06
ニアを部屋に置き去りにして、おれは自室である船長室へと足を向けた。その途中でベポとすれ違い、新聞を渡される。そう言えば今日のはまだ読んじゃいなかった。
一面へ目を通しながら廊下を渡っていく。大見出しには、白ひげ海賊団のポートガス・D・エースの処刑が決まったのだと、それはそれは大きな文字で書かれてあった。
「D……」
おれの呟きは誰にも聞かれることはない。顔をしかめたまま船長室のドアを潜って、新聞をデスクの上へ放り投げる。ニアから押収した電伝虫と切り抜きのファイルも隣へ置いた。
死刑囚となった海賊のことも気にはなるが、いまはニアのことだ。あいつはなにも分かっちゃいない。おれにとってニアがどんな存在であるのかを。
そもそもニアの故郷である小さな島国へ乗り上げた海賊とは、己も在籍していたドンキホーテに他ならなかった。ドフラミンゴ曰く、その国と小銭稼ぎの商談のために上陸していたものの、折り合いがつかずに商談は破綻。それだけならまだしも、国王を筆頭にその家臣たちはドフラミンゴの怒りを買った。
理由なんてそれだけだ。力のある海賊が、国ひとつ潰して略奪の限りを尽くすのに大義名分を掲げる必要はない。
国がひとつ突然消えたとしても足がつく心配もない。悪魔の実とは文字通り「悪魔の能力」をもたらす。外部に気付かれず小さな島国をひとつ殺す程度、造作もないことだ。
狭いながらにも裕福であったその国の宝物庫の中身を船へ運び出すのには数日を要した上に、しばらくこの島を拠点にすると言うので暇を見ておれは未だ死体の転がる死んだ国をぶらりと歩くことにした。
自分たちが壊したものをこの目で見ておきたかったから。ニアに出会ったのはそのとき。
あいつにとって、何もかもを失ったのはそうとうのショックだったんだろう。
一緒に暮らすようになってから尋ねてみれば、戦禍が広がり始めた頃を皮切りにひと通りの記憶が欠如しているらしかった。
当時のことを尋ねるとニアは「生きていくためのお金がなかった」と口にしたが、死んだ国ではいくら金があったって意味がない。ひと月くらいひとりで居たとも言ったが、多く見積もっても三日だろう。幼いニアは記憶を混濁させることで、全て失くした衝撃から身を守ろうとしたのだろうというのがおれの見解だ。
今思い起こしてもロクな思い出じゃないが、よくあることだし、そもそもの首謀者は自分たちだ。特別なにか罪悪感を覚えただとか、道徳心が働いただとか、そういうのはこれっぽっちもなかった。自分たちが壊したものを見るのだってはじめてじゃなかった。
いったい何がおれをそうさせたのか、ずっと定かではなかったが。
あのときおれは路地裏で膝を抱えているニアがどうしても気になった。国が焼かれて廃墟の集落となって既に数日過ぎていたので、その身なりに惹かれたというわけでもない。実際、加害者である自分が言えたことではないが、ニアの姿はボロボロだった。
なら何故、と考えようにも明確な理由などなかった。
ただ、なんとなく。きっかけなんてのは往々にしてその程度のものだ。なんとなく気になって、なんとなく放っておきたくなかった。それは罪悪感からでも道徳心からでもなく、まさに物欲と言い換えて差し支えないもので。
あの頃のおれにはドフラミンゴに見せられる世界がその全てだったことも手伝ったのか、おれも誰かひとりくらい拾ってみるのも経験のうちだと感じたのかもしれない。答えは出ない。
船に連れ帰ってあいつの目が醒めるまでの間、おれはドフラミンゴに打診した。
あいつをおれの部下にする、と。そう告げたときドフラミンゴはなんと言ったか。「一丁前におれの真似事か?」と、おれの動機を推測してみせたので、胸糞悪い話だが、もしかしたらそうなのかもしれない。
ニアの目が醒めて食事をとらせたあとに、ニアに呼び止められてすこしはなしをした。
『元気になったら家に帰るのか?』
酷い質問をしたと思うが、あの頃のおれは勿論帰す気などさらさらなかった。
こいつはおれの物だと思っていたし、故郷であったとしてもあんな崩れ落ちた国に帰ろうとはまさか思っちゃいないだろうと決めつけて。
