06
気を失って、その後眼を覚ますたびに。次に睡眠以外で意識を失ったら死ぬんじゃないかと思う。今回ばかりは流石に死んだかと思った。
「…………ドフィ?」
ベッドの上にドフィの姿はない。電伝虫もない。おれは仰向けに寝かされていて、布団まで掛けてもらっていた。身体を起こして部屋を見渡すと、大きな窓が開いている。風に吹かれたカーテンがぶわりと舞った。あれから何が起こったのか、おれには分からない。だけど。
「…………行ったんだ、ドフィが。ローくんのところに」
血の気が引いた。こんな足枷が無けりゃ、おれだってなんとかして追いかけるのに。おれは血が滲むのも気にしないで、足枷から伸びる鎖を殴りつける。
正面衝突じゃ、いくらローくんと言えど勝ち目はない。ローくんは強いひとだけど、ドフィは桁が違う。もしも彼が直接ローくんに手を掛けようと思って、ドレスローザを発っていたならどうしよう。もう、どうしようもないかもしれない。
おれは手元にあった枕を、部屋の扉目掛けて投げつける。サイドテーブルに置かれた空になったお皿とコップも。扉に叩きつけられたどちらとも派手な音を立てて割れた。そうすると、見張りに立っているのであろうファミリーの人間が「どうされましたか」と声を掛けてくる。
「…………開けて」
「は?」
「開けろって、言ったの」
上手く状況を飲み込めないらしいその男は、随分あっさりと部屋の扉を開いた。ツイてる。普段ドフィはこの部屋で過ごすから、ヴェルゴさんが居ない日はそもそも警備は手薄なのだった。更にドフィが玄関ではなく、窓から飛び出して行ったとなれば、現在ドフィにとって非常事態なんだろう。つまり、つまりローくんはまだ生きている。
「は……、どうなさいました」
「服が……汚れちゃって」
「すぐ着替えを」
「……おれの部屋に勝手に入るつもり?」
鋭く睨めば男は怯む。おれはさっき鎖を殴って傷つけた右手を服で擦った。
「ベッド汚すと叱られるから……鍵、テーブルの上の箱の中」
「し、しかし……!」
「コラソン代理のお願いが聞けないの。着替えて戻ってくるだけだよ。付いてきていいから」
「幹部の方へ許可を、」
「ドフィの留守中に見張りが突然部屋に入ってきて乱暴されそうになった……って言ってもいいけど。おれから。ドフィに」
死にたいの? そう言い含めると見張りの男は顔を青くする。
「あは、冗談。ドフィが居ないときは見張りに頼んでお手洗いに行くんだけど。聞いてるでしょ」
「は、……はあ」
「おれの部屋もここから近いし。早くして」
ドフラミンゴが飼うお気に入りの猫の話はファミリー内でも有名だ。不本意ながら。
「で、では……すぐに」
「ん。ありがと」
新入りくんなのかな。それはそれで都合がいいけど。そもそもこの扉自体、おれだけの要請では開けちゃいけないらしいのに。お手洗いに行くときだって基本的に二人はつけられる。
「……鎖、持つ?」
「い、イエ……あ、はい!」
「逃げないよーに見ててね。途中、誰かに見つかってもおれが上手く言ってあげるから心配しないで。はい、行くよ」
がちがちに緊張しているらしい彼は手と足が一緒に出ていた。おれは小さく笑いながらも自分の部屋を目指す。
たどり着いた部屋の中は、とくに探られたような形跡はなかった。ここに入るのもいつぶりだか分からない。おれは着替えの代わりに、引き出しからライターとナイフを手に取る。失くなってなくてよかった。
「……ニアさま、お着替えは、」
「…………おれが逃げたらどうする?」
「こ、困ります……!」
「だよね。最悪殺されちゃうもんね。おれも君も」
手に取った二つをポケットに忍ばせると、おれは見張りの男に向かって振り返る。
「…………帰ろっか」
「は、……はッ!」
見張りを振り切っても応援を呼ばれそうだし、階下には幹部達が居る。ドフィもいつ戻るか分からない。逃げ果せるのは今じゃなくていい。状況を把握する為にはドフィの側にいるのが一番だ。ドフィ、おれのことは殺すつもりないみたいだし。
「…………そうだ。煙草買ってきてもらえる?灰皿も……、気になるなら下にいるジョーラとかに許可貰っていーから」
