07 とても長い帰り道
平日の午後。
空調のよく聞いた自室で、俺の操作するPCを横からそっと美琴が覗き込んでいる。表示されているのは数日前美琴に頼んだある女性の情報だった。彼女はとある企業の幹部で、その企業が実は資金提供という形で組織とつながりがあるのではと踏み、美琴に調査を依頼したのだ。
「よく短期間でここまで調べたな」
美琴がまとめてきた資料をスクロールしながら俺は言う。毎度のことながら彼女の資料は簡潔でわかりやすい。これなら大手企業のプレゼン資料にも引けを取らないレベルなのではないだろうか。
「えへへ〜」
もっと褒めて!とでも言いたげに美琴は嬉しそうに笑う。彼女に尻尾があったのなら今頃ぶんぶんと振っているのが見えただろう。
「結果として彼女はシロだったが、恐らくこの企業自体はクロだろう。この資料を見る限りでは……この男が怪しいな」
「ああ、それ私もそう思った。なんか気になるんだよねー、これだって証拠があるわけじゃないんだけどさ」
資料を睨みながらむむむと唇を尖らせる美琴。
「一応ボスの判断を仰ぐが……もしかしたら近日中に調査を依頼するかもしれん」
「りょーかい! 決まったらすぐ言ってよね!」
「水無怜奈の件はどうだ」
俺が尋ねれば、彼女は浮かない顔をしてため息を吐いた。
「まだなんとも言えないかなー。一応なんとなくわかってきてはいるんだけど、これだって確実な証拠になりそうなところのセキュリティが頑丈でさ」
「おいおい、あまり法に触れることはしてくれるなよ」
「だいじょーぶだよ。バレないように後始末はちゃんとするし!」
「そういう問題じゃないんだが……」
任しといてよ!と胸を張る美琴。なんとなく不安に苛まれながら、彼女の作った資料をメールに添付してボスに送信する。そのままPCの電源を落とし、ぱたんと蓋を閉じた。
「そういえば今回の報酬を聞いていなかったな。何がいいんだ?」
ふと思い出したように横にいる美琴に尋ねる。尋ねられた美琴は待ってましたとばかりに瞳を輝かせ、素早くスマホを取り出した。
「ここに行きたいの! 秀一さんと一緒に!」
彼女が差し出したスマホに表示されていたのは、米花百貨店に近日オープンするというカフェのページだった。
***
週末のお昼時。約束通り俺と美琴は米花百貨店へ来ていた。
休みだということもあり、百貨店内は沢山の人でごった返している。店の中でさえこの調子だとしたら、例のカフェは一体何時間待ちになる事だろう。そんなことをぼんやり考えながら早くもげんなりしていると、先へ進む美琴に早く早くと急かされてしまった。
店は3階の奥の方に位置しているらしい。落ち着いた爽やかな雰囲気の外装とは裏腹に、想定していた大行列は出来ていないようだ。おや、確かオープンは今日ではなかったか。そう思っていたのが顔に出ていたのだろうか、美琴がさらりと説明してくれる。
「このカフェ、海外で大人気のお店でね。日本初上陸ってことでかなり話題になってたんだ。だから混雑を想定して、オープンから一ヶ月は完全予約制なの」
「ホー、そういうことだったのか」
「うん。因みに私は予約が始まった瞬間に即予約したんだ〜 だから入れます!」
にっこり笑ってブイサイン。
こういうちゃっかりしたところが美琴らしいというかなんというか。
予約メールを店員に見せれば、さあこちらへどうぞと席に案内される。窓際のふたり用の席に向かい合って座り、手渡されたメニューを開いた。さて何を食べようか。色々と凝った料理がずらりと並ぶメニューを眺めていると、既に注文するものを決めたのか美琴が口を挟んでくる。
「秀一さんならこのバジルパスタとかいいんじゃない? トマトも入ってるから結構さっぱりしてるし、量もそれなりにあるから満足感もあるし。秀一さんの舌に合うと思うよ」
「……前から思っていたんだが、どうして俺の味の好みをお前が知ってるんだ」
俺は怪訝な顔をして尋ねる。
彼女の作る料理はいつも驚くほど俺の舌に馴染んでいた。そのため度々疑問に思っていたのだ。しかも出会ってから徐々に好みに合わせていったというより、初めから的確に好みをついてきたのである。一体どうやって俺の好みを知ったのだろう。すると美琴は至極当然のことのように口を開いた。
「秀一さんの過去数年間の外食ログから統計をとって――」
「わかった。もういい」
真顔でとんでもないことを言ってのける美琴に若干寒気を覚えたので強引に話を中断する。なんて恐ろしい子なんだ。
それにしても、美琴に言われたお陰か本当にそのパスタが気になってきた。とりあえずこれでいいかと思ったので店員を呼んで注文をする。美琴はオムライスを選んだようだ。注文を受けた店員が少々お待ちくださいませとテーブルを離れる。
「この間も食べてなかったか、オムライス」
ふと数日前の昼食を思い出して尋ねる。すると美琴はそうだっけ、ときょとんとした表情を見せていった。
「昔お母さんに連れて行ってもらったファミレスで食べてからずーっと好きなの。だから外食に行くと気付いたら頼んじゃうんだよね」
なんだか恥ずかしそうに美琴が笑う。そういえば俺に頼んだ手料理もオムライスだったな、なんてことを思い出しながらサービスのお冷に口を付けた。
