03 はりきって行こう

 美琴が真っすぐ指さしたディスプレイに映るのは、調査対象であった水無怜奈の顔写真と調査資料だ。それがを見て、ジョディはあからさまに呆れたように美琴に言う。

「そりゃ、彼女は有名な女子アナだもの。あなたが知っていてもおかしくは無いわ」
「でもこの人、ただの女子アナじゃないんだよね」
「え?」
「本当は悪い人なんでしょ?」

 美琴の言葉を聞いた途端、ジョディが息を飲むのが分かった。俺も成り行きを見守るように、静かに目を細める。

「私も最初は驚いたなー あの人気女子アナが非合法な組織に所属してるなんて。しかも数年前から! 犯罪組織に所属してる人が顔出しテレビ出演とか何考えてんだろうね? 私にはわかんないや。確かその犯罪組織では水無怜奈じゃなくてキールってお酒の名前に因んだあだ名で呼ばれてて」
「ちょ、ちょ、ちょっと待って!」

 つらつらと聞かれてもいない事を話し始めた美琴の言葉を焦ったようにジョディが遮る。美琴はといえば、言葉を遮られた理由がいまいちわかっていないらしい。ぱちぱちとまばたきを繰り返してジョディを見やる。

「何?」
「何?じゃないわ! どうしてあなたが……あなたのような一般人が、組織のことを知ってるのよ! しかもまだこっちが掴んでいない情報まで!」
「組織? ああ、この女子アナがいる」

 ようやく合点がいった、とばかりに美琴は納得した表情を見せて手をポンと鳴らす。そしてあくまで何でもなさそうに言った。

「調べたら出てきたよ」
「調べたらって……」
「うん。パソコンでちょちょっとね」

 パソコンのキーボードを打つ仕草をして美琴はウインクを飛ばしてきた。困惑するジョディを他所に、美琴は髪の毛を指先でくるくるといじりながら言葉を並べていく。

「私ね、秀一さんの前に付き合ってた人がいたんだ。高校の、一個上の先輩。その人が『水無怜奈っていう女子アナが可愛い』って言うからちょっとムカついてね? 何かスキャンダルでも暴いてやろうと思って色々調べたの。そしたらその女子アナがなんかの組織に属してるってことを知ったってワケ。まあでも、このことを言う前にその人とは別れちゃったから、結局私の努力は無駄になっちゃったんだけどねー」

 にゃはは、なんてお気楽に笑う少女。だがそんな少女とは対照的に、ジョディの表情は困惑と恐怖が入り混じったような複雑なものになっている。まるでクラスメイトの愚痴を言うようなテンションで信じられないことをのたまう少女を目の前にして、対応を図りかねているらしい。俺は表情こそ変化していないが、内心は少女の得体の知れなさにゾッとしていた。

「あなた……一体何者なの?」

 恐る恐る尋ねるジョディ。少女は別段隠し事をするふうでもなく、さらりと答えた。

「私? 帝丹高校2年、十朱美琴。ただの女子高生だよ。秀一さんの元々カノで、秀一さんと同じくFBIに所属するジョディ・スターリング捜査官」
「!!」

 ジョディがびくりと肩を震わせ、大きく目を見開いて固まる。にっこりと微笑む少女の口からさらりと零れ出た伝えた覚えのない情報に、言いようのない恐怖を感じているのだろう。

「……シュウから、聞いたの?」
「秀一さんがこんなこと教えてくれると思う? 自分で調べたの。結構簡単に出てきたよ」

 軽く馬鹿にするような声色でジョディの問いかけに返答した。ゆるりと少女の瞳が三日月の様に細められ、うっすら口角が持ち上がる。年相応かそれより幼い印象を与えた大きな瞳は、今ではどこか不気味で得体のしれない光を宿していた。

「私、好きな人のことは徹底的に調べたいタイプなんだ」

 少女が勝手に語りだす。まるで舞台で歌う役者の様に軽やかに。その笑みを崩すことなく。

「本名さえわかればこっちのもの。後は調べるだけで芋づる式に全部わかっちゃうんだ。とっても簡単にね。年も、出身地も、職業も、現住所も……」

 ずっとジョディの方に向けられていた視線を俺の方に向ける。瞳に宿る怪しげな光がどろりと溶けるのを間近で感じ取った。

「――今、何をしているかも」

 ぞわりと、背筋に冷たいものが走る。

 端の持ちあがった口の隙間からちろりと真っ赤な舌が覗き、唇を湿らせた。瞳の輝きも相まって、まるで獲物に狙いを定めいざ捕食せんとしている大蛇のようである。……か弱い女子高生の顔の内側にこんなゾッとするような本性を秘めているとは。甚だ恐ろしい子だ。

