11
「ろー、くん……あんまゆらさないで」
「うるせェ」
「んんん……でもろーくんいいにおい」
「お前は酒とヤニ臭ェんだよ」
全く目を離すと気が気じゃない。おれはニアの身体を抱えたまま、船長室へ向かう。途中、キッチンから冷えた水のボトルを一本持ち出して。
「どうしたってそんなベロベロなんだよ」
「いいおさけがいっぱいで……なんか、きぶんもよくって……たのしいし、おねえさんきれいだし、ちょうしのっちゃっ……」
自然とニアの腕はおれの首に巻きついているので暑苦しいったらないが、不快なわけでもなかった。船長室へたどり着くと、ニアの身体をベッドのうえへ少々荒っぽく放り投げる。
「ン゙……やさしくして」
「……馬鹿野郎。せっかく綺麗にしてやったのに酔ってこんな墨入れやがって」
「はあー? おねがいしたのはまだよってなかったときだし」
「……本当だろうな」
悪態を吐くニアは起き上がろうともせず、シーツへ脚を投げ出してバタつかせていた。
ガキだガキだと言えど、こいつがもう子どもじゃないことくらい理解してるつもりではいる。だが、いつまで経っても船へ戻らないとあっては話が別だ。実際、どこにドフラミンゴの手の者が居て、いつニアを連れ戻そうとしてくるか分からない。その辺り、自分の認識も甘かったのだと思い至る。心配するくらいなら目を離さなきゃいい。
「ろーくん、おみずほしい」
「身体起こせ」
「んー? んんんむずかし、ッん゙……ぁは、ん、く」
手に持ったままの水が入ったボトルを煽って口移しで飲ませてやれば、驚いて幾分酔いが醒めたようだ。ざまあみろ。
「……ぷ、ぁ……っ、は、びっくりした」
「そりゃこっちの台詞だ」
「なに……そんなに嫌だった? おれがハートの墨入れたの」
ニアは足首を隠すように膝を折り畳むと、やっと身体を起こして首を捻る。
「…………チッ」
「舌打ちされた。なーんで怒ってんの。おれ悪いことした? ローくんに怒られるのやだな」
別に揃いの墨を入れたことに憤っているわけではなかった。なんなら興奮してるくらいだ。なにを思っての行動か察するところではないが、好いた相手が自分と同じ物を求めたこと自体はおれにとってもむず痒いものの、嬉しいことではある。
「わかった」
「あ?」
「ローくん、ドキドキしたのが恥ずかしいんだろ」
図星だと思う。
ニアはにんまり笑って、ベッドへ腰掛けるおれのほうへと身を寄せてきた。
「足首さあ……ドクロ入れるのも考えたんだけど。やっぱりお揃いのがいいなと思って」
「そうかよ」
「これがあったら離れてても寂しくないでしょ」
聞き捨てならない。おれはニアの形のいい目をギロリと睨む。するとその瞳は微かに焦燥の色を滲ませた。
「離れるつもりなんてないよ」
「当然だ」
「ただ、四六時中一緒なわけじゃないからさ。万が一のときの為っていうか保険っていうか」
もごもご口の中でなにやら言い訳を続けるニアをよそに、おれは深くため息をつく。
「えっと……、あ、あしたの買い出し忘れてないから。それは安心してね。じゃ、おやすみ……」
「何処に行く」
「え……自分のお部屋に帰るんですよ」
まだお酒抜けないしと頭を左右に振るニアは、ふらっと立ち上がろうとするのでそれを片手で押し込んで辞めさせた。
「眠いなら寝ろ」
「ここで?」
「ここで」
「お酒とタバコの匂いすんでしょ。やめとく、」
「寝ろ」
ぐいっとニアの肩を押してベッドへ縫い付ける。遠慮したい、と書いてある顔は柔らかな枕へと沈んでいった。
「…………んん、ローくんの匂い」
「昼間にお預け食らってんだ。触らせろ」
「……四時前だけど」
「四時前に帰ってきたのはお前だろうが」
「返す言葉もない……けど、ほんとにダメ。あしたなんにも出来なくなっちゃうよ。買い物、おれが居た方がいいでしょ」
確かにそうだ。全く金が無いわけでは無かったが、抑えられる出費は抑えるべきで、ニアはその手腕に長けている。
「……」
「冷静だなあ……悩むなんて。おれの魅力足んない?」
「バカ言え。気遣ってやってんだろうが。煩くするなら今すぐ突っ込んで泣かせるぞ」
「こわーい」
するとニアは寝転がったままおれに向かって両手を広げて伸ばしてきた。
「飼い犬想いの、いいご主人さまだ」
「……ちゃんと起きろよ。あした」
「うん、言うこと聞くよ。起きる起きる」
正直、眠気の限界でもある。おれはニアの腕に誘われるがままベッドへ身を横たえ、自分よりも幾分華奢な身体を腕の中へとおさめる。ニアと煙草の匂いに包まれるとすぐ眠りに落ちた。
◆
「…………ん、ッ」
「……?」
早朝、ベッドで何かがもぞもぞ動くので目が覚めた。まだはっきりしない意識を浮上させていると、ああ、動いているのは腕の中に居るニアかと気がつく。
まだ眠っている様子のニアは、夢を見ているようだった。覗き込んでみると苦々しげな面持ちで瞳を閉じたまま何事か呟いている。
魘されてるのか?
