07

ドフラミンゴとの戦いから決着がついて三日目になる今日。誰より疲弊していた麦わらくんがやっと目を覚ました。覚ました……のか?これは。麦わらくんはすごい勢いでご飯を食べながら怒って眠って泣いてと忙しない。

食卓につくと、キュロスさんはレベッカとの話をしてくれた。おれはローくんと床に腰を下ろして朝食を頂きつつ耳を傾ける。まあ、どこの家庭も複雑なもんだ。
おれはキュロスさんの気持ちも理解できないわけではないし、口を挟むようなことでもないので黙ってたけど。麦わらくんは俄然納得いかないようで、じねっとした視線を投げていた。

その時、騒々しい足音とともにひとりの男が家へやって来る。音を立ててドアを開けてやってきたのはバルトロメオくんだ。

彼は麦わらくんやそのクルーくんたちが大好きならしく、顔を合わせるたびに咽び泣いて感動するので見てて面白い。今回も喚き立てる彼を一喝したのはゾロくんで、バルトロメオくんは海賊のテントに動きがあったことを早口で伝えてくれた。

「大参謀おつる中将と、前元帥センゴクが到着した!」

突然慌ただしくなったなあ。いや、むしろ今までゆっくり出来たことのほうが普通じゃないのか。おれはローくんへ顔を向けて「忙しくなるねえ」なんて声を掛けようとしたんだけど。

「…………」

なにやら考え中のご様子。そってしていようと視線を戻すと、キュロスさんの電伝虫の向こうでレオくんが今まで大人しかった海軍が動き出したことを教えてくれた。
撤退戦と言うより逃走かあ。おれは昨日のうちに何本か目ぼしいナイフを用意してもらっていたので、急いでパンツのポケットやジャケットの裏へと忍ばせる。一本は手に持っておこう。

「ルフィ先輩だづ! 案内します! まっすぐ東の港へ走ってけろ! あんたたづがいづでも目覚めていづでもこの国から脱出できる様に! すでに同志たづが、ずっと要所に待機してんだべ! 東の港に船もある!」

外から大人数の荒れた足音が聞こえて来る。いよいよこのドレスローザからもおさらばだ。
しかしそんな僅かな時間も惜しいってときに、王宮でノビていたところを見つけてここへ運びこんでおいたベラミーがローくんへと食ってかかる。

「トラファルガー、なぜおれを見殺しにしなかった。おれは死に場所を失った!」
「麦わら屋がダチだと言ってたんで一応運んだ――死にたきゃそこで死ね!」

あまりに辛辣……。まあローくんってそういう人だし、おれは何も言わないでおこうかな。

「なぜおれが海軍相手に死ななきゃならねェ!」
「そこを何とか死ね……バカ」

まるで子どもの喧嘩のようなやりとりに少々和むが、おれは慌ててローくんの背中を押して退室を促した。

「ローくん、外出て走って! お前も、生きるか死ぬかなんだから嫌ならさっさと走れば」
「テメェニア……随分上からモノ言ってくれるじゃねェか。ドフラミンゴの居ねェ今、おれに偉ぶるんじゃねェよ!」
「は? うるせーな。死にたきゃ死ね」

やっぱり声かけてやんなきゃよかった。
ローくんの背中を追って、おれも外へ出る。海軍はすぐそこまで迫っていた。

手当てされたとはいえ万全でもないローくんの隣をひた走る。海軍たちの銃撃からバリアで守ってもらいつつ、おれたちは駆け続けた。後ろからベラミーも付いてくるのが見える。
バルトロメオくんの誘導に従い逃げ続けるわけだけど。途中で麦わらくんだけが用事があるからと言って足を止め、反対方向に走って行った。