するとニアは当然「家はない」と答えた上で両親も死んだと言う。
おなじだ、と思った。
ニアを追い込んだのはまさしく自分たちであるのにも関わらず、同情したのだと思う。
『お前弱そうだから部下にしてやってもいい』
素直に口から滑り出たのはこの世の傲慢をすべて詰め込んだような倫理もないような言葉だった。にも関わらず、ニアはあのとき確かにヘラヘラ笑ってこう答えた。
『ローくんがそうしたいなら、ニアは言うこときくよ』
ニアはドフラミンゴのところで育ったから頭がおかしいのだと自分で述べてはいたものの、恐らくもうあの時点から一歩踏み外していたのだと思う。
更に言えば、踏み外させたのは他ならない自分自身なのだと思った。
人ひとり抱えることの重大さのようなものを感じた。
こいつの人生を捻じ曲げて、崩して壊したのだ。そうして「お前もおれと同じところへ来い」と誘ったのも自分。幼ながらにそこからは責任感を持っていたつもりだった。
ドンキホーテでニアと過ごすようになった半年間はなにかと気に掛けていたし、それとなくフォローすることも多かった。四つ下ということもあって、死に別れた妹と重ねていたのかもしれない。だが半年の間でみるみるうちにニアはおれにとっての特別になった。
余命ももう残り少なく、この命尽きるまで何もかもを壊して壊して壊し尽くしてやろうと思っていたのは事実だ。だがその裏腹で、ニアのことだけはもう壊さないとこころに決めた。その頃には責任感ではなくて、所有物に対する義務かなにかと思っていたような気がする。
ニアはよく笑うやつだった。その両目から涙が溢れることはあったが、いつもなんとか堪えようとするところも好印象だった。いつもおれの後ろをついてまわり、ローくんローくんと呼びかけてくる声も気に入った。
真っ暗闇のおれの世界で、たったひとつ綺麗なもの。
眩しいのとは違う。ひたすら淡い光であり、やさしいやつだった。無意味にも、こいつがひとを殺すような日が来ないといいと思った日もある。
しかしそうして過ごすうちにおれの病状は留まらず進行していき、半年後にはコラさんの手によって船を離れることになった。同時に唯一の部下であり、所有物であったニアとも離れ離れとなってしまう。
それからは転がり落ちるようにしておれの世界のすべてが変わった。コラさんに、おれは命と心をもらい。それと引き換えに大恩人の命を失った。
思い起こせば起こすほどに、あれだけの地獄があるかとも思う。
だから。
唯一最後に残ったニアという自分のものだけは、何が何でもいつか引き取りに……いや、奪い取りに行かねばならないと強く思った。コラさんとの思い出と、ニアに対する執着と。それを支えにこれまでおれは生きてきたつもりでいる。
十数年ぶりに再会したニアは、ずいぶんと変わったように感じられた。根本的なところは変わっちゃいなかったが、これがドフラミンゴの教育の賜物なのかと笑えるくらいだった。
物腰の柔らかさと押しの強さ。そして人を食ったような態度。正直見違えた。
八歳だったガキが二十にもなれば当然だろうが、これまでの生き様を見せつけられているような感覚だった。
ドフラミンゴの息が掛かった店の者が失態を犯すと、ニアの癇癪じみた判断でああも簡単に店がひとつ潰れる。ニアがそういう風にして生きてきたことの証明だ。そうなってしまうほどにおれはニアを放置してしまっていたのかと悔やんだ。
好きで放置していたわけではない。ただおれには力がなかった。運良くドフラミンゴの元までたどり着けたとしても、そこからふたりで逃げ果せる勝算がなかったからだ。
もうおれの知るニアは居なくなってしまったのかと思いもした。子どもの頃の自分でさえあのザマだったのだ。歳を重ねたニアがいかに冷徹で残虐な人間になっていたとしても仕方ない。だが諦めるなんて選択肢はなかった。
なのに。なのにあいつは。ひと段落つけると、まるで昔に戻ったときのようにおれを「ローくん」と呼んだ。実のところ、もうそれだけでよかったとすら思う。思い違いをしていた。ニアはなにひと変わってなんかいない。
まるで止まっていた時が動き出すかのように、おれは今一度ニアという人間は手元に置かなくちゃならないと強く思った。
