がんばれなんて言わないから


「この学校が呪われてる?」

 呆れた調子でコナンは言う。その言葉にピンときた私は、内職中の手を止めてそっと聞き耳を立てた。彼の後ろに座る元太がマジだぜマジ、とどこか楽しそうに言う。コナンの隣――ちょうど私とは反対の位置だ――に座る光彦も真剣な様子だった。

「もう学校中の噂になってますよ」
「どうせ良くある学校の七不思議って奴だろ? 勝手に鳴るピアノとか、数が増える階段とか……」
「そんな子供だましじゃありませんよ!」

 光彦は心外だとばかりに語気を僅かに強める。そしてその噂とやらをご丁寧に語り始めた。
 一週間前の早朝、ある生徒が美術室に入った時の話。その子は美術室の大きな絵が大好きで、毎朝眺めに行っていたのだが……彼女は見てしまったのだ。美術室にある八体の石膏すべてが彼女の方を睨んでいる異様な光景を!

「どうです! ミステリアスでしょう!?」
「ただの偶然だよ、偶然」

 顔を思いきり青ざめて語る光彦に押されるように、コナンは苦笑しながら言った。聞き耳を立てている私はといえば、もうすっかり彼の語るうわさ話に夢中である。なんだ、なんでそんな面白そうな話誰も教えてくれなかったんだ……!?
 しかも光彦はそれだけではないと話を続ける。なんでも、最近この学校の生徒の数が減っているのも石膏像の呪いによるものだというのだ。

「俺がきいたのは石膏像なんかよりもっとスゲーぞ!」

 ますます顔を青くする光彦に負けじと、今度は元太が噂話を語り始めた。彼が聞いたのは保健室にある人体モデルが4日前の夜、ものすごい速さで廊下を走っていたのを目撃した、というものだった。んなアホな、とコナンはますます呆れた様子だったが、私はますます興味が募るばかりだった。まったく、学校というのはかくも興味が尽きないものなのか!

「おい歩美! オメーの話も聞かせてやれよ!」
「え、歩美ちゃんもなんか見たの?」

 不意に元太が隣の席の歩美に話を振る。後ろの席なので表情はうかがえないが、その声色はとても不安そうだった。

「とにかく! 俺たち少年探偵団が早く調べねえと大変なことになっちまうよ――ってぇ!?」

 びし、と鋭い音と共に元太が潰れたような声を出した。その声に驚いた私が反射的に振り返ると、そこには指示棒を持って立っている小林先生の姿が。その表情は普段よりも数倍険しいものとなっている。あちゃあ、と当事者でない私はこれから来るであろう雷を予期しながらそっと肩をすくめる。

「大人しく先生の授業が受けられないなら、今すぐ帰りなさい!」

 ぴしゃりとそう言いつけると、さっさと授業に戻ってしまった。叱られた当の本人である元太はぶすっとした表情のまま先生の背中を睨みつける。なんだよ鬼ババ、とつぶやいたのがそれなりにはっきりと聞こえた。そういうのは本人に聞こえないように言いなよ。

「あーあ、前の先生の方がよかったなあ……優しくてよ」
「しかたないですよ。先生は結婚して退職しちゃったんですから」
「やってらんねえぜ」

 元太はすっかりやる気が無くなったのか、頭の後ろで腕を組んで椅子に大きくもたれかかった。まああそこまで頭ごなしに叱りつけられれば誰だってやる気は無くなるだろうな。私はペンをくるりと回しながら、先ほど聞いたうわさ話に思いを馳せた。

 授業が終わり、掃除の時間になった。
 コナンと私は先ほど語られなかった歩美の話が気になったため、掃除の手を止めない程度に話を聞くことにする。すると歩美は浮かない顔のまま言った。曰く、変なものを見たのだと。

