07

ローくんが話してくれたことを、あれからずっとベッドに転がって考えている。

自分のことを軽視するなとは言われたって、これまでそうやって過ごしてきたからんだからよく分からない。いくらローくんに言われたことだからって、考えようにも答えの出せないことともなれば難しい。
だけどちゃんと考えたいし、理解もしたい。可能であれば実行も。他でもないローくんがおれに向けて言ったことなら、そうする必要がある。

その日、夕食を運んできてくれたのはローくんだった。相変わらずどこか思い悩んでいる風な彼は、デスクへおれの夕飯を置くとひとこと「食え」と言う。

「いただきます。海鮮ピラフだ! 嬉しい」
「…………少しは考えたか」
 
馬鹿ニア、とでも続きそうなほどにご機嫌斜めの声色を隠そうともしないローくんは一向に部屋を出る気配はなかった。

「考えた、けど」
 
スプーンを口に運びながら、おれも自然と難しい顔になる。

「今までそんなの言われたことないしなあ。自分のこと軽んじるなって言われても、実際おれにはそれ程の価値もあるよう、には……」
「…………」
「ああ、こういうところ?」
 
だって本当のことなんだよ、ローくん。おれはスプーンを置いてそう続けた。

「でもさ。おれひとりくらい殺さず逃してもなにも変わらないって言ったとき、ローくん肯定したじゃんか」
「……そうだな」
「なら、」
「だが今は違う」
 
椅子に座ったままローくんの様子を窺っていると、おもむろにローくんはゆったりとした足取りでおれに近づいてくる。

「おれのことを好きだなんだと言うくせに、お前はなんにもわかっちゃいない」
「ええ……」
「おれ自身、これ以上どう言えばお前にちゃんと伝わるのかも分からねェ」
 
堪えるように、押し込めるように。ローくんは静かな声で言ったあと、座ったおれと視線の高さを合わせてきた。こうしてローくんの顔を間近でじっと見るのも何度目だろうな。綺麗だなあ。まっすぐにおれのことを見てくる。

「好きって言われるの嫌なら言わないよ」
「そうは言ってない」
「言って欲しいってこと?」
「……言うなら十一年ぶん、きっちり言えよ」
 
そうするとローくんは悪い顔で笑った。

「甘えてる?」
「さあな」
「いいよ。媚びろって言ったのローくんだもんね。跪いて靴にキスでもしたらいい? もうおれには……ローくんだけだよって」
 
ドンキホーテで過ごした期間はおれの人生の大半を占めるものだ。ドフィをほんとうに裏切る覚悟もまだまだ半端なおれに、どうしてローくんはここまで譲歩してくれるんだろう。

「しろと言ったらするのか」
「するよ」
「賢い犬だな」
「まさか。したくないことは嘘でも言わない」
「おれにそんな趣味はねェよ。残念だったな」
「わー、意地悪だ」
 
するとローくんは呆れたみたいに息を吐いておれのおでこを小突く。

「おれは従順な犬が欲しいわけじゃないが。ご主人が欲しいならそうしてやろうか」
「犬ならまだマシだよね。これじゃほんとにコウモリだ」
「自覚があったのか」
「そりゃあるよ。おれのことなんだと思って……ああ、犬か」
 
くすくす笑って逃れようとしてもそうはいかないらしい。ローくんはまたじっとりとした視線を投げてくる。

「おれね、ドフィを裏切るのが怖いわけじゃないよ」
「へえ?」
「……おれみたいなの抱え込んじゃったらさ、大変なのローくんだから」
「見くびられたもんだな」
 
お気に入りのペットをローくんに盗られました、なんてドフィが怒らないはずない。きっとドフィはすごく怒るし、寂しい思いをするだろな。
 
おれがドフィに抱いてるこの感情は、ほとんど家族に対するそれだと思う。好きか嫌いかで測れるようなものじゃない。こんなのはローくんにもドフィにも誠実じゃないなんてことは、おれが誰より分かってるのに。

「ローくんは怒ったドフィを知らないからそうやって、」
「知ってる」
「……はあ?」
「知ってるよ」
「でもコラソン、」
「だから、ニア。知ってる」
 
ローくんは少しだけ迷う素振りを見せてから「おれもあのとき、そばに居た」と零した。

「…………、うそ」
「本当だ」
「そんな……ッじゃあ尚更だ。おれ、ローくんがドフィに殺されちゃうなんていちばんヤダよ」
「誰が殺されるって? 確かに今はまだちからも情報も、なにもかも足りちゃいない。だが機が来ればおれはあいつを崩しに行くつもりだ」
 
