05
「……? ……っあー……」
ふと目が覚めたのは日が昇りかけた頃だった。膝を立てようとしたところ足首に何かが引っ掛かる。なんだと思って布団を捲れば黄金色の輪っかがはまっているので、あれは夢じゃなかったんだなあと息を吐いた。
「…………あたまおもたい」
腰も痛い。お尻も痛い。でも身体はしっかり拭かれているようで、せっけんの匂いもした。もしかしたら、足枷を一旦外してお風呂に入れてくれたのかもしれない。
「……のどもいたい」
カラカラに干上がった喉をさすった。喉が乾いてもすぐに潤せないというのもなかなかに不便がすぎる。ゆうべ何があったのか、いつもの通り覚えてない。ドフィのをくちでシたところまでは何とか記憶があるものの、そのあとは全くだ。
ドフィはそれでいいのかな。薬を飲んだ夜のことを覚えていられないことは既に伝えてある。なのにドフィはおれに薬を飲ませることは楽しいわけではないらしかった。
王様の考えてることは分からない。
おれは浅ましく啼いて縋っていたんだろうか。ドフィなんて嫌いだと詰ったんだろうか。分からない。自分のことなのに覚えていられないことほど恐ろしいことはない。
「…………ドフィ」
「……なんだ」
「へ、……起きてたの」
布が擦れる音がした。身体に巻きついたドフィの腕はしっかりおれを後ろから抱きしめる。
「ごめんごめん。起こしたんだね」
「……別に」
「どした? やな夢でも見た?」
返答はない。ただドフィはおれの背中に額をあてて、黙っている。
「そんなにしなくても、おれ此処にいるよ」
「…………ああ」
「ドフィ、怒ってる?」
「いいや」
「そ……」
ぽつりぽつりと帰ってくる返事を聞いて、おれは目を閉じる。朝が近い。体に力が入らない。ドフィはなんだか静かだし。取り替えてくれたらしいシーツは少し冷たかった。
「ニア」
「なに、ドフィ」
「…………もう寝ろ」
「うん。おやすみ」
◆
それから幾日経っただろうか。日付の感覚もあやふやで、二十日を過ぎた頃から分からなくなった。おれの足枷が外されるのはお風呂に入れてもらうときとお手洗いに行くときだけ。監視をつけなくたってもう逃げたりなんかしないのに。
食事もデザートも、新しい服も新聞も本も望めば全て与えられる。
もう数ヶ月も自分の部屋には戻れてない。おれの電伝虫は野生に帰されてるかもしれなかった。そういえば、ローくんがくれたライターも部屋に置きっぱなしになったままだ。持っていかれてないかな。大丈夫だろうか。
おれは日中のほとんどを眠って過ごすようになった。元々よく眠るほうだけど、昼間寝てないと夜が辛い。ドフィは飽きもせずにおれを抱いたから。
立って過ごす時間が極端に減ったので体力も落ちたのかもしれないが、おれのなけなしの体力も夜になればマイナスまで削られる。
ドフィは全く容赦がない。週に一回のペースであの錠剤も飲まされた。そんな中でも休める日はちょくちょくある。ドフィが王宮を空ける日だ。今日みたいな夜はこうして広いベッドを独占してゴロゴロしている。
なにもすることがない。できることがなにもない。
ローくんとの連絡は途切れて随分経つ。今頃どうしてるだろう。大丈夫かな。ちゃんと上手くいってるかな。おれがこうして鎖で繋がれてる間は、一応ドフィはローくんに手を出したりしないって約束にはなってるから、無事だと思いたい。口約束しか頼るものがなかった。
これじゃまるで籠の鳥だ。そういうのは女の子にこそ似合うのであって、おれには似合わない。プライドもなにもあったもんじゃなかった。ただ生きてドフィの相手をするだけで、なんにも楽しくない。仕事を手伝えてた頃はまだよかったのに。
「邪魔だなあ……これ」
足を引っ張ると足枷がガシャガシャ鳴る。何かにつけて足を引いてしまうので、痣にもなっていた。ドフィが何を以っておれをいい子と定めるのか分からない。何が足りないんだろ。