そもそも、おれが見つけて拾ったのだ。おれが部下だと見定めた。おれの物だとずっと思ってきた。まっすぐ見つめるその瞳も、遠慮がちな笑みも、その口ぶりも。すべておれが知るニアのものだったのに。
いったい何がニアをそうさせたのか。というのは環境だと結論が出ている。
まるで自分のことを物のように捉えている節があった。道具のひとつだと思い込んでいるような思考回路とその言葉。目眩がするかと思った。
しかしながらおれも退くわけにはいかない。ずっと恋い焦がれて求めようにも手の届かなかったところにいたニアが、自分のことを物のように言い例えるようになってしまったニアが、自分の意思でドフラミンゴの元を離れておれに会いに来たと言う。
好都合だと思ったし、逃してやるつもりはなかった。
クルーの手前、無駄な心労は避けたかったのであのような態度と対応だったが、ふたりきりであったならば何をしていたかわからない。
立ち去るニアの身体を引き倒しその身体へ乗り上げて、おれの物だと吠えただろうか。どこへ行く気だと問いかけて答える前に張り倒し、どこにも行かせないと迫っただろうか。
結局首尾よくニアを船に乗せることには成功したものの、ろくに話が通じないと来たので正直お手上げではあるのだが。
ドフラミンゴの動向も気に掛かる。ニアも自分で言っていたように、電伝虫の通話内容を聞けばドフラミンゴはいたくニアを気に入っているようだった。
ニアがおれの船に乗っていることは承知しているのだから、いつ鉢合わせることになるともしれない。だが、ニアが望んでおれの元へ居ると決めたのならもう迷わない。
例えドフラミンゴが持ち得る全戦力で乗り込んできたとしても、おれも己の全てで以って太刀打ちするだろう。
もう二度と手放してやるつもりはない。
ニアには悪いがさっさとおれに落ちてもらう必要もある。
既にお手付きになっていようがなんだろうが関係ない。おれがほしいのは、ニアがそばにいる航海だ。過去は過去だとケリはつけられる。
ニアはああ言ったが、ドフラミンゴが言葉の通りニアへ愛情を向けているのだとしても無意味だ。おれはニアを逃さない。奴の手元に戻さざるを得ない状況に陥ったとしても、生かして返すつもりは微塵もない。
それがおれの覚悟で、長年待たせてしまったニアへの贖罪であり、誠意だとも思う。
おれは気の長いほうじゃない。さっさと根負けしておれの手を取ればいい。なにやら下らないことを考えて悩んでいるようだが、おれも遠慮しないつもりでいる。
「今に見てろ」
足元はもうグラついているはずだ。
あとはもう今よりもずっとまっすぐ、おれに好きだと言えばいい。
◆
夕食の支度が出来たとベポが呼びにくるまでの間、うたた寝していたらしかった。おれは欠伸をしながら立ち上がり、ベポと並んで夕飯を食べに向かう。
「キャプテン、寝てたの」
「ああ」
「念願のニアを船に乗せられたから安心した?」
「……そうかもな」
まだまだ課題は残るものの、船に乗せてしまえばこっちのもんだ。あとはどうとでもなる。ニアとの間にはドフラミンゴといういけ好かない壁があったが、こちらももうひと押しふた押しでぶち破れそうだった。
所定の席について食事を始める。おれの食事を運んできたベポが本日のメニューについてあれこれ述べていたのだが、おれは耳を貸している余裕はなかった。
それとは別に、耳を傾けたい話し声が聞こえたからだ。
「ニア、スマートだったよなあ」
「買い物するときってああやって値切るんだな」
ニアの名前が出てきたと思いきや、声の主はシャチとペンギンで。昼間の買い出しについて話をしているらしい。
聞けば随分と舌のまわる話術でもって、備品の購入をかなり安価に済ませたと言うことだった。三人が船へ戻ったときにも、そんな話をしていたような気がする。
「ニアが……旦那さん、ってニコニコしながら値切るの良かったよな。カッコよくてずっと見てたかったわ」
「分かる。ああいうタイプ船に居ないから新鮮だったな」
「ヘェ……詳しく聞かせろ」
ふたりに圧をかけながら顔を向ければ、シャチとペンギンはほんの一瞬だけばつの悪いような顔をしたあと、互いに顔を見合わせてから言うのだった。