「変なもの?」
「うん。3日前の夜、この教室で……」

 何故夜に学校に来たのかと私が尋ねれば、クラスで飼っている魚に餌をやり忘れたのが心配でその様子を見に来たのだという。

「そしたら、誰かいたのよ! 真っ暗なこの教室の中に、大きな白いマスクをつけて、うろうろしてる不気味な人が!」
「そいつの顔みたのか?」

 コナンの問いかけに歩美は首を横に振る。声も籠っていたためよくわからなかったのだと。ただ、なんとなく怒っていた様子だったということは感じ取れたらしい。

「どうして先生に相談しなかったの?」
「言ったよ! 近所に住んでる教頭先生に。調べてくれるって約束したもん」
「で、教頭はなんて?」

 コナンが訊ねると、歩美は少し俯きがちになっていた顔をぱっと上げた。その瞳は十分に潤んでいて、今にも目じりから零れ落ちそうなのを堪えるように見開かれている。

「来ないのよ! 昨日も今日も学校に!」

 しかも、小林先生や他の先生にも訊いたが誰も事情を知らず、直接家に行って呼び鈴を鳴らしても応答が無いのだとか。確かにそれは妙な話だ。私とコナンがううんと考え込んでいると、歩美はついに自分のせいだと言って泣き始めてしまった。大丈夫だよとその震える背中をさすってやったその時だった。

「こらそこ! 何騒いでるの? ちゃんとお掃除しなさい!」

 思わず身がすくむほどの鋭い声が飛ぶ。入ってきたのは言わずもがな小林先生だ。授業中と変わらず、その目は三角になっている。

「それからあなたたち、今日渡した授業参観の通知、休んでいるお友達のところにちゃんと持って行くこと。わかった?」

 責めるような強い口調に、思わず返事が小さくなる。そして言うだけ言うとさっさと教室から出て行ってしまった。ちょうど出くわしたA組の大畑先生と何やら会話をしているらしい。

 すると、それを見ていたコナンが追いかけるように教室を飛び出していく。ついていこうとすると、そのまま待っているように言われてしまった。彼にこう言われてしまったからには仕方ない。私たちは渋々教室の窓からその様子を窺うことにする。大畑先生はコナンと数度会話をしたかと思うと、さっと顔を青くしてそそくさと去っていってしまった。その様子を見て、私たちはからりと教室の戸を開ける。

「あれは何か隠してるね」
「クソ、どいつもこいつも感じ悪い先公ばっかだぜ」

 八つ当たりをするように元太が壁をけると、優しくたしなめるような声が降ってきた。あわててそちらを見ると、この学校の校長先生が立っている。

「この校舎も今年で早30歳……その間ずっと苦労を分かち合ってきたいわばワシの分身じゃ。もっといたわってくれんかのう」

 校舎の壁をそっとさすりながら校長先生は言う。立ち去ろうとしたところですかさずコナンが質問をぶつけた。

「あの、校長先生は知ってますか? 教頭先生のこと」

 途端に、校長先生はぴたりと足を止めた。そして振り返りながら悟ったように言う。

「隠し事はいつかバレる……彼は実に運がなかった。天命じゃよ……」

 そうして再び正面に向き直ると、何事もなかったかのように歩き去ってしまった。
 その背中がどこか印象的で、私たちはしばらくその場から動くことができなかった。


***


 少しばかり時計は進み、夜。

 虫の鳴き声ばかりが響くこの小学校の校舎の外で、少年探偵団の5人は再び顔を合わせていた。

「おーし! わかってるなオメーら!」
「僕たち探偵団は、この学校で起こった数々の謎を解き明かすために!」
「これより、この校舎に突入しちゃいます!」
「いえーい!」

 やはり冒険とは格別に楽しいものだ。拳を突き上げて宣誓する私たちを横目に、コナンはしれっと校舎に向かって行く。なんだよノリ悪いなと言おうとしたところで窓枠に手をかけるのが見えた。まさか。慌ててそちらに向かうと、さっさと校舎内に侵入したコナンが涼しい顔で窓を施錠してしまう。

「あー! 本当に閉めた!」
「開けてくださいよ!」
「コナンくん!」

 どんどんと窓を叩いたところでコナンは表情を変えない。それどころか「あぶねーから早く帰りな」と言ってひとりで校舎の中に向かおうとする。

「どうしよう、コナンくんひとりで……!」
「こうなったら奥の手だ」
「奥の手?」

 私のつぶやきに反応した光彦が不思議そうに尋ねる。私はにっこり笑って足元にあった大きな石を指さした。私がやろうとしたことを察したらしい3人は、にやりと笑みを浮かべる。4人で力を合わせて持ち上げた大きな石を窓にぶつけようとしたところで、コナンが観念したように「入れてやるよ!」と声を荒げた。

