04 だめかもしれない
毛利探偵事務所の近くにある建物から直線距離で700ヤード以上離れたビルの屋上。そこで俺はひとり煙草を吸いながら、ある人物を待っていた。"彼女"からの連絡によればもうそろそろとのことだったが……。
「!」
双眼鏡で覗いた向こう側。ずっと見張っていた建物の屋上にゾロゾロと現れる、黒服をまとった懐かしい人物たち。今思えばよくあれで隠れていると思っていたもんだ。あんなに黒服の人物が集まれば、あからさまに怪しまれるだろうに。
『ね? 言った通りだったでしょ?』
「ああ」
インカム越しに聞こえた彼女……美琴の得意げな声に、俺は思わず笑みを零した。
「最終確認だ。俺はお前の合図で銀髪の男……ジンが持っている盗聴器を破壊。その後何発か胴に撃ち込んでやればいいんだな?」
『うん。秀一さん得意でしょ? そういうの』
「お前の方がよく知っているだろう」
『にゃはは、おっしゃる通り』
お気楽で間の抜けた美琴の笑い声が鼓膜を震わす。煙草の火を消して双眼鏡から目を外し、事前に組み立てておいたライフルのスコープを覗いた。彼らはこちらには全く気が付いていないらしい。まあこんなに離れれば当たり前だが。いつでも引き金を引けるよう、指を引っかけた状態で彼女の合図を待つ。
ジンが盗聴器を見せたその時、彼女は静かに言い放った。
『いいよ。――やっちゃえ、秀一さん』
俺は迷うことなく、引き金を引いた。
***
「ちょっと!! あれは一体どういうことなの!? 私聞いてないわよ!!」
俺の部屋で待機していた美琴を連れて杯戸中央病院へ向かえば、酷く激昂したジョディが待っていた。詰め寄られた俺の隣で、きょとんとした顔で美琴は尋ねる。
「あれって?」
「とぼけないでよ! 毛利探偵事務所での一連の狙撃よ!」
ジョディの言葉を聞いてようやく思い当たったようで、思い出したかのようにポンと手を打った。だが口を開かずに俺の方を見上げている。にこにこと笑顔を浮かべながら。……なるほど、説明は俺に任せると。
「俺の部屋で美琴が水無怜奈について調べ、それを通じて今日3人の人物にインタビューするという情報を掴んだだろう」
「ええ。それを聞いて私が彼女の元に向かったのは、あなたたちも知ってるでしょ」
詰め寄られたまま会話するのも何だか居心地が悪い。それとなく目的地に向かって足を動かし始めると、ジョディと美琴はその横をついてきた。
「それからジョディが例のボウヤと会い、盗聴器の件を聞く」
「そうよ。それはメールでシュウに伝えたわ。……そこから何があってこうなったのよ?」
病院内を移動しながらジョディは不機嫌を露わにしつつ俺に問いかける。さて、どう話せばいいか。数時間前の出来事を思い出しながら、時系列に沿って事のあらましを説明する。
「そのメールを貰った時に、それを見た美琴が言ったんだ」
「『秀一さん、探偵事務所の近くで待機してたほうがよくない? その盗聴器がバレた時のためにさ』ってね」
得意げに美琴が言う。ジョディはぽかんと目を開いて、まるで豆鉄砲を食らったような間抜けな表情を浮かべる。俺はそれに気づかないフリをして話を続けた。
「……俺はそれを聞いて、それも一理あると思った。それからすぐに美琴と共に毛利探偵事務所周辺の建物を調べ、奴らが現れると思われる建物を予想し、そこを監視できるビルでずっとライフルと煙草片手に待ちぼうけしてたってわけさ」
「……でも、それならどうやって奴らの動きを」
「そんなの簡単だよ。ジョディさんの携帯をハッキングしたおかげで、会話は全部こっちに筒抜けだったから!」
「嘘!? いつの間に!?」
思わず大声を出し、その場に立ち止まって慌てて携帯を取り出した。だがそれを見て美琴はニコニコと笑うばかり。
「見てもわかんないと思うよ。そういう風にプログラムしてあるから。それに今はもう綺麗さっぱり消去しちゃったし。あ、その携帯を今更詳しく解析したところで無駄だよ。そんなプログラムが入り込んだっていう形跡さえ見つからないようにきっちり後始末はしてあるから」
「あ、あなたねえ……!」
携帯を握ったままわなわなと震えるジョディ。今にもその携帯を握りつぶしてしまいそうな勢いだ。
「わざわざ盗聴するくらいなら、私たちにもそっちの動きを伝えてくれたっていいじゃない! なんで教えてくれなかったのよ!」
まあ、正直それは俺もそう思う。
この作戦をするうえで、別にジョディたちに秘密にすることで得られる利点が何もないのだ。だが美琴は断固として『絶対言っちゃダメ!』と言い張って聞かなかった。一体どういう考えがあって秘密にしていたのだろうか。
「そんなの、決まってるでしょ」
真剣な表情を浮かべる美琴。その真意に注目すべく、ジョディがごくりと唾を飲む。
だが次の瞬間、いつもの満面の笑みを浮かべて言い放った。
「その方が秀一さんがかっこいいから!!」
ぴたりと固まるジョディと俺。太陽のような笑顔を振りまく美琴。
……今、こいつ何て?
