04

「マンシェリーちゃーん!」
「あ! ニアれす!」

王宮近くのひまわり畑の端のほう。何人かの人間の足元に、マンシェリーちゃんたちトンタッタの姿があった。おれを見るなりマンシェリーちゃんは凄まじい勢いで駆けてきて、おれの胸元に飛び込んでくる。驚きつつも受け止めて、おれは味方らしき人がいる方へと近づいた。

「ニア! また怪我をしたのれすか?」
「してないよ」
「だって血が!」
「ああ、これおれのじゃない。王宮こっそり出てくるために服借りたんだよね。似合う?」
「にっ……似合わないれす!」
「だよねえ。着替えてくる」

マンシェリーちゃんをレオくんのそばに下ろして、おれはファミリーの構成員が揃えて着てるタートルネックのトップスを脱ぎ捨てる。

「あなたがニアくんね」
「……うん。ニコ・ロビンちゃん。うちの船長がお世話になってるみたいで」
「ふふ、あらそれはうちも同じことね」
「情けない話、おれずっと王宮に缶詰だったんだよね。戦況はどうなってる?」

インナーを着替えてジャケットを羽織り、サルエルも履き直しながらおれは問うた。
麦わらの一味に在籍する彼女は手配書で見るより何倍もクールでキレイだ。しかもおれより背が高い。めちゃくちゃ強いらしいから、憧れちゃうな。

「王宮の屋上でルフィとあなたの船長さんがドフラミンゴとトレーボルを相手に」
「……そ。ハハ……ほんと、とんでもないことになっちゃったな」

脱いだ服で、血塗れになったナイフを綺麗に拭いていく。後ろには、心配そうな面持ちで王宮の屋上を眺めるレベッカちゃんとキュロス……キュロスさんだっけ。その二人が居た。
こんな状況だ。他の面子は散り散りになってしまったんだろうなあ。

「…………こういうときさ。うちの船長なら絶対大丈夫、とか思ったりするでしょ」
「ええ、そうね」
「……なーんかさ。おれは……それが悔しくて」

任せておけばそれでいいなんて思ってない。ただ、もっともっと強くなりたい。彼の力になりたいし、彼の負担を減らしたい。

「……わかるわ」
「わかるんだ。ロビンちゃんも懸賞金すっごいのに」

少し間をおいて、ロビンちゃんはもう一度「わかるわ」と呟いて笑った。おれは返事の代わりに、もっていたハットを深めに被る。すると一層おおきな音がして、王宮の屋上から炎が上がった。おれは目を丸くする。ローくん、大丈夫かな……。

「大丈夫れしょうか! 何かぼくらも加勢を!」
「いや、手は出さない方がよさそうだ……!」
「ええ。正直足手まといになるわ……! 見て!」

あ。見える。ローくんが見える。

「ドフラミンゴと同じ王下七武海の称号を持つトラファルガー・ローでさえ」
「……ッ、ローくん!」
「あんな姿に!」
「ローランド!」

王宮の屋上から、麦わらくんに抱えられて落ちてくるローくんが見える。意識があるのかどうかも分からない。ああ、ああやっぱり屋上に行ってればよかった……!

「ルフィ! トラ男くんをこっちへ!」
「ロビン! 助かる、頼む! トラ男はもう充分ミンゴを追い込んだ!」

そう言って麦わらくんはこっちに向かってローくんの身体を鬼哭を放り投げる。落ちてくるのは三つだった。三つ?ローくんと、鬼哭と、それから。

「うそ! 腕がっ! ……スパイダーネット!」

全く何から何までやってくれる! ドフィ! 瞬間、足が固まった。ロビンちゃんがその能力で受け止めてくれたのが見えて我に返り、ローくんに向かってすぐさま駆け出す。

「余計なマネをするな! そいつはまだ息がある! 退場じゃない!」
「……ドフィ!」
「ん? ニア……フッ、まァいい。全部終わりゃァゆっくり回収してやるよ」

全身ボロボロのローくんに追い打ちを掛けるため、ドフィは指をこちらに向けた。

危ない。仕留める気だ。「弾糸」とドフィの声がしたときにはもう、おれはローくんを抱きとめるロビンちゃんの前に躍り出ていた。
ドフィのことは麦わらくんが止めてくれたけど、ドフィの弾は既に射出されたあと。おれは盾になるべく、ドフィに背を向けてローくんとロビンちゃんの頭を両腕で抱え込んだ。

