太陽がいた季節

 彼女はいつも陽だまりの匂いを纏っていた。

「どうしたの? 夏油くん」
「あ、ああ。すまないね、少しぼーっとしてたよ」

 不意に話しかけてきた彼女に、私は咄嗟に誤魔化すように微笑む。一見苦しい言い訳にも思えたが、彼女はさほど疑問を抱かなかったらしい。

「昨日の任務の疲れが残ってるんじゃない?」
「そうかもしれないな」

 そう言いながら買ったばかりのお茶に口をつける。つい最近梅雨が明けたばかりだというのに、今日は特に暑さが厳しい。そのおかげか冷たい飲み物が身に染みる心地がした。すると彼女は少し心配そうに眉を下げる。

「私が言うことじゃないかもしれないけど、あんまり無理しないほうがいいよ。身体は大事だし」
「うん。心配してくれてありがとう」

 私がそう続ければ、安心したようにゆるく微笑む。そこでちょうど硝子から呼ばれたようで、また後でねと言って私に背を向けて走っていった。

 ……ふわりと、柔らかい香りが鼻を掠める。

 化学的に調合されたものではなく、極めて自然な香り。彼女自身の香りだ。それを認識した途端、頬が自然と緩むのがわかる。きっと悟や硝子が今の私の顔を見たら「気色悪い」と一蹴してしまうだろうな。

 彼女の名前は立浪宙。私の数少ない同期の一人だ。

 私の通う学校はとても特殊で、呪霊という一般人には見えない化け物を退治する術を学ぶのを主としている。ひと学年の人数はほとんど片手の指の数ほどしかおらず、ひとりしかいない学年もザラにあるため今年は比較的多い方なのだろう。まあ比べる対象が対象なのだが。
 私の同期は彼女を含めて3人。呪術界の御三家である五条家出身でいずれは当主になることが約束されている五条悟、他者への反転術式を使用できる希少な能力を持つ家入硝子、そして彼女だ。悟以外のふたりは私と同じく一般家庭出身であるらしい。

 彼女は他の2人と比べて特殊な術式を持っているわけではなかったし、戦闘などにおいて飛び抜けて優秀だというわけではなかった。けれど、いい意味で本当に普通というか、平凡でありきたりなところが私たちの同期の中では癒しの存在なのだ。
 そう思っているのは私だけではないらしく、あの悟ですら最近は半分じゃれあいのようなからかいをするまでになっている。初めのころはあんなに雑魚だなんだと悪態をついていたくせに。それを思い返すと私は少しだけ可笑しくなってしまうのだけど、悟に怒られるのがわかっているから内緒にしている。

「あーいたいた。おい傑、センセーが今度の任務の話したいから来いってよ」
「わかった、今行くよ」

 私はぐいとお茶を飲み干し、空になってペットボトルをゴミ箱に放り投げた。かこん、と軽い音を背中に受ける。


***


 今日の任務は1年生4人での任務だった。小学校に呪霊が出たのでそれを退治するといういたって単純なもの。範囲が広いため男子と女子の2人ずつに分かれてそれぞれ建物内を見てまわれば案の定、あっさりと呪霊は見つかった。さっさと祓って合流地点に向かうと、少ししてあちらも姿を見せる。どうやらどこも怪我などはしていないようだ。宙は私たちに気づくなり目を丸くする。

「早っ。さすがだね」
「あんな雑魚に時間かけるほうがむずいっての」
「はは、それもそうか」

 硝子が皮肉めいた笑みを浮かべる。そっちはどうだった?、弱かったけど形態がキモくてさ、なんて会話を横目にちらりと時計を確認する。午後7時16分。補助監督が迎えに来るまであと1時間近くもあった。予定よりだいぶ早い。それに気づいたらしい宙も私の方を見て困ったように言った。

「それにしてもどうしようか? なんかすごく早く終わっちゃったし」
「今行って合流地点で1時間待つのもねえ……」

 仕事が早すぎるのも考えものだな、なんて悩んでいると悟がサングラス越しにもわかるほどその目を輝かせた。言わなくても表情で大体わかる。これは悟がいいことを思いついた時の顔だ。

「んじゃさ、花火やらね?」
「花火?」
「そ、花火。近くのコンビニで適当に買ってさ、そんでここでやろーぜ」

 ここ、とはもしかしてこの小学校のことか? 確かに任務は終わってるけど、校内で勝手に火遊びをするのはちょっとどうなんだろう。そう思っていると彼女も同じ考えに至ったらしい。