「万事休す!もうダメだ〜!って時に、ライフル片手に颯爽とピンチを救う秀一さん! どう考えたって最高でしょ! 実際最高だったもん! 超かっこよかった!!」
キラキラと目を輝かせながら俺の狙撃の様子がいかに素晴らしかったかを流暢に語る。だがその目は自らの輝きのせいで周りの景色をかすませ、疑似的に盲目状態を作り上げていた。
現に、ジョディの表情が般若のそれに刻一刻と近づいていることに、美琴は気が付いてない。間に挟まれている俺は正直気が気でないんだが。
「美琴! あなたいい加減に――」
「騒がしいぞ君たち。ここをどこだと思ってるんだね」
不意に落ち着いた男性の声がして、ジョディがはっとそちらを見る。そこに立っていたのは見慣れたひとりの男だ。
「ご、ごめんなさいジェイムズ。私ったらつい熱くなっちゃって……」
「わかったのならいい。……おや、君は?」
しゅんとして謝るジョディになだめる様なトーンで言うジェイムズ。すると、俺の隣にいた美琴に気が付いたようだ。少し不思議そうに尋ねる。
「帝丹高校2年、十朱美琴。ただの女子高校生だよ。秀一さんの上司の、ジェイムズ・ブラック捜査官」
にっこりと微笑んで、いつものように自己紹介をする。名乗った覚えのないフルネームを言われ、ジェイムズは一瞬目を丸くした。だがその表情に恐怖は見られない。純粋な驚きのみが支配していた。そして美琴のことをまじまじと見ると、感心したように言葉を零す。
「ジョディ君が言っていた凄腕の探り屋とは君か! 女子高生とは聞いていたが、まさか本当だったとは」
納得したように呟くジェイムズの言葉を聞き、美琴はえへへと照れたように笑った。凄腕の探り屋と称されたことが余程嬉しかったのだろう。
「ジョディ君から聞いたよ。水無怜奈のインタビューの情報を掴んだのは君だろう? あの情報には本当に助かった。君がいなかったら今日の作戦はここまで上手くいかなかったかもしれん」
にこにこと笑みを浮かべながらジェイムズは美琴の手を取る。そしてぎゅっと握りこみながら言った。
「これからも頼りにしているよ。……FBIの一協力者として」
「――! うん! 任せといて!!」
その言葉を聞いた瞬間、美琴はぱっと顔を顔を輝かせてジェイムズの腕を掴んだままぶんぶんと上下に振った。
***
「彼女の容体は?」
「未だ昏睡状態だよ。一向に目を覚ます気配は見られない」
がらりと病室の扉を開けながら、ジェイムズが言う。そこにあったベッドに寝かされているのは、例の彼女――水無怜奈だ。静かに目を閉じて横たわる姿はまるで精巧な人形のようで、ゆっくりと上下する胸を見ることでようやく彼女が息のある人間なのだということを実感する。
その姿を見て俺はひとり、昨晩の美琴の言葉を思い出す。
『実はさ、時間が足りなくてまだちゃんと確かめられてないんだけど……水無怜奈、もうひとつ顔があるかも。しかも、秀一さんたちと似た顔』
『俺たちと似た顔だと?』
『うん。でもまだ全然情報が足りないから、確信が持てるまでもう少し時間かかるかも。調べたら一番に秀一さんに教えるから、それまで誰にも言わないで。約束だよ』
――さて、彼女は一体何者なんだか。
***
とりあえず今日はこれでいいと、ジェイムズから解散命令が出た。俺と美琴も素直にそれに従い帰路へつく。