「王宮かな」
「……さァな」
「麦わらくんも人がいい」
「ニア」
「はい、ローくん」
「…………おれはセンゴクと話をしてくる」
「うん……うん?え?」

なに言ってるんだろ。

「来るか。すぐ決めろ」
「……もう離れないって決めたので」
「上出来だ」



前元帥センゴクといえば。二年前にマリンフォードでチラッと見たな。そんなことを考えながら、大騒ぎになってるドレスローザの街を走り抜けた。東の港付近に辿り着いた頃、ローくんは足を止めるのでおれもそうする。

「……! 居た」
「ん、おお。ほんとだ」
「待ってろ」
「はーい」

崩れた住居の大きな瓦礫の向こう。一頭のゴリラを連れて、白髪でメガネの男がおかきを食べている。おれは言われた通り彼を追わずに近くの瓦礫へ背中を預けた。

「おかきを……どうだ」
「いらねェ。早く話せ……」

おれは握ったままのナイフを弄びながら周囲を警戒している。

センゴクとローくんの話を盗み聞きするつもりはなかったけど、耳でも塞いでなきゃ聞こえてくるわけで。視線を左右に流しつつもおれは二人の声を聞いていた。
話の内容は、意外にもロシナンテとローくんのことだ。海兵であったロシナンテの上司がセンゴクだったなんて、これまたよく出来た話ではあるけど事実なんだろな。

おれはその場にしゃがみ込む。改めて、ローくんにとってロシナンテという男はとんでもなく大事な人間であったのだとひしひし感じた。そんな風に思ってもらえて、ロシナンテもさぞ喜ぶことだろうな。麦わらくんみたいに誰にでも優しくできる人じゃないかもしれないけど。ローくんだって、優しい男だ。
その心もロシナンテに貰ったものだと豪語する彼の声は荒っぽいけど切実だった。芯のある言葉だ。そう思う。受けた愛に理由などつけるな。そう諭すセンゴクの言葉は、どうしてだかおれの胸を締めつける。

「………………」

分からなくていいなんて。知らなくていいなんて。
そんな風に言わないで欲しかった。寂しかった。おれに何か伝えておきたいなら、話してくれたってよかった。おれがどう返事をするかなんて、その時になってみなきゃ分からないけど。

ねえ、ドフィ。おれには分からないよ。

おれのことをあなたなりに愛してくれていたのは分かる。分かってるはず。おれもドフィのことは大好きだった。いまでもそうだよ。でもドフィ。おれにはアンクレットの意味も、彫られた文字の意味も、全然分からない。

本当はローくんのスペアだなんて思ってなかったってこと?
ローくんが居ても居なくても、ハートの席に座ってもよかった?ドフィのハートは、おれでもよかったの?だからあんなに。

「…………だからあんなに、おれを優しく抱き締めたの」

はら、と溢れたのは涙だった。おれはもう彼を思って泣いたりしないと決めたはずだったのに。どうして今更こんなに苦しいの。

「コラソンの代理をしろって言ったの、あんただったじゃんか…………」

その瞬間、視界が揺れた。フラつく足を踏ん張ってなんとか耐える。でも、揺れたのは視界じゃなかった。瓦礫が次々と空中へと集まっていたからだ。おれは真上を向いて目を見開く。

「…………ッ、ローくん!」
「恐らく藤虎だろう」

おれとローくんを隔てていた大きな瓦礫も空へ持ち上がってしまう。濡れた両目を拭って開いた時、偶然にもセンゴクと目が合ってしまった。

「あ……え、っと」
「ん? お前は確かドフラミンゴの、」
「おれの部下だ」

被せるようにローくんが言うので、おれは愛想笑いを浮かべる。それでもすぐにきゅっと口元を引き結んだ。

「……話は終いだ。行くぞ」
「センゴク……さん」
「ニア?」

おれの腕を取ってローくんは駆け出そうとする。だけどおれは無理矢理センゴクに向き直った。足を止めるローくんが訝しげにおれを呼んで、緩く腕を引く。

「……ド…………、っ」
「ニア」
「……はい、ローくん」
「許す。今だけだ」

だから早くしろ。そう言われた気分だった。

「…………ドフィの護送、よろしく……お願いします」

老齢の彼はおれの言葉を聞き、しばし吟味したようだ。ややあってから真っ直ぐおれを見る。逃れようとも思わなかった。そうしている間にも、上空に浮かぶ瓦礫はどんどん増えていく。