お前が居ようが居まいがどの道ドフラミンゴとは一戦交えるつもりだと言っているらしい。

「覚悟してるんだね」
「ああ、そうだ…………おれはコラソン……コラさんに救われて、命も心も貰った」
 
たいせつそうに語りながら、ローくんは自分の胸を押さえる。聞き取れるはずもないローくんの鼓動が聞こえてくるようだった。

「だからおれはコラさんの代わりに、あいつを討つ」
「コラソンはどういうつもりだったの」
「それはまだお前には話せない。お前がおれの手を取るのが条件だ」
 
そうしてローくんは胸から離した手を、おれに向かって誘うようにひらひらさせる。

「……ふーん。他の男の話なんて興味ないけどね」
「妬いてるのか」
「べーつーにー」
「おれだって、お前とあいつの間に何があったかなんて知りたくもない」
「何それ。妬いてるの?」
「簡単に言えば、まあそうだな」
 
なんだか余裕ぶったローくんの態度が気に入らない。
おれは少々ムッとしてローくんを睨んだ。

「うそだよ。興味しかない」
「素直なやつ」
「……だってコラソン、ローくんのことすごく大事そうに話してた。あんなのガキだったおれにも分かる」
「…………」
「ローくんだってきっと、コラソンのことだいじなんだろうなって思ったよ」
 
ふたりきりで旅した半年間、おれの想像もつかないようなことがあったんだろうなあとは常々思ってきた。羨ましかった。
 
成長してからは、ローくんはコラソンに連れ出されてよかったんだとも気づいた。子どもが居ていいような環境じゃないことくらいは理解してたし。
だから。

「代理だけどさ。おれ、代理だけど。おれだってコラソンの名前を貰ったからには……いつかローくんに会えたら……ずっと……おれはずっと考えてて」
 
口にしていいことだろうか。
いや、いけないことだ。ドンキホーテの人間として。ドフィに恩のある人間として。
なのに。だけど。ローくんが好きな人間としては、言っておかなくちゃならない気がする。

「もし本当に、コラソンがローくんのことを大切に想ってたなら」
「……ニア」
「今度はコラソンになったおれが、あの人のぶんもローくんのこと」
 
言葉が出てこない。だけどここまできて言い淀むわけにはいかなかった。

「…………だから。おれ、自分のことはよく分からないけど、ローくんのことはちゃんと大事に出来る自信あるよ」
「馬鹿ニア。コラソンだろうとそうじゃなかろうと、お前を奪いに行くつもりだったんだぞ」
「そう言われちゃうとなあ……好き勝手するには立場が必要だったってこともあるし」
 
何より、ローくんに大事にされたであろうコラソンの名を他の誰にもあげたくなかったのもある。勿論、ドフィがローくんのために空けてある席だったっていうのは承知の上だけど。

「これでも結構頑張ったんだよ。ドフィのいい子もしながら戦い方の勉強もしたし、……他にもなんか、なんかいろいろ」
「しまらねェな」
「うるさいなあ。あの国で好き放題できるのなんて幹部くらいなの! でもまさかこんなことになるなんて思いもしなかったな」
「こんなこと?」
「ローくんの船に乗ったり、ローくんとたくさん話ができたり。だから、ずっと頑張ってみてよかったなって」
 
この先、ドフィがどう出てくるか分からない。未来のことはなんにも視えてこないし、もしかしたら幸せな結末は待っていないのかもしれない。

「ローくんはおれを船に乗せるっていうのがどういうことか、ちゃんと理解してるんだよね」
「ああ、そうだ」
「覚悟も」
「ある」
「…………ならおれもローくんと同じだけ腹括らなくちゃいけない」
 
おれにとってドフィもローくんも大事なひとだ。それはもう永遠に変わらないんだろう。だけど、今おれが一緒に居たいのは……いや、おれがずっと一緒に居たいと願ってきたのは他でもないトラファルガー・ローただひとり。

