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「ねえねえお姉さん、ここら辺で美味しいお店知らない?」



仕事帰り、好きな作家の新作を手に入れるべく駅前の本屋により、店を出て歩いていると3人の男性にそう呼び止められた。本当は早く帰宅してこの本を手にしたかったが、はやる気持ちを抑え立ち止まる。




「美味しいお店、ですか」



「そうそう、俺たちここら辺あんまり来ないから土地勘なくて。もしオススメの場所あるなら、教えてほしいなーなんて」



ふむ、成る程。しかし残念ながら私もまだこの街に来て一ヶ月ほどしか経っていない。あれこれ店の名を挙げれるほど横浜を熟知していない私はあまり彼らの役には立てなさそうだ。



「すみません、私も最近越してきたばかりなので、あまりお店を知らないんですよ」




「そうなんだ?じゃあ、一緒に居酒屋巡りなんてどう?」




どう?と言われても、、、ていうか今の御時世、インターネットで検索したら幾らでもいいお店なんか見つかるだろうに。
いかにも軽薄そうな彼らの誘いにのるほど能天気な女でもない。ここはうまく断わってさっさと帰ることにしよう。




「素敵なお誘いですね、でもごめんなさい。明日早いんです」




「そんな冷たいこと言わないでよぉ。あ、勿論奢るし送って帰るよ?」




思いの外しつこく粘る男性の一人に肩を組まれた瞬間、ゾワリと肌が粟立つ。
家路を急ぐ人々は私たちに目もくれず足早に歩いていく。私だって帰りたい。ああもう、何て面倒なのに捕まったんだ。






「いやあごめんごめん!待たせたねなまえちゃん」




いっそこの手を払いのけて走ってやろうか、そんな事を考えていると何処かで聞いたことのある声が私の名を呼ぶ。振り返ると、其処にはいつかしらに喫茶店で相席をした太宰さんが包帯だらけの手をひらひらと振っていた。




「チッ、何だよ男連れかよ」


「行こうぜ」



太宰さんを見るなり、つまらなさそうに去っていく男たちを見て胸をなでおろす。よかった、諦めてくれて。



「ありがとうございます、お陰様で助かりました」



「此れくらいお安い御用さ。全く身の程を弁えない輩達だ。彼等は今まで一度も鏡を見たことがないのかもしれないね、あんな容姿で君を軟派するだなんて」



爽やかな笑顔でさらりと毒を吐く太宰さんが可笑しくて思わず笑ってしまった。太宰さんのような美男子にこう言われては彼等も反論のしようがないだろう。



「其れよりなまえちゃん、この後は何か予定でも?」



「?いえ、用事が済んだので帰ろうとしていた所です」



「それは丁度良かった。此れから一杯如何かな?」



パチリと器用に片目を閉じてそんな誘い文句をいう太宰さんは、キザだけどやっぱり面白い人だと思う。




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太宰さんの行きつけだという居酒屋は、味も雰囲気も私好みでとても良かった。それにしても、帰る際にお代を払おうとするとお店の人にもう頂いてますと言われた時はとても驚いた。一体いつの間に支払いを済ませていたんだろう。



「すみません、ご馳走になってしまって」



「気にしなくていいよ。こんな素敵な女性と食事ができたことに比べれば寧ろ安いくらいさ」



「ふふ、太宰さんは本当女性を褒めるのがお上手ですね。それより、本当に送ってもらっていいんですか?」



「勿論。私が好きでしていることだから気にしなくていいよ」



こんなに何から何までスマートな人、初めて見た。きっと太宰さんは多くの女性を虜にしてきたに違いない。
お喋り上手な太宰さんとの会話は、これで会うのが二度目とは思えないくらい弾んだ。彼は如何やら、この街で有名な武装探偵社に勤めているらしい。以前喫茶店にいた国木田さんも同僚だとか。




「武装探偵社って、どんなお仕事をされるんですか?」



「そうだね、悪い奴らをやっつけたり、とかかな?」



悪戯っぽく笑いながらそう言う太宰さんは、「例えば、マフィアとかね」とつけたした。マフィア、その言葉に彼の顔が脳裏に浮かぶ。

中原さん、暫く会ってないけど元気にしてるかなあ。




「正義の味方、ってことですね。あ、次の角を曲がったらうちです」




今の話からすると、中原さんと太宰さんは敵同士ってことになる。如何しよう、もしも此処でバッタリと2人が出くわしてしまったら。
しかし、そんな私の心配は杞憂だったようで、中原さんの姿は見当たらない。






「、、、なまえちゃん、あまり信じたくないけど、君は此処に住んでいるのかな?」



「?はい、そうですよ」



「、、、悪いことは言わない。早く引っ越したほうがいい。こんな所に住むのは身体に毒だ」




こんなに真面目な太宰さんの顔、初めて見た。それより、身体に毒とは如何いう意味なんだろう?風水的によくないとか、はたまた幽霊的なものとか、曰く付き物件とか、そういった理由かな?
考えてもキリがないので如何してですか、と本人に尋ねようとしたその時、