「殺させない……!」
「ニアくん!」
「金の斧 銀の斧!」
「……へ」
「キャベツくん!」

直接関わったことなど一度もないが、海賊のキャベンディッシュが飛び込んできておれたちを守ってくれた。いったい誰が味方で、味方がどのくらいいるのかも分からない。おれはひとまず二人に新たな怪我がないことを確認してから身を離した。
麦わらくんがキャベンディッシュにみんなを連れて下に降りるように告げている。

「……意識ない。他の打撲も裂傷も酷い。出血しすぎてる、腕の止血も不十分だ……ローくん、ローくん聞こえる?」

耳元へ口を寄せて呼びかけるけど反応はない。でも息はあったのでおれは心底ほっとした。

「切り口がぐちゃぐちゃれす! うまく縫い合わせられれば……」
「そうすれば私のジョーロでチユできるのれすけれど!」

とにかく下へと誘導される。おれは切り離されたローくんの右腕を抱えて、キャベンディッシュに抱き上げられたローくんのそばへ寄った。

「……! 待て!」
「ん? 気がついたかトラファルガー!」
「ローくん……あんまり喋んないで」
「……おれを置いていけ……!」

苦しそうに口を動かしながら、ローくんはおれのほうを見た。
それから左腕を伸ばしてくるので、咄嗟に手を握る。

「十三年間、おれはドフラミンゴを討つ為だけに生きてきた……! やれることは……ハァ……全てやった……後は麦わら屋に託すしかない……!」

苦々しげに言葉を区切りながら、だけどしっかりとローくんは言った。

「あいつが……勝つのなら……! ここで見届けたい……! ――もし負けたなら……おれもここで……共に殺されるべきだ……!」

彼をこの戦いに巻き込んだのは自分だと言い募るローくんは、ここへ置いていけと言って聞かない。ロビンちゃんが説得しても置いていけ、たのむと言い放つ。
おれはローくんがそうしたいのならそうすべきだと思ったので、ローくんと一緒になってキャベンディッシュに視線をやった。

「自殺願望はきけない……ぼくも残る。――それで妥協しろ。キミが死ぬとしたらぼくの次だ!」
「……!」
「おれの次かな……キャベンディッシュ、ありがとうね」
「キミは? 随分トラファルガーと仲が良さそうだが……?」

ローくんを地面へ寝かせ、自身も腰を下ろしたキャベンディッシュに続いておれも倣った。自分のコートをロビンちゃんに渡しつつ、おれへ怪訝な眼差しを向けてくる。
握ったままだったローくんの手を放した。

「おれはニア。……ハートの海賊団のクルーだよ。ね、ローくん」
「…………ニア」

悔しそうに歪む顔。それでもどこか安堵したような。
そうだよなあ。悔しいよなあ。ほんとは麦わらくんに託すなんてことしたくなかったよね。

自分でケリつけたかったよね。

「お前……怪我は」
「してない。おれの心配はいいから……レオくん、縫えそう?」
「はいれす! 任せてくらさい!」
「……ニア」
「なあに?」

力なく伸ばされたローくんの左手がおれを探して惑うように揺らめく。おれがその手を取ると、ぐいっと引かれて頭を取られた。ローくんの胸元へと引き寄せられる。

「……っ、なになになに!」
「よかった…………無事で」
「いいから今は自分の心配してよね……」
「ニア」
「なに? いまマンシェリーちゃんとレオくんが治療――」
「……もう駄目だと……なんども、思った」

ぽつりぽつりと語る合間、レオくんはするするとローくんの右腕を縫いつけていった。

「……うん」
「……お前が居なけりゃ、とっくに死んでたかもな」
「はは、まさか……でも、そう言ってもらえたなら…………おれも生きててよかったよ」

縫合が終わり、マンシェリーちゃんの治癒が始まる。
おれは今更気恥ずかしくてローくんの胸元から顔を上げた。二人きりならいざ知らず。ここにはトンタッタとキャベンディッシュだって居るわけだから。

