02

攻撃的な視線でもっておれを射抜くその瞳は、まだ希望を捨てちゃいなかった。
スートの間にはおれとニアの二人きり。

「おれはもうドフィを喜ばせるようなこと出来ない。気分悪くする前に殺しちゃえばいいのに」
「フッ……殺して終いじゃァつまらねェ」
「悪いひと」

半年以上にも及ぶ軟禁生活に体力も落ち、幾らか肉の落ちたその四肢を庇いながら、ニアは腰を下ろしたまま吐き捨てる。

「どうせローもお前も、逃げ場なんてねェんだよ」
「……どうかな。麦わらの一味には一杯食わされた奴らがゴロゴロ居る。ドフィだってそうだ」

視線を落とせば、今朝まで足枷の嵌っていたニアの足首が見えた。未だに生々しく残る傷跡は、あの日、間違いなくおれがつけたもの。
ハートの彫り物を引き裂くような傷は、ニアの足首に巻きついている。その上、数ヶ月間足枷が嵌ったままだったせいで擦れたような傷もあった。
後悔しているわけじゃなかったが、自分で痛めつけておいてなかなか気分が悪い。

「……暗い部屋にでも閉じ込めて。一歩も出さなきゃよかったなァ。おれかお前が死ぬまで手元に置いておけば」
「……お断りなんだけど」
「まァ、今からでも遅くねェ。あんなトコに行かせたくはねェんだが……オイ!」

部屋の外に待機させている部下を二人呼びつける。

「非常事態だ。気は進まねェがこいつの返答次第じゃァ、おしおき部屋へ案内してやれ」
「「はっ!」」
「さァ、どうしたい。ローが死ぬまで閉じ込められるか、本来の主人のそばでローが死ぬのを見届けるか」
「どっちもパス。ローくんは死なない」
「フッフッフッ……生意気な奴だ」

ふらりと立ち上がったニアは相変わらずおれをまっすぐ睨め付ける。普段温厚な部類だが、怒ったニアはどこまでも頑固だった。まさかこの目がおれに向けられる日が来ようとは思わなかったな。

「交渉決裂だ。手が空いたら躾け直してやる。なに、すぐ迎えに来てやるさ」
「……っ、離せ……!」

これまで、おれはニアの身体をイトイトの能力で好き勝手動かしたことなど殆ど無かった。こいつに身の危険が及んだときは別だったが、それ以外では操る理由もなければその気も起こらなかった。ドンキホーテ・ドフラミンゴが聞いて呆れるが、おれはニアに対してなるべく悪魔の実の能力を行使するようなことはしたくなかったからだ。
しかし今日この日、おれは既に二度も自らに課した制約を破っている。

いつだかにニアは、ローの動向が知りたかったのならヴァイオレットに聞けばよかったと言ったが、おれがヴァイオレットにニアの頭の中を覗けと命じたことなどただの一度もない。

ニアを侮っているわけではなかった。

ニアの口から出る言葉こそ信じるべきだと思っていたからだ。こいつがローを想っているのなんてハナから分かりきっていたことだが、それを押し込めてまでドフィが好きだと言うニアの声に、これまでおれは何度も救われてきたのだろうと思う。

『お前はどこにも行くなよ、ニア』
『うん』

実の弟を手に掛けた日をきっかけに、この十三年間。年甲斐もなく、およそ二十も歳が離れたガキにおれは執着してきた。世界の闇を束ねるおれにとっての良心。それがニアだ。ひとらしい感覚は投げ棄てたつもりでいるおれが、真っ暗な闇の中でただ一つ守り通したいもの。
まだおれの中に微かに残る、甘ったれた心の拠り所。

馬鹿だ馬鹿だとは思うが、そんなニアの耳におれの悪事の数々を話して聞かせたくはなかった。穢れず綺麗なままでいい。独りよがりにも、そんな風に思っている。嫌われたくなかっただなんて、どの口が言うんだ。これまで散々傷つけておいて。