 5人で夜の校舎を歩く。普段明るい姿しか見ていないせいかとても不気味に感じられた。だがこの不気味さも相まってか、高揚感が沸き上がってくる。みんなには内緒ですね、なんて光彦は言った。確かに先生にバレたら大目玉だろう。するとコナンは呆れたように言った。

「いーや、バレバレだよ」
「え?」
「靴の泥、落とさねーとな」
「「「「あ……」」」」

 背後を振り返れば足跡がくっきり。ありゃ、私としたことがすっかり失念していた。
 洗面所で靴を洗い、改めて捜査を開始する。まずは美術室からだ。真っ暗で何も見えないため電気をつけようとした元太をコナンが窘める。

「懐中電灯くらい持って来いよ」
「それなら僕も持ってます」
「あおいも!」

 まあ正確に言えば携帯のライトだけど。
 各自怪しいものはないかと部屋を調べて歩き回る。すると噂の石膏像を発見した。コナンが近寄って調べるのについていくと、像と机に印がつけてあるのがわかった。おそらく位置を覚えておくためだろう。

「どうやら、ただのうわさ話じゃなかったらしいね」
「ああ」

 コナンは小さくつぶやくと、なにかを発見したらしく石膏像に手を伸ばした。どうやら額に何かがくっついていたらしい。くっついていたのはセロハンテープだ。でもなんでこんなものが……。

「なんもなさそうだな」
「じゃあ次は保健室に行ってみましょうか」

 他を調べ終えたらしい3人の言葉の通りに、私たちは保健室へ向かった。噂の人体モデルを探して室内を歩き回る。だが不思議なことに、いつもならあるはずの場所に人体モデルは置いていなかった。まさか噂通り……なんていう元太を他所に、私と歩美は布が被せられたなにかを発見する。何のためらいもなく布をはぎ取ると、そこには探していた人体モデルが鎮座していた。

「あ、あった」
「!!」

 飄々とした私とは対照的に、すっかり驚いてしまった歩美は勢いよく部屋を飛び出してしまった。私たちは慌てて後を追う。何度も後ろから声をかけるが彼女には聞こえていないようで、足を止めることはなかった。

 廊下を曲がったところでようやく追いついた。何かにぶつかってしまったらしく、しりもちをついている。大丈夫かと駆け寄ると、怪我は無いようだった。そこで私は、その傍にはこの場にふさわしくないものが落ちていることに気付く。

「なにこれ……人形?」
「そうよ。この段ボール箱に入っていたみたい」

 歩美の後ろには大きな段ボール箱があり、その中にはさまざまなぬいぐるみが入れられている。きっとクラスの出し物か何かで使ったのだろう。

「でもこんなのがなんで外に?」
「みてみて! この三蔵法師、私と同じ名前がついてる!」
「僕のは沙悟浄に」
「俺のは猪八戒かよ……」

 勝手にぬいぐるみを取り出して3人は嬉しそうに声を上げる。もしや私のも……と思ってみてみると、ピエロのぬいぐるみに『篠目』の文字が貼ってあった。ここでもピエロなのか……。私が目を細めていると、元太が悲鳴を上げながら腰を抜かしてしまった。

「どうしたの?」
「元太くんのお人形さんの首がとれちゃったのよ……」
「首だけじゃありません! この人形だけなぜかボロボロです」

 私も改めてその人形に視線を落とす。確かに、他と比べて明らかに傷んでいるように見える。まさか誰かが俺を……!と怯え始めた元太をなだめるように、私たちは笑いかけた。

「あんまり気にしなくていいよ元太くん」
「たまたま同じ苗字なだけだって」
「そうですよ! 劇の時に猪八戒を担当していた生徒の名前でしょう」
「いや、そうとも限らないぜ」

 私たちの言葉を遮るようにコナンは言う。その手には『江戸川』と張ってある孫悟空の人形があった。江戸川はそこまでポピュラーな名前ではない。それを聞いた光彦と歩美はあからさまにおびえ始めた。

「じゃあ、これ、あたしたちの名前……」
「まさか……最近生徒の数が減っているのと関係があるっていうんじゃ……」
「だああーー!! じゃあ次に消されるのは俺かよ!?」
「ま、まだそうと決まったわけじゃないよ! あおいたちは噂に振り回されてるだけだって!」

