05 かぐわしき恋の香り
「秀一さんの手料理がいい!」
大きな瞳をキラキラと輝かせながら美琴は元気にそう言った。対する俺は黙って思い切り眉間にしわを寄せている。
水無怜奈の一件からしばらく経つ。あれ以来美琴はすっかり『凄腕の探り屋』としてFBI内で重宝されていた。成功報酬は相変わらず、現金ではなく俺から与えられる行為。頭を撫でたりハグをしたり手を繋いだり……子守唄を歌ってくれと言われたこともあった。あれは……もう流石に御免蒙りたい。
今日も今日とて、ある人物についての調査を美琴に依頼する。組織へつながるのではないかとFBIが睨んでいた人物だ。
俺の家のリビングの一角に備え付けられたデスクトップのパソコン。その前に置かれたキャスター付き椅子に腰かけた美琴へ依頼の概要を説明する。そしてある程度説明を終えたところで、いつものように成功報酬を尋ねる。すると、冒頭の一言が返ってきたというわけだ。
「手料理……しかも、俺のか?」
「そう!」
美琴曰く、俺と出会ってから料理をしている姿を一度も見たことが無いため、是非とも見てみたいんだとか。
確かに、美琴が来てから料理をする頻度は確実に落ちている(元々そこまで多かったわけでもないが)。最近包丁を握ったのはいつか思い出せないほど、料理に関しては美琴に頼りきりになってしまっているという自覚がある。理由は至って単純明快。美琴の作る料理の方が確実に栄養バランスも整っている上に味もいいとわかりきっているからである。
それにしても手料理、手料理か……。俺は腕を組みながら、苦々しい気持ちになりながら美琴に再度尋ねる。
「……本当にそれでいいのか?」
「もちろん!」
「……後悔しないか?」
「後悔するくらいなら初めから提案してないもん」
「……受け取った後で苦情は一切聞き入れんぞ」
「もー、私が秀一さんから貰って困るものなんてないってば!」
ぷくっと頬を膨らませながら美琴は断言する。遂にはくるくる椅子を回しながら「この報酬じゃないと依頼は受けない!」とまで言い出す始末だ。……ここまで言い切られるといっそ清々しいな。俺は渋々美琴に言う。
「……そこまで言うなら、仕方ないな」
俺の言葉を聞いた途端に美琴はぴたりと椅子を回すのを止め、わかりやすく瞳を輝かせる。
「オッケー! 取引成立だね! 明後日までには必ず終わらせるから、準備しておいてよ!」
そう言うと美琴は首に下げていた密閉型の大きなヘッドホンを装着し、くるりとパソコンの方へ向いて作業を開始した。作業時に決まって聴くらしいスウィングのメロディを口遊みながらキーボードを叩く。
「これが終わったら、秀一さんのごはん〜 ごはん〜」
パチパチという軽快な音を聞きながら、俺は重苦しくため息を吐いた。
***
明後日までには終わらせるからという宣言通り、美琴は2日後の夕方に調査結果を俺に渡してきた。学校が終わってそのまま来たらしく、制服姿で押し付けてきたのである。
早く早くと急かす美琴を落ち着かせ、データの入ったUSBを受け取ってから印刷してあった方の資料を一通り確認する。
書かれていた情報は調査対象の名前に始まり生年月日、血液型、出身地、職業歴、引っ越し歴に現住所……ここ1週間の行動記録に、3親等までの親族の名前と職業まで。これほどの情報がまさか2日もかからないうちに調べ上げられたものだとは誰も思うまい。本当に、彼女の仕事の速さには驚かされてばかりだ。
「これだけあれば捜査も十分に進められるだろう。よくやった」
資料を閉じながらそう言えば、美琴は満面の笑みを浮かべた。もし彼女に犬の尻尾が生えていたのならば、音がしそうなほど全力で振っていそうだと思うほどの笑顔である。
「じゃあ約束のもの、ちょーだい!」
美琴の言葉に俺はぴたりと動きを止める。だが美琴はニコニコと微笑むばかりだ。
「……今か?」
「今じゃないとやだ。今日はそのつもりで来たんだから。……だって秀一さん、この資料受け取ったってことは明日から本格的に忙しくなるんでしょ?」
仕事のスケジュールまで把握されてる。実際その通りだった俺はぐうの音も出ない。受け取った資料をリビングテーブルに置きながら尋ねる。
「何が食べたいんだ」
「オムライス! ケチャップライスで、卵が半熟のトロっととろけるやつ!」
元気よくされたリクエストを聞いて、俺は密かにしめたと思った。
「冷蔵庫の中に確か卵が無かった。オムライスを作るには致命的だろう」
「そう言うと思って、材料はちゃーんと買ってきました!」
にゃは、と勝ち誇ったように笑う美琴。その手には近所のスーパーのレジ袋が握られていた。俺がこうやって断るであろうことをはじめから予想していたらしい。というかそもそも、俺の家の冷蔵庫事情については俺よりも美琴の方がずっと詳しいに決まっている。この手を選んだ時点で俺の敗北は決定していたのだ。
「秀一さーん、私お腹空いたなー」
拗ねたように呟く美琴。
……逃げ道を完全に塞がれたな。
***
「……」
ダイニングテーブルに腰かけ、目を丸くしたまま黙り込む美琴。
その目の前に鎮座する、ムラのあるケチャップライス擬きに所々焦げ付いてボロボロになってしまった卵が辛うじて乗っかっている"何か"。
そして……決して美琴の方を見ぬように視線を逸らし、脚と腕を組んで座る俺。
「…………」
「…………」
ふたりとも何も言わない。
沈黙が落ちた室内では、時計の秒針と自身の心音がやけに煩わしく聞こえた。
「……だから言っただろう。後悔はしないかと」
ようやく口を開いたのは俺の方。思った以上に不機嫌そうな声色になってしまった。
久しぶりに取り掛かった料理に、俺は超がつくほど苦戦を強いられた。材料を混ぜたり切ったりするのは特に心配ない。致命的な問題は火加減だった。ひとつ崩れた段取りはドミノ倒しの要領で次の肯定へ支障をきたし、最終的にすべてを台無しにする。その典型的な例が、今美琴の目の前に鎮座するそれだった。
「……」
「……」
「……ふ」
じっと黙りこくっていた美琴が、不意に息を吹き出す。そして小さく身体を震わせ始めたかと思うと、声を上げて大笑いし始めた。今まで見たことがないほど清々しい大笑いである。
「これでまたひとつ、秀一さんのことを知れた」
ひーひーと涙を拭いながら笑うその姿を見て俺がそっと皿を下げようとすれば、美琴はそれを遮る。
「勝手に下げないでよ。ちゃんと食べるから!」
右手にスプーンを持ち、大きく口を開けてひとくち頬張った。2,3度咀嚼して、幸せそうに口角を上げる。
「うん、美味しい」
「……お世辞はよせ」
「お世辞じゃないよ、本当に美味しいの」
だって、と美琴が言葉を切る。
「私のために秀一さんが作ってくれたんだもん。美味しくないわけないじゃん」
そしてまたひとくち頬張る。
その幸せそうな笑顔に俺はなんだか気恥ずかしくなって、そっと煙草に火をつけた。
***
その後、俺の作った料理を美琴はひとかけらも残さず綺麗に平らげた。
「今度は一緒に料理しよーね、秀一さん!」
「……」