「かしこまりました」
「硬くなんないでいーよ。欲しいものはいつも見張りに持ってきて貰うんだよね。だいたい」
ドフィの部屋に戻るのが最善手だとしても、結局あの部屋に戻るのかと思うと足が重たい。一応ドアの前で足を止めてノックをしてみたけど、ドフィはまだ戻ってないようだった。
「その鎖ベッドに繋いで。鍵掛かってるかちゃんとチェックしてね」
「……はい」
ベッドの淵に腰掛けると、おれの脚は再びベッドと仲良しだ。それじゃあ煙草と灰皿よろしくね。そう告げれば見張りくんは緊張したまんま廊下を走って行ってしまった。
「あんなビビんなくたっていいじゃんな。傷つく」
なににビビってるのかなんて、まあ、ドフィになんだろうけど。
程なくして、律儀にも言いつけた通りジョーラへ許可を得たらしい見張りくんが煙草と灰皿を持ってやってきた。おれは短くお礼を言って彼を下がらせる。
灰皿をベッドの上へ置いて、煙草に火をつけた。赤く揺らめく火が、ローくんを思い出させる。おれも覚悟を決めなくちゃ。
ドフィがローくんを殺してきた、なんて言ったなら。ドフィの目の前で死んでやろう。
◆
ドフィはなかなか帰ってこなかった。
肺が重たくなる感覚が心地いい。煙草の煙は、おれの脳みそを少しだけクリアにしてくれる。口から吐き出されて外へ逃げ切れなかった煙が部屋の中をふよふよ漂っていた。
けたたましい音を立てて扉が開かれたのは、箱の中身が半分程減った頃。部屋の主は随分とご機嫌斜めらしかった。おれはゆっくりと出入り口を振り返る。
「…………おかえり」
煙草を咥えたまま、おれは言った。そうするとドフィは床を踏みしめながらベッドへ寄って来る。焦燥と苛立ち。それから深い悲しみ。そんな空気を纏ったドフィはおれを混乱させる。
「ニア」
「なーに」
「ニア」
おれの手から煙草を取り上げたドフィは、それを灰皿へ押し付けた。そうしておれの前へ膝をつくと惑うように抱きしめて、おれの肩へ顔を埋める。
「……モネとヴェルゴがやられた」
「…………、そう」
「おれはもうローを許しちゃおけねェよ」
やけに人らしい振る舞いをする。ドフィはひたすらにファミリーを愛すひとだ。なんの疑いも持たず、許し、慈しむひとだ。きっとこんなドフィの姿、他の人は見たことがないだろうな。
「……」
どう声を掛ければいいのか分からなかった。二人ともおれにとって兄や姉であったわけだし、情もある。だけどローくんの部下としては彼の功績を喜ぶべきなのかもしれない。ドフィの口ぶりから察するに、ローくんは無事パンクハザードを出航したようだし。ドフィの追撃からも逃れられたんだろう。なら万々歳だ。
「……ドフィ」
「…………さっきは悪かったな」
「え?」
「痕になってる」
ドフィは優しくおれの首を撫でる。
「……ああ、別に。なんてことない」
さっきまでおれを物みたく扱ってたくせにこんな風に優しくしてみたりして。ドフィは動揺してるのかもしれない。まさかヴェルゴさんがやられる筈ないと思ってただろうから。
「……少し部屋を空ける」
「そう」
「ん? その手どうした」
おれの首から手へと視線を移したドフィは、そっとおれの手を包んだ。
「寝ぼけて起き上がったら……枷に引っ張られてコケて鎖にぶつけた」
「…………なにしてやがる」
「流石に目が覚めたよね」
するとドフィはおれの手を持ったまま、そこへ唇を寄せてくる。突然のことに反応しきれなかったおれは訳もわからず瞬きをするのでやっとだった。
「な、なに。なに……?」
「フッ……決めたのさ。お前だけはなにがなんでもくれてやらねェとな」
そう言って立ち上がり、踵を返したドフィは「あまり吸い過ぎるなよ」と言い残して部屋を出て行ってしまう。恐らく、幹部連中のところだろうな。まだローくんを仕留め切れてないのなら、ドフィは次の手を打つ筈だから。ローくん、酷い怪我してなきゃいいけど。
その夜、ドフィはおれを抱かなかった。
「……ドフィ、おれのこと見すぎ。穴が開きそうなんだけど」
「フッ、開くかよ」
「ちょっと暑いし」
クレームをいれると強く抱きしめられるので逆効果だったらしい。
