05 死ぬほど尊い

■ ■ ■

 その日の自分はいつになくご機嫌だった。2,3センチくらい宙に浮いている感覚がしたし、なんなら本当に浮いていたかもしれない。鼻歌だって歌いたいくらいだった。

 理由は至って単純。
 こちらの世界で追いかけていた漫画の新刊を手に入れたのである! 

 前世の記憶を取り戻してからというもの、自分は今世でも隠れオタク道を邁進し始めた。だんだんと視力は落ち始め、物が少なかった部屋が徐々にカオスになって、携帯のフォルダに見せられない写真が大漁に増えた。前世と同じ道を確実にたどっていて思わず乾いた笑いが零れそうになる。何度転生しようが自分はそういう人間なんだ。仕方ない。
 ちなみにこの世界にいる以上メインジャンルはコナンだが、複数のジャンルを追いかけることを厭わない自分にとって、コンテンツとして楽しむサブジャンルを増やす分には何の問題も無い。浮気じゃない。メインはメイン、サブはサブだ。

「本誌で追いかけてたけど、やっぱり単行本はいいなあ……」

 鞄の中に入れた単行本のことを思い出しながら、ひとりでんふんふと笑みを堪えながら帰宅する。本屋の入荷メールが来た時からずっとそわそわして終業後ダッシュで駆け込みゲットしたものだ。今日は早く帰ってこれを読んで余韻に浸ってたい。そしてその後二次創作を漁りたい。その瞬間が自分にとって一番生きてる心地がする瞬間なのだから。

「あ! 心央おねーさん!」

 明るい声で名前を呼ばれ、思わずぎくりと立ち止まる。そろそろと後ろを振り返ればよーく知ってる子どもたちの姿。

「歩美ちゃん。光彦くんに元太くん、コナンくんと哀ちゃんも」
「こんにちは!」
「お仕事帰りですか?」
「そうだよ」

 ランドセル姿の小学生5人組。少年探偵団の面々が勢ぞろいだ。元気よく挨拶をしてくれた歩美ちゃんになるべく視線を合わせるように身体をかがめ、にこやかな笑みを浮かべる。

「みんなは小学校の帰り?」
「そうなの!」
「今から皆で公園に行ってサッカーするんだぜ」

 サッカーボールを抱えた元太くんが二カッと笑う。サッカーかあ、スポーツなんて高校の体育にやったのが最後だ。ほんのりなつかしい気持ちに浸っていると、突然元太くんが思いついたように提案してくる。

「そうだ! 心央ねーちゃんも一緒にサッカーやろうぜ!」
「え」
「良いですねえ! 人数もちょうど6人で3人ずつになりますし」
「楽しそう!」

 思わず素っ頓狂な声を漏らしてしまうが、歩美ちゃんと光彦くんはいいねいいねと元太くんに賛同している。まじかよ。行動力の化身じゃん。思わず背中に冷汗が伝う。

「いや、自分はこれから(家に帰ってひとり新刊を読んでホクホクするという)大事な用事が……」

 少し困ったように自分が言えば、探偵団の3人はあからさまにしょんぼりとした雰囲気を出す。もし彼らに犬のようにしっぽと耳が生えていたならそれはさらに顕著だっただろう。思わずうっと言葉を飲み込んだ。きりきりと良心の呵責に苛まれ始める。まさかここまでがっくりされるとは。

「わがまま言うなよオメーら、心央さんも忙しいんだよ」
「そうよ。仕方ないわ」

 大人びたふたりの言葉に、さらに気落ちしたような様子の3人。……余程自分と遊びたかったのだろうか。

 脳内で大きな天秤が揺れ動く。『新刊』という文字が乗っている皿の方が圧倒的に傾いていたが、もう片方の何も載っていない皿に『探偵団の気持ち』『良心の呵責』がどどんと追加される。しばらくゆらゆらと揺れていたが、遂に完全に形勢逆転してしまった。

「……あったんだけどついさっき無くなったからちょうど暇だったんだよね」

 フッ負けたよ……。可愛いみんなの悲しむ顔は見たくないからね……。

 敗戦のゴングが脳内に鳴り響くのを聞きながら自分は言う。すると先ほどとは打って変わって3人は顔を輝かせ始めた。そして私の腕をぐいぐいと引き始める。

「……心央ねーちゃん、本当に大丈夫なの?」

 こそりとコナンくんが心配そうに耳打ちしてくる。自分はあまり感情の乗らない声で大丈夫と言った。


***


「ちょ、まって、……しんど、い……むり……」

 ゼ―ハーと息を切らしながら探偵団に待ったを出す。目の前にいた元太くんが「体力ねーなおめー」と目を細めながら言った。おいこら、デスクワークメインOLの運動不足をなめるなよ。

