかった。自然とまた、目の前の色に意識が向く。やはり瞼は持ち上がりそうにない。なんだか落ち着かなくなって、アタシは煙草を吸うために部屋を後にした。

 屋上への階段を登り、簡素なアルミ製のドアを開いて外に出た。……といっても、少し屋根がせり出して雨よけになるくらいのところですぐ足を止めたが。
 胸ポケットから取り出した煙草を一本くわえ、火をつける。ふうと吐き出した濁った煙は、ほとんど灰色の空と紛れて分からなくなる。

「色と出会って、もう5年になンのか」

 ぽそりと独り言をつぶやく。なるほど、アタシも年を取るわけだ。
 そんなことを考えながら脳裏に友人の姿が過る。唯一無二の、親友の姿が。

「さッさと気付けよ、ゼロ。じゃねーとアイツ……」

 思い出にふけるように、目を細める。

「お前のことも忘れちまうかもしれねェぜ」


***


 アタシが彼と出会ったのは16の春。
 入学した高校で隣の席だったのがきっかけだった。

「降谷零だ。よろしく」

 心躍る高校生活最初のホームルーム。みんながそれなりに自己紹介をする中、彼は必要最低限の情報だけを素っ気なく言うと、がたんと座ってしまった。教室の空気が一瞬固まるが、すぐさま次の人に移ることで解消する。
 だがアタシは彼にくぎ付けだった。

 日本人離れした端正なルックス、荒々しいがきちんとした育ちの良さが窺える振るまい、わざと人を遠ざけようとしてるのかと思ってしまう言動。そのどれもがアタシの興味を引いた。

 どんなやつなんだろう。面白そうだから、友達になってくれはしないだろうか。
 そんなことを考えながらじっと隣の席の彼を見つめる。すると視線に気づいたのか、彼がこちらを見て素っ気なく問いかけてきた。

「何?」
「いや別に。面白い自己紹介だと思ッてさ」

 素直にそう言えば、思い切り眉をひそめられる。あれのどこが?と思っているのかもしれない。ほほう、素直で面白そうなやつだ。アタシはなあなあ、と彼を見つめながら言った。

「なあ、あンたさ、アタシの友達1号になッてくンないか?」
「は?」

 何で僕がとでも言わんばかりに思い切り不愉快そうな表情を向けられる。でもアタシはめげなかった。なぜなら、気に入ったものを手放したくは無かったから。

 それからアタシは、ことあるごとに降谷に付きまとった。彼の友人であるという諸伏とは一足先にそれなりに仲良くなったが、肝心の降谷は一向に心を開いてはくれなかった。今思い返せばかなり鬱陶しかっただろう。

 案の定、新学期が始まって1週間ほどたったころの帰り道――諸伏は用事があるとかで先に帰ったためふたりきりだった――に、降谷はアタシに言ってきた。

「なんでいちいち付きまとうんだよ」
「なンでッて……友達じゃんアタシたち」
「これのどこがだよ」

 降谷の言葉にぴたりとアタシは動きを止める。え、と思わず声が漏れた。
 反論しようとしたところで降谷が追い打ちをかけてくる。

「迷惑なんだよ。そういうの」

 降谷の言葉が真っすぐ胸に突き刺さる。そしてその胸がじくじくと痛み始めた。段々と降谷の言葉が遠く離れていく。
 ……どうして、言葉ごときで、こんなに胸が痛いんだろう。こんなの初めてだ。

「とにかく。僕にこれ以上――」

 関わるな、とでも続けるはずだったのだろうか。降谷の言葉が止まる。
 ぎょっとした顔をして、恐る恐る尋ねてきた。

「な、に泣いてんの、お前」
「え?」

 降谷の言葉に、アタシは反射的に頬に触れた。そして、そこがひどく濡れていることに気付く。
 自分でも知らないうちに涙を流してしまっていたらしい。アタシは慌てたように弁解した。

「わ、悪ィ! なンでいきなり……」

 拭っても拭っても涙は止まらない。そんなことは今まで体験したことがないものだった。これ以上降谷を呆れさせたくないのに、そんな思いとは裏腹に涙は溢れ続けている。
 半ばパニックを起こしかけていたアタシに、降谷は弱ったようにため息をついた。

「とりあえず、こっちこい」

 その場しのぎのためか、ぐいと手を引かれる。アタシは抵抗することなく彼の後を歩いていった。
 連れてこられたのは人気のない公園のベンチだった。そこに座るよう言われたので大人しく腰かける。降谷もその隣にどかりと腰かけた。

「落ち着いたか?」

 降谷が訊ねてくる。涙が止まったアタシは小さく頷いた。降谷は少しほっとしたように息をつく。

「……アタシ、小さいころから家の事情で、ちゃンと学校通ッたこと無かったんだ」

 ぽつりと口をついて出たのは、誰にも話したことのない自身の身の上話だった。突然語りだしたのにもかかわらず、降谷は黙って耳を傾けてくれている。

 アタシは実の両親が組織専属の闇医者で、そのせいか部屋にあった医学書を絵本代わりにして育った。その英才教育が実を結んだのかは知らないが、7歳のころには一通りの医学書を読みこなすほどの知識を手に入れていたのだ。そして両親が不慮の事故で亡くなったのとほとんど同時期には、初めて人の身体にメスを入れていた。若干12歳のころである。