「おまえも大人しいな。もっと暴れるかと思ったよ。昼間みてェに」
「……いま暴れたってどうしようもないだろ。どうせ出らんないんだから」
「賢明だな」
本当は今にでもローくんのところに飛び出していきたい。ドフィのことだって気になるけど、もしかしたらローくんは今も苦しい思いをしてるかもしれなかった。心細い思いをしてないだろうか。怪我は大丈夫なんだろうか。そればかり考えている。
「もう寝ろ」
「ん……昼間起きてたから結構眠たい」
「ニア」
「……なに」
「どこにも行かせねェからな」
「おれが何処に居るのかは、ローくんが決めることだよ」
聞き飽きたほどの台詞に、おれは否定的に返すようになった。それでもドフィはおれに手を上げない。分かりきってることだからだ。おれがローくんを好きだなんて。
反抗するなんて今まであり得なかったことだ。ドフィはそれすら愉しんでいるかのように静かに笑う。欲しいものはなんでも手に入れてきたわけだから、おれのことだって無理矢理手中に収めるつもりなんだろう。好きなだけ喚いていろと言われている気分だった。
◆
なんだか王宮が騒がしい。ゆうべ早く眠れたおかげで、どうやら朝に目が覚めたようだった。ベッドの中で丸くなりながら、瞼を下ろす。もうひと眠りしていたい。
「……?」
おれはゆったりした動作で起き上がる。
部屋を見渡せば、ドフィは椅子に腰掛けて本を読んでいた。
蓄音機からはクラシックが流れている。
「…………外、煩くない?」
「起きたか。早いな」
「早く眠れたからね」
すると、ドフィは電伝虫を一匹持ってベッドへやって来た。
「……それ、……それ」
「ああ。ローの物だ」
「………………ローくんの」
ちいさなその頭にはローくんとお揃いの帽子が被せられている。腹にはハートの海賊団のドクロ。間違いなく、ローくんの物だ。
「触っていい?」
「好きにしろ」
「…………かわいー」
カタツムリに可愛いもクソもあるかよ、とドフィは言った。
「もしもし、ローくんですか。ニアです」
おれは繋がってもいない、眠った電伝虫に話しかける。指で突いたりもしてみた。
「…………おはよー」
「馬鹿やってねえでコッチに来い」
「人攫いだ」
電伝虫から引き剥がされたおれはドフィの膝の上へ。まさに愛玩動物たる扱いを受け、おれは黙ってドフィに頭や顎を撫でられている。
「…………楽しい?」
「ああ」
「なら……いいんだけど」
絶対女の子にそうしてたほうが楽しいのにな。反応も可愛いと思うし。
なんて考えていると、ローくんの電伝虫が鳴いた。即座に顔をそちらに向ければ、ドフィはおれに向かって人差し指を立てる。喋るなよ、の合図だった。
「おれだ……七武海をやめたぞ」
「!」
ど、どういうことだ?だから外が騒がしいの?ドフィなんにも言ってなかったのに。
なにがどうなってるんだよ。何故だか電伝虫の向こうには複数人居るらしく、ドフィが出たことに驚く声や怯える声が聞こえてきた。
『もしもし! おれはモンキー・D・ルフィ! 海賊王になる男だ!』
意外な人物が名乗りをあげるので、おれは思わずドフィを見上げる。ドフィは驚くこともなく普段の笑みを携えて、麦わらくんと会話を続けていた。
つまり麦わらくんとローくんが一緒に居たことを知ってるんだ。パンクハザード内部の情報は適宜ドフィに伝えられていただろうし。
まさか彼の声が聴けるなんて思いもしなかったので、おれはなんだか安心した。元気そうでなによりだ。前に会った時は随分弱ってたから。
『麦わら屋! 奴のペースにのるな!』
突如聞こえてきたローくんの声に、おれはピンと背筋を伸ばす。もっと近くで声を聞きたくて、ドフィの腕の中でもがいた。
『今から八時間後! ドレスローザの北の孤島、グリーンビット南東のビーチだ! 午後三時にシーザーをそこへ投げ出す。勝手に拾え』
ローくんは麦わらくんたちと結託してパンクハザードからドレスローザに向かっているらしい。どういう巡り合わせかは分からないけど、上手くいってるのなら良かった。
『――それ以上の接触はしない』
それを聞いたドフィはおれを見下ろしてくる。