するとその時、部屋のドアが音を立てて開いた。ノックもなしに此処へやってくるのは部屋の主のドフィだけなので、おれは身を起こしてベッドの上に座り込む。
「おかえり。今日は帰らないかと思ってた」
「思ったより早く話が片付いたんでな。寂しかったか?」
「……うん」
求められる返答をすることにはもう慣れた。ドフィはコートを脱いでベッドまでやってくると、おれにキスをする。それから、ただいまと囁いた。
「ヴェルゴが此処を離れる話が纏まったんだよ」
「海軍に戻るの?」
ヴェルゴさんはドレスローザと海軍を行ったり来たりしている。今回帰ってきたのは一昨日なのに、もう出て行くらしい。ドフィの相棒もなかなか楽じゃない。
「…………ニア」
「ん?」
「ヴェルゴに直接聞いてみるか?」
「……、え?」
ドフィは笑っている。愉快そうな声をあげて。おれの肩を抱きながら、笑っている。
「…………ッ!」
まさか、と口に出すこともできない。咄嗟にベッドを降りようとしたけど足枷に引っ張られる。鎖が擦れて冷ややかな音が鳴った。
「フッ……察しのいい奴」
「は、話が違う……こっちからは手ェ出さないって約束だった!」
「ああ、そうさ。万が一の時のための保険だよ。分かるだろ?」
「分かんないな……モネちゃんが居るんだからそれでいいだろ……」
ベッドの隅へ寄りながら、おれは俯いて呟く。仮にパンクハザードで一戦交えることになったとして、モネちゃんひとりくらいならローくんひとりでも大丈夫だろうけど、相手がヴェルゴさんともなれば話は別だった。
「なんで……っ、いやだ、おれも行く」
「駄目だ」
「おれも行く……!」
「何もなけりゃそれでいい。保険だと言ったろ」
そんな馬鹿な話があるか。何がなくともでっちあげでローくんを潰すくらい平気でやる人たちだから怖いのに。
「ローくんにおれのこと伝えるつもり?」
「さァ? どうして欲しいんだ」
「絶対言わないで」
「そうだろうな。可愛いお前の頼みだ。おれからヴェルゴに口止めしておいてやるよ」
連絡が途絶えたことで、おれの状況に関してはローくんも気にしてくれてるかもしれない。だけどおれが今どんな環境に居るのかを知ったら、ローくんは多分怒る。
最悪、怒ってドレスローザにまで殴り込んできそうだし、その前にきっとヴェルゴさんにキツく当たる。そこから先は想像に難くない。
ドフィに直接敵わないから、より強力なカイドウをぶつける計画なのに。余計なことはローくんに考えないでおいて貰わないと。
「絶対だよ」
「ああ」
「…………ちゃんと言っておいて。ローくんに酷いことしたら、おれ舌噛んで死んでやる」
「馬鹿なこと言うな。ヴェルゴだって交渉術にも長けてる。上手くいけばローも素直におれの元へ戻るかもしれねェだろ?そうすりゃ……お前と話くらいはさせてやるよ」
ドフィの腕が伸びてきて、おれの腕を掴む。
おれは自分の無力さに嫌気がさした。ローくんのために何か一つでも出来ることがあればと思っていたのに。結局おれは彼のために何も出来なかった。ドフィの目を逸らしてあげることも。その足取りを掴ませないようにすることも。工事のありかを突き止めて報告することも。
おれは何も出来てない。なのに刻一刻とローくんには身の危険が迫っている。
「…………」
「ニア」
「……なに」
「お前、おれと約束したよな」
「…………約束?」
ベッドの中央に引き戻されたおれは頭上のドフィを見上げた。
「ローの話はもうしねェんじゃなかったのか?」
「………………誘導したようなもんでしょ」
本当におれが彼のために出来ることはないんだろうか。いくら頭を回したってこの外れない枷がある以上、なにも案は浮かんでこない。
「…………ごめんなさい、ドフィ」