「なんで、手前が此処にいんだよこの青鯖糞野郎!」




背後から怒号と共に鋭い蹴りが飛んでくる、が太宰さんはひらりとかわした。

起こってほしくない、最悪な状況になってしまった。




「うわぁ、最悪。本当に最悪。折角いい気分でなまえちゃん送ってたのに。こんなに最悪な展開になるだなんて、本当君は空気が読めないね中也」



「あぁ?其れはこっちの台詞だ。大体みょうじ、何で太宰なんかと歩いてるんだよ」




険悪な雰囲気ながらも親しげに話す中原さんと太宰さんは、ひょっとして知り合い同士なのだろうか。
よくわからない状況にただ黙っている私に中原さんが不機嫌そうに問いかけてくる。




「えっと、駅前で偶々鉢合わせてそのまま居酒屋に行って、送ってもらってました」



「はぁ?!つうか何でこの木偶と知り合いなんだ?」



「ふふん、この前喫茶店で相席した仲なんだよ私となまえちゃんは」




なぜか自慢気にそう説明する太宰さんと対称的に中原さんの眉間の皺は深くなるばかりだ。これは、早く太宰さんに帰ってもらったほうがいいのかもしれない。




「太宰さん、この間といい今日といいありがとうございました」



「如何いたしまして。また是非飲みに行こう」


「巫山戯た事言ってねえでとっとと犬小屋に帰りやがれ!そして二度と此処に来るないいな!」



「ふん、言われなくてもそうするさ。と言うわけだからなまえちゃん、1日も早く引っ越してね出来れば探偵社の近くで」



「アハハ、考えておきます。気をつけて帰ってください」



「そこの一寸法師に何かされたら、直ぐ電話してきていいからね。勿論、デートのお誘いも何時でも受け付けてるよ」



「手前誰が一寸法師だこの木乃伊野郎!」




憤慨する中原さんを無視して「またね、なまえちゃん。おやすみ」と帰っていく太宰さんが角を曲がった瞬間、「おい」と少し怒気を含んだ声が私を呼ぶ。





「あんまり眉間に皺寄せると、跡ついちゃいますよ」



「五月蝿え。、、、それより手前、大宰に連絡先を教えたのか」




「?はい。交換しようって言われたので」




有りの侭の事実を話すと益々不機嫌そうになる中原さんの連絡先を、まだ知らないことを思い出す。そうだ、この前聞こうと思ってたのに聞きそびれてたんだ。




「あの、中原さん。御立腹してる時に申し訳ないんですが、一つお願いしてもいいですか?」



「、、、何だよ」




「連絡先、教えてください」




ぺこりと頭を下げ、そう言うとさっき迄と一変し、少し面食らったかのような表情になった中原さんを見て、しまった、と思った。よく考えると、マフィアだからこんな一般市民に教えるわけにはいかないか。何て莫迦なお願いをしてしまったんだろうと少し後悔する。




「、、誰にも教えるんじゃねえぞ」



そう言って、差し出された携帯の画面には中原さんの電話番号とアドレスが表示されている。



「えっ、い、いいんですか?」


「駄目だったら見せねえよ」



その言葉にすぐさま鞄の中から携帯を取り出し、電話帳に彼の名前と連絡先を登録すると、【な】行の一番上に【中原中也】の文字が記された。何だかそれがこそばゆくて、思わず頬が緩む。




「ありがとうございます。後で試しにメールしますね」




「んなもん今すればいいだろ」




「充電が殆どないんですよ」




私は今、初めて中原さんに嘘をついた。
今日は全然携帯を触ってないから充電はまだ半分以上残っている。

本当は、帰ってからの楽しみに取っておきたいから、なんて恥ずかしい理由言えるはずもない。




「いいか、何かあったら太宰じゃなくて俺に連絡しろ。あと彼奴に何かされても連絡しろよいいな。、、それから、」




少し間をおいて、引っ越すんじゃねえぞとバツが悪そうに中原さんは付け加えた。まさか、私が考えておきますって言ったのを間に受けていたのだろうか。あんなの、社交辞令みたいなものなのに。





「ふふ、わかりました」



「笑ってんじゃねえよ」





思わず吹き出す私にまた不機嫌になってしまった中原さんだが、その声色は先ほどより柔らかなものだった。

帰宅してからお風呂に入り、件名に名前、本文におやすみなさい。とだけ書いた至極シンプルなメールを送信して暫くすると『さっさと寝ろ』という絵文字も何もない中原さんらしい文面が届き、自然と笑みが零れる。
買ってきた本は明日からの楽しみに取っておくことにして、私は彼に言われた通り眠りにつくことにした。





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