「…………迷惑掛けるよ」
「わかってる」
「嫌な思いもするかもしれないよ」
「ああ」
「……ごめんね」
 
するとローくんは突然、おれの顎をがしっと掴んだ。
いきなりのことにおれは目を白黒させてしまう。

「何に謝ってる。あの野郎にじゃないだろうな」
「ちがうよ」
「じゃあなんだ」
「…………なんか、すごいまわり道したし。面倒なこといっぱい言ったし、困らせることも」
「気にしちゃいない。終わりよければって言うだろ」
「終わりなの?」
 
きょとんと目を丸くして問えば、ローくんは鼻を鳴らして笑ってみせた。

「……いいや、出発点だな」
「ありがとう。ローくん。こんなおれのこと」
「こんな?」
「あ……う……、おれを優しく迎え入れてくれて」
「お前だけだ。こんな手間掛けてでも欲しいなんて。よく覚えておけ」
「…………恥ずかしい。駄目だ、にやけちゃうな。それって特別ってこと?」
「勿論」
 
なんだか全身が痒いほど熱くなる。

「船長って呼んだ方がいい?」
「辞めろ」
「ローくん」
「なんだ」
「……これからどうぞ、何があってもよろしくね」
 
するとローくんは普段より柔らかく瞳を細めて「重たいやつ」と言って笑ってくれた。

差し出されるローくんの手を、おれは取った。取ってしまった。
衝動的なものではない。おれなりにたくさん考えて、悩んだ答えがこれだった。いずれローくんがドフィと真っ向からぶつかるつもりでいるのなら、おれもそこへ連れて行って貰いたい。それがおれの精一杯だと思うし、ドフィへ言わなくちゃならないこともいっぱいある。

「……おれね、コラソンがいろんな病院の地図集めてたの実は知ってたよ」
「………………そうか」
「誰にも言ってない。ローくんに今初めて言った」
「それで?」
「……そういうのを思い出してさ。やっぱりローくんはコラソンに連れてって貰って良かったんだよ。おれはそう思う。ローくんがおれみたく捻くれなくてよかった」
 
用意された食事を平らげてスプーンを置いた。ローくんは物言いたげな眼差しを寄越す。

「あーあ……ドフィにどやされる」
「どやされる程度で済めばいいがな」
「いいよもう。決めたから。ローくんと居るって」
 
だからもう今はそれでいい。

「…………そうだ、ローくんあのね、」
「待て」
 
おれの言葉を遮って、ローくんは部屋のドアを睨んだ。今のいままで気がつかなかったけど、なるほど誰かが居るらしい。気配を探ればどうやら数人のようだ。

「捕虜に酷いことされてないか心配なんじゃない?」
「抜かせ」
 
言いつつドアまで寄ったローくんは勢いよく内開きの扉を開ける。向こう側にいたのはベポくんを先頭に、シャチくんとペンギンくんだった。

「わ、わ! キャプテン! 違うんだよ! なかなか戻らないから心配で! アイス……そう、アイス持ってきたんだ!」
「そそそそそうそう。船長口下手だから気になって」
「馬鹿シャチ……」
「盗み聞きとは感心しねェな」
「あいす?」
 
どやどやと騒ぎながら三人を室内へ迎え入れてみたのはいいものの、さすがに大人四人と白くま一頭には狭すぎる。

「ありがとうね。ベポくん」
「バニラ好き?」
「うん」
「よかった。溶けちゃうから食べて食べて」
 
空になったピラフの皿を取り上げて、ベポくんはバニラのカップアイスをデスクの上へ置いてくれた。

「おいおいベポ、スプーンがねェぞ!」
「ああ! 忘れてた!」
「おれ取ってくるよ、ニア」
 
口々に言った3人は慌ただしく部屋を出ようとしたけど、ローくんの静かで低い声がみんなの足をぴたっと止めてしまう。

「持ってこなくていい」
「え? キャプテン、でも」
「なあ、ニア」
「え? え? おれ?」
 
視線を振られて狼狽えていれば、ローくんはにやつきながらおれの腕を取って椅子から立ち上がらせた。

「捕虜暮らしは終わりだ。向こうで食えばいい」
「ローくん……」
「船長〜!」
「キャプテン! ちゃんとお話着いたんだね!」
「ほら行こうぜニア」
 
分かってはいたものの、すぐにこうなるとは思ってもみなかった。慌てふためくおれを余所に、ローくんは満足そうに腕を組んでいる。そうして顎をしゃくって「はやく行け」なんて言うもんだから、おれはベポくんたちに促されるまま部屋を出てしまった。