「ああ、任されよう」
「……ありがとうございます。行こ、ローくん」

センゴクの返答を聞き、おれは即座に身を翻した。連れ立って走るローくんは黙ったままで何も言わない。おれも口を開かない。ドンキホーテの兄弟はそれぞれにおれたち二人を見守り育て、別れの時がきて。ろくなさよならも出来ないまま。

「…………」
「…………」

合流場所の港に着いて、誘導されるがままに用意してもらった船団の連結橋に踏み込む。
驚くべきことに麦わらくんは藤虎と一戦交えていたようだったけど、それにも収集がつきそうだ。巨人族の男が彼を戦いから連れ出したのが見える。
しかし以前瓦礫は浮いたまま。藤虎のさじ加減でこれを落とされたら流石にまずい。目指してる船どころか、いま渡ってる橋ごとおれたちは瓦礫に潰されてお陀仏だろな。

と、思ったのもつかの間で。橋の向こうにあるという船に向かって走り続けるおれたちの後ろから、ドレスローザ国民が大勢やってくるのが見えた。彼らは口々に麦わらくんの悪口を叫びながらこちらへ押し寄せてくる。

「…………嘘が下手だなあ」

これじゃあ藤虎が瓦礫を落とせば国民もろとも潰してしまう。彼らなりに恩義に報いようとしたんだろうな。こんなに大勢の心を掴んでしまうなんて、やっぱり麦わらくんはすごい男だ。

「お前も見習え」
「はい?」
「……なんでもねェよ」
「おクチが上手なおれが好きでしょ?」
「…………うるせーなァ……くっ!」
「ちょっ……う、わァ!」

海に浮かべた橋の板と板の合間へローくんのつま先が引っかかった。まあ無理もない。即席も即席な橋だったし、そもそも海の上で五キロもバランスを取り続けるなんてことは能力者であるローくんには骨の折れる話だった。

おれは咄嗟に彼の腕を掴んで引っ張る。そのままローくんと身体の位置を入れ変えれば、足を取られてその場に膝をついたのはおれだった。

「……あっぶな……」
「……お前がコケる必要あったか」
「何言ってんの。衆目あるのに自分の船長転ばせるワケないだろ、おれが」

はい、走って。そう告げるとローくんは口元を緩める。

「…………ふっ」
「なに?また転ぶよ」
「よく出来た部下だと思ってな」
「そりゃどうも」

連結橋を走り続けて数分。その先には大きな船がぷっかりと浮かんでいた。ヨンタマリア大船団の主船だというので納得しつつ、おれたちは急いでデッキへ登る。
船に乗り込むなりドレスローザ脱出を手伝ってくれた彼らは、麦わらくんに向かって挨拶を始めた。おれは何のことだか分からないので隣のローくんに視線を向けるけど、彼も不思議そうに眉を寄せるだけだ。
でもみんな元気そうでなにより。

「――しめて五千六百人居る……! ルフィ先輩! その代表のおれたづ七人と! 親子の盃を交わしてけろ!」
「親子〜?」

また突飛な発言におれは麦わらくんの反応も相まってすこし噴き出してしまった。何から何まで規格外だなあ、彼らは。

「んだべ! あんたが親分! おれ達ァ子分! どうかおれらを海賊麦わらの一味の! 傘下に加えてけろ!」
「…………六千弱だって。国作れそう」
「……フッ」
「ん? 笑った、」
「これはおれ飲まねェ!」

そう言って麦わらくんは大きな盃を樽の上へ置いてしまった。そうなの?とおれも流石に首を捻る。気乗りしなさそうな麦わらくんに、バルトロメオくんやオオブロンブスが誠心誠意説得をはじめるわけだけど。それでも麦わらくんは「窮屈」の一言で片付けてしまった。