残念だったな、とでも言いたげだ。
まだローくんがSMILE工場を標的に定めているとするなら、彼はドレスローザまで来るはずだけど。色々込み入った事情もありそうだし、こればっかりはどうなるか分からない。とりあえずおれは、それらしく傷ついた顔を作って俯いておいた。
「フッフッフッフッ! 淋しいねェ。成長したお前と一杯くらい……」
『切れー! こんなもん!』
その時、ドフィがおれの背中を押した。受話器を持たせ、喋るように促してくる。
「……ッ、ローくん!」
しばしの後、ローくんの「貸せ」と言う声がする。そんな彼の後ろでは、麦わらくんたちの賑やかな声が聞こえていた。
『ニアか……?』
「うん、おれだよ」
「もう二度と会うこともねェ。お別れくらいさせてやるよ」
ローくんにも聞こえてしまうくらいの声量で、ドフィはおれに言って聞かせる。
「…………」
ローくんがおれを迎えにきてくれる。
それは何も今じゃなくていい。いつかでいい。ドフィの足場を崩したあとでも、ドフィがおれに飽きたあとでも。
「…………ローくん、ごめんね。おれはもうローくんのところに帰れません」
『なに?』
「これからずっとドフィと一緒に居ることにしたから、おれのことはもう忘れて。みんなにもよろしく言っておいてね。それじゃあ」
『…………ニア、お前』
「あ、そうだ」
機嫌の良さそうなドフィを一瞥してから、おれは少し間を取ったあとに囁く。
「おはよう、ローくん」
返事を聞く前に、おれは受話器を置いた。おれの気持ちは上手く伝わったかな。もしかしたら、もう忘れられてるかもしれないけど。
とにかくローくんには、ドフィの言う通りにしていればおれは安全だってことは伝わっただろうし。ドフィには、無理矢理ローくんと引き離されたように見えたと思う。
多分、この言い方で間違えてはいないはず。
たとえ嘘だとしても、口にしてしまえば淋しくなる。嘘でも、あんなこと言いたくなかった。おれは瞳を伏せてドフィに向き直る。
「……ありがと、話させてくれて」
「ああ、上出来だ」
「あとはおれがローくんのことを忘れるだけだね」
「フッ……できるのか?」
「忘れさせてくれるんでしょ?」
やけに愉快そうに笑ったあと、勿論だと言ってドフィはおれの頬に唇を落とす。今日はなんだか忙しい日になりそうだ。
◆
あれほど焦がれていたニアの声で聞かされた言葉は確実におれの胸を抉った。
『それじゃあ』
「…………ニア、お前」
『あ、そうだ』
おれにはニアが置かれた状況は分からない。本来ならばよく無事で居てくれたと喜ぶところだが、ニアは今ドフラミンゴと共に居る。下手な話は出来なかった。
『おはよう、ローくん』
そこで通話は打ち切られたが、おれの耳にはその続きが聞こえてくるようだ。大好きだよ、と笑うニアの顔まで浮かんでくる。
なるほど、向こうは向こうで複雑な状況なのかもしれない。おれは最後に聴いたニアの言葉を信じたかった。とうに通信の切れた受話器に向かって、こちらもおはようと呟いて返す。
「トラ男、いまの誰だ?」
「……、……うちのクルーだ。訳あって今ドフラミンゴのところにいる」
「潜入か? おまえホント抜け目ねェなー」
「潜入……だったら幾らかマシかもな」
どうする。話しておくべきか? 今更おれを疑う余地もありはしないだろうが、麦わら屋はまだしもクルーの方は不思議そうな顔をしている。
今回の目的の中に、ニア奪還は含まれていない。本音を言えば勿論奪い返したいところだが、現状そうもいかない。ドフラミンゴを相手取るというのはそういうことだ。
お互いに覚悟の上で船を離れた。全て覚悟の上で、おれはニアと離れて過ごしている。不安がないと言えば嘘だ。大嘘だ。本来ならあいつは今もおれの隣に居るべきで、今すぐにでも進路を変更して奪い去りに行きたい。
「…………人質か」
聡い黒足屋が煙を吐きつつ言った。
「……有り体に言えばそうなる」
「なんだよトラ男!仲間を人質に取られてんならもっと早く言え!」
「今回の計画に……アイツの奪還は含まれていない」
「なんでだよ」
麦わら屋は難しそうな顔をして首を捻る。
