05
リュックの中身を確認してもらうために、おれはベッドの上に服やらアクセサリーやらを並べていく。不審なものがないかどうかのチェックなんて面倒なものだが、この作業はお互いにとって重要なことだと思う。確認することが目的ではなく、確認したという事実のほうが大切なのだ。そんな中、ローくんはぽつりぽつりと話し始めた。
「本当は、ずっと気に掛けてた」
「うん?」
「お前のこと」
「…………そうなんだ」
「信じてねェな」
「信じらんないよ。おれがローくんにとってそんなに意味のある人間だと思ってないからね」
卑屈でもなんでもなく、事実だろうと思って口にする。
「……それ、辞めろ」
「なにを」
「意味がないとか……お前は自分のことを軽んじすぎてる」
「もっと自分のこと大事にするほうがいい?」
「ひとつずつ確認しなきゃいけねェのか」
特に怪しまれるようなものはリュックの中に入っていないので、身に付ける物とそうでない物とに仕分けつつ、おれはローくんの話に耳を傾けていた。
「それがおれに言いたいこと?」
「違う」
「なに?」
「……おれは今までお前の安否を知る術がなかったからな。だからあの日、お前が生きてて心底ほっとしたが、まだあの野郎のところに居ると知って……悔しかった」
「悔しい?」
ローくんのチェックが終わった持ち込んだ衣服を畳みながら問い返せば、ローくんは「ああ」とひとつ頷く。
「おれは、お前ひとりすらあそこから連れ出してやれないのかと思った」
「コラソンがローくんにしたみたいに?」
「…………平たくいえば、まあそうだな」
コラソンの名前はあんまり聞きたくなさそうだから今後口に出すのは控えようかなあ。なんて考えつつ、おれは小さく唸った。
「ローくんがどうしてそこまでおれを思ってくれるのか分からないし、ドフィのところは地獄でもなんでもなかったからもう気にしないで」
「違う。これはおれの問題だ」
「そうなの?」
ふうんと鼻を鳴らしていれば、ローくんは不愉快そうにおれを睨む。
「……わ、怒った? ごめん。どうしておれこうなんだろ……ローくんのこと怒らせてばっかだ」
「そうだな」
「嫌いにならないで。もう、喋らないから」
ローくんから視線を外して、ベッドのシーツを見下ろす。どうしてローくんと話すと毎回失敗してしまうんだろう。
上手くコントロールできない自分の頭と心が情けなくて、じんわり涙も滲んでくる。
「……お前を忘れたことなんてない」
「へ?」
「いつか、あいつにひと泡吹かせられたときお前がまだ居たなら……連れ出そうと思ってきた」
「う、うそ」
「おれが自分の意思で拾ってきた男だぞ、お前は。危なっかしくて頭ふわふわしてるのはガキの頃と変わらねェんだな」
「……ばかにしてる」
「してねェよ。安心した」
おれは今夢を見ているんだろうか。
ローくんが話してくれる話のどれもを、おれは上手く信じきれない。なにが本当でどれが嘘なのか判断できずにいた。
「お、おれは……えっと、どう……」
「落ち着け」
「なに……? これは喜んでいいのかな」
顔を上げてローくんの表情を盗み見ようとすると、すぐさま彼の瞳に視線を絡め取られる。
「好きにしろ」
ローくんは涼しい顔を崩さなかったけど、このときばかりは控えめに笑み浮かべていた。
「……う、嬉しい! ローくんがおれのことそんな風に考えてくれたなんて思いもしなかった! 嘘みたい! どうしよう」
「うるせェ。犬かよテメェは」
そう言うローくんはもう怒ってはいないようだった。眉を下げて言うので、どちらかと言えば怒ってるというよりは呆れてるんだろうか。
「わんわん」
「利口そうには見えねェな」
「お使いしてるときのおれはお利口さんだったよ。ご褒美は? ご褒美ある?」
「調子にのるな」
ローくんは苦笑しながら、持ち込んだ荷物をチェックするために視線を落としてゆく。
「……ローくん、ローくん」
「なんだ」
「…………すき。すきです、おれのだいじなひと」
こんなにこんなに嬉しいのに、なんだか今までのすべてを赦されたようでこんなに嬉しいのに、おれは今にも泣き出してしまいそうだった。
ローくんはしばらく微動だにせずおれの目をじーっと見ていた。それからむず痒そうな顔をしてから浅く俯く。
「好きだのなんだのと軽々しく口にするのはよせ」
「……ローくんがそう言うなら」
「誰彼構わずいい顔してるといつか痛い目みるぞ」
「じゃあ気をつけるね……?」
「もういい」
なにがお気に召さなかったのかは分からないが、ローくんはひと息ついたあとに「荷物のチェックも終わった」と言ってベッドから腰を上げた。