「……はは、すっごい嫌そう」
「騒がしい」
「もうちょっと見てようよ」

退屈そうなローくんに半歩寄れば、おれの肩は彼の肘置きになってしまう。
んんんたまんない。甘えてるのかなこれ。

「おれは海賊王になるんだよ! 偉くなりてェわけじゃねェ!」
「?」
「…………オイ、何言ってんだ?コイツ……」
「ほんとに変わってるねえ」

多分麦わらくんがこういう男だから、周りは付いてくるんだろうな。付いてくるっていうか、付いて行きたくなるっていうか。それはまあなんだか分からんでもない。
それから麦わらくんは親分や大海賊じゃなくてもいいと声を張った。終始麦わらくんの声に聞き入っていたバルトロメオくんが感涙し震え出す。

おれはと言えば、絶賛ダルそうなローくんの肘置きのままだ。あんまり体重掛けないでほしい。嬉しいけど。ローくんの身体がそばにあるのは嬉しいけど!

その時、衝撃と爆音がおれたちの乗り込む船を襲った。砲撃だなと判じてローくんへ目配せする。軍艦はレオくんが縫いつけて無力化したとのことなので、不穏な空気を感じ取り、おれは肘置きのお役目を果たしつつも敵船を見定めた。

「おれ達はドフラミンゴとでけェ取り引きをしてた! 全てムダにしやがって!」
「……なんだ。海軍の増援かと思った」

欠伸を噛み殺しているうちにも話はどんどんと進んでいき、結果先ほどの代表七人とかいう男どもは麦わらくんが自由なら自分たちも自由だと歌うように言いあげて、曰く子分盃とやらを勝手にぐいっと飲み干してしまう。

こちらへ砲撃してきた船は、藤虎の降らせる瓦礫に次々と潰されていった。なんだか見てて爽快感さえある。スッキリしたおれは瓦礫が降り注ぐ海から目を離し、宴だ宴だと盛り上がる彼らを眺めた。

「……はやく皆に会いたいねえ」
「……そうだな」
「はは。おれはごめんなさいから始めなきゃ」

出航してしばらく経つと、乗り込んだ海賊全員に乾杯用のアルコールが振る舞われる。おれはジョッキを二つ受け取って、一つをローくんに手渡した。デッキの中央に居る麦わらくんが、全員に行き渡ったのかを確認してから音頭をとる。

「さァ野郎共ォ〜! ミンゴファミリーとの戦いは〜……」
「「「おれ達の〜〜!」」」
「勝利だァ〜〜〜〜!」

割れるような歓声と雄叫びに、おれはどうにもノれなかった。麦わらくんの音頭と共に宴が始まってからもお酒に口がつけられない。

「……おい」
「んー?」
「乾杯だ」

ローくんが静かにジョッキを寄せてくる。

「…………おれらは何に乾杯すんの?」
「勝利にだろ」
「……そーね。じゃ、」
「おれ達の覚悟に」
「ロシナンテに?」
「……ああ。コラさんに」

合わさったジョッキが軽く音を立てて、中のお酒がとぷんと揺れた。

「そして何よりお前に、だな」
「ローくんに……でしょ」

やんややんやと騒ぎ立てて盛り上がる中央を見やりつつ、おれ達はジョッキを傾ける。途中、料理の皿が回ってくるので大きなお肉を切り分けてもらった。

「……煙草、まだ辞めてなかったのか」
「え? ああ……んー、いや辞めてたよ。半年くらい……?」
「そうか」

楽しげな空気にお酒が進む。まるで底なしかのように次から次に酒瓶がまわってくるのでその度互いのジョッキに注ぎ足していた。

「でもまた禁煙するよ」
「……へえ?」
「もう必要ないし」

そもそもポーラータング号に乗り込んでから、本数だってぐっと減ってたから。今更禁煙することは苦ではない。吸いたいなって思わないわけでもないけど、そこはローくんの気持ちを