「……ふ、……ッ」
「おい。おい、ニア」
緩く身体を揺さぶっても起きやしねェ。
「ニア、起き……」
「……ドフィ」
はっきり、そう発音した。
「テメェ……」
怒りなのか。それとも憎しみなのか。咄嗟に判断がつかない。
いい加減忘れちまえとも言えずにいる。
気に食わないながらにも、こいつが歩んできた人生の基盤となった人間の名だったからだ。そもそもニア自身が、今でも奴のことを大事にしたいだのと抜かすのだからお手上げだったし、ひとりであそこから逃げ出せたおれがとやかく言えた立場じゃない。
だがそれとこれとは話が別だ。
「テメェ誰のベッドで誰の名前を呼んでやがる……おい。おいニア! 起きろ!」
上体を起こして無理矢理ニアの身体を引き上げた。そのときだった。
「……! やだっ、やだ!」
「暴れんじゃねェ」
「飲みたくない!」
「……チッ、落ち着け!」
まだ寝ぼけてやがるのか、ニアは取り乱したままおれの服を掴んで大声をあげる。言葉の終わりはすこし震えていたようにも思った。
「…………ろ……?」
「……目ェ覚めたか」
「……や、やなゆめみたぁ……」
乾いた声で笑いつつ、おれのほうへと身を預けてくる。
「魘されてたぞ」
「ああ、そお……はは、ごめんね」
「何の夢だ」
「……夢…………、なんだっけ」
ぽかん、と目を丸くしたニアは口を薄く開けたまま首を傾げた。
「誤魔化すつもりか」
「いや、そんなつもりは」
「あいつを呼んでた」
「……うわあ…………ごめん」
謝られたくもねェ。
「いい度胸だ」
「……言ったでしょ。嫌な夢だよ」
「あいつに何かされてやがったのか」
「はは、まさか」
「飲みたくないと、はっきり言ったぞ」
聞き取れたのは「ドフィ」「飲みたくない」のふたつだった。嫌な夢だと改めて聞かされて、責める視線は和らげてやるものの朝から気分のいい話じゃない。
「……ずっと一緒に居たからさ。そりゃ喧嘩だってしたし、無理矢理お酒飲まされたことだってあるよ。その時の夢だと思う」
「…………」
「夢って起きた拍子に忘れちゃうでしょ。起きたとこにローくんの顔があったら尚更だ。びっくりさせちゃってごめんね。今日もカッコいいよ」
流されてやりたくはなかったが、話すつもりがないなら今は聞かないでおいてやる。
汗だくになったニアが懸命に笑みを貼り付けて話し続けていたからだった。おれの服を握る手が微かに震えて、薄く涙の滲んだ瞳が頼りなげにシーツの皺をなぞっている。
無理に聞き出せば、こいつはもっと傷つくのかもしれない。
死の外科医とも呼ばれるおれが随分慎重なことだ、と自嘲する。
ことこいつに関しちゃ臆しもすれば気も使う。惚れた弱みだと言えば生易しいものではあるが、意気地なしだと言われればそれまでだ。
「今日出かけるんだよね。シャワー浴びてくる」
「……ああ」
「泊めてくれてありがと。助かっちゃった」
ニアはベッドから降りると、靴の踵を踏み潰したままドアへ向かってペタペタ歩く。
「…………ローくん」
「なんだ」
「……ちゅーしたい」
「馬鹿。さっさと言え」
わざわざベッドまで戻ってきたニアは、「おはよう」と囁いてからおれに一度口付けた。聞きたくもない「ごめんね」が声もなく突きつけられた思いだ。
「……シャワー浴びたら帰ってきていい?」
「ガキか」
「ならいい……」
「ダメだとは言ってねェ」
するとニアは「ありがと」と普段の笑みに近い顔で笑った。再度ペタペタ足音を立てながら、ニアは船長室から出て行く。
おれは広くなったベッドに横になり、ニアが訪ねてくるのを待った。