「素直なのはいいことだ」
祈ることしかできなかった。おれは彼が敵と定める男のすぐ近くにいるのに。
「今日も一日中寝てたのか?」
「……昼寝てないと起きてられないんだよ、夜」
挿げ替えられる話題についていきながら、離れたパンクハザードに居るローくんを想う。もしも神様が居るならローくんを守ってあげて欲しい。おれはどうなってもいいから。
「すこし痩せたか?」
「……痩せたってよりはやつれた」
「そりゃ大変だ。明日から飯の量を増やしてやろう」
「…………ドフィ」
「ん? なんだ、ニア」
「……おれ、まだいい子じゃないの」
するとドフィはしばらく間を取った。
「まだまだ時間は掛かりそうだ」
「なんで…………、っおれ、どうしたら」
どうしたら自由になれるの。自分が情けなくていよいよ泣けてくる。鼻の奥がツンと痛み、シーツの上へ涙を零した。おれは一体なんのためにここにいるのか分からない。
ドレスローザへ戻ってから既に半年以上は経つはずなのに。なんの成果も得られていない。生きてる意味も分からなくなってきた。
「泣くな、ニア」
「ふ……ッぅ」
悔しい。悔しい悔しい。
「お前は此処でこうしておれと居ればいい。それこそお前の幸せだと教えてきてやったろう」
「……ッ」
前髪を掴まれて上を向かされる。心底楽しそうなドフィは、ベッドの上にへたり込むおれを見下ろして言った。
「お前はこれまで通り、おれのご機嫌だけ取ってりゃいい。そう難しく考えるな。アイツの生き死にはお前の頑張り次第だ。なあ、ニア」
「……わかった」
「健気だなァ……泣ける話だ」
愉悦に満ちた笑い声がおれの頭の中をぐしゃぐしゃにする。
「せいぜい愉しませてくれ。お前ら二人は見てて飽きねェ」
「…………痛、ッ」
前髪を掴まれたまま、おれは身体を引き倒された。重たくのし掛かるドフィの重圧に呻けば、ドフィはおれの顎を取って口付ける。
「ん、……ん゙ッ」
「おれはお前が可愛くて仕方ねェんだよ」
「……っう、ん」
そろそろ理解しろと言われている気がして、おれは浅く頷いた。可愛いだなんだと言う割には酷い扱いだと思うけど、ローくんの身を案じるがためにドフィに擦り寄るおれも大概だ。
おれはドフィに反論できる立場にない。
「ドフィ」
「ん?」
「……頭が重たい……空っぽにしたい」
ドフィの大きな手が、おれの肩を抱く。おれはその手に自分の右手をゆっくり重ねた。
「…………何にも考えられないくらい、ヨくして」
おれにはもうこれしかない。身体を明け渡して、ドフィ好みに育てられた身体をドフィのために使うことくらいしか思い浮かばない。
「おれはドフィのものだから」
「……」
「脅さなくたって、大丈夫だよ」
誘う言葉は頭を使わなくてもスラスラ口から溢れていった。足をドフィの腿へ乗せ、足のラインに沿って股間まで滑らせる。
「ドフィ、お喋りはもういいから」
「……ああ」
「はやくシよ……、ッ」
なんでも言う通りにするから。求められるニアで居るから。だからおれのいちばん大事なひとには手を出さないで。
「ッフ……ニア、ローに言って聞かせてやらなくちゃァな」
「なんて?」
「おれはドフィが好きですってよ」
服を脱がしながら、ドフィはそんなことを言う。おれはいい子でなくちゃならないので、なんの感情も乗せずに返答した。
「……そうだね」
◆
長く眠っていた気がする。
意識が浮上したのは外から賑やかな声が聞こえたからだった。陽は高く登っているので午後なのはわかる。おれはもう随分と朝ごはんというやつを食べてない。
身を起こせばドフィの姿は無かった。代わりにソファにグラディウスが腰掛けている。
「……グラディウス。なにしてるの」
「起きたか。お前が起きたら連れて来いと言われてる」
「? 外、うるさいね。プールの方か」
「ああ」
「おれも行くの? あそこに?」