 だがそれと同時に、もうひとつの考えが俺の脳内の片隅で展開し始める。
 ……この子なら、もしかしたら。

「あなたそれ……犯罪よ! わかってるの?!」
「別に悪用したりなんかしないよ。ただ私が好きな人のことを徹底的に知りたいからやってるだけで」
「それが問題なのよ!」

 俺が静かに考えている最中、ジョディは慌てたように声を荒げる。だが対する少女は、自分のしでかした事の重大さがイマイチよくわかっていない様子だ。モラルや常識に関する部分の頭のネジが飛んでしまっているんだろう。

「ちょっとシュウ! 何なのよこの子!」

 混乱した様子のジョディがすがるようにこちらに意見を求めてきた。頭の中で粗方考えをまとめた俺はいたって冷静に口を開く。

「美琴」
「なあに、秀一さん」

 きょとんとした顔でこちらに視線を送る美琴。先ほどの背筋を震え上がらせるような笑顔はすっかり鳴りを潜めて、いつも通りの女子高生らしい表情を見せる。

「お前、俺のことが好きだろう」
「うん。世界で一番好き」

 即答された。若干食い気味に即答された。……予想はしていたが、本当にそう来るとは。
 俺は表情ひとつ変えず、美琴に問を投げかける。

「……その世界で一番好きな俺がもし、『水無怜奈について調べてくれ』と頼んだら、お前は引き受けてくれるのか」

 俺の言葉にハッとするジョディ。俺のやろうとしていることを何となく察したようだ。何か言いたそうにこちらに視線をよこしているが、まるきり無視して美琴の返事を待つ。

「もっちろん! ただし、私にも何か見返りがあればだけどね!」

 俺の問いかけに美琴は笑顔で即答した。その答えは期待通りだったが、引っかかる点がひとつ。

「見返り……何が欲しいんだ」
「秀一さんならわかると思ったんだけどなー 私が今一番欲しいもの」

 若干照れたような笑いを浮かべて頬をほんのり赤らめる美琴。俺は静かに過去の美琴との会話を思い出す。
 一番欲しいもの、と聞いてひとつ思い当たる会話があった。確か数日前に美琴に突然「今一番欲しいもの」を聞かれたのだ。特に浮かばなかったため『特に無い』と答えると、美琴は『つまんない』と唇を尖らせて、聞かれてもいないのに自身の欲しいものを一方的に述べた。

『私が一番欲しいのは、秀一さんからのスキンシップだよ』

 愛おしそうに目を細め、幸せそうに微笑む美琴の姿と共に脳裏に再生される。曰く、いつも自分から求めてばかりだからたまには求められたい、だとかなんとか。その時は何も考えずに『気が向いたらな』と返し、会話は別の方向に流れて行ったのだ。

 あの会話の時から心変わりしていなければ、「俺からのスキンシップ」が美琴が今一番欲しいものということになる。だがそれを見返り……報酬とするのは流石にどうだろう。

「それが無きゃ、私は絶対動かないから」

 俺の答えを急かすように小さく唇を尖らせて言う。返事に躊躇っていることを見透かされてしまっている。……この際、仕方無いか。彼女にとって一番欲しいものがコレだというのなら、彼女にとっての一番の報酬がコレだというのは事実だろうし。
 俺はため息を飲み込みつつ、口を開いた。

「……頭を撫でてやろう」

 ぴくり。
 美琴が固まる。口が猫の様に引き結ばれ、瞳がきゅっとひとまわり大きくなった。その眼はなんだか「もう一声!」と言っているように輝いている。……目は口程に物を言うとはこのことか。

「出来次第では、追加でハグを……してやらんこともない」

 ぴくりぴくり。
 報酬を追加してやれば、美琴の瞳が一層輝きを増した。瞳はまだおねだりを続けているが……流石にこれ以上は無理だ。自称恋人とはいえ現役の女子高校生相手にこんなことをするという罪悪感で潰れてしまう。

「……悪い話では無いと思うが」

 表情を殺し「これ以上は無いぞ」という意思を込めて強めに言う。
 しばらく考え込むように黙ったかと思えば、美琴はがばりと勢いよく立ち上がった。やる気に満ち溢れたようにきゅっと眉尻を上げて瞳を輝かせ、若干興奮気味に頬を赤らめながら、ふんすふんすと鼻息を荒くしている。

「やるっ! 私やるよ!! 秀一さんのために!!」

 ちょっと待っててパソコン取ってくる! そう言って一目散に美琴は俺の家を飛び出していった。今の今まで俺の隣で正座をしていたというのに、よくあんなに勢いよく走れるもんだ。

「ねえ、本当に大丈夫なの?」

 今までのやり取りを黙って見ていたジョディが不安そうに言う。すっかり固まってしまった脚を崩しながら、宥めるように言葉を吐いた。

「心配には及ばないさ。……あいつならやってくれる」
「なんであの子をそんなに信用出来るのよ……!」

 頭を抱えたジョディの深いため息を聞きながら、俺は静かに脚の痺れと格闘していた。