「トラファルガー先生、顔も声も怖いです」
「ニアに、ちゃんとお小遣いあげなかったのは酷いですトラファルガー先生」
「なんの話だ」
「ニアがね、うちの先生がくれた予算が少なくて買い物できない……ってところから値切り出したんですよ!」
身を乗り出してきたシャチは、前のめりになりつつ興奮したさまで説明を続ける。ペンギンはと言えば、隣でウンウンと頷いていた。
「うちの病院はここのメーカーと仲良しだって脅して。まだ世間には未発表の新商品のことまで調べてあったんですから!」
「船長、ニアって何者なんですか」
付け加えられた一言に、盗み聞きをしている他のクルーたちの背中が跳ねたのが分かる。
「ここに来たとき喋るのが得意だとか言ってたからな。それの延長だろ」
「しっかし器用っスよね。良かったじゃないですか。大事なニアくんが賢い子で」
「キャプテン、ガキの頃からずっと言ってましたもんね。ニアだけはいつかって」
「…………うるせェなあ」
だが事実。おれはずっと気掛かりだった。あんなところに置いて来てしまったニアのことが。
「へー、シャチたちはニアってヤツのこと船長から聞いてたのかよ」
「ちゃんと話してくれよ。気になってんだ」
わらわらと他のクルーたちが寄ってくる。
ニアについて話したことのあるやつはハートの海賊団を組織することになったときにいた面子だけだ。他の奴らが気にするのも分かる。
「おまえら、黙って食え」
ひと声掛ければある程度静かになるものの、ひそひそと話す声のなかにニアの名前がチラホラあがっているのは聞こえていた。
「ああもうおまえらが煩くするからキャプテン怒っちゃっただろ」
「そーそー。ニアは船長の大事な友だちだって話だ」
ペンギンとシャチはそう言って食事を続ける。辺りからは「へー」だのなんだの声があがった。
「捕虜をどうしようが、船長であるおれの自由だ」
「船長それめっちゃ悪役のセリフですよ」
するとクルーたちも乗っかって笑い始めるので、まったくお気楽なもんだ。
「捕虜なんかじゃなくて、ちゃんと迎えてやりゃーいいのにな」
そんなシャチの呟きに頷くのは隣に座るペンギンで、少し離れたところからベポが「さんせー!」と叫んでいる。
「急ぐことはねェ。いつかあいつのほうから鍵つきの部屋はもう嫌だって言ってくるだろうよ」
「わっるい顔。あれでしょ、言わせてやるって感じの」
ペンギンが苦笑しつつ言うのでおれは耐えきれず口の端を釣り上げる。
「それを許すかどうかはおまえら次第だけどな」
スープに口をつけてそう零せば、向かいに座るシャチとペンギンがとうとう腹を抱えて笑いだす。それは周りのクルーたちへも伝染して、果ては耳が痛いほどの大笑いになった。
まったく喧しいやつらだ。
「そんな心配してないでしょ、船長」
「おれらはキャプテンが決めたならそれでいいっすよ」
「はやくニアもここで飯食えばいいのにな」
「おいシャチ、ニアくんの話もっとしてくれよ」
もはや手のつけようのないくらい大騒ぎとなってしまうので、こうなってはおれもわざわざ止める気も起きない。さっさと夕食を平らげ、おれは席を立った。キッチンへ足を向けてニアの部屋へ運んでやるぶんをよそってやる。
「キャプテン、ニアのとこいくの?」
「ああ」
「バニラのアイスがひとつ残ってるから、あとで持ってってあげてよ」
談笑するクルーたちの席から離れてきたのはベポで、冷蔵庫を指差してそう言った。
「心配しなくても、おれたちニアと仲良くできるよ」
「……そうか」
「当たり前だけどニアのほうがまだ遠慮してるみたい」
ベポは難しそうな顔をしたあと、腕を組んで首を捻る。
「ニアが悪い子じゃないの、みんな分かってるよ」
「どうだかな」
「……キャプテン見てると分かるってさ」
だからはやくちゃんと迎えてあげてよね、とベポは米を盛った茶碗をおれへ差し出した。
「近々、そうするつもりだ。だからお前も変な気を遣うな」
「あれ? 分かっちゃった?」
「当たり前だろ。何年一緒にいると思ってんだ」
するとベポは馬鹿正直に「十一年!」と元気な声を張り上げたのだった。