「ニア」
「なに? ちゃんと休んでなよ……自分が思ってる倍はボロボロだからね、ローくん」
「……約束を」

約束。
どの約束だろう。おれは息を飲んだ。破ってしまった約束なんて山ほどある。責められるんだろうか。いや、責められて当然だ。

「……次に会ったらいちばんに……何するんだったか」
「は…………?」
「さっき会った時は」

し損ねた。と、ローくんは言い含める。

『次に会ったら、いちばんにちゅーするから』

そう言ったのはおれだ。確かにおれだ。期待しておくと返したのはローくんだった。
え? でもなんで? 今ここで? 冗談キツい。

向こうでは今も麦わらくんとドフィの激しい戦闘が繰り広げられている。大きな音がして土煙があがり、辺りの建物がどんどん崩れていった。
前国王であるリク王の涙ながらの訴えが放送されてきても、ローくんはじっとおれを見ている。トンタッタのふたりはいつの間にか姿を消していて、キャベンディッシュは麦わらくんが居るであろう方向を見やり、見守っていた。

「…………ただいま……戻りました。船長」
「……ああ」
「きみを想わない日なんてなかった」

ローくんの左手を持ち上げて、その指先へ唇を落とす。

「生きてて…………よかった」

すると今までにないほどの爆音とともに、おれたちの身体がグラリと揺れた。
顔を上げて辺りを見れば、身を乗り出して戦況の行く末を眺めていたキャベンディッシュが静かに「麦わらだ」と呟く。

「なんて破壊力だ! これで生きてられるハズがない!」
「…………いや」
「ハァ……! 空を見ろ……」

おれとローくんは空を睨んだ。いや、正確には、未だ消えない糸の檻。

「鳥カゴが消えねェ……!」
「…………ドフィ……」
「ニア」
「ん?」
「もう……呼ぶな」
「え」
「…………呼ぶな」
「……はい、ローくん。おおせのままに」

心が狭いなんて言うつもりは無かった。ローくんが素直にそう言ったのが何故だか嬉しくて、胸がすこしスッキリしたのかもしれない。

「……麦わらの動きが止まった……?」
「キャベンディッシュ、どうなってるの」
「分からない……」

ローくんのそばを離れてキャベンディッシュの隣へ寄る。するとその時、地鳴りがして足場が揺れた。揺れたなんてもんじゃない。足元に激しすぎる衝撃が伝わってきて、まるで大きな地震のようだった。ドフラミンゴは、死んじゃいない。

「麦わらくん、限界なの?」
「……ここからじゃ分からない。だが麦わらなくしてこの戦争、勝てるハズが……!」
「ちょっと見てくる」
「ニア!」

吠えたのはローくんだった。

「怖い顔」
「あいつの所に行くんじゃねェだろうな」
「……会えたらいいけどね」
「ニア」
「鳥カゴも随分狭いし……どうにかなると思うよ」

おれは両耳から黒い羽ピアスを取りながらローくんの元へ戻って、彼の手に握らせる。

「おまもり。コラソンは、ローくんを守る」
「……許すと思ってんのか」
「はは……生きて戻れたらいっぱい褒めて」


   ◆


ローくんの命令に、逆らってしまった。

おれはひまわり畑からどんどん距離を取る。後ろからローくんとキャベンディッシュが引き止める声がしてたけど、おれは止まらなかった。
まずは地上を目指す。あちこちひび割れて地割れの起こったようなナリだけど、割れたおかげで足場も出来てる。この程度なら滑り落ちてもおれなら大丈夫。マンシェリーちゃんが癒してくれなかったらどうにもなっちゃいなかっただろうけど。

中心街に降り立って、あがった息を整える。視線は左右上下に振って目的の人を探し続けた。

「……麦わらくん!」

しばらく走れば、コロシアムの実況を務めるギャッツに背負われた麦わらくんを運良く発見する。名前を呼んで近寄れば、麦わらくんはこれ以上ないほどに疲弊していた。

「ニア……!」
「あと五分くらい……休まねェと……覇気が戻らねェんだ…………」
「休憩が要るんだね。それで、きみじゃなくて他の人らが戦って足止めしてるわけか」

半目になって、辛そうな麦わらくんは言葉もなく頷く。

「それじゃ、おれもお手伝いしてくる。中心街だね」
「……ほんとか」
「うん。うちの船長に良くしてくれて……ありがとう」

辛うじてまだ残っている建物の、抜け道になりそうな裏路地へギャッツを誘導し、おれはかの人を探した。桃色のコートを羽織って、いつでも笑みを絶やさないその人を。


   ◆


破壊と殺戮の限りを尽くす彼が、中心街でぽつんと佇むおれに気が付かないわけがなかった。改めて三メートルを超える男と対峙するのは首が疲れるなあと、他人事のように思う。