家に到着し、どかりとソファに身を投げる。今日はとにかく疲れた。よく考えなくても昨日の夜から寝てないため、当たり前と言えば当たり前なのだが。煙草に火をつけようとマッチを取り出した時、すすすと近づいてきた美琴が不意に声をかける。
「ねえ、秀一さん」
「なんだ」
「今日私、すっごく頑張ったよ」
「ああ」
「私がいなかったらここまで上手くいかなかったってジェイムズさんも言ってた」
「……ああ」
「だからさ……ごほうびちょーだい!」
満開に咲いた花のような、エネルギーに満ち溢れた笑みを前面に押し出しながら美琴は大きく手を広げた。マッチを持つ手を止め、力なく言う。
「……別に明日でも」
「私は今がいいの! 絶対今がいい!」
断固として俺の「明日にしよう」という意見を聞き入れない美琴。遂には、やだやだちょーだいごほうびちょーだいと目の前で駄々をこね始めた。……これが、ついさっきまで「凄腕の探り屋」と揶揄されていた少女かと思うと不思議な気持ちになる。
俺はため息を吐きながら渋々、くわえていた煙草と手に持ったマッチをテーブルに置いた。
「……そこまで言うのなら仕方ないな」
「やったー!!」
軽く飛び跳ねながら喜ぶ姿を見てまたため息が溢れる。俺はゆっくりと、ソファに沈んだ重い腰を持ち上げた。
頭ひとつ以上低い美琴を見下すようにすれば、美琴は黙って大人しく頭を差し出す。俺はそっと、そこに左手を置いた。する、する、と頭の丸みに沿って優しく手を滑らせれば、美琴がとろけるような声を漏らす。俺の片手で簡単に掴んでしまえそうだな、なんて考えながら彼女の頭の丸みと柔らかな髪の感触を感じ取る。
しばらくそうして撫でていると、物足りなくなったらしい美琴がふと顔を上げて甘えるような声を上げる。
「私すっごーく頑張ったんだけどなー」
「……」
上目遣い。潤んだ目。子犬を彷彿とさせる、庇護欲を掻き立てるような表情。
しばらくの間にらみ合いが続いたが、1分後。俺は観念したように力なく目を閉じた。
左手を頭頂部から後頭部へそっと滑らせ、そのままぐっと近くに引き寄せる。空いていた右手を彼女のわき腹から背中にかけてまわし、身体を密着させた。ふふ、と俺の胸元に顔を埋めたまま美琴が息を漏らすように笑う。それから彼女も、俺の背中へ手をまわしてぎゅっと自身へ引き寄せた。
身体を密着させているせいで、美琴のあれこれを嫌でも意識してしまう。ほのかに香る彼女特有の柔らかい匂い。健康的だがどこか頼りない薄い身体。シャツ越しに感じる滑らかな肌の感触。そのどれもが、俺の中の何かをくすぐって仕方ない。
だがそれと同時に罪悪感も募っていく。今腕の中にいるのは、自身より干支ひとまわり以上年の離れた女子高生。妹と同じ年の女子高生なのだ。ばくばくと、違う意味で鼓動が走る。
どれくらいの間そうしていただろうか。流石にそろそろいいだろうかと、少し力をゆるめて腕の中の美琴の様子を見る。
美琴は、俺の胸元にぴったりと頬をつけたまま目を閉じて、わずかに頬を赤らめながら、くたりと安心しきった笑顔を浮かべていた。俺の視線に気が付いたのか、うっすらと目を開ける。こちらを見上げ、ふにゃふにゃと、まるで寝起きのように舌っ足らずに言った。
「あと、もうちょっとだけ……ね?」
そしてもう一度目を閉じ、ぎゅっと腕の力を強める。
……参ったな。そんなに幸せそうな顔を見せられたら、もうやめろなんて言い出せそうにない。
「……もう少しだけだぞ」
俺は再び美琴を抱きしめる腕の力を強めた。