風呂でもお手洗いでもないときにこの部屋を離れたことなどなかったので、ドフィの思惑が読めないから気乗りはしない。
だけどヴェルゴさんがパンクハザードへと向かって時間も経っている。到着してると見ていいだろうし、ドフィのそばにいればなんらかの連絡が入るかもしれない。
それを聞かせたいから、呼びつけたんだろうか。
「…………じゃ、これ外して」
「ああ」
「部屋に寄っていい? 着替えたいんだけど」
「残念だが許可されてない。まっすぐ向かう」
「……はーあい」
ベッドまで寄ったグラディウスが、鍵を使っておれの足枷を外してくれる。と言っても輪っかと鎖は付いたままだ。ベッドから鎖が離れるだけなので、おれの片足は未だ重たい。
「その鍵、おれ欲しいな」
「バカ言え」
「……だよねえ」
ジャラジャラと鎖を引き摺りながら、おれはグラディウスと共に階下へ降りて行く。
外へ出るのは何ヵ月ぶりだか分からない。
直射日光が眩しく、あまり目も開けていられなかった。まだまだ眠たいし。だけど、ローくんのことが分かるならおれは行かなきゃならない。
「…………ドフィおはよ。きたよ」
「ああ、ニア。こっち来て座れ」
目の前には広いプールがあって、そこには綺麗なお姉さん達がたくさんいる。ドフィが座るソファにもだ。いいなあ。みんな楽しそうで。
「……何の用。おれまだ眠たい」
あまり警戒させないように、おれは目をこすりながらソファへ寄る。ドフィの隣にいたお姉さんが腰を上げておれに席を譲ってくれようとした。
「……ああ、いや、いいよ。そのまま座ってて」
「え?」
「お膝貸してくれない? 眠いんだよね」
黒い髪が艶やかで、勝気なつり目がちのお姉さん。声はすこしハスキーで、おれの好みど真ん中だった。素直に可愛い。するとお姉さんはドフィに確認を取るような視線を向ける。
「ニア、おれの膝使ったっていいんだぜ」
「やだよ。お姉さんのがいい」
「ハッ……好きにしろ」
了承を得たお姉さんはそのまま腰を落ち着けてくれるので、おれは一言断ってからソファに寝転がって頭を預けた。
「あー……日光浴だ……」
「たまには外に出してやらねェとな」
「もっと早く気遣って欲しかったよね」
おかげでここまで歩いただけでも疲れてしまったので、とことん身も心もダメになってるのかもしれない。おれは心の安寧のためにも、お姉さんの手を取って滑らかな肌に触れる。
「……いい匂い」
「ニアさまにそう仰って頂けて嬉しいわ」
「なんの匂い? おれ、これ好きだな……お花じゃないし、果物……?」
「ええ。りんごのフレグランスよ」
「りんご…………ほんとだ」
仄かな香りに、ローくんのことを思い出した。そうだ、おれはローくんのためにりんごを剥いてあげなくちゃいけなくて。でもここにはナイフもローくんもいないから……できない。
「………………、?」
「あら、本当に眠たいのね」
「……一瞬寝てた」
すると隣のドフィが笑うので、おれは視線だけをそちらに向ける。
「それが気に入ったなら今夜呼んでやろうか」
「……女の子をモノみたく言わない」
「ニアさまったら」
お姉さんの手を取ってた手をそのままドフィの方へやって、軽く叩いた。
「フッ……紳士だねェ」
「当たり前。でも来てくれるなら……」
女の子は好きだ。優しくて可愛い。いい匂いもする。柔らかいし、小さい。でもローくんのことはもっと好きだ。そうだ、おれはローくんのことを知るためにここまで来たのに。
「…………」
「ニアさま?」
「……ううん、なんでもないよ」
お姉さんの柔らかくて小さな手が、おれの胸元を優しく叩く。寝かしつけられてしまってはおれは睡魔に抗えない。なにせ夕べは明け方まで散々ドフィに付き合ったので、たかだか数時間の睡眠じゃ全く足りなかった。
「……おやすみ」
おやすみ、ローくん。大好きだよ。