「……なんの用だ、ニア」
「ケリをつけにきた」
「フッ……悪いが遊んでる暇はねェんだよ」
「うん。遊びに来たわけじゃない」

スラリと抜いたナイフの切っ先を、彼へ真っ直ぐ向けた。

「ああ?アレ、ニアくんじゃねェか!」
「なワケあるか! ニアはドフラミンゴの……ええええどうなってんだオイ!」
「ニア! 危ねェから逃げろ!」

ドンキホーテに恨みを持つドレスローザの国民に、そんな風に気遣って貰えるなんて思いもよらなかったな。おれは彼らに一度視線をやって「はやく離れて」と告げておく。

「……それがお前の答えなのか、ニア」
「うん」
「そこまでして死にてェか」
「……あは」
「残念だよ。おれは悲しくて悲しくて……」

瞬間、彼の後ろから触手のような糸の塊が伸びてくる。
おれは意識を集中させて身を翻して何とか避けた。

「フッフッフッ……笑っちまうぜ! ニア!」
「……ローくんの右腕を落としたいなら」

ポケットから煙草を取り出して咥える。この一本を最後にしよう。
大切なライターで火を灯し、おれは胸いっぱいに煙を吸い込んだ。

「ここ狙わなきゃダメでしょう」

煙草を咥えたまま、おれは指を自分の首に滑らせる。喉元を指でとんとん押した。

「お前程度に何ができる」
「……コラソンとしての役目を果たす」
「お前の役目はおれの隣に居ることだろうが……」

その額に青筋を立てて言い放つ彼は、再び糸の弾を飛ばしてくる。おれはすぐさま近くにあった大きな瓦礫を飛び越え身を屈めて凌いだ。

「違う。それじゃダメなんだよ」
「いいか、もう一度だけ言う。お前に構ってる時間はねェ」
「これ以上、誰も殺させない。ローくんも麦わらくんも」

瓦礫の向こうで足音がする。すこしずつ此方に近づいてくるのを読み取って、おれは瓦礫に飛び乗った。高く跳躍し、彼の頭の上を飛び越えて着地した。振り向く彼に向かって地面を蹴り、ナイフの刃を前に前にと突き出して。

「終わりにしよ……。ドンキホーテ……ドフラミンゴ」
「気でも触れたかニア!」
「どの道ハナからイカれてんだこっちは!まともだなんて思って……ないッ!」

もう一度地面を蹴りつけて加速した。
助走をつけて彼と間合いを詰める。しかしその巨躯から繰り出される長い足の薙ぎ払いに阻まれた。おれは寸でのところでそれを飛び越えて再び距離を取る。

「…………あなたはおれにとって、……良い親だった」
「フッ……フッフッフッ!こんな父親が居てたまるかってんだ、なァ」
「本心だよ。もうおれ、嘘言わない」

駆け出すおれの身体を、彼は目で追わない。操る糸を伸ばしておれを拘束しようとしてくる。咄嗟に姿勢を倒して地面に滑り込んだら、彼の糸はおれの後方の地面を深く突き刺していた。なかなかにゾッとさせられる。

「分かってあげられなくてごめんね」
「何を今更」
「おれもあなたも、最初から間違って……ッく、そ!」

体制を立て直した時だった。おれは前方に集中するあまり、後ろから地面を這ってくる糸に反応しきれない。すぐさま飛び跳ねて避けようとしたけど、こちらに利が無い状態での彼との空中戦はタブーなのだ。跳ねて身動きの取れないおれを、彼は見逃したりしない。
腕を引こうにも既に遅く、おれはナイフを持つ手を取られた。地面に足がつかない。咥えた煙草が口からこぼれ、ぶらんと身体が浮いたままのおれを見て、彼はくつくつ笑う。

「放してほしいか?」
「……ううん」
「観念したか。利口だな」
「それも違う」

放さなくていい。そのまま持ってろ。

おれは掴まれた腕を支点にし、脚を動かして彼の腹をめいっぱい蹴りつけ、ぐるりと一回転。脚が前へ戻ったところで今度は彼の胸目掛けて両足で踏みつけるようにして蹴り飛ばす。
普通ならば蹌踉めくはずもない彼がおれを放してしまったのは、これまでの麦わらくんやローくんの攻撃が効いているからだ。

