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梅雨時には何時も鞄に入れている折り畳み傘を自宅で干したままにしてきてしまった私は、外回り中に突如降り出した雨を恨めしげに見た。通り雨ってわけでもなさそうだし、困ったなあ。これはもう潔く安いビニール傘でも買った方がいいのかもしれない。
『やれやれ、これだから梅雨は嫌いなんだよ』
足元からそんな声がしたので目線を落とせば、一匹の猫が忙しなく毛繕いをしていた。
「本当嫌になっちゃうよね。洗濯物も全然乾かないし」
『服を着なかったら洗濯物もでないよ』
本気か冗談か、そんなことを言う猫に思わず笑ってしまった。成る程、実に動物らしいアイデアだ。一応参考にするね、なんて思ってもないことを言ってると、何処からか視線を感じた。顔を上げ辺りを見渡すと、綺麗な金髪の少女が私をじいっと食い入るように見ている。ひょっとして、猫と話しているところを見られたのだろうか。トコトコと、小さな足どりで此方にやってきた少女に「こんにちは」と挨拶すれば、とても可愛らしい笑顔で同じように返してくれた。
「あなた、猫と話せるの?」
「言葉がわかるような気がするだけだよ」
事実、この少女の言う通り私は猫と話せるが、変な大人だと思われたくなかったのではぐらかすと、少女は少しつまらなさそうに「なぁんだ」と口を尖らせた。
「お嬢さんは、一人なの?親御さんは?」
「リンタロウとお出掛けしてるんだけど、隠れんぼしてるの」
リンタロウ、お友達の名前だろうか。とても楽しそうに笑いながら少女は「きっと今頃必死で探してる」と言う。隠れんぼか、懐かしいなあ。小さい頃よく近所の友達と公園で日が暮れるまで遊んでいた事を思い出す。
「ふふ、いいね楽しそう」
「あなたも一緒にする?」
「うーん、是非参加したいところなんだけど、これから仕事に戻らなきゃいけないの」
「そう、オトナって大変ね」
そんな話をしていると、何処からか「エリスちゃーん!」と男性が誰かを探す悲痛な声が聞こえた。お子さんが迷子にでもなってしまったのだろうか。見つかるといいけど、、、。
「あ、リンタロウが探してる」
「えっ?エリスちゃんて、ひょっとして、お嬢ちゃんのこと?」
「そう。で、あの中年がリンタロウ」
そうエリスちゃんが指差す先には、白衣を着た男性が泣き出しそうな顔で歩き回っていた。ていうか、中年って。
こんなに幼くて可愛らしい女の子にぞんざいな扱いを受けてるリンタロウさんを少し不憫に思っていると、如何やらエリスちゃんの存在に気づいたらしく、凄いスピードで此方に走ってきた。
「ああああエリスちゃん!心配したよ急に何処かに行っちゃうんだから!」
「またリンタロウを泣かせたくなった」
「ひどい!でも可愛いから許す!ところで、此方の女性は?」
リンタロウさんがそうエリスちゃんに尋ねると、「リンタロウが来るまで暇だったからお話ししてたの。名前は知らない」と言うから私は慌てて「みょうじなまえです初めまして」と頭を下げた。
「うちのエリスちゃんがお世話になりました。森といいます」
「お世話だなんてとんでもない。雨宿りしていたお陰でこんな愛らしいお嬢さんとお喋りできるだなんて、雨も悪くないなと思えました」
「そうでしょう??!うちのエリスちゃんはそれはもう可愛くて可愛くて何でもしてあげたくなる可愛さで、、」
「見ての通りリンタロウはとても気持ち悪いの」
「エリスちゃん、森さん、泣いてる、、、」
「気にしなくていい。また今度遊びましょうなまえ」
じゃあねとひどく落ち込んだ様子の森さんの手を引きエリスちゃんは帰って行った。あの二人は一体どういう関係だったんだろう。親子、ではなさそうだし。、、、あまり詮索するのはやめた方がいいのかもしれない。
先ほどより明るくなった空からは、もう霧のような雨しか降っていなかった。気づいたら隣にいた猫も何処かに行ったらしい。
