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長い間日本列島の上空に滞在していた梅雨前線が去り、からりとした天気が増えると同時に、日に日に上昇する気温に夏の訪れを感じずにはいられない。
今日は、久しぶりに学生時代の友人と会う約束をしている。互いに話したいことは山ほどあるだろう。何でも向こうは近々入籍するとかしないとか。この歳にもなると、同級生の中で結婚をする人がちらほらと出てくる。この間も友人の一人から職場の同僚と結婚をしたと連絡があった。20代から30代はご祝儀貧乏になるとは聞かされていたが、めでたい事である。
待ち合わせ場所へ向かう最中、眩しい日差しを避けるように木陰を歩いていると、1匹の猫が木陰のベンチで昼寝をしているのが目に入った。ちらりと腕時計に目をやればまだ待ち合わせの時間には幾分かある。この辺りを歩くのは初めてだ、折角だしこの猫と仲良くなりたい。そう思い休憩がてら私はその猫の隣に腰掛けた。
「初めまして」
『、、この辺りじゃ見ない顔だな』
「そうね、余りこの近辺に来ることはないから」
『そういえば、どっかで僕たちと話せる人間がいるって聞いた事があるけど、アンタのことかな』
「あー、多分私の事だね」
白地に茶色の縞模様が所々まじった猫に手を伸ばせば、『顎の下をかいてくれよ』と強請られたので言われた通りにすると、気持ちよさそうにゴロゴロと喉を鳴らす。なんだ、ぱっと見無愛想な猫だけど意外と可愛いところがあるじゃない。
『、、、また来た』
「また来た?」
『もうしばらくするとあの角から着物を着た一人の男が来るよ』
その言葉を確かめるため、曲がり角を食い入るように見ていると和服のよく似合う男性が歩いてくるのが見えた。しかし、あまりにもじっと見ていたためその人と視線がパチリと合ってしまい、逸そうにも何故か逸らせずつい会釈をしてしまった。すると、てっきり無視されるかと思ったら、意外にも律儀な事にその男性も軽く頭を下げてくれ、此方に歩み寄ってきた。
『ほうら来た』
大きな欠伸とともに猫が呆れたように言う。どうやら、この猫とこの男性の間には何やら繋がりがあるらしい。
「、、、あの茶々丸が、人に触れさせるとは」
ボソリと、着物の男性が驚いたように呟く。茶々丸、というのはこの猫の事だろうか。
「この子、茶々丸っていうんですね」
「いや、私がそう勝手に呼んでいるだけだ」
『そうだよ、僕にはちくわっていう名前があるのに、勝手な呼び方しちゃってさ』
、、、なんと、猫にはちゃんとした名前が付けられているらしい。この事実を伝えるべきかはたまた黙っておくべきか、悩んでいると男性は懐に手を入れ何かを取り出した。
その手には、スーパーで売っているものよりも少し上等に見える立派な片口鰯の煮干が一つある。それを茶々丸、もといちくわの口元に近づける男性。
「、、今日も食べないのか」
『、、僕これ苦手なんだよね』
ちくわと男性の鮮やかなすれ違い様に思わず目を覆いたくなった。まさか男性も猫に苦手が魚があるだなんて、考えもしなかったのだろう。
「えっと、、、ちくわは、鰯が苦手らしいです」
「、、?」
「あ、その、この猫、ちくわっていうんです」
ちくわは鰯が苦手と言われたらそりゃ誰でもキョトンとするだろう。私の言った事が通じたらしく、男性は「そうなのか、、、」と嘆ずるようにつぶやき、ちくわをじいっと食い入るように見た後、その涼しげな目を私に向ける。
「何故、茶々丸、否、、ちくわの名を?」
「あ、、、」
しまった。とっさにちくわの飼い主と知り合い、という言い訳も思いついたが、ついさっきこのこ茶々丸っていうんですか?と聞いてしまった事を思い出しぐっと言葉を飲み込む。困った、、どうやってこの場を切り抜けようか。
「、、いや、言わなくて構わない」
「、、、?」
「何か、言えない理由があるのだろう。此方も無理に聞いてるわけではない」
思いもよらない言葉に、というよりは瞬時にこの判断に至った男性の察しの良さに驚いた。
「なんだか気を遣っていただいて、、、すみません、、」
「いいんだ。この猫の、本来の呼び名を知る事が出来たしな」
『ああそうだ、君、福沢さんに僕は鰯より鰹節が好きだって言っといてくれよ』
「、、、ついでにもう一つ、ちくわは鰹節が好きだそうです」
私の言葉に、またしても目を瞬かせた男性だったが直ぐさまふっと、柔らかな笑顔を携え「次からは鰹節を持参するとしよう」とちくわの目を見て言った。それを聞いて満足そうにニャア、と短く鳴いたちくわはぐいと身体を伸ばし、何処かへ消えていった。まったく、期待してるよだなんて、随分と図々しいネコだ。
さてのんびりしていたけど待ち合わせの時間まで後どれ位だろうと思い腕時計に目を落とすと、丁度いい時間になっていた。
「えっと、お先に失礼します」
「ああ。、、感謝する」
ベンチから腰を上げ、福沢さんと呼ばれていた男性に頭をさげると、何故かそんな事を言われる。はて、私は何か福沢さんに感謝されるような事をしただろうか。
「これで漸くあの猫との距離が縮まりそうだ」
「!ふふ、そうですね。ちょっぴり偉そうな猫ですけど、可愛がってあげてください」
笑いながらそう言えば、福沢さんは目を細め優しく頷いた。
それにしても、いつも煮干を持ち歩いてるだなんて、よほどの猫好きなんだろう。どうか、彼とちくわが今後良好な関係になりますように、なんて考えながら私は待ち合わせ場所に向かった。
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