「結構カップル多いんだね、このお店」
「そうだな」
店内を見回しながら美琴が言う。確かに、俺たちの他の客の半分近くが男女ふたり組だった。その次に多いのが友達同士だと思われる女子数人のグループ。彼女らはきゃあきゃあと騒ぎながらお洒落に盛り付けられた料理を写真に収めている。ぼうっとその様子を見ていると、前の席に座る美琴がにやにやと笑みを零し始めた。
「私と秀一さんも、他の人から見たらカップルに見えたりするのかなあ」
「かなりの年の差だ。良くて親子ってところだろう」
「えー。ここは形だけでも肯定するところじゃない?」
美琴は不満そうにむっすりと唇を尖らせて頬杖をつく。俺は真顔で返答した。
「間違われたら俺は日本に居られないがそれでもいいのか」
「私がアメリカまでついていけばオールオーケーでしょ」
「俺がオーケーじゃない」
「ええー?」
けちー、と美琴が不満を口にした。
見計らったかのように、丁度店員が注文したメニューをテーブルに運んできた。お礼を言って早速フォークを手に取る。くるりと巻き取り一口頬張った。うん、悪く無い。悔しいが美琴の言った通りになったな。ちらりと正面の美琴に視線をやると、今にもとろけそうなほど幸せそうな顔をしていた。よっぽどオムライスが美味いらしい。
すると俺の視線に気づいたらしい美琴がこちらを見て言った。
「秀一さんも一口食べる?」
「別に欲しかったわけでは」
だが俺が返事をする前に、美琴は新しいスプーンでオムライスを一口分すくってこちらに差し出してきた。スプーンを受け取ろうと手を近づけると、不満そうに睨まれる。このまま食え、と言うことらしい。美琴は未だにニコニコと微笑んだままで、スプーンを下げる兆しは一切見られない。……仕方ないか。俺は渋々彼女の差出したスプーンに口を付ける。
「美味いな」
「でしょ!?」
美琴は嬉しそうに笑う。今日は一段と上機嫌だな、なんて思いながら再びパスタに口を付けようとすると、彼女はなんとなく予想していたセリフを口にする。
「秀一さんのも一口ちょーだい!」
満面の笑みである。仕方なく新しいフォークを渡してやろうとすれば、あ、と口を開いて彼女が待ち構えていた。逃げるなということか。やれやれと小さくため息をつき、一口ぶん巻き取って口に入れてやる。もぐもぐと味わうと、美味しい!ととびきりの笑顔を見せてきた。
その後デザートのアイスクリームまでぺろりと平らげ、彼女は満足そうに笑っていた。
***
目的も果たしたし帰ろっか、と美琴と俺はカフェを後にした。屋内駐車場まで店内を歩いていく。昼よりは少なくなったとはいえ、やはり相変わらず人が多いな。
すると、歩いている途中の店でふと美琴が足を止めた。
足を止めたのはアクセサリーショップの前。ショーウィンドウの中では光を受けてキラキラと輝くアクセサリーがずらりと並んでいる。
その中で美琴が視線を向けていたのはシンプルなネックレスだった。ペンダントトップの小さな楕円型のロケットが開くようになっており、中に写真や小さな宝石なんかを入れることができる代物らしい。
「……あ、急に止まってごめん。行こ?」
俺の視線に気付いた美琴が少し眉を下げて言う。だが俺は何も言わずにそのネックレスの値段を確認する。目玉が飛び出るような高額ではないが、高校生がホイホイ手を出せるような金額でもない、か。だが高校生でない俺にはそこまで痛手になるような金額ではない。
「すまない、これをひとつ」
近くにいた店員に声を掛けると、美琴が驚いたように目を丸くした。
「いいよ秀一さん、見てただけだから! さっきも払ってもらっちゃったし……」
困ったように慌てる美琴を無視しつつレジに向かい、店員に代金を支払った。ネックレスをガラスケースから取り出した店員に、ラッピングはいかがいたしましょうか、と丁寧に尋ねられる。俺は少し考えた後に答えた。
「包装はしなくていい。タグをとってそのままくれ。それと鏡を借りたい」
俺の言葉を聞いて、かしこまりました、と店員が柔らかく微笑んだ。やろうとしたことを察したらしい。お釣りとレシートを受け取り、それを適当にしまっていると丁度店員が鏡を準備してくれていた。よく分かっていない様子の美琴を鏡の前に立たせ、店員からネックレスを受け取る。
「動くなよ」
そう告げてから美琴の背後に回る。ぷちりとフックを外し、後ろから抱きしめるようにそっと美琴の首にかけてやった。小さなフックを再び引っ掛ければ完成である。そっと手を離せば、ちゃり、と控えめに金属音が鳴った。
「これでよし」
鏡越しに確認して小さく笑う。店員もお似合いですよと微笑んだ。
ネックレスを付けられた当の本人はと言えば、今にも溶けてしまうのではないかというほど顔を真っ赤に染め上げている。鏡の向こうに映る自身の首元を見ながら、たどたどしくお礼の言葉をつぶやいた。
「あ……ありが、とう」
***
その後、帰りの車の中でもずっと美琴は上の空であった。
にまにまと堪えられない笑みを零しながら右手でちゃりちゃりとネックレスを弄ぶ美琴を視界の端に捕えて、思わずこちらも笑みが漏れる。随分気に入ってくれたようで何よりだ。