「ニア」
「…………なに」
「おれァ……どこで間違えたんだろうな」

今回の騒ぎを引き起こしたロー、麦わらの一味及び協力者数名の首取りゲームを鳥カゴの中の国民に言い渡したことで、今やドレスローザの街からは悲鳴や怒声が溢れている。

そんな中だが。
どうしてこいつと顔を合わせているときだけは、こんなにも気が安らぐのか。ニアはおれへ敵意の目を向けているというのに。

「……何言ってるの」

脈絡のない問いかけに、ニアは複雑そうな顔をして首を傾げた。

「おれとローは何が違う」
「…………何もかもだって言われたい?」
「フッフッフッ……!」

イトイトの能力で拘束されたニアの身体を、近づいて抱き上げる。ニアは心底嫌そうな眼差しでおれを見上げた。しかしそれは一瞬のことで、ひと息吐く頃には心細げにその瞳を伏せる。

「……今までたくさん嘘ついててごめんね、ドフィ」
「気でも変わったか?」
「いいや? でも……ドフィもローくんも、おれにとっては大事だから。言いたいことは言っとかないと」

だからごめんね、と声の調子を落とすニアに、おれは少しばかり気が緩みかけた。惚れた弱みという奴だろうか。どうも甘くなる。

「…………怒っちゃいねェよ」

まるでここ数日の騒ぎなど無かったかのようだ。普段通りの、これまで通りのやり取り。静かで穏やかなニアの声が、おれの頭を冷やすようにこの耳に届く。
スートの間の外へニアの身体を下ろし、しばし見下ろしたのちに拘束を解いて抱き竦めた。

「だからニア、考え直せ。お前はおれと居るべきだ。お前だって判ってんだろ?」
「……確かに。強いドフィと一緒に居た方が安全だし、苦労もないね。だけど……おれが心も命もあげたいひとはローくんだけなんだよ」

おれもニアも曲がらなかった。

いくら権力や財力を得ても、ニアだけは得られない。
幼い頃ならいざ知らず、手足が伸びて背も高くなったニアの心は、いつしかおれから距離を取ったことくらい判っていたはずだ。

「お前までおれから離れていくのか」
「……ドフィ?」
「結局、どのハートも……おれには残っちゃくれなかったな」
「なんの話」
「フッフッフッ……言ったろ。分からなくていい。どうせ分かりっこねェわけだからな」

出入り口から差し込む明かりがニアの輪郭を仄かに浮かび上がらせる。

「……っ、ドフィ。おれ酷いことたくさん言ったけど」
「気にしちゃいねェよ」
「嘘!」
「なに言われたってなにされたって、結局許しちまうんだからな」
「…………なんなんだよ……、もう……」

困惑しきりのニアを部下に引き渡す。両手首を取られたニアは逃げられやしねェだろう。

「判ってるさ。お前の言葉全てが嘘じゃなかったことくらい」

幾度となく囁かれた愛の言葉も、おれを気遣う優しい言葉も、機嫌を損ねて拗ねたときの憎まれ口も。ローではなく、おれにだけ向けられた言葉の数々を、おれはきちんと覚えている。

「ドフィ……、でも」
「フッフッフッ! 心配するな。すぐ戻ってきてやる。そうしたらじっくり教え込んでやるよ。お前がいったい誰のもので、誰に生かされ、誰を愛していくべきなのか」

返事を寄越さないニアの足元へ、ゆっくり視線を流した。

「…………悪かったな、足首の」
「……え?」
「……おれが戻るまで、しっかり反省してろ。連れていけ!」
「「はっ!」」
「ドフィ!」

全てカタがついたら、間違いを正してやり直そう。ニアはおれのそばに居るべきで、これからもおれの心を預けておかねばならない。

その為に、この国にいる連中はひとり残らず消しておかなきゃな。

お前の大好きなローも、今日ここで死ぬんだよ。深く傷つき、絶望すればいい。
なにも分からなくていい。なにも考えなくていい。悲しみに身を任せて泣きじゃくっても、怒りのあまりおれを殴っても、おれはお前の全てを許そう。

なにもかも、おれがお前のためにやることだ。
おれのためにやることだ。

世界を壊すおれの隣で、どうかその優しい胸を痛めてくれ。