預けた電伝虫だけを抱えて部屋を出て行こうとする。
「ローくん」
「なんだ」
「ああ、えっと……参った、どうしよう」
「……なんだ」
くるりとこちらへ身体を返したローくんは煮え切らないおれの態度が気に食わないのか、すこし目を細めた。
「おれのこと気にしてくれてありがとうね。すごく嬉しい」
「……あそこにお前を連れて行ったのはおれだからな」
「ただ責任感じてただけ? それなら悪いことしちゃったかな」
「お前はおれの話をちゃんと聞いてたのか」
聞いてたよ。
聞いてたからすごく嬉しかったし……いや、嬉しいなんて言葉じゃ足りないくらいだ。
「多少筋は違ったが、おれはあいつからお前を奪った」
「奪っ……うん、そうかな? そうだね。結果的にね」
「気分がいい」
そう言ったローくんはひどく悪い顔をして笑う。ドフィの笑いかたとよく似てるので、なんだか胸のあたりが切なくなった。
「なら良かった。おれはこれからどうするかまだ迷ってるけど」
「ああ?」
「捕虜なんていつまでも置いておけるわけないでしょ。いつお役御免になるかも分からないし、ローくんが考えてることもよく分かんない」
持ってきた衣類を畳み終え、おれは首を傾げてそう言った。
「……おれはただお前をほしいと思っただけだ」
「ほしい?」
「お前がおれに逆らわないのをいいことに捕虜と決めて無理矢理船に乗せたが……そこまでする必要はなかったのかもな」
するとローくんは抱えた電伝虫の陰からなにかを取り出しておれにはっきり見えるように、それをひらひらと振った。
「あ、それ」
各新聞社によるローくんのことが載ってある切り抜きのファイルだ。
「選ばせてやろうか。乗組員として籍を置くか、それともあいつの部下として捕虜で居るか」
「ずるい聞き方するんだもんな。おれには選べないよ」
選べないなんて言ったって、心の中じゃ決まってる。大切なものには順序がある。だけどそれを口に出すか出さないかでは大きな差があるのだ。
ローくんを取るか、ドフィを取るか。ローくんは正面切っておれに尋ねているんだろう。
「命令はしない。お前が自分の意思で選べ」
「無茶言う」
「お前が居るべき場所はどこだ。鳥カゴの中か? おれのそばか」
「そういうのさ、女の子に言ったほうが喜ばれるよ」
のらりくらり躱すおれが気に入らないのか、ローくんはデスクの上に手に持っていたものを全部置いてしまって再びおれに近づいてきた。
「お前はどうなんだ」
「おれ?」
「知らない女なんて興味ねェよ。おれはお前のことを考えて話してるんだぞ」
「そりゃあ……また……光栄で」
「まあ、即答できない時点でまだまだ足りねェわけだ」
仰る通り。そう思った。
どちらか選べと言われてすぐに答えられないなんて、ローくんにもドフィにも失礼だよね。わかってる。頭じゃわかってるんだよ。
「なら保留にしてやる」
「保留?」
「お前の心が決まるまで待つ」
「ローくんの気が短いのは分かってるんだぞ」
「ああそうだ。長く待つ気はねェ。さっさと答えてほしいもんだ」
ローくんはくつくつ笑って、おれに向かって手を伸ばす。ひんやり冷たいローくんの手はおれの右頬を撫でて滑り、黒い羽ピアスのついた耳たぶを強めに引っ張った。
「いッ、たい」
「期限はこの船が新世界に入るまでだ。おれを選ぶならよし。あいつを選ぶならそのときは責任持っておれが殺してやるよ」
「……物騒だ」
「お前が先に頼んできたんだろ」
そんなローくんの口ぶりは、どちらにせよ望み通りにしてやるよと言っているようだ。
「口約束が欲しいなんて、ローくんほんとに海賊?」
「海賊らしい交渉をしてほしけりゃ力づくで」
「やだ酷いことされたくない」
「おれにここまで言わせておいてまだわがまま言うつもりか? 図太いやつ」
「わかっ……てるよ」
でもまさかローくんがそんなにおれのこと考えてくれてて、そんなにおれを手元に置きたいなんて考えてるとは思わなかった。これはちょっと想定外だ。
「おれが出来ること少ないよ。ここ十年くらいのおれのこと、ローくん何も知らないんだし」
「ああ知らねェ」
「そりゃすこしくらいは戦えるけど……ローくんはいったいどこに価値を見たの。ドフィの情報くらいしか思い浮かばないよ」
「ちがう」
おれの耳を引っ張っていた手を離すと、ローくんはもう一度「ちがう」と言った。一回目のと比べてひどく聞き取り辛い声量だった。
「おれたちが一緒に居られたのはほんの半年で、あの頃のお前は八歳だった」
「うん」
「こいつはおれが守ってやらなくちゃと、子どもながらに思っ…………いや、いい。忘れろ」
「うん? うん。でもおれもう守ってくれなくても大丈夫だよ。迷惑にならないし、邪魔にも」