◆
まるで泥の中にいるみたいな感覚。身動きが取れない。腕を引っ張られれば持ち上がるし、肩を押されれば身体は後ろに倒れる。
自発的な行動が取れない。呼吸もし辛い。
「可哀想になァ……苦しそうだ」
「……ド、フィ」
気がつけばおれはドフィの部屋のベッドの上に居た。おかしいな。おれはいつドレスローザに戻ったんだっけ。眼前に迫るドフィの表情はいつもよりも少々苛立っているようだった。
「……ッ、ぁ……は? 待っ……」
「仕置きが必要だと思ってな」
「なん、……い゙ッ、あ゙っ……!」
下半身から全身を駆け巡る痛みに思わず声が出る。挿れられたままのドフィのそれが無遠慮におれの腹の中に突き立てられたからだった。なにがどうなってこんなことに……と思案する思考能力も朧げになるほどの痛みがおれにもたらされる。
「お前が誰に飼われていて」
「ん゙っ、ゃ……ッい、たぃ……!」
「誰に放し飼いにしてもらってるのか」
「や、やだっ……待って、ドフィ……ぅ」
「忘れちまったようだ」
やれやれと息を吐きながらも腰を止めてくれやしない。
嫌な夜だった。こんな夜がたまにあった。ドフィの機嫌が悪いとき。あとはおれがドフィを怒らせてしまったとき。決まってドフィはおれを手酷く抱いた。その巨躯から与えられる苦痛は並大抵のものではなくて、おれも毎回心が折れそうになる。
だけど、これがおれの仕事でもあった。ドフィのストレスを受け止めること。それは秀でた一芸を持たないおれが、大事なドフィにしてあげられる唯一だった。怒らせたときなんかは、おれが悪いからだと自分に言い聞かせてきた。
だから今回もおれは我慢する。おれがドフィを怒らせたから悪い。それは長い年月を掛けて心と身体に躾けられてきたことで、今更変わるわけでもない。
「い゙……っ、やだぁ……や、だ!」
「フッフッフッ……」
仕置きの名目でおれを痛めつけるドフィは、あからさまに嫌がるおれを見るのが好きらしかった。いい趣味とは言えない。けど、そもそも嗜虐的な部分があることは承知だったので、おれはドフィに望まれるがままのニアという男を創り上げるのに必死だった。
「ごめん……なさい、ドフィ……っ止まって、まっ、あ゙ァッ」
「途中で辞めたんじゃ仕置きの意味がねェだろ」
「だっ……て、痛……ッあ、ゃっ……やぁ、」
弱々しい声が喉から次々と零れ落ちるばかりで、おれにはもうどうすることもできやしない。ただドフィの気が済むまで付き合う他なかった。
「フッ……辛いか」
「ん゙ッ、ンンっ」
乱れる呼吸でろくに返事も出来ないおれは、夢中で首を振る。
「そうかそうか……、一錠やろう」
「……ぁ……あ……?」
「楽になれ、ニア」
愉快そうに笑うドフィは小さななにかを取り出して、おれの唇に押し当てた。
おくすりだ。
「ん……! 〜ッ!」
なんのことはない。ただの媚薬だった。強力な興奮作用のあるただの薬。だがドフラミンゴという男の元へ届く物全ては規格外。
常識の枠に収まらないものばかり揃えている彼が持ち出してくるギャググッズじみた小さなカプセルですら、常人のおれにとっては効き目が強すぎる。
時折ドフィはこれをおれに飲ませたがった。ということはつまりもう何度もこのカプセルはおれの喉を通っている。
痛くて苦しくて辛いのが、すべて一瞬で気持ちいいのに変わってしまう。おれはそれがとても恐ろしかった。自分が自分でなくなる感覚は、何度経験したってなれるものじゃない。
文字通りトンでしまったおれなんかを抱いてなにが楽しいのか。実際おれはろくに覚えちゃいないので確かめようもなかったわけだけど。