 挙動不審な元太をなだめすかす。石膏像は美術室にちゃんとあった。人体モデルだって、今もまだ保健室にある。だから安心するんだと、そう続けようと向かいの窓を指さした、その時。

 ――人体モデルが、保健室の前の廊下からこちらを睨んでいた。

「――ッ!?」

 ヒュッと自身の息を飲む音が聞こえる。心臓がどくりと大きく跳ねる。ひくりと表情筋が引きつる。ぞわりと肌が泡立つ。

「まさか、そんなことが本当に……?」

 想定外の事態に思わず私は後ずさり、挙句の果てにバランスを崩してしりもちをついてしまった。私の異変に気付いたらしいみんながこちらに駆けてくる。

「葵ちゃん!? どうしたの?」
「保健室の前に、人体モデルが……」

 うわごとのようにつぶやきながら窓を指さす。その指はわずかに震えていた。私の様子が尋常じゃないと悟ったらしい他の面々は慌てて窓の外を確認する。しかし、しばらく窓の外を見ていた元太が苛立ったような口調で言う。

「なんだよ、どこにもいねーじゃねえかよ!」
「……いない?」

 なら私が今見たのは幻だとでもいうのか? いや、だが、しかし……。
 私が混乱していると、コナンが一目散に駆け出していった。慌てて私たちもその後を追う。彼が向かったのは保健室だった。中には先ほど見つけたのと寸分違わぬ場所に人体モデルが鎮座している。ちゃんといるじゃないですか、きっと怖くて間違えたのよ、そう続ける光彦と歩美に、コナンは反論した。

「この人体モデルの台の所を見てみろよ。歩美ちゃんが落としたハンカチが挟まってる」
「つまり、あおいたちが保健室を出た後でこの人形が動いた……ってこと?」
「ああ、そうなるな」

 コナンの言葉に歩美は顔を引きつらせる。だがコナンはバーロー、とそれをまるっきり否定した。

「誰かが動かしたに決まってんだろ?」
「でも……じゃあどうやって?」
「それになんでそんなことを」
「まさか俺たちを脅かすために……!」

 口々に不安を吐露する我々に、コナンは至って冷静に言った。

「ただ驚かすためなら、わざわざ元の場所に戻したりしねーさ」
「それもそうだよね……」

 私は考え込むようにつぶやく。だとしたら一体、何の目的があってこんなことをしたのだろう。
 疑問は尽きないが、一先ず私たちは保健室を後にする事にした。歩きながら歩美が安心したように言う。

「でもよかった、おばけのせいじゃないんだよね」
「……おばけなんかよりよっぽど気味悪いぜ。こんな時間に学校でこそこそ、奇妙なことをやってる人物の方がな」

 そこでふと、コナンが勢いよく背後を振り返る。「誰だ!」という鋭い叫び声に、私たちは思わずびくりと肩を跳ねさせた。

「なんだよコナン」
「見たんだよ! 向こうの窓越しにこっちを覗いている人影を!」

 そう言うなりたっと駆け出した。私たちもそれに続くように彼の後ろを走る。だが反対側についた頃には誰も居なかった。なんだよ、と元太が不満そうに言う。

「いるわけありませんよ! だってさっき葵ちゃんが人体モデルを見たのは保健室のむかいの教室の窓からですよ? 犯人が葵ちゃんに気付いて人体モデルを咄嗟に保健室に戻し、その後ここの窓から覗いていたのなら、保健室に駆け付けた僕たちとどこかですれ違ってるはずですよ!」

 これまで私たちが通ってきたルートをおさらいしながら、至極まっとうに光彦は言う。見間違いだよという歩美の意見を、コナンはきっぱりと否定した。

「誰かがここにいたのは確かだ」

 ほらその窓、とコナンは頭上の窓を指さす。よく見るとそこは白く曇っていた。これは誰かが頬を窓ガラスにつけて覗いていた証拠だとコナンははっきりと言い切った。その言葉を聞くなり、3人は完璧に震え始める。
 とにかく自分たちだけでは危険だからと、この学校の警備員を呼ぶことになった。

「葵の携帯でかけようぜ!」
「いや、警備室なら学校の内線からかけたほうが早いんじゃない?」
「それもそうだな。じゃあどこか電話を探さねえと……」

 そうつぶやいたコナンに、電話ならこっちだと歩美が言う。そして3人はこれ幸いと職員室の扉を開けてさっさと入っていってしまった。
 ……あれ?