「………………」
ローくんは無言の重圧をかけてくる。
「守って、とか。助けて、とか。そういうの言われたいわけじゃないんでしょ」
「ああ」
「ならなに。おれは今のおれをどう思ってるのか知りたいな。どうしてここまでしてくれるの」
「…………馬鹿なやつ。ひとりにすると勝手に死にそうだし、首輪つきのクセしてフラフラしてやがる」
そう言ってローくんはおれの足首に巻きつくドンキホーテのマークをひと睨みした。
「だが放っておきたくない」
「ん、んん? ええ、うん」
「あいつの手から離れてきたなら、おれは逃すつもりはねェ」
「だからそれはどうしてって聞きたいんだよ。おれのこと好きなの、ローくん」
まさかねえ、とおれは冗談めかして笑って告げる。
なのにローくんはまた悪い顔でニヤつくのだった。
「お前に対する思いは、そんな女々しいモンじゃねェよ」
「へえ……」
ひとつ瞬きをする。
「奇遇だね。おれのローくんへの気持ちだって、可愛くないよ」
好きなんて言葉じゃまったく言い表すことができない。捻じ曲がって捻くれて、ぐずぐずに濁ったような。物欲だと言ったほうがまだ可愛げのあるような。
「恋だったら、まだ笑えたのにねえ」
最初は恋だったかもしれないけど、もう呪いかもしれないし、執着かもしれない。ただ漠然とあるのは、いつかこのひとに殺されたっていいという終わりを求める気持ちだった。
「すきだよローくん。おれにはもうローくんだけなんだって……ちゃんと言いたいのにな」
苦しいのも悲しいのも辛いのも、なにもかもが折り重なって涙になってしまった。どうしてもチラつくドフィとの思い出が、おれの判断と覚悟を鈍らせる。
いいや、ドフィのせいなんかじゃない。これはおれの迷いだった。義を通すのがひととしてあるべき道だという理念がおれの欲を押し込めていくのがわかる。
「だからお前は馬鹿だと言ったんだ」
なにかに耐えかねたローくんはベッドに向かっておれの肩を強く押した。
突然のことに反応しきれなかったが、すぐさま身を起こそうとシーツの上へ手をついたけど、なんだか遅かったみたいで。
おれの目の前には二十四才になったローくんの、とってもかっこいい顔がある。寝不足なのか、隈で縁取られたその両目すらもセクシーに見えちゃうなんてどうかしてる。してるのに。
「……こういうのは、予想してなかった」
「こういうの? 期待してたの間違いじゃねェのか」
「ひとを尻軽みたいに言う」
「操立てでもしてんのか。殊勝なことだ」
「おれとドフィはそんなんじゃないよ」
やってくる静寂に、ああ、おれは地雷を踏んだらしいと気がついた。それとカマを掛けられたんだなってことにも。
二重苦だ。上手い言い訳も思いつかない。
違うんだよローくん、ドフィは同性愛者ってわけじゃない。し、おれだってそうだし。ああだめだ何をどう言おうにも墓穴が深くなる一方だ。これがローくん相手じゃなければなあ。上手くすり抜けて話題を変えるなんてこと造作もないはずなのに。
「あの、ローくん」
「…………興醒めだ」
おれから離れてくローくんに、ほっとしていいやら無念がっていいやらだ。綺麗なローくんの顔、ずっと近くで見てるのも悪くなかったのに。
「おれ……、やだな。やっちゃった」
「お前、これからおれにしっかり媚びろよ」
「どんな命令だよそれ」
「ご機嫌取りをしろと言ってる。それまでお預けだ」
まるでこっちが期待してたみたいな言い方だ。おれ、確かにローくんのことは好きだけど、どうこうしたいとか、なりたいとかじゃないんだよ。いや、望まれれば勿論応えるつもりだしなんでも出来ちゃうわけだけど。それはそれで、なんだか違う。
おれはローくんと恋をするために会いに来たわけじゃないはずだから。
「お預けになるのはローくんのほうじゃないの」
「ああ?」
「……おれはもうなんでも、いつでもいいよ」
ローくんは今日何度目かのため息の後、デスクに置いてあった電伝虫やらなにやらを手にとって部屋の扉へ向かって行ってしまう。
「だから、それを辞めろと言ってる」
「それ?」
「分かるまで考えてろ。馬鹿ニア」
「…………はあい」
パタンと閉じられたドアから、ガチャリと鍵をかける音がする。保留であっても閉じ込めるのは変わらないんだな、そりゃそうか。
「それ」を辞めろって言うのは、自分を軽視するなと言ったアレに掛かることなのかな。分からない。おれはおれのことを大事にする方法なんて知らないけど、ローくんがそう言うのならちゃんと理解しないとな。ベッドの上で寝転がりながら夕食の知らせが来るまでの時間、頭を抱えて過ごすことになってしまった。