◆
「SADをローが?」
「……?」
途端、荒々しいドフィの声が聞こえて目がさめる。
さっきより大分意識がハッキリしてた。でもまずい。ローくんの話だ。少々聞き逃してしまったので、おれは状況を把握するため即座に耳を澄ませる。ひとまず無事でいてくれたみたいで、本当によかった。
SADといえばローくんがパンクハザードでの破壊目標に定めたものだ。やっぱりローくんはすごい。しっかり目的を果たそうとしてる。
『ああ、これで裏切りは確定だ……!』
ローくんが動いた。ヴェルゴさんがローくんと接触したのなら、ローくんは自分の行動がドフィに筒抜けだったってことも分かってる。おれが今、すべきことはなんだ。
「だと思ったよ! フッフッフッ! おれァあいつを弟のように思い! ずっと成長を見守ってきてやったのに……残念だ」
『わかるよ』
「SAD製造室か…………!」
おれが身を起こした瞬間、外からプールへ通じる扉が爆音とともに破壊された。
視線をやれば武器を構えて泣いてるベビーが姿を現わす。そっちへ気を取られていると、自然と身体が持ち上がった。
「……、ドフィ!」
「向こうへ行ってろ」
「ッ……無茶言う! お姉さん、おれに捕まっておいて」
「え? え?」
自分の意思で身体が動いているわけじゃない。
これはドフィの能力だ。
ドフィ目掛けて駆け抜けてくるベビーが眼前に迫った時、お姉さんの身体と一緒におれは物凄い速さでソファから距離を取る。安全なプールサイドへ脚が付いたときには、ソファがあったところはベビーによって破壊し尽くされてしまっていた。先ほどよりも大きな爆音と立ち上る煙。お姉さんは目を見開いて驚いている。
「……危なかったねえ。大丈夫、いつものことだから」
「……ニアさま、あ……ありがとうございます……」
「んーん。おれはなんにもしてない。でも危ないから、今日はもうお家帰りな。もしよかったら今度付き合って♡」
可愛いお姉さんにウィンクをして、おれはドフィに向かって歩き出す。どうせまたベビーの婚約者をドフィが消したんだなというのは簡単に想像できた。ドフィもドフィだけど、変な男に引っかかるベビーもベビーなんだよなあ。でも今回ばかりはおれとベビーの境遇はちょっと似てて笑えやしない。しかしその間も、不穏な通信は続けられている。
「ローはそこで始末してくれ」
「……ドフィ!」
「この世に生まれた事を後悔する程に……無惨に殺してくれ!」
言いやがった。言いやがったな! これでヴェルゴさんはローくんを消しに行く。そんなこと絶対許さない。おれはこの騒動によって吹き飛んできたのであろう果物ナイフを拾い上げ、ドフィに向かって駆け出した。足枷がうるさく鳴るし重たいが、構っていられない。
「今日は加勢したげる、ベビー!」
「ニア?」
「もう怒った。結局ローくんのこと殺すつもりだったんだから……!」
なんの選択肢も用意されないおれを好き放題しておいて。ドフィと居ることしか選べないおれに、ローくんのことを庇わせておいて。
あれだけ欲したオペオペの能力すら棒に振るほど、ドフィにとってSADやSMILEは大切な物なんだろう。だからこそローくんもリスクを負って仕掛けたわけで。
『じゃあ、耳でも削いでいく』
「フッフッフッ! 楽しみにしてるよ」
ドフィの能力で身体の自由を奪われたベビーの背後から、おれはドフィ目掛けて飛び出した。あまりに久しぶりな筋肉の使い方に身体がまるで付いてこない。それでもおれは悔しくてたまらなくて。無我夢中でドフィへナイフを振り下ろす。
「シーザー、モネ、聞こえるか」
新たに通話を始めたドフィは飛び出してきたおれの脚をその長い脚で払った。
いつもならこの程度軽く飛び越えられるのに、走ることすら忘れた身体は咄嗟に動いてくれやしない。みるみるうちにドフィの脚に身を絡め取られたおれは、操り人形と化したベビーの手によってナイフを取り落としてしまう。