「寄り道してる時間はねェんだ。相手はドフラミンゴだぞ、分かってんのか。失敗は許されねェ」
「仲間を取り返すのって寄り道なのか?」
「……」
そんな筈はない。おれだってあいつを、ニアを優先したい。
当然だ。だがそれじゃあ本来の目的は果たせなくなる。ニアがドフラミンゴのところに居るのだって、そもそもおれの目的の為だった。
捉え方によっちゃ使い捨てにしたと言われても、おれは上手く言い返せないだろう。尚更、おれは目的を果たす為に余所見は出来ない。
「……元々あいつはドンキホーテの人間だ」
「なら裏切りか? そういや、もう戻らねェって言ってたろ」
話が見えねェと、黒足屋はおれと麦わら屋の間に割り入ってくる。
「違う。あれは言わされてるだけだ」
「えーっと、ニアって子はそんなに特別な子なの? スゴい能力者とか?」
ナミ屋の質問に、おれは息を詰めた。
「…………確かに、ある意味そうかもな」
「なによそれ。ちゃんと話してくんなきゃ分かんないわ」
「ミンゴをブッ飛ばしてニアって奴も連れて帰りゃいいじゃねーか!な、トラ男!」
「……人の話を聞いてたのか。目的はあくまで工場の破壊だ。直接叩けるような相手じゃねェ」
ニアも承知の上でドレスローザに身を置いてる。おれがあいつの覚悟や気持ちを踏みにじるわけにはいかない。
「でもニアって名前、なーんか聞いたことあんな!」
「お前の治療をしたとき、ずっとお前に付いてた」
「ああ! あの時か〜! 世話んなったなー!」
「……顔も覚えてねェだろ。この話は終いだ、麦わら屋」
苛立つおれはそこで言葉を切る。
「嫌だ! おれは納得してねェ」
「ちょっとルフィ。どこの船にも事情ってのがあるんだから……、」
「トラ男はそれでいいのかよ」
いいわけねェ。この機を逃せば、次にいつチャンスがあるかも分からない。だが、それでも。
「………………構わねェ。互いに承知の上だ」
「……ふーん。おれ、トラ男はもっといい奴だと思ってたぞ」
「どうとでも言え。なにも知らねェくせに」
「話さなきゃ分かんねェだろ」
まっすぐに、麦わら屋の丸い瞳がおれを鋭く射抜いた。
「……話すとややこしくなる。テメェらはニアを連れ戻そうとするだろう」
「いいじゃねェか! 迎えに行けりゃあ行き当たりバッタリだろ!」
「願ったり叶ったりでしょ、馬鹿!行き当たりバッタリなのはアンタ!」
漫才を繰り広げる麦わら屋とナミ屋を他所に、おれは視線を落とす。
「…………目的を変えるわけにはいかない」
今は亡きコラさんに捧げた誓いを果たす為には、そうするしかなかった。ドフラミンゴとやり合う戦力は整っちゃいないわけだからな。
「シュロロロロロ! こいつァ傑作だァ! トラファルガー!」
「……なんだと」
「ニアってのはジョーカーのペットの名前だろ?おれも聞き覚えがある」
「ペット……? 言葉には気をつけろ」
「ッハ! もし万が一、ジョーカーのスキをついてニアを取り戻せたとしても! そいつァもうテメェの知る人間じゃァねェかもな」
「………………説明しろ」
胸騒ぎがする。悪い予感ほどよく当たるもんだ。
「おれがドレスローザに送っていたのはSADとあとひとつ!」
「…………クスリか」
「ご明察だ、トラファルガー・ロー。さては心当たりがあるな? 一年ほど発注されなかったが、しばらく前にまた催促されてよォ」
「経緯はいい。テメェが話すべきことを話せ」
舌打ちを乗せてシーザーを睨めど、奴はしたり顔のままだった。
「強い依存性はねェ。だが身体に刻み込まれた経験ってのは、時に依存症よりも厄介だ……」
「……それで」
「毎日服用してたなら結構な月日になる。ブッ壊れててもおかしくねェ。話の最後に『おはよう』なんて挨拶するなんざその証拠だ。ジョーカーもシャブ漬けのお人形侍らせてなに、ガッ」
鬼哭を抜く。
奴の前へ躍り出る。刃先を喉元に突きつける。すこし力を入れれば斬れる。確実に殺せる。
「…………おれのモノに対して随分な言い草だ。言葉に気をつけろと言ったよな」
「ッヒ!」
「誰だろうと……アイツを侮辱するのはこのおれが許さねェ」
「ちょっと! トラ男君!」