「…………おれが……お前を殺さねェと、本気で思ってんのか?」
「思ってない」
「そりゃ殊勝なことだ。先にあの世で待ってろ。すぐローにも会わせてやるよ」
「……はは、ロシナンテに叱られる」

への字に曲がる彼の口が不快を露わにする。

「お前を殺す……それもまァ……いいかもしれねェな」
「そ? 元々拾ってもらった命だ。ローくんのために使えるなら、おれはそれでいいよ」
「フッ……お前はおれのために死ぬんだよ」

遊びは終わりだと言わんばかりに繰り出される技の数々を、おれは凌ぎきることができない。糸で出来た弾丸が、おれの腹や脚を抉ってくる。
こうなるのも当然だった。相手はドンキホーテ・ドフラミンゴ。世界の闇を束ねる男だ。君臨すると言って差し支えない彼の出で立ちはまさしく夜叉のごとく。

当たり前か。
部下の失敗は許すけど、裏切りには制裁だ。

「…………ハッ……ぅ、く……っ」

時間が稼げるならそれでいい。この命ひとつ使うだけで勝機を見出せるなら。麦わらくんが、全部終わらせてくれるなら。ローくんの願いが叶うなら。
地面に這いつくばって、彼を見上げる。大きくて。強くて。カッコいいし、憧れた。ドンキホーテ・ドフラミンゴは、おれの人生に於いてやっぱり欠かせないひとで。

「……ッ……地獄で、会おうよ」
「待っててくれンのか? 泣かせる」
「あ、ッぐ……ぅ……っ!」

糸で貫かれた脇腹を靴で踏まれる。そのつま先を捩じ込まれるんじゃないかと思ったほどだ。灼けるような痛みにおれはもう悲鳴すらあげられない。

「…………無駄になっちまった」
「……ふは、ッ、時間が……?」
「お前は知らなくていいことだ」

最早ここまでだ。もう身体が動かない。でもだいぶ時間は稼げたでしょ。もう充分やったよね。ローくん、おれはきみのところに帰れないし、天国でだって会えないけど。

「さよならだ、ニア」

おれはきみを愛せて幸せだった。

「うん…………ばいばい、」

色んなことがあったけど、おれは楽しかったよ、この十三年。

「ローくん……」

おれを踏み潰そうとする彼の足からの重圧に、更なる力が加わった時だった。
途端、聞き覚えのある声がする。女の人の声だ。

「……ヴァイオレット」

ヴァイオレット? ヴィオラちゃんだって?
彼の注意がそちらへ向けられ、おれの肋は粉々になる寸前で解放された。

「ヴィ、オラちゃん……! だめだ、って」

おれと同じく。十年間その身をドンキホーテに捧げてきた彼女にも、彼女なりの意地があるようだった。どこからか、彼女の身を案じる声があがる。たぶんレベッカだろうなと推察し、おれは視線を流した。

「ドンキホーテファミリーが崩壊するというのに……幹部だった私が……何のケジメもつけないなんて、ムシが良すぎるでしょ……! 私が死ぬか……あなたが死ぬかよ! ドフィ!」
「フッフッ……! 揃いも揃って情熱的だな……」

おれはもうヴィオラちゃんを止めることすら出来なかった。
彼女の気持ちが痛いくらい分かってしまったからだ。



近くでレベッカの声がする。今にも霞みそうな意識を繋ぎ止めるために、おれは口の裏側を噛み締めていた。ヴィオラちゃんの攻撃を難なくいなし続ける彼は、遂に彼女の身体から自由を奪う。次いでレベッカからもそうだった。

「共にファミリーとして過ごしただけで、おれが躊躇するとでも思ったか……?お前を殺すことに……!ヴァイオレット……」

残虐で残忍だ。彼は徹底してる。

「ヴィオラさん……体が……勝手に……!」
「……やめなさい! レベッカは巻き込まないで!」
「殺せ……!」

今おれの身体が動いたなら。死に損なってるおれの身体が少しでも動いたなら。二人の間に飛び込んで行けるのに。

「……邪魔が入ったな、ニア」
「っ……ふ、ハァ……ッ」
「お前はあとでゆっくり殺してやろう。ローの目の前でな」
「……ッはは、ありがた……い……!」

憎まれ口のひとつでも叩いてなきゃやってられない。目の前で女の子が二人も泣いてるのに。おれはどちらか一人だって助けてあげられない。
悔しい。悔しい。

『さァ皆さん! もう少しの辛抱だ!』
「……なに……、ギャッツ……?」

コロシアムの実況よろしく、彼は声を張り上げる。電伝虫を通じて拡声される彼の声はおれのお腹の内側にまで響いてくるようだった。その解説から飛び出すルーシーという男は麦わらくんなんだろな。すごい。彼はほんとに、すごい男だった。