「どうして鍵が開いてるんだろう……?」

 普通夜間はすべての教室が施錠される。もちろん、職員室も例外ではない。なのに、何故鍵が開いている? コナンも私と同じ疑問を抱いたようでどこか険しい顔をしていたが、歩美たちに急かされたため渋々職員室に入ることになった。
 警備室への番号をプッシュし、警備員が出るのを待つ。だが何コール待ってみても繋がる気配はなかった。電話を囲む3人の表情が徐々に不安げなものになっていく。

「な、何かあったんでしょうか」
「いや、どうせまた酒飲んで寝ちまってんだよ。昔っからいい加減なんだよな、あの警備員のおっさん」

 呆れた調子でコナンは言う。あ、と思った次の瞬間、歩美が不思議そうに尋ねた。

「昔からって?」
「へ? ……ッ! あはは! いや、蘭姉ちゃんがそう言ってたんだよ」

 軽く冷汗をかきながら言い訳を並べ、受話器を置いた。おいおい……君隠す気あるのか? 油断しすぎだろう。
 とりあえず助け船を出してやろうと私はさりげなく話題を逸らした。

「でもどうしようか? 警備員さんは来ないし、事件が起きてないならむやみに警察も呼べないし……」
「うーん……じゃあ、こっちかな」

 そう言いながら番号をプッシュし始めた。どこにかけているのだろうと思いながら成り行きを見守っていると、受話器の向こうから声が聞こえてきた。

『はい〜 毛利探偵事務所』
「あ、おじさん?」
『コナンか。今どこだ? お前蘭が心配してたぞ』

 そのやり取りを聞いてなるほどと私は感心した。彼の保護者である毛利探偵なら確かに、この状況を打破することができるかもしれない。そんな私の考えを他所に、コナンは話を続ける。

「帝丹小学校だよ。ちょっと今から来てくれない?」
『学校に来いだとォ……? バーロー、俺はもう小学校は卒業しちまったよ』

 微妙に受け答えがかみ合わない。……もしかして酔ってるのか?

「だから、今すぐ来て欲しいんだよ。蘭姉ちゃんと一緒に!」
『おーう! 了解しましたぁ〜』

 そしてぷつりとあっけなく通話は途切れた。……大丈夫だろうか? 彼も同じことを思っていたようで、置いた受話器を半目で睨みつけている。

「とりあえず、おじさん達が来るまでもう少し校舎内を探ってみようか」
「そうだね」

 そして私たちは職員室を後にした。とりあえず上に向かうか―と会談に向かう途中で歩美がねえ、と話しかけてくる。

「葵ちゃんておばけ好きなの?」
「え? うーん、怖くないだけで別に好きってわけではないけど……なんで?」
「だって、あの人体モデルを見たって言ってた時」

 少女は可愛らしい顔で真っ直ぐに言う。

「葵ちゃん、笑ってたんだもん」
「……え?」

 ――笑っていた? 

 私は固まる。あの時は確かに怪異をこの目で目撃して、作家として、未知に対する好奇心に突き動かされていた自覚がある。恐怖なんかよりも興味関心から湧き出る興奮の方が強かったと断言できる。だがまさか、それが表情に出ていたとは……完全に無意識だ。

 生まれてからこのかた、ずっと猫を被って生きてきた。作家の荒ぶる狂気ともとれる好奇心を「子どもの無邪気さ」で覆い隠すことで生きてきた。それなのに、今回は上手くいかなかったようだ。

 あーまずった。人のこと笑えないなあ……。

 私は人知れず自嘲的な笑みを浮かべる。先ほどコナンに対して抱いた感想がそのままブーメランとなって返ってきた気分だ。知らず知らずのうちに自分も甘くなっているのかもしれない。気を引き締めて行かないと。
 そんな私を他所に、すっかりおばけの恐怖から解放されたらしい歩美が「ウキウキしちゃうね!」なんて言いながら階段を上っていく。その言葉に疑問を覚えた光彦が首を傾げる。