ナミ屋の声がして我に返った。鬼哭を鞘へ収めると背後でシーザーがぎゃんぎゃん喚く。
「なァーんだ! トラ男、やっぱりニアが大事なんだな!」
「……当然だ。替えが効かねェ。アレは唯一だ。おれにとって、」
「よし、なら助けよう!」
「おれも心配だよ、トラ男」
声がしたほうへ視線をやれば、トニー屋が浅く俯いていた。
「もし……モチャたちみたいな奴が居て、それがトラ男の仲間なら、放っておけねえ」
「…………お前たちには関係のないことだ」
「なんでだよ! お前はモチャたちの治療だってしてくれただろ!」
おれを仰ぎ見るトニー屋は、涙の溜まった目をその手で強く擦る。膝を折って視線を下ろせば、トニー屋の真摯な眼差しと目が合った。
「おれは医者だぞ」
「……おれだってそうだ」
「もし判断力の低下や……そうだな、記憶の混濁とか他にも危ない症状が出てるなら」
「…………フッ」
シーザーを振り返る。奴は瞬間怯んだが、構うことはない。
「残念だったな、シーザー。あいつはもともとネジが飛んでる」
「な、なにを……!」
「今更追加で何本抜けたって、こちとらなんの問題もねェんだよ」
「と、トラ男……」
くん、とおれのジーンズをトニー屋が引っ張った。
「……悪いが……、」
「お、おう。なんだ!」
「…………もしニアが戻って来たら」
「……! おう!」
「治療室を借りたい」
「勿論だ……! 勿論いいぞ! トラ男!」
言うなりトニー屋は麦わら屋の胸へ飛び込み「ニアって奴!助けに行くぞー!」などと息巻いている。…………これで、よかったんだろうか。
「次はないかもしれねェ。そうだろ」
「……黒足屋」
「なら事のついでだ。船長もやる気満々だしな」
「おお!任せとけよ!トラ男!」
「…………気のいい奴らだ」
おれは帽子を深くかぶり直し、腰を下ろす。恐らくニアは王宮だ。もしかしたら幽閉でもされてるのかと思ったが、幾分か自由なのかもしれねェ。となればチャンスはあるか?分からねェ。せめてもう一度話ができりゃいいが。
「トラ男! 写真ねェのかよ! 写真!」
「あ?」
「ニアの顔! みんなに見せとかねェとよ!」
麦わら屋がそう叫ぶ。おれは顔を逸らして「うるせェな」とボヤいた。
「……真ん中の。白くまの隣がそうだ」
ドレスローザとグリーンビットの地図を取り出して裏返す。そこにはいつだかに撮ったクルーの集合写真が貼り付けてあった。
「へぇ? 可愛いお顔ね」
「ロビンちゃん……?」
「だが当初の目的が最優先だ。忘れるなよ。それが遂行できなきゃニアを探すなんて夢のまた夢だからな」
ついでと言うには大層な仕事だ。
だが黒足屋の言う通りこの機を逃せばいつになるか分からねェ。
「……もし今回取りこぼしたとしても、おれは必ず這ってでもこいつを奪い返すつもりだ。負い目を感じることはない」
「素直じゃねェな〜トラ男」
「だが……もし見かけたなら」
写真から視線をあげて、麦わら屋のクルーをぐるりと見渡す。
「ドフィがどうとかゴチャゴチャ抜かしても、ふん縛ってでも連れて来てくれ。あいつはハナからおれのもんなんだよ」
「……トラ男君、それ悪者の台詞よ」
「ふーん。分かった!」
一番分かっていなさそうな奴がそう言うと、歯を見せてからから笑った。
「ほんじゃ全部着いてから考えよう! しししし、冒険冒険っ! 楽しみだなー、ドレスローザ! おれ早くワノ国にも行きてェなー!」
「バカいえ! 何の計画もなく乗り込める様な……」
「サンジ、ハラ減った。朝メシなんだ?」
「サンドイッチだ」
「わー、おれわたあめサンド!」
「私は紅茶だけで」
全くお気楽な奴らだ。さっきまでの神妙な空気は何処に行ったんだ。
おれは地図を畳んでポケットへ戻す。
「おれはパンは嫌いだ」
途端、麦わら屋とクルーどもが一斉におれへ振り返った。――気が緩んでいけねェ。
ニア、面と向かって助けてやれる約束ができないおれを許してくれ。だが、もう目と鼻の先にお前が居ると思えばおれは何でもできる気がしてる。
目的が果たされたなら、おれはきっとお前を連れ戻す。そうすれば今度こそ。この先ずっと、おれと一緒に居て欲しい。