14' きみのためなんだよ

 どこまでも続く、暗くなだらかな登り坂をヘッドライドが真っすぐに照らしている。外灯なんて親切なものはこの峠には設置されていないようで、辺りは気味が悪いくらい真っ暗だ。ロードノイズと、時折鳴るスキール音。静かな車内で、俺は脳内でひとりこれからの作戦を再確認する。

 上手くいくのかと疑問に思う反面、あのボウヤの立てた作戦なら大丈夫だろうという確信のようなものもあった。案外、俺も彼に信頼を寄せているようだ。ジョディを馬鹿には出来ないな、と内心思う。

 彼女から指定された場所に向かうと、1台の車を発見した。もう既に彼女は到着していたらしい。車を谷に近い方にとめ、エンジンを切る。ドアを開いて車から降りれば、キールこと水無怜奈がそこに立っていた。ドアを半分開いたまま、右手をポケットに入れた。

「あら、どうしたの? 逆の方向から来るなんて」

 彼女はそう言いながら足音を響かせて近づいてくる。首元についている黒いチョーカーが気になった。中心には丸い装飾品が取り付けられている。暗闇で識別しにくいが、恐らくこれにカメラでも仕込んでいるのだろう。

「先回りして色々探らせてもらったよ」
「そう……。それで、ちゃんと得られたのかしら。私がひとりで来たっていう確証は」
「……ああ」

 ちらりと視線だけで周囲を確認しながら俺は言う。

「で、高飛びを手助けする代わりに提供してくれる情報ってやつを聞こうか」

 俺がそう言うと、彼女は表情を殺したまま口を閉ざす。数秒後、わずかに俯き唇を割った。

「そう。あなたに提供できるのは……」

 ――そして次の瞬間、彼女は取り出した拳銃の引き金を引いた。

 タァン!と鋭い発砲音が辺りに響く。空薬莢がまるでスローモーションのようにアスファルトにぶつかって小さく跳ねた。

「……!」

 目を見開き、よろりと身体を揺らす。銃弾の埋まった胸をかばうようにぐっと身体を折り曲げる。どん、と身体が車にぶつかった。
 ゆっくりと顔を上げようとしたところで、背後の少し離れた道に一台の車が止まっているのが目に留まる。ポルシェ356A……なるほど。そこで見物しているのか。相変わらず趣味がいい。

 ――ふと、脳裏にあの黒い瞳が過る。
 何も映さない、光すら飲み込む、漆黒の瞳を。

 愛娘である"彼女"もそこにいるのだろうか。だとすれば惜しいことをした。これで、俺は"彼女"の中から消えてしまうのだろう。まるで初めから無かったかのように。

 抑えた右胸から事前に仕込んでいた血のりが伝う。俺は自然に正面へ向き直り、目に見えて呼吸を荒くした。なるべく俯き、表情をあまりカメラに撮られないように配慮する。
 するとしばらくこちらを見ていたキールが不意に口を開いた。

「でも、肺を撃ち抜いたから放っておいてもあと30分程度で……」

 その言葉は明らかにこちらに向けられたものではない。監視役の奴と会話をしているのだろう。しばらく相手の話を聞いていたかと思うと、短く「了解」と言って会話を終えた。
 こつり、こつりと彼女の足音が近づいてくる。

 足を止めたかと思うと、銃口が額に当てられた。
 彼女と目が合う。

 やはり頭を狙えと指示してきたらしい。……"ボウヤ"の狙い通りに。
 フッと、思わず笑みが零れた。

「まさか、ここまでとはな……」
「私も驚いたわ……こんなに上手くいくなんて」

 引き金にかけられた指に力がこもる。
 そうして俺は、2度目の銃声を聞きながらあっさり背後のシートに身を沈ませた。


***


 画面の向こうの男が倒れた。
 のを、"彼女"の網膜を通じて"ぼく"は見ている。抱えた膝に顎を乗せ、じっと。

 ……あーあ。彼もダメだった。

 もう少しやると思ったんだけどなあ。なんて、他人事のように思ってみる。

「さて」

 抱えていた膝を伸ばして立ち上がった。慣れたように暗闇を泳ぐように移動し、目当てのものを探す。
 それは案外近くにあった。親指の爪ほどの、小さな赤いきらめき。内側からあふれ出す光を乱反射して輝くそれを手に取る。

「じゃあね」

 そうつぶやいて、思い切り握りつぶす。
 その瞬間、きらめきは音もなくはじけ飛び、暗闇に溶けて見えなくなった。

 そっと手を開くと、そこにはもう何も残っていない。幾度となくこの行為を繰り返しても、この瞬間にはどうしても慣れなかった。あったはずのものが跡形もなく消え去る、喪失感。虚無感。

「きみのためなんだよ」

 誰に言うでもなく、つぶやく。

「きみをまもるために、ぼくはやっているんだ」

 "ぼく"の身体の奥底にある、強烈な孤独と虚無。確かに"彼女"から生まれたそれを、"彼女"ほとんど覚えていやしない。

 なぜなら"彼女"は、自身を守るため"ぼく"にすべてを押し付けたのだから。
 ……そのためだけに"ぼく"は、生まれてきたのだから。

「……」

 ふと、近くにあったきらめきが小さく脈打った。
 それは随分昔からここにあるもので、大きさは周りと比べて少し大きい。放つ光量は弱いものの、その光は確かに、蒼い。"彼女"が現在唯一確認できる色を放つそれに、そっと指で触れる。

「きみは、どうかなあ」

 "ぼく"は小さく微笑んで、そのきらめきの傍を離れた。