「うきうき……ですか?」
「だってほら、なんだか夢の中にいるみたい!」

 そう言って軽く足を振り上げた。そこでようやく、足元に煙が漂っていることに気付く。どうやら階段の上の方から流れてきているみたいだ。すぐさまコナンが上階に確かめに行く。後を追おうとしたその時、元太が悲鳴を上げた。

「ち、血だ!」

 階段の手すりから血が伝い落ちてきていたのだ。パニックを起こしかけていた3人を諭すように、ライトを照らしながら私は言う。

「血じゃないよ。これ、ただの赤い絵の具だ」
「え、絵の具?」
「ほら見て」

 そう言いながら頭上を指さす。同時に見やすくなるようにライトで照らした。

「階段の隙間からこうやって絵の具を垂らしてるんだよ。この貼り付けた紙を使って、手すりに流れるようにしてるんだ」
「じゃあ、この煙は?」
「理科の実験用のドライアイスを水に入れてたんだよ。階段の上で見つけたぜ」

 上の階から戻ってきたコナンが補足する。その手には煙の源と思われるドライアイスと水の入ったコップがあった。犯人は恐らく、私たちを脅かして帰そうとしていたのだろう。上に行って捕まえてやろうと言う元太に、どうせ逃げられるとコナンは冷静に言った。

「でも奴がその気ならこっちは……」

 そして上の階に向かって大きな声で叫んだ。

「わーー!! お化けだお化け! 怖いよー!」

 そしてちらりとこちらをみると「お前らもやれよ」と言ってきた。彼の考えが読めた私たちはにやりと笑うと、次々に叫ぶ。

「きゃー! 怖いよー!」
「こんなところ、早く帰りましょうよー!」
「あおいも帰る!」
「そうだな、早く帰ろうぜ!」

 そう言ってバタバタと足音を鳴らしながらその場を去った。そして素直に学校を後に……はせず、トイレに身を隠す。
 しばらくそうして様子を窺い、私たちはおそるおそるトイレから出る。なるべく足音を立てないようにして廊下を歩き、窓を見て……思わず固まった。

 ――私たちの教室に、人が居る。
 しかも、ひとりやふたりなんて量じゃない。少なくとも10人以上だ。

 あんな真っ暗な部屋の中で何をやっているのだろう。私は逸る胸を押さえながら注視する。教壇に立っている人がリーダーだろうか。その手には何か……棒状のものを持っている。あれは一体なんだろう。
 ……あれ? あの棒、どこかで見たような。

 すると、不意にコナンがしゃがみこみ、そろりそろりと移動し始めた。どこに行くんだという元太の問いかけに、コナンは得意げに答える。

「決まってんだろ。犯人を捕まえに行くんだよ」
「え?」

 そう言うとコナンはろくに説明もせずにたっと駆け出してしまった。慌てて私たちもその後を追いかける。

「大丈夫ですか?」
「本当に捕まえられるのかよ?」
「コナンくん……」

 弱音を漏らす3人に、コナンは口の前で人差し指をたてることで制した。犯人に話し声が聞かれてはまずい、ということだろう。そうこうしているうちに教室の前に辿り着いた。ひとつ咳ばらいをした後、2回ノックし、躊躇なくからりと扉を開ける。

 中を見ると、そこは異様な光景だった。それぞれの席にひとつずつ置かれた名前付きの人形。教室の後ろにずらりと並んだ石膏像と人体モデル。人体モデルには『父兄』と書かれた紙が貼りつけられていた。
 ……ははあ、なるほど。

「コナンくん、もしかしてこれって」
「そう。犯人は人形を生徒に、石膏像と人体モデルを父兄に見立てて夜な夜な練習してたんだよ。来週行われる授業参観日の練習を、声が外に漏れないようにマスクをつけてね」

 そうでしょう?とコナンは教壇に向かって声を張り上げる。だがそこには誰も居ない。

「教壇の中に隠れている、1年B組担任の、小林先生!」

 コナンの言葉を聞くなり、歩美は教壇へ駆け寄った。そして「ほんとだ」と言いながらにっこりと微笑む。すると、観念したかのように先生は教壇から姿を現した。手に持っている指示棒を見て、私は今更ながらはっとする。なるほど、なんか見たことあると思ったらあれ、先生の指示棒だったのか。