『嬉しさに震えろドレスローザ! ルーシーはこれを約束してくれたんだ! ドフラミンゴの! 一・発・K・O・宣言!』

ギャッツによる実況は瞬く間にドレスローザ国民の心を掴んでいく。誰もが麦わらくんの復活を信じて、カウンドダウンに声をあげた。

「目を閉じるのよ! レベッカ! 何も見なくていい!」

地鳴りのような歓声の中でも、ドフラミンゴによるヴィオラちゃんの粛清は執り行われる。

「これは悪夢! 何があっても全部忘れて!」

おれは最後のちからを振り絞って身を預けていた瓦礫の上から転がるようにして彼女たちの間に割り入った。間に合え、間に合え。
それしか考えなかった。妨害にあうだろうとか、考える余地も無かった。

「ニア!」
「いやあァ〜!」

その時だ。
黒い羽がひとつ。おれの視界に飛び込んだ。
濡れた烏の羽のように艶めくそれは、ローくんに預けてきたおれの……。

「は、はは……待ちくたびれた」
「ふんがァ〜!」

彼は、まるで魔法のように現われ出でた。麦わら帽子を首にひっかけ、レベッカの剣をその頭で受ける。折れた刀身が、くるくる回って地面に刺さった。

「麦わら!」
「麦わらくん……!」
「ル゙ージー!」
『現れたァ〜! ル〜シ〜ィ!』

もうだめだ。もう限界。
目を開けていらんない。麦わらくんが来てくれたなら、もう心配いらないよね。
おれはもう指先ひとつ動かせないで、瞼を下ろした。


   ◆


ローくんの願いが叶うなら、おれなんてどうなってもよかったんだ。

「…………ん……あ?」

気がつけばおれはゴツゴツした地面の上に仰向けで寝っ転がっていた。空には変わらず糸の檻。彼はまだ倒れていないのか。そう思うと遣る瀬ない気持ちになる。

「…………ローく、っイ゙」

そうだ、ローくんは。そう思って身を起こそうとしたけど腹部の痛みに背中が丸まった。耐えられない程じゃないけど痛いものは痛い。

「ニア」

息を詰めたような声がおれに呼びかける。ローくんの声だった。それなのにおれの目の前に顔を出したのはヴィオラちゃんで。

「……?」
「気がついたのね」
「ローくんは」

一言目がそれ? とヴィオラちゃんはすこし笑った。さほど重傷でもない彼女はおれの身体を優しく動かして、地に腰を下ろすローくんのそばまで移動させてくれる。

「…………うで、繋がった?」
「馬鹿野郎……」
「う、わ!」

大好きな彼をひと目見て、安堵のあまり泣きそうだ。それなのにローくんは自分も辛いだろうにおれの身体を引き起こす。おれの頭が、ローくんの左腕に寄り添った。

「……二度はねェぞ」
「…………あいあい、キャプテン」
「おれのことは」
「分かってるよ、ローくん」

未だ激しく繰り広げられる麦わらくんとドフラミンゴの攻防はまだまだその熱を上げている。国のあちこちで轟音が聞こえ、熾烈さをひしひしと感じさせて来た。

「助けてくれてありがと」
「……こっちの台詞だ、バカニア」
「酷いんだ……っあー……痛い……」

ローくんのシャンブルズによってドフラミンゴの脅威から逃れられたおれたち三人はただ麦わらくんの戦いの行く末を見守ることしかできない。

「……おれは……死に損なってよかったのかな」
「あ?」
「…………中途半端だ。なにもかも」

ローくんの腕へ鼻先を埋め、おれは涙を堪える。

「おれだってさ、もう何回も諦めかけたよ。ローくんとの約束何個も破っちゃった」
「……想定内だし、覚悟の上だったろ」
「そりゃまあ、そうだけど」

戦いの最中だったので感覚が麻痺してたけど、いまおれはローくんの隣に居るんだなあ。生きて話ができてるだけでも奇跡みたいだ。

「…………死んでもよかった。ローくんの願いが叶うなら」
「……くだらねェ」
「………………、ごめんね」

滲む涙の理由がわからない。頭の中がぐちゃぐちゃだ。ローくんに会えてホッとしてる。だけどドフィを裏切った。二人とも、おれは傷つけた。

