一層勢いを強めた雨が、断続的に倉庫の屋根を激しく叩いている。
その音をどこか遠くに聞きながら、俺は目の前の彼女を見つめていた。彼女は少し俯き加減で、変わり果てた姿になった木箱の残骸の中心に立っている。影の具合で表情はあまり見えない。ナイフの刃だけが異様にギラギラとした光を宿していた。その様子がまるでホラー映画に出てくる攻撃的な幽霊のようで心底不気味である。そんなことを思っていると、きょろりと音もなく目玉が動き、冷ややかな眼差しがこちらに向けられた。
俺は意を決して口を開く。
「……どういうつもりだ」
「"どうもこうもねえよ"」
ゆらりと少女がこちらに向き直る。腹の底から響くような声と、ぶっきらぼうな口調。今までの彼女から考えると不釣り合いなその話し方にはどこか聞き覚えがある。
……彼女の"父親"だ。
よく見ると彼女の片耳に見覚えのないインカムが刺さっていた。大方俺が目を離した隙にでもつけていたのだろう。どうやらそれでインカムの向こうにいるであろう、姿の見えない"父親"の言っていることをそのまま代弁しているらしい。血の繋がらない親子だと言っていたが……随分とまあ似るものだ。
「"テメェもNOCだったとはなあ……ライ"」
「俺がNOC……?なかなかに突飛な話だな」
「"とぼけるんじゃねえ"」
俺の言い分をぴしゃりと一蹴する。
「"取引場所にFBIがいたんだ。お前の差し金だろう?"」
彼女の口から告げられた言葉に、俺は思わず息を飲んだ。そしてぐっと眉根を寄せる。まさか、情報が漏れていたとは……。
「"調べはついてんだ。知らねェとは言わせねェぞ"」
こちらの逃げ道を塞ぐように彼女は言う。どうやら俺の言い分を聞く気は無いらしい。それもそうか。元々NOCだと疑っていた俺がそんなことをしたんだとわかれば、容赦なんてしないだろう。俺はそっとジャケットの内側に意識をやる。
「それで。どうするつもりだ」
「"決まってんだろ"」
ちゃき、と色がナイフを持ち直す。
「"裏切り者には制裁を"」
ナイフの刃が鈍く光る。
そこに映る彼女の顔は、相変わらず無表情だった。
「――"これで、テメェも終わりだ"」
ひゅ、と体勢を低くした色がこちらとの間合いを詰める。早い。
瞬時に拳銃を取り出して引き金を引いたが、ナイフの刃をあてがうことで弾を受け流されてしまった。その隙に歩幅を大きくしてこちらに踏み込む。
そして素早く宙を舞い、刃を突き付けた。
躱すのが間に合わず、仕方なくナイフを拳銃で受け止める。がきん!と金属同士が触れ合う音と共に火花が散った。ぐぐ、と彼女の重みを受け止め、反動を利用して弾き飛ばす。
だが彼女はそこまで読んでいたようで、空中でくるりと回ると余裕ありげに着地した。
それとほぼ同時に、手にしていた拳銃がピシリと音をたててバラバラに崩れ落ちた。
「!」
俺が驚いた一瞬のスキをついて、彼女は再び刃を向けてくる。俺は拳銃の残骸を捨て、潔く素手で応戦することにした。
だが相手はナイフを2本所持した組織随一の戦闘員。いくら俺が截拳道を使えるといっても力の差は目に見えている。
案の定俺は彼女の繰り出す攻撃を受け流すことで精いっぱいだった。目にも止まらぬ速さで繰り出されるナイフの刃をなるべくギリギリのところで避けているうちにとん、と背中に何かが当たった。倉庫の壁だ。もう逃げ道は無い。彼女もそう考えたのだろう。先ほどよりも大きくナイフを振りかぶったのを俺は見逃さなかった。
ナイフを躱し、腹に一発拳を叩き込む。
かは、と彼女が息を吐いた音が聞こえた。
色の軽い身体が吹っ飛ばされ、反対の壁に叩きつけられる。けたたましい音が響いた所からしてもかなりの衝撃だっただろうが、彼女はゆらりと立ち上がる。そして表情を一切変えないまま、ぐんぐん間合いを詰めてきた。その動きに先ほど受けたダメージは一切感じられない。やはり痛覚が無いというのは厄介だな。
再び彼女との攻防が続く。先ほど俺に吹っ飛ばされたことから学んだのか、一切の隙を見せる様子がない。時に宙を舞い、時に壁を走り、息をつく間もなく攻撃を繰り出してくる。
反撃出来るようなタイミングを窺いつつ、攻撃を躱す。だがそれも長くはもたなかった。
「ッ!」
攻撃を避け、バランスを崩した俺の身体が揺れる。慌てて立て直そうと力を入れたが、遅かった。
彼女は空中でナイフを振り抜いた体勢を立て直し、思い切り俺を蹴り飛ばした。
ガードが遅れたせいか、みしりと胴から嫌な音がする。
先ほどのお返しのつもりなのだろうか。どこにそんな力があったのか不思議に思うほどの強さで蹴られた俺は、そのまま吹っ飛ばされ倉庫の壁に衝突した。元々弱っていたところに当たったのか、壁が崩れて俺はそのまま外に転がり出る。容赦なく雨が打ちつけ服を濡らし、身体を重くした。
雨で濡れたアスファルトから身を起こす。だが彼女はもう既に目前に迫っていた。これで終わりだと、ナイフの刃が嘲笑うようにぎらりと光る。
やはり組織随一の戦闘員と言われるだけある彼女の強さは恐ろしいものだ。
……だが、甘い。
俺は隠し持っていたもう1丁の拳銃を抜き、引き金を引いた。
まさか拳銃をまだ持っているとは思っていなかったのだろう。放たれた弾は躱される事無く、彼女の左足に着弾した。それに構わず攻撃を繰り出そうとした、次の瞬間。
――彼女はがくりとその場に倒れ込んだ。
まるで力が抜けたように地面に横たわり、そのまま静かに瞼を下ろす。その隙にナイフを少女の手から離し、素早く手足を拘束する。全て終えたところでふっと息をついた。
「……持っていて正解だったな」
拳銃を見ながらつぶやく。
俺が持っていたのは対"人形"用の拳銃……いわゆる麻酔銃だ。痛みは効かない彼女でも、薬ならば効くのではと思ったのである。結果はご覧の通りだ。
ざあざあと降り続く雨が、俺たちを濡らしている。横たわった彼女はまるで本物の人形の様に生気がなかった。先ほど打ち込んだ麻酔は少なくとも数時間は効く。このまま放っておけば確実に低体温症になってしまうだろう。
そのまま立ち去るつもりだったが、結局俺は彼女を抱きかかえ、倉庫の壁にもたれさせるように座らせた。ここなら多少雨もしのげるだろう。そして携帯を取り出して履歴からある番号を見つけ、発信する。程なくしてけだるい声が聞こえてきた。
『おーうライ。どうしたァ? どッか怪我でもしたか』
「○×倉庫で色が怪我をした。治療してやれ」
『あ? ンだよ。そンなこと頼むくらいならこッちに連れてくれば――』
「伝えたからな」
相手の返事も聞かず、強引に通話を切った。車に戻りながら上司に話をつけ、俺は倉庫を後にする。
そしてそのまま組織を抜け、アメリカへ帰国することになった。