不意の雨がもたらした可愛い少女との出会いに癒された私は、普段より軽い足どりで職場に戻った。
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自宅に帰り、換気のために窓を開けると隣から紫煙がゆらゆらと風に乗って流れていくのが見えたので、ベランダに出ると中原さんが一服してる最中だった。
「よお」
「こんばんは。珍しいですねこんな時間に家にいるだなんて」
「まあな、そういっつも働いてらんねえよ」
「お疲れ様です。あ、ところでもうプレゼント渡したんですか?」
「ああ、はしゃぎまわってたぞ。そういや言ってなかったな。本当助かった」
「ふふ、それなら良かったです。あ、聞いてくださいよ。今日凄く可愛い女の子と会ったんです」
私の言葉に中原さんが怪訝そうに顔を顰める。別に変な意味ではありませんよと付け加えると何も言ってねえよと返されたが、あの表情は絶対私を幼女趣味か何かだと勘違いしてた顔だ。
「エリスちゃんっていう女の子だったんですけど、すごく綺麗な金髪で、お人形さんみたいでした」
「、、、は?エリス?」
「はい、エリスちゃんです」
それまで対して興味なさそうに聞いてたのに、エリスという名前を聞いて唖然とした表情の中原さんの手から吸いかけの煙草が落ちていった。まだ十分な長さがあるのに、勿体無い。
「、、、近くにリンタロウって呼ばれてる男はいたか?」
「いましたよ。森さんですよね。って、何で知ってるんですか?」
「本当何でお前はこうも色んな人間と出会うんだ、、」
額に手を当てそう言う中原さんは、少し間を空けて「それが、うちのボスとお嬢だよ」と小さな声で付け加えた。その言葉に次は私が開いた口が塞がらなくなる。
「え、は、エリスちゃんと、森さんが、え?」
「とても見えねえだろ。そういうもんだよ、マフィアもヤクザも上になるほど一般人と変わらない見た目になる」
「そんな、え、じゃあ私、今日マフィアのボスさんと話したって事ですか?!」
サアッと血の気が一気に引いたが「別に話したくらいじゃ如何もされねえよ」という中原さんの言葉に、少し安堵した。あの優しそうな、森さんがマフィアのボス。とても信じられない。中原さんの時も思ったことだが、人を見た目で判断してはいけないとはよくいったものだ。
「、、横浜に来てから驚くことばかりです」
「ああ、そうだ。いつかボスにお前の事話したら会いたがってたな」
「わ、私のことって、何話したんですかっ?!」
「この前、密売の情報流してくれたろ?ボスに何処から入手したのか聞かれたから伝えた」
さも当たり前のように中原さんは言うが、こちらとしてはそんなこと聞いてないし色々と衝撃過ぎてさっきから心臓が変なリズムで脈を打っているのがわかる。
「まあ、みょうじが嫌なら無理にとは言わねえよ。お前は一般人だからな」
あくまでも私の意志を尊重してくれようとする中原さんは、やはり優しい人だと思う。しかし、嫌なのかと聞かれたら、不思議なことに嫌ではない。というのも、もう一度エリスちゃんと会ってみたいという気持ちがあるし、マフィアのボスといえど森さんは普通に常識のある良い人に見えたからだ。エリスちゃんへの態度は少し異常だったけど。
「、、、いつか、機会があれば是非。というより私みたいな庶民が会っていいお方なんですか?」
「ボスが会いたいって言ってるんだからいいだろ。それより、お前もう飯食ったのか?」
「いえ、さっき帰ったばかりなので」
「じゃあ決まりだな」
ニッと笑う中原さんの言葉に察しがついた私は「すぐ準備しますね」と同じく口元に緩やかな弧を描きながら答える。美味しいお酒と美味しい食べ物、楽しいお喋り、これから始まる素敵な時間を想像すると、さっきまで動揺と不安はすっかり消え、胸が躍った。
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