「っ、やだ、要らない……ッは、どふぃ、おれ……っ、ちゃんときもち、いからっ」
「遠慮するな」
「や……っゃぁ、のみ、たくない……ッ」
頭をどろどろに溶かされたおれがドフィにどんな風に抱かれているかなんて分からない。覚えてられないし、小指の爪ほどの意識も残らない。だからおれはこの薬が嫌いだった。
「飲みたくない!」
「チッ……落ち着け!」
そのとき、身体が大きく揺さぶられる。なんだか耳によく馴染んだ声だった。
「…………ろ……?」
状況が理解できない。
ドフィのベッドじゃなかった。おれの身体に触れてるのは、ドフィじゃない。ローくんだ。おれは底抜けに安心してしまって、力の入らない身体をローくんに預けてくったりしてしまう。夢を見ていたのだと理解すると、みるみるうちに頭は冷えていった。
◆
「…………最悪だ」
頭からシャワーのお湯を浴びながら呟く。汗を流し終えて、おれはタイルの上で蹲った。
ローくんのベッドで、あんな夢を見るなんて。それだけならまだしも無様な寝言まで聞かせてしまった。呆れられてやしないだろうか。嫌われてやしないかな。
「夢に出てこなくたっていいじゃん……」
ドフィの馬鹿。と八つ当たり気味におれはボヤく。
実体験とはいえ、やけにリアルだった。おれはあの薬を飲んだあとのことは大抵覚えていない。分かるのはおれと相性がよすぎる類の薬剤だってことだ。効きすぎるし、頭が溶ける。
「…………はあ」
それでもドフィは何度もおれに薦めてくるんだからタチが悪い。ぶっ飛んでるおれの相手でも愉しいんだろうか。全然分からない。
こんなことがあっても、今日はローくんと買い出しに出かけなきゃならいとあっては足が竦む。ゆうべ、無理矢理自分の部屋に戻っていれば良かったと悔やめどもう遅く。
帰ったらローくんの機嫌もすこしは良くなってますようにと祈りながらシャワーの蛇口を閉めると、おれはバスタオルで自分の身を包んだ。
着替えを済ませて、おれは財布をポケットに突っ込んだ。それから深く息を吐いてから、まだ眠るベポくんの寝顔を眺めて気を落ち着ける。
ブランケットを掛け直してあげてから、おれは船長室へと向かった。
「ローくん、戻ったよ」
「ああ」
一言断ってから部屋へ入る。ローくんも着替えてベッドの縁に腰掛けていた。
なんだかまだ心細い気がして、おれは疎らな歩幅でベッドの方へ寄っていく。座ったままのローくんを、上からじっと見下ろした。
「なんだ」
「……うん」
「悪い夢を見ただけなんだろ」
「……ん」
ローくんはゆうべ眠りにつく前のおれと同じように、こっちに向かって腕を開き、伸ばしてくる。誘われるがままにその腕の中へと飛び込んだ。
「あの人が怒る夢だったから、怖かった」
「そうかよ」
「取り乱してごめんね」
「怒っちゃいねェよ」
抱きとめられたまま、ローくんの首元へ顔を寄せる。いい匂いがした。ローくんの匂いだ。
「ローくんも怖い夢見たりする?」
「どうだかな」
「見たことある?」
「ある」
「…………そっか」
詳しく話さないのに、ローくんはまるでそれも赦すようにおれの頭を撫でてくれる。誰かを撫でなれない手つきだと思うけど、今はそれがなにより嬉しいし、愛おしく思った。
「ローくんが魘されたら、おれがこうしてあげるね」
「そりゃ楽しみだ」
ローくんの肩から顔を上げていつものように笑って見せると、ローくんは安心したみたく瞳を伏せる。それがどうしても可愛く見えて、おれは改めておはようのちゅーを贈るのだった。