「……ッ、ドフィ!」
「ここに丁度血の気の余った女が一人いる。ベビー5とバッファローをそっちへ迎えに行かせる。事が済んだら全員一度ドレスローザへ来い!」
通話を終えたドフィは受話器を下ろす。それから腕の中に収めたおれを、じっと見下ろした。
「おれは? おれも行く」
「駄目に決まってンだろうが」
「……ッいやだ!なんでベビーはよくておれは駄目なんだよ」
「そんな身体で行ったって仕方ねえ……し、ニア」
「なに」
「一言謝れば、許してやるよ」
そう言ってドフィはおれの手から零れ落ちたナイフを蹴り飛ばす。
「…………」
おれは返事もせず、そっぽを向いた。
「……なるほどな」
「……ヴェルゴさんに、ローくんは殺さず捕まえて来いって言って」
「おれ相手に交渉しようってのか? ニア」
くつくつ笑うドフィはおれの身体を抱えて立ち上がる。
無駄と分かっちゃいたって抵抗するけど、やっぱり逃れられない。ドフィは改めてベビーとバッファローに指示を出したあと、王宮の中へと脚を向けた。
「いい交渉をしたきゃそれなりの条件ってのがある。教えたろ?」
「……っ、くそ」
「そう暴れるな。なにもおれは怒っちゃいねェ。反抗期のひとつくらいあるもんだ」
「絶対いやだ……おれも連れてってもらう」
「ニア」
ドフィの部屋へ連れ戻され、必死な抵抗虚しくおれは再び大きなベッドと繋がれてしまう。
「お前は誰のモンだ」
「…………、どうしてドフィはおれからローくんを取り上げるの」
「質問してるのはおれだろ?」
「……おれは、」
ローくんが動いた。パンクハザードでの目的が果たされれば、ローくんの計画は進む。おれはローくんなら上手くやるって信じてる。だから今までなにがあってもなんとか堪えてきた。
堪え忍ぶ辛さは並大抵のものではなかったけど、少しでも……ほんの少しでも、おれがドフィを彼から遠ざけられていたのなら、もうそれでいい。事実、ローくんが仕掛けるまでは手を出さないという約束は守られたわけだから。
おれの役割は、不十分ながらにも果たされたのかもしれない。
「……おれは、ローくんのものだよ。今も、昔も」
「…………」
「これからも」
無言のドフィへ畳み掛け、おれはドフィの腹に馬乗りになった。
煮るなり焼くなり好きにすればいい。もうたくさんだ。ローくんはきっとヴェルゴさんを振り切る。そうなればあとはローくんの計画通りに進むはず。だけど万が一……嫌だけど、万が一にもローくんが今日死んでしまうとするならば、おれの命日だって今日がいい。
なのに聞こえてきたドフィの言葉は、あまりにも予想外だった。
「やっと……お前の口から聞けたよ」
何のことだか分からない。反射的に聞き返そうとしたとき、おれの身体はぐるっと反転して勢いよくベッドへと押し付けられた。
「どういうこと……?」
「フッ……こっちの話だ」
「なん、……なに」
「気が変わったなら教えてくれよ」
ドフィはおれから手を離す。咄嗟に身を起こすと、ドフィはもう笑っちゃいなかった。
「ドフィ、」
「聞きたかねェ」
「……分かった」
いつもならもっと乱暴なくせに。ドフィは静かにおれのそばへ身を寄せて、優しくおれを抱きしめる。おれはもう混乱しっぱなしだ。
「…………ローくんのこと、諦めたわけじゃないんでしょう」
「まさか。あいつはヴェルゴに始末されるんだよ」
「……そう」
考えろ、考えろ考えろ。おれはどうしたらいいんだ。
これ今どういう状況なの。おれはパンクハザードには行けないし、ローくんの手助けにもなれない。ドフィを動かそうにもおれの我儘は聞き届けられる筈がないし。ドフィの様子が普段と違うのはなんとなく分かるのに、大事なところは読み取れない。おれ、なにか間違えた?