「でもどうしても学校に行きたくて……死ぬほど頼み込ンで高校の3年だけ許してもらッたンだ」

 許しをくれたときの銀髪幹部野郎の顔の怖さは正直たまったもんじゃなかったけど、それでも嬉しかった。
 因みにこの高校の3年間が終わると、アタシは再び死ぬまで組織にこきつかわれるようになる手筈になっている。だがそれでもアタシは構わなかった。何をしても構わない、自由な時間を一生のうち一時でもいいから手に入れられれば、それでよかったのだ。

「やッと友達ができるッて、嬉しかッた。でも、同世代の子とどうやッて関わったらいいかよくわかンなくて……降谷がそンな風に思ッてたなンて、全然気づかなかッた」

 ごめん、と言いながらアタシは頭を下げる。
 思ったよりもしょぼくれた声になってしまったせいか、それを見ていた降谷が慌てたように言ってきた。

「僕の方こそ悪かった。まさかそんな事情があるとは思わなくて……泣かせるつもりは」
「いいンだ。悪いのはアタシだから」

 アタシはあはは、と笑って見せる。うまく笑えていたかどうかはわからないが、もうどうしようもない。
 友達になりたいと思っていたが、嫌われてしまったのなら仕方がないだろう。

「でもこれでわかッたからさ、もうアタシは降谷と関わンのは……」
「……いいぞ、なってやっても」
「……え? 何が?」

 いきなりすぎて一瞬何のことかわからなくなる。ぽかんと間抜けな顔をしたアタシは、何度もまばたきを繰り返していた。
 そんなアタシの反応にだから、と降谷は苛立ったように声を荒げた。

「お前と、友達になってやってもいいって言ってるんだ」

 降谷の言葉に、アタシは思わず目を見開いた。目の前の降谷は一向にアタシの方に視線を向けようとせず、ふいっとそっぽを向いたままである。だがその横顔は心なしか赤く染まっているように見えた。
 たった今降谷から飛び出してきたその言葉が信じられなくて、アタシは確かめるように問いかける。

「……いいの?」
「そんなこと聞かされて突っぱねられるほど僕は薄情者じゃねえ」
「ほンとに?」
「だからいいって言ってるだろ。何度も言わせんなよ」

 へへ、と思わず笑みが漏れる。細くなった目じりからまた涙がつるりと滑り落ちた。降谷のその突っぱねるような言葉がなんだかくすぐったくて、なんだか落ち着かない。

「降谷は素直じゃねーなァ」
「うるさい。いいから、今度はあんまりべたべた付きまとうなよ」
「はーい」
「わかってんのかこいつ……」

 呆れたような顔で降谷は口の端を引きつらせる。
 その顔がなんだかおかしくて、アタシは思わず笑ってしまった。


***


 いつの間にか随分煙草が短くなっていた。そのことがアタシを現実に引き戻す。

「なッつかしいなあ」

 煙草の灰を落としながらアタシは微笑む。

 そこから色々あってアタシたちは仲良くなった。絵に描いたような……とまではいかないが、それなりに煌々の3年間を謳歌出来たと思う。因みに、ふたりに対して恋愛的な感情は無いのかとよく女子たちに聞かれたが、アタシは全くもってそんな思いは持っていなかった。心置きなく馬鹿話ができる数少ない友人、といったところだろう。色恋に発展するなんて、頭の片隅にもなかった。

 高校を卒業して、アタシは組織の取り決め通りアメリカに飛んだ。向こうにある組織の研究施設の手伝いをしながら大学に通い、死に物狂いで勉強して見事飛び級で医師免許をゲットしたのだ。

 そして21の時、医師免許を携えて日本に帰国し、本格的に組織の仕事を手伝わされていた。初めて色と出会ったのも確かちょうどこのころだったと思う。
 ボロボロの状態で担ぎ込まれてきた年端もいかない少女。それがアタシの色に対する第一印象だった。組織随一の戦闘員で、"人形"の異名を持つ少女がいることは昔から聞いていたが……まさか、ここまで幼いとは。

 だが一番驚いたのは、降谷が昔から探しているという少女の持つ外見的特徴を色がほぼ網羅していた点だろう。

 まさかと思って慌てて年齢を確認すると、なんとアタシの3つ下。降谷が言っていた年齢と一致する。その時ばかりは思わず天を仰いだ。降谷は幼い頃から彼女をずっと探し続けていたと言っていたが……こんな裏社会にいるのならば見つけられるわけがない。

 それからアタシは彼女の主治医という地位を獲得しつつ、組織随一の闇医者としてどっぷり犯罪行為の片棒を担ぐ生活を送っていた。

 仕事をしながら……色の治療をしているときは特に、時折友人である彼らのことを思い出すこともあった。だが、もう二度と会うことなんて無いんだろうなと思っていた。彼らが生きている世界と、アタシが生きている世界はいわば光と陰――あまりにも違いすぎる。あれらはアタシの中の幸せな思い出として、静かに胸に秘めて生きて行こう。
 ――そう思っていた時期がアタシにもありました。

