13 天才か?

■ ■ ■

 夕暮れ時。
 少し客足が落ち着いた時間帯に、自分はいつものようにポアロの戸をくぐっていた。

「いらっしゃいませ、心央さん!」

 いつものように梓さんの明るい声に迎えられる。自分はこんにちはと挨拶を返してカウンター席へ座った。

「今日は何にします?」
「うーん……じゃあカフェモカで」
「かしこまりました」

 そう言って梓さんはぱたぱたとカウンターの向こうで準備をし始める。その間、自分はふと店内に視線を巡らせた。学校帰りの学生がちらほらいるくらいで、あとは他の時間とあんまり変わらないように見える。このくらいの時間帯に来るのは久しぶりな気がするなあ。そんなことを考えながらお冷に口を付ける。溢れそうになっているソシャゲのスタミナを消費していると、ことりとテーブルにカップが置かれた。

「はい、ご注文のカフェモカです」
「ありがとうございます」

 梓さんにお礼を言えば、にこりと微笑まれた。相変わらず梓さんは可愛いなあ。そんなことを思いつつ、起動中のソシャゲをオート周回に切り替えてから湯気の立ち上るカップに口を付けた。うん、美味しい。最近はすっかり気に入ってこればかり飲んでるけど、やっぱり落ち着く。

「心央さん、最近ちょっと太りました?」
「え゛!?」
「あ、いや別に悪い意味では無くて……。少し前まですごく顔色が悪そうでげっそり、って感じだったので。今はいつも通りの心央さんに戻ったようでよかったです」

 梓さんは安心したように笑う。自分もそれにつられるようにして、ほころぶように笑った。

 ストーカーを撃退したあの一件から早数日。自分は会社を辞め、自由の身となっていた。
 わざわざ会社を辞める必要あったのかってきっと誰もが思うだろう。でもさ、次の日出社したら親友のことがなぜか会社内でかなり広まっていたうえに、まるで珍獣でも見るような目つきで1日中チラチラ視線を向けられる自分の気持ちを想像してみて? そりゃ辞表を出したくもなるでしょう?

 でも、今思えばそれでよかったかもしれない。そのおかげでこうしてゆっくりカフェモカを飲めるんだし。……まあ貯金が尽きるまでには、次の仕事を探さなきゃいけないんだけどね。うーん、いざとなったらしばらくポアロで厄介になろうかなあ、アルバイトはいつでも募集中だって安室さん言ってたし。

 ……安室さんといえば。
 彼とは友達になろうと言われたあの日からこまめに連絡を取り合っている。初めは何を送ったらいいのかと尻込みしていたのだが、ポアロで会った際に何でもいいから送ってくれと言われ、それ以来1日に1通は送るようになった。しかも、ただ一方的に自分が送るだけではない。早ければ数分、長くて半日くらいの差はあるものの、必ず返信がある。自分の文章を読んだうえで、彼がきちんと返信をしてくれるのだ。

 正直、今でも夢なんじゃないかと思う時がある。
 なんで安室さんは平凡の極みみたいな自分と連絡先を交換したうえに、こんな何の身にもならないやり取りをしてくれてるんだろう。そりゃ、推しと文章のやりとりをするのは楽しいし、全編スクショして残すくらいには嬉しいけど、それは自分だけが得をする話であって安室さんには何の利益も無い。それなのに……。

 もしかして疑われているのだろうかとも思けれど、そんな素振りは全く感じられない。ううん、どうなんだろう。直接聞くわけにもいかない分、すっごくもどかしいんだよなあ。

 そんなことを悶々と考えていると、カラランと軽快にドアベルが鳴った。いらっしゃいませと梓さんが明るく挨拶を飛ばす。こんにちはという元気な挨拶と共に来店したのは少年探偵団の面々だ。小学生だけで喫茶店に来るなんて大人だねえ、と思ったけどひとり中身が高校生の子がいるからいいのか。……いいのか?

「あ、心央おねーさんだ!」

 歩美ちゃんがこちらに気付いたようだ。とたとたと駆け寄って声を掛けてくれる。

「こんにちは!」
「うん。みんなこんにちは」
「あれ? 心央ねーちゃん仕事はいいのかよ」
「あはは、仕事はちょっとお休み中でね」

 元太くんが無邪気に痛い所をついてくるが、自分は笑って躱すことに成功したようだ。まったく、子どもは時として地雷を平気で踏み抜いていくから本当に恐ろしい。ちらりと視線を動かせばコナンくんと目が合う。困ったように笑われてしまった。

 探偵団は自分の座っているカウンター席のすぐ傍のテーブル席に座るらしい。席に着くなり早速梓さんに注文をしていた。小学生なのにすごいなあ。博士からお小遣いでも貰ってるのかなあ。なんて思っていると、テーブル席に座っている歩美ちゃんが聞いて聞いてと話しかけてきた。