「でも流石にそれは……」
「宙も言ってたじゃねえか『今年こそは夏らしいことしたい〜』って」
「う゛」

 悟に言われ、思わず言葉を詰まらせる。そういえば去年は例年に比べて珍しく呪霊の数が多かったせいで、まともに遊びにも行けないと大層嘆いていたっけ。懐かしい記憶を引っ張り出していると「確かにそうだけどぉ」と彼女は苦笑する。それを見た悟はますます調子づいたように悪い笑みを深めて言った。

「よーし決まり! コンビニ行こうぜ!」

 ほらほらとせかす悟に、宙も仕方ないなあと思いつつも付き合うことに決めたようだ。コンビニへの道すがら、硝子がふと尋ねる。

「それにしてもなんで花火?」
「夏って言ったら花火だろ」
「……もしかして、この間テレビでやってた映画見た?」
「なんでわかるんだよ」

 不思議そうな顔をした悟に気づかれないよう、なんとか笑うのを堪える。確かあの映画は登場人物たちが屋上で花火をするシーンがあったはず。なるほど、それに影響されたのか。悟も結構単純だな。ま、今に始まった話でもないか、これは。

 そうこうしているうちに最寄りのコンビニに到着した。時期が早いからまだそこまで置いてないんじゃ無いかと懸念していたけれど、そうでもなかったらしい。花火が置かれた一角でどれにしようかなと花火を選ぶ宙に、私はちょっかいをかける。

「意外と乗り気だね」
「ここまで来たら楽しんだもん勝ちかなって」

 宙はちょっと照れ臭そうに笑って言った。
 ひとしきり花火を買って小学校に戻ると、再び“帳”を下ろす。打ち上げタイプの花火も購入したため、念の為外から見えないようにしたほうがいいという悟の悪知恵……もとい提案だ。こうすれば確かに外からは見えないだろうけど、バレたらこっぴどく叱られるんだろうなあ……。

 階段を上って屋上に辿り着く。屋上にプールが設置されているタイプの小学校のようで、プールには並々と水が張ってあった。つんと、塩素のにおいが鼻につく。少し風はあるが気にならない程度だった。早速始めようという流れになったところでで悟がしまったという顔をする。

「花火なのに火がねえ」
「それを忘れるのは致命的過ぎないかい」
「仕方ねーだろ。何やるか選ぶことしか考えてなかったんだよ」

 ぶすっとした顔で悟は言う。すると仕方ないなとばかりに硝子がポケットに手を突っ込んだ。取り出された手のひらには安物のライターが握られている。

「貸し1ね」
「おっ、サンキュー硝子」

 肝心の火も手に入れたところで、早速花火を開始した。色とりどりの火花が暗闇に光っては音を立てて消えていく。それだけ聞くと風情があるように感じるが、実際のその場の様子は真逆だった。実に若者らしく、学生らしく、ぎゃあぎゃあと騒ぎながら花火を楽しんだ。中でも、手持ち花火を両手持ちする悟に追いかけ回され、その報復としてネズミ花火を悟に向かって大量に投げつけた宙が今日のハイライトだろう。あまりにも面白かったから携帯で動画を撮ってたけど、大笑いしたせいで酷くブレてるのは想像に容易い。

「マジで危ないからやめてってば!」
「そういうお前だってネズミ花火は卑怯だろうが!」
「どっちもどっちだよふたりとも」

 その後お楽しみの打ち上げ花火なんかをしていたら、あっという間に時間は過ぎていって。残すところ線香花火だけとなってしまった。ひとりひとつずつ手にしたのを確認し、悟が本日何度目かの提案をする。

「どうせなら勝負しようぜ! 一番長く残ってたやつの勝ちな!」
「勝ったらどうするの?」
「一番最初に落ちた奴からアイス奢ってもらうとかどうよ」
「それじゃ2番と3番だけ何も無いじゃないか」
「んじゃ2番目に長かった奴は3番の奴からおごってもらう」
「ま、なんでもいいからさっさとやろうよ」

 硝子はそう言ってライターの火をちらつかせる。そうして勝負は始まった。
 火をつけてから数分。余裕をかましていた悟が1番初めに落ちた。納得いってない様子だったけど、それだけそわそわしてたら落ちるのも仕方ないんじゃないかと思っているけど口にはしないでおく。それから十数秒後に硝子も落としたようだ。意外だなと思っていたけどその後すぐに立ち上がって煙草を取り出した辺り、わざとなんじゃないかと推測してしまう。残すところは私と宙の一騎打ちとなった。