 そもそもすっかり忘れていたのだが、今の自分は仕事帰り。ということは自分の服装は勿論、仕事に着ていったパンツスーツとパンプス姿なわけで。どう考えてもサッカーをするような恰好ではないのだ。どうしてあの時の自分は着ていた服のことを一切考慮しなかったんだ……。あの時コナンくんが心配そうに声をかけてきたのはこういうことだったのかもしれない。とまあ、後悔しても時すでに遅し。

「ごめんね、自分あそこでちょっと休んでるわ」

 そういってフラフラとフィールドを後にする。鞄を置いていた日陰のベンチにどさりと座り、大きくため息をついた。久しぶりに激しい運動をしたせいか汗がとまらない。バクバクと心臓の音もかなり大きく聞こえる。あーほんと、情けないなあ。

「大丈夫?」

 不意に聞こえた声の方を向けば、そこに立っていたのは哀ちゃんだ。その手にはよく冷えたスポーツドリンクが握られている。きっと近くにあった自販機で買ってきてくれたのだろう。

「ちゃんと水分補給しなさいよ。倒れられたら困るのはこっちなんだから」
「ごめんね、ありがとう」

 そっと財布からお金を出そうとすれば、「いいわよそんなの」と断られてしまった。小学一年生におごられる成人女性って一体……と思いつつ、スポーツドリンクを受け取る。ぱきりとキャップを開けて口を付ければ、ぐんぐん中身は減っていく。ぷは、と息を吐いたころにはもう半分近く空になっていた。思った以上に喉が渇いていたらしい。それを見て哀ちゃんは小さく笑い、自分の隣に腰かける。

「哀ちゃんも休憩?」
「ええ。少しね」

 よく見るとその肌にはうっすらと汗が浮かんでいる。うーん、小学生のはずなのに大人の色気を感じる。自分にはないものだ。なんとなく気まずくなって視線を前に戻す。子どもたちはボールを追いかけて元気にフィールドを駆け回っている。本当に元気がいいなあ。

「脇坂さん、変わったわよね」
「え?」

 不意に哀ちゃんがそんなことを言い出した。変わった? そんなことを言われたのは初めてな気がする。
 隣にいる哀ちゃんの方を向けば、特に表情を変えることなく子どもたちのことを見ていた。

「変わった……自分が?」
「ええ」

 少し強い風がぶわりと吹いて、火照った肌を冷ましていく。ざわざわと木々が音を立てて揺れた。

「以前のあなたはもっと淡白だったわ。人と仲良くなるのは上手いけど、どこか一線引いているような感じで。子どもたちの誘いもほとんど断っていたもの」

 先ほどまで大きく聞こえていた子どもたちの声が少しずつ離れていく心地がする。そんなことは無いはずなのに、この子とふたりっきりになってしまったような感覚に陥っていった。

「でも最近のあなたはなんというか、その線がまるでなくなったかのように人と接している感じがするのよね」
「……もしかして、嫌だった?」

 自分はそっと口を開く。人に対する一線だとか、それが無くなったとか、そんなこと今まで意識して来たことが無かった。だがもしかして、そのせいで自分が知らない間に哀ちゃんを不快にさせてしまったのだろうか。

「いいえ。むしろ逆」

 そんな心配を抱く自分とは対照的に哀ちゃんは言う。くすりと笑って顔をこちらに向けた。

「私、今のあなたの方が好きよ」

 ――その瞬間、自分は反射的に心臓を抑え、集中線を見にまといながら、某有名なフリー画像と同じポーズを取る。
 そしてそのままベンチにうずくまった。

 『私、今のあなたの方が好きよ』……つい今しがた少女の口から放たれた言葉が何度も脳内を駆け巡る。

(好きって……哀ちゃんが自分のこと、好きって……好きって言った……!!)

 死にそうになりながらここ数秒間の出来事を整理するが、正直どうしたらいいのかわからない。
 最高に可愛い哀ちゃんから、最高に大人っぽくて可愛い笑顔で、最高すぎる言葉を貰ってしまった。正直今すぐにでも尊さで爆発しそう。夢か? これは夢か? 夢かもしれない。

 哀ちゃんが驚いたように自分のことを心配してくれるが、正直それどころじゃなかった。
 ……ごめんね哀ちゃん。これがオタクってものだよ。
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