「今日図工の時間に絵を描いたんだけど、先生に褒められたの!」

 見てみてーと絵を見せてくる。描かれているのは可愛らしい動物たちだ。カラフルなクレヨンで描かれたそれは確かに、小学一年生にしてはとてもうまい方だろう。

「俺だって褒められたんだぜ!」
「僕もです!」

 歩美ちゃんに負けじと元太くんと光彦くんも得意げに絵を見せてくる。光彦くんは少年探偵団の面々、元太くんは……多分うな重を描いたのだろうか。茶色いものが四角い箱の中に入っているから多分間違いないと思う。本当に君はそれが好きだねえ。

「みんな上手だねえ」

 自分が小学生の頃はそこまで描けなかった記憶がある。イマドキの小学生ってすごいなあ。いや、絵にイマドキも何もないか……。そんなことを考えていると案の定、光彦くんが尋ねる。

「心央お姉さんは絵得意なんですか?」
「いや、自分はあんまり……」
「そうなんですか?」
「あれ? でも心央姉ちゃん、普通に絵上手じゃなかったっけ?」
「え?」

 コナンくんの言葉に自分は思わず目を丸くする。なんで君が自分の画力を知ってるんだい。するとコナンくんが補足する。

「前に一度だけ描いてるの見たことあるんだ。ほら、蘭姉ちゃんがストラップをなくしちゃった時。そのストラップを探すためにって特徴を聞きながら絵に描き起こしてさ。結構特徴捕えてて、上手いなって思ってたんだ」
「そんなことあったっけ……?」

 頭を捻るが正直全く思い出せない。なんか前世の記憶を思い出してから、思い出す前の今世の記憶が若干薄れてるんだよね。それに記憶が前世の物か今世のものか曖昧になりがちだし……思わぬ弊害だよなあ。というかなんだそのイベントは。原作にもそんな出来事無いしおねーさん全く知らないよ?

「自分、絵は壊滅的なくらいだったと思うけど」
「壊滅的ではなかったと思うけど……」

 そんな堂々巡りの会話をしていると、歩美ちゃんが割って入ってきた。

「じゃあ描いてみてよ!」

 うさぎさん描いて!と言いながら、鉛筆とちぎったノートの1ページを差し出した。

「えーあんまり自信ないけど……」

 自分は差し出されたそれを渋々手に取った。カウンターに向き直り、鉛筆を握る。それを見守るように探偵団の面々が自分の近くに寄ってきた。ううん若干やりにくいけど仕方ない。自分は頭にうさぎを思い浮かべつつ、鉛筆を動かす。

 自分に絵の才能が無いことくらい、前世で重々承知している。だから今世ではあまり触れてこなかったんだけど……。

「あれ?」

 自分は描きながら思わず声を漏らした。
 脳裏に浮かぶまま、するすると鉛筆を走らせスケッチしていると、あっという間に見事なうさぎが完成した。粗削りではあるが、キャラクターチックではなくデッサン寄りのうさぎだ。

 まさか書けるとは思っていなかった自分は、思わずその絵から目が離せなくなってしまう。今しがた自分の手から生み出されたものだとはとても思えない。その様子を見ていた歩美ちゃんがずいと紙を覗き込み、ぱっと顔を輝かせた。

「すごーい! 心央お姉さん上手!」
「見事ですね〜」
「すっげー!」
「ほら言ったでしょ?」

 皆は口々にそう言うが、正直1番驚いているのはこっちのほうだ。まさか、今世の自分がこんな才能を有していたなんて、今の今まで知らなかった。

「こんなに絵が上手いなら、漫画家さんになれるよ!」

 絶対! 歩美ちゃんが顔を輝かせて言う。その言葉が自分の頭の中で反響する。

 漫画家。実は前世で一度諦めた職業だ。描けども描けども一向に上手くなる兆しが見えなくて、途中で筆を折ってしまったのだ。自分に何かを生み出す才能は無いのだと、そう思ってとても悔しかったことを覚えている。

 ……でも、今世なら?
 自分の胸の内に、小さな火がともるのを感じる。

 記憶を取り戻してからというもの、自分でも無意識のうちに前世にこだわりすぎていたのかもしれない。前世で出来なかったことは今世でも出来ないのだと、勝手に決めつけて遠ざけていたのだろういたのだろう。その証拠に、今の今まで自分の絵描きスキルに気付くことができなかったのだし。

 やってみようか。前世で出来なかったことを、今度こそ。

 自分は子どもたちの無邪気な声に背中を押されるようにして、ひとり小さく決意を固めた。
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