「結構長く持つもんだね」
「ああ、そうだ――」

 ね。と、言いかけたところで気付いた。しゃがんだ彼女が線香花火に視線を向けることで、ワイシャツの襟ぐりがいつもより深くなっている。

 鎖骨よりも向こう。柔肌とシャツの、その、隙間に。
 否が応でも視線が吸い込まれる。

 ――ドッと、思わず心臓が跳ねた。

 完全に不意打ちだったためか、柄にもなく一気に顔に熱が集まる。そんな私に気付くことなく、彼女は線香花火に夢中なようだ。もぞりと身体を動かす。

 まずい、もう少しで、見え――

「夏油くん?」
「っえ?」
「あ」

 彼女の間抜けな声と共に、ふたつだった火花はひとつになってしまった。彼女の手元ではまだパチパチと弾けるような音がしている。

「私の勝ち」

 宙はそう言ってふにゃりと、はにかむように笑う。私は「もう少しだったんだけどな」となんとなく笑って誤魔化しておいた。本人は気づいていないみたいだったけど、硝子からの視線が痛いからきっと気づかれているな。あとで口止め料として何か献上しないと。

 その後、集合時間になっても現れない私達を不審に思った補助監督が現場を訪れたことで所業はバレ、夜蛾先生にこっぴどく叱られたのは言うまでもないだろう。

「またやろうぜ」
「それは構わないけど、今度はちゃんとしたところでね」


***


 あの夜からしばらくした頃。私と彼女ふたりの任務が入った。町外れの使われなくなったビルで呪霊が確認されたためその討伐に向かうという任務だ。話によると行方不明者がひとりおり、その捜索も行ってほしいのだという。

「無事だといいんだけど」

 補助監督から話を聞いた彼女の表情は硬い。そうだねと返しつつも頭の中では一応最悪の事態を想定していた。
 建物に足を踏み入れ、呪霊と行方不明者の捜索に取り掛かる。外は汗ばむほどの気温にもかかわらず、中は不気味なほどひんやりとしていた。いつ出るかわからない緊張と不安に苛まれている彼女の様子がこちらにもうつりそうだ。

「手分けして探そうか」
「そうだね。じゃあ私が一番上から――」

 と彼女が提案したと事で、どこからか声が聞こえる。男の人の声だ。私達は静かに視線を合わせてひとつ頷くと、声のしたほうへ足を進める。警戒体勢のまま進んでいると、一人の男が半ばパニックになりながら誰かの名前を呼び続けているのを見つけた。行方不明者は確か女性だと聞いていたが……。

「どうかされましたか」

 私の方から声をかけると男ははっと顔を上げて、こちらにすがりつくように駆け寄り私の腕辺りをつかんだ。

「っ彼女が、いなくなったんです。探しても探しても、全然、見つからなくて……、それで」
「落ち着いてください、大丈夫ですから」

 どうやら行方不明になった女性の関係者のようだ。どこからどうみても一般人であるため宙に避難を頼もうとしたのだが、一緒に探すからと頑なに建物の外に出ようとしない。このまま押し問答を続けても埒が明かないだろうと考え、やむをえず同行させることにした。呪術に関することはまあ、あとでなんとでもできるだろう。

「心配ありませんよ。きっと彼女は無事です」

 そう言いながら宙は隣で男性を励まし続けていた。
 しばらく散策していると、建物の突き当りの部屋に辿り着いた。コンクリートがむき出しになった殺風景なその部屋には、ひとりの女性が俯きながら壁にもたれるように座っているのがこちらからも確認できる。恐らく探していた彼女だろう。

「よかった……!」

 男は明らかにほっとした様子で女の名前を呼びながらそちらに近づこうとする。だがその時。

「「!」」

 ぐわりと、呪力が溢れだす気配を感じた。
 まずいと思った次の瞬間、女ががばりと顔を上げる。

 ――その顔はとても人間の物とは思えない程、異形な物に代わっていた。

「ひっ……!?」

 変わり果てた姿にひるんだ男性に襲い掛かろうと、女は雄たけびを上げながら身体を起こした。私は素早く術式を発動させる。だが距離的に考えて、あちらの方が早いのは明白だった。

「(っクソ、間に合わない!)」
 
 私が最悪を覚悟した、次の瞬間。女と男の間に宙が間一髪で滑り込む。

 ……まさかこの一瞬が、その後の運命を大きく変えることになるだなんて。
 この時の私達は思いもしなかった。