「……どこ行くの」
「飯、食うだろ」
「食欲ないよ」
「待ってろ」
言うだけ言って、ドフィは部屋を出てしまった。ドフィが戻るまでの間、おれはベッドの上で膝を抱える。なんだってんだ。全然わかんない。ブン殴られると思ったのに。
しばらくすると、ドフィはサンドイッチとミルクを持って戻ってきた。サイドテーブルへ乗せて、ドフィはベッドに腰掛ける。
「……ニア」
「ん」
「おれは欲しいものは全て手に入れる」
「そうだね」
「欲しいものは……当然、おれにとって必要なものだ。おまえもそのうちの一つ。分かるか」
「…………ドフィはおれのこと、過大評価しすぎなんだよ」
肝心な時に何もできない。
「フッ……揃いも揃って手の掛かるガキだ」
「…………おれ、ドフィがなに考えてるのか分かんないよ」
「分からなくていい」
「ふたりとも、おれには大事なのに」
上手くいかなかったね。
そう呟いて二年前のことを思い出す。あの日言った通り、ローくんがまたドンキホーテに戻ってきてくれたならおれはそれでよかった。
コラソンがローくんを連れて船を降りてからコラソンが死んだ日までのことを、なにも知らなかったからそんな悠長なことが言えたんだ。
「……ドフィは怒らないんだね、おれのこと。おれはローくんの居場所も目的も知ってたのに」
「喋れと言ったら話したか?」
「ううん。でもヴァイオレットちゃんに聞けばよかっただろ」
「お前の話す言葉が聞きたかった。能力を通してお前の心を覗くなんてこと、おれはしねェよ」
「自分だって紳士じゃんか」
「ハッ……馬鹿言え。後にも先にもお前だけだ」
ドフィはおれの手を取った。広い掌がおれの手をすっぽり包む。
「嘘を吐かれても、無茶な我儘言われても。刃物向けられたって許しちまう」
「…………な、」
「お前はおれにとって」
言葉を切ったドフィは、サイドテーブルに乗せたままだったお皿をおれに差しむけた。
「食え」
「なんで途中で言うのやめるの」
「言ったろ。分からなくていい」
おれはドフィに片手を取られたまま、空いた手でサンドイッチを取り上げる。
「……もしもほんとにローくんが死んだなら、おれも今日死ぬからね」
「おれが許すと思うのか?舌でも噛んでみろ。こんな生温い軟禁じゃすまねェからな」
「んン゙ッ!」
「猿轡が欲しいなら素直にそう言え」
口に運ぼうとしたサンドイッチを無理やり押し込まれて、おれはむせ返りそうになった。
「……ちょっと……ッ」
「フッフッフッ……いい気味だ」
「子どもかよ……」
かぶりついたサンドイッチはなんの味もしない。こうしてる今にもローくんは痛めつけられてるかもしれないのに、ご飯なんて食べられるわけがなかった。だけど食べなきゃ食べないでドフィが怖い。おれはミルクで必死にサンドイッチを腹へ流し込む。
「…………」
「どうした」
「……別に」
「そんなにローのことが心配か?」
笑みを作るドフィは、いくつもある電伝虫の中からひとつ取り上げてベッドへ置いた。
「……なに」
「ヴェルゴに掛けるのさ。お前がそんなに気になるなら、向こうの様子を聞かせてやるよ」
「…………悪趣味」
「ただし一言も喋るな。お前はおれと一緒に、ここでローの断末魔の叫びを聞くんだよ」
「……ローくんが死んだら、おれも死ぬだけだ」
受話器を持ち上げたドフィがおれのそばへ寄ってくる。
「おれを煽ってどうする気だ?そんな挑発にゃ乗らねェよ」
「……そのつもりだったよ。ずっと」
「フッフッフッ! 大した覚悟で戻ってきたもんだ」