「…………おれはローくんのところに居ていいの」
「言っただろ。命を粗末にするようなバカはウチには要らねェんだよ」
「…………そ」
「死なれちゃ困る」

そう言ってローくんは左腕を動かして、おれの肩を抱いてくれた。

「右腕なんだろ。おれの」
「……やだな、聞いてたのかよ」
「なかなかに……胸のすく思いだった」
「そっか」
「……よく戻ってきたな」

もう力も入らないだろうその手を、ローくんはおれのふわふわな頭の上にぽんと乗っける。

「ろ、」

それから。ローくんはおれにだけに聞こえるように、唇をおれの耳元にめいっぱい近づけた。そうして、万感の思いが如くに息を織り交ぜながら言う。

「お前はおれのものだ、ニア」

ああ、その一言でおれの全ては報われる。ローくんと離れて十三年間、ずっとおれに纏わり付いたままだったしがらみが、このとき初めて消え失せた気がした。

「…………お、れは」

顔を離したローくんは、おれの頭の上からじっと見下ろしてくる。

「ローくんのだけどね」
「ああ」
「もし、違ったら怒っていいよ」
「なんだ」

胸が張り裂けそうだ。
それでも言わずにはいられない。ローくんの、穏やかな瞳がおれを捕らえて離さなかった。

「…………おれの、ローくん……?」
「……っ」

口にした瞬間、息ができなくなる。

そんな大それたこと、今まで考えたこともなかった。おれは確かにずっとローくんのものだったけど、彼はおれのものじゃないと思ってたから。だけど、口にせずにはいられない。そう思ったからだ。確かに、おれは今、物欲と言っていい程の思いを、ローくんに。

「おれがそれを聞くまで……今まで、どんな想いで」

ローくんが言葉を繋ごうとした時。今日一番の爆発のような音が耳を刺す。
見上げれば微かに麦わらくんの姿が見えた。
地響きが轟き、連なる建物が音を立てて崩れていく。

「……っ、ローくん! 麦わらくんが!」
「……わかってる!」

息も絶え絶えなローくんは崩れゆくドレスローザに特別大きなROOMを張った。瞬きする内に、瓦礫と麦わらくんの位置が入れ替わる。
おれの身体に凭れかかり、ローくんは息を乱して俯いた。

「…………、おわっ……たの」
「ルーシー!」

麦わらくんへレベッカが駆け寄って抱きおこす。おれはローくんの身体を支えながら、再び聞こえてくるギャッツの声に耳を傾けた。
空を仰げは厚い雲がよく見える。鳥カゴの糸が、すっかり消え失せて。

『海賊、ドンキホーテファミリー二千人! VSこの地に居合わせた運命の戦士達……! その大将戦、王下七武海ドンキホーテ・ドフラミンゴVS剣闘士ルーシー!』

誰もが息を飲む中。おれは訳もわからずはらはら泣いた。
ギャッツが勝者の名を言いあげられず泣きじゃくる。

おれは悲しいのか嬉しいのか分からない。ぽっかり胸に穴が空いたような気分だ。みんなは麦わらくんの勝利を信じてた。おれだってそうだ。
おれだってそうだから、あの時、ドフラミンゴと対峙したわけで。

「ニア」
「…………ふ、ッ……う」
「いい。おれは責めない」

おれの肩を強く抱いたローくんが、あんまりにも優しい。

『ひょ……勝者は……!』

涙が止まらない。苦しい。辛い。喉が熱い。寂しい。悲しい。

「…………っ、ごめ、ろーく……」
「謝るな」
「でも……、ッおれは」
「……ああ」
「いま、しあわせなのが……ッこわい」

ひとつを得て、ひとつを失くすこと。
そういうことだ。大事なものはひとつだけ。
それ以外を選ばないということは、こういうことだ。

「お前はまだまだ弱ェから」
「……う、ッ…………くっ、ふ」
「おれがそばに居てやるよ」

ギャッツが勝者の名を叫ぶ。ドレスローザ国民の割れるような歓声が島全体を包んだ。
誰もが歓喜に打ち震える中きっとおれだけが、わけもわからず寂しくて、俯いたまま泣き続けた。