「じゃあ、位置が変わる石膏像や、走る人体モデルの噂って……」
「先生が毎晩ここに運んでたからだよ」
「人体モデルが走ってるように見えたのは、急いで運んでたのを見間違えたからってことだったんだね」

 私の言葉に、そういうこととコナンは頷いた。するとそれを聞いていた元太がでもよ、と不満そうに口を挟む。

「そんな練習する前に、もっと俺たちに優しくしてくれよな」
「そうですよ! まずはその子ども嫌いの性格を直した方が」
「違います。その逆ですよ」

 ふたりの言葉を遮るように、小林先生が口を開く。その表情は今まで教室で見たどの表情よりも穏やかで優しさに満ちていた。

「先生ね、好きで好きでたまらないのよ。あなたたち生徒のことが」

 そして小林先生は前の学校であったことを聞かせてくれた。
 子どもが可愛いが故に生徒を叱る気にもなれなかったこと。初めての参観日であがってしまい、失敗してしまったこと。それを茶化した男の子が隣の席の子と喧嘩をし、大怪我を負ってしまったこと。だからこの学校では二の舞を踏むまいと、生徒に厳しく当たっていたこと。参観日でまた緊張しないよう、夜な夜な練習をしていたこと。

「おかげで生徒は怯えるし、鬼ババなんて呼ばれるし……向いてないのかなあ。私に先生なんて」

 小林先生は自嘲的な笑みを浮かべてつぶやく。すると歩美が反論した。

「小林先生だけだよ? みんなが帰った後、お花にお水あげたり、お魚さんのお水取り換えてくれるの」
「他のクラスの先生はそんなことやってくれませんよ」
「みんな言ってたぞ。『鬼ババにしては珍しい』って」

 元太の言葉に、光彦は思い切り肘鉄を食らわせた。私も負けじと、ある日の放課後に偶然見かけた光景を話す。

「それに先生、学級文庫がぐちゃぐちゃなの、放課後にちゃんと整理してるよね」
「それ歩美も気づいてた! やっぱり優しいよね、小林先生」
「要するに、いくら自分を偽っても子どもの目は誤魔化せねえ、ってわけだよ。どうせバレてんなら、いっそ地に戻した方がいいんじゃねえの?」
「でも先生の場合、あがり症を何とかするのが先かもね」

 私がそう言うと、先生はわかってますよ、と照れたように笑った。すっかりリラックスした様子の歩美が、でも酷いよ先生、と小林先生の手を引く。

「煙や絵の具で脅かすなんて」
「え?」
「先生でしょう? 窓越しに僕たちを覗いてたのは」
「違いますよ。今夜あなたたちを見たのは今が初めてよ。だって篠目さんに見られて人体モデルを戻した後、しばらくそのまま保健室に隠れていたんだから」

 その言葉に、雷で撃たれたような衝撃が走った。慌てたようにコナンが先生に問いかける。

「じゃあ、職員室の鍵を開けたのは!?」
「職員室? 何のこと?」

 とぼけたように目を丸くする先生。その表情に噓偽りは見られない。……じゃあ、一体誰が職員室の鍵を開けたんだ? 

 するとコナンは険しい顔をして一目散に教室を飛び出してしまった。先生が呼び止めるのも耳に入っていないらしく、一度も振り返ることなくその小さな背中が見えなくなる。私たちも急いで彼を追いかけた。
 彼が向かった先は職員室。先ほど見た時にはなかった灯りが漏れている。中を見ればそこには、行方をくらましていた教頭先生の姿があった。だがしかし。

「ど、どうされたんですか!? その頭」
「小林先生!」

 教頭先生は顔を真っ赤にして言う。
 ……その頭は、ものの見事に光り輝いていた。

 最初は堪えようとしたのだが、吹き出してしまったからにはもう抑えられない。
 真夜中の小学校に、6人の大きな笑い声が響き渡った。


***


 私たちを追い返そうと脅かしていた犯人は教頭先生だった。
 ここへ来た理由は、2日前風でどこかにとんでなくなったカツラを探すため。その衝撃的シーンを作り出してしまったのは、窓を開けた大畑先生とのこと。

 かくして、夜を徹してのカツラ探しが始まったのだが……実は校長先生がこっそり預かっているということを、私たちは知らない。