ドフィは愉快そうに笑った。おれは笑い返さない。
「いつからだと思う」
「なに?」
「そう決めてたの」
「……クソガキ」
ドフィの手がおれの首を鷲掴みにして、顔面からベッドの枕へ押し付けられる。喉から酷い声が漏れて、視界は星が散ったみたいにチカチカした。結構な力で押さえ付けられているので呼吸がしにくい。別に、最初の頃はそんな風に考えてなかったよ。そんなつもりで、おれはドンキホーテにいた訳じゃなかった。
「ぐ、ッ……!」
「そんなにおれを怒らせたいのか」
「……ふっ……はは」
思わず笑ってしまえば、首を掴むドフィの手が少し緩む。
「やだな……おれ、ちゃんとドフィのこと好きだったよ」
「……今は」
「ローくんのこと殺すドフィは嫌いだ」
「……フッフッフッ! ならローを始末してから躾けてやろう」
今度はしっかりな。
そう念を押すドフィは、ヴェルゴさんと再び通話を始めた。
どうしておれはこんなところに居るんだろう。世界でいちばん大切なひとが苦しんでるのに、なんでおれは駆け付けてあげられないんだ。
久しぶりに聞いたローくんの声は、ずっとずっと苦しそうで、辛そうで。声を上げることを許されないおれは、電伝虫から聞こえてくる音を聞きながら押し付けられている枕を噛んだ。
なんとか自分の心臓を奪い返そうとして阻まれて、散々ヴェルゴさんに痛めつけられて、それでもまだ憎まれ口を叩く。
とっくに頭にきてるヴェルゴさんはきっとローくんの心臓を握り締めたに違いない。ローくんの悲痛な叫び声が、電伝虫を通じてドフィの部屋に響き渡った。おれの身体の上で、ドフィが静かに喉を震わせて笑っている。
どういうわけか知らないけど、海軍のスモーカーが乱入してきた。でもそれからはローくんの声がしなくなってしまう。いくら耳を澄ましても、聞こえてくるのはスモーカーとヴェルゴさんが繰り広げる戦闘の音ばかり。おれは涙も出なかった。
殊更凄まじい轟音が響き、おれは耳を塞ぎたくなる。
『――実力がなくてはなァ……スモーカー。勇敢なだけでは部下もうかばれねェ』
身を捩るけど首を押さえられているので起き上がれない。反対に、機嫌の良さそうなドフィはおれの喉元を弄んでいた。
今すぐこの手に噛み付いてやりたい。そのときだった。
『――おれの心臓……確かに返してもらった。スモーカー』
息を飲む。おれも、ドフィも。
「……ッろ、!」
強い力でねじ伏せられた。気道を圧迫されて、呼吸を制限される。顔に血が溜まっていくのが分かった。だけど、だけどローくんの声が。ローくんの声がする。
『聞こえてんだろ? ジョーカー!』
「……フッフッフッ!」
ローくんの声が聞こえる。ローくんが生きてる。ローくんが。
おれは必死に手足を動かしてドフィの拘束から逃れるために暴れたけど、虚しくも再びベッドへ押さえつけられる。喉が詰まってこのまま死んでしまうかもしれない。ああ、でも死ぬほど嬉しい。ローくんが生きてくれてる。
『――だがおれ達はお前の笑みが長く続くほど予想通りには動かない』
「イキがってくれるじゃねェか小僧」
頭に酸素がまわらない。ローくんの声はおろか、ドフィの声も遠くなる。肺も空気を求めているのに、ドフィはまだ手を緩めてくれはしなかった。
『――……、! ――、……。……!』
聞きたくて仕方なかったローくんの声は、輪郭を失っておれの耳に届く。忌々しげなドフィの舌打ちが、やけにはっきりと聞こえたのを最後におれの意識はブツリと途絶えた。