 今から約2年前に、二度と会うことは無いと思っていた降谷と再会したのだ。
 しかもよりにもよって組織の病院ココで。

 バーボンというコードネームを与えられた降谷は、組織の一幹部であるアタシに挨拶をしに来たのだという。アタシと目が合った瞬間ひどく驚いた様子だったが、すぐに仕事モードに切り替えたようだった。高校時代のあいつからは想像も出来ないようなにこやかな笑みを浮かべる彼に、何度笑いを零しそうになったかわからない。

 それから彼はさりげなくアタシと接触をし、約束を取り付け、ふたりきりになったところで自身の本当の身分を明かした。彼は今なんとこの国の警察官を取り仕切る公安警察のほぼ頂点に近い地位にいるらしい。優秀な奴だと思ってはいたが、まさかここまでだったとは。懐かしい旧友の成長に、思わず表情がほころぶ。

 そして次に降谷は、アタシへ協力関係を結べないかと持ち掛けてきた。組織を倒すために協力してくれないかと。
 正直ここに呼び出した時点でそういうことだろうとわかり切っていたアタシは、その誘いを――きっぱりと断った。

 自分は生まれたときからずっと組織に属している。それに、無理矢理とはいえ医学に関する最上の教育を受けさせてくれたんだ。非合法な組織だと思ってはいるが、一応多少なりとも恩はある。だから今更裏切るようなことは出来ない。もし組織を倒す協力者が欲しいのならアタシは適任ではないと、そう言ってやった。
 だが降谷はアタシがこう出ることをほとんど予想していたらしい。彼は平然と、とんでもない情報をアタシに突き付けてきた。

 なんと、アタシの両親の死が組織に仕組まれたものだというのだ。

 12歳の時に死亡した両親。組織には電車による事故死だったと聞かされていたが……まさか、仕組まれたものだったなんて。そんな情報が飛び出してくるとは思ってもいなかったアタシは、分かりやすく動揺した。今思えば、アイツの思うツボだっただろう。
 アタシは最愛の両親の敵を取れるのならと、半ば折れるような形で彼に協力をすることになった。

 定期的に組織内の情報を横流しし、彼に不都合な情報を消す。医療チームでありながら後方支援として後処理も担当させられていたアタシにとってそんなことは朝飯前である。彼はその情報を元にしたのかは分からないが、着々と組織内でも信頼を得て、地位を上げていった。

 そして協力関係を結んでから早数年。今に至るというわけだ。
 ……本当に、時間が過ぎるのは早い。

「ッと、もうこンな時間か」

 時間を確認すると、思ったより時間が経っていることに気が付いた。流石にそろそろ戻った方がいいだろう。寒いし。煙草を屋上に設置してある灰皿に捨てる。そして来たときと何ら変わらない調子で部屋に戻った。

 部屋に入った途端、アタシは思わず目を丸くする。
 先ほどまで眠っていたはずの色が意識を取り戻していたのだ。

 彼女は上体を起こし、いつものようにぼんやりとした調子で虚空を見つめていた。その様子があまりにも亡霊じみていて少々心臓に悪かったのは内緒である。全くこちらに気が付いていない様子の色に変わって、アタシはパッと笑顔を浮かべて声をかけながら近づいていく。

「やッと目を覚ましたか、色」
「先生? ここは……」
「あーいいからいいから、あんまり動くンじゃねェよ」

 色をなだめつつ、ライに連絡するために電話を取り出した。事前に聞いていた番号を打ち込んで待つこと数コール。ライは静かに電話に応じた。誰だ、という問いかけにまずこちらの名を名乗ってから要件を伝える。

「色が目を覚ましたぜ。仕事が片付き次第、迎えに来てやッてくれ」
『了解』

 そこであっさりと通話は切られた。そのやりとりになんだか違和感を覚え、アタシは小さく首を傾げる。

「なンか覇気がないッつーか……寝起きか?」

 それだったら悪いことしたな。
 まあ、そんなことより色の検査だ。アタシはすぐに思考を切り替え、看護師たちに指示を出した。


***


 通話を終了させ、携帯をポケットにしまう。
 さび付いた外階段を下りるたびにカンカンと響く足音がどうにも耳障りで、俺は静かに目を細めた。

 ……上の階には、まだ彼がいる。
 一行に降りてくる様子も見られないが、最後の別れでもしているのだろうか。彼らは、非常に仲が良かったように見られたから。

 血に染まった彼の姿が、まだ脳裏に焼き付いている。
 銃口から弾丸が飛ぶ音も、こびりつくような鉄の臭いも、まだ生々しく脳裏に、記憶に残っている。

「……」

 俺は煙草をくわえようとして、止めた。今にも泣き出しそうな空模様が目に入ったのだ。これではすぐに雨によって消されてしまうだろう。

 そんな事より、早く病院に行って彼女を迎えなくては。
 考えを無理矢理切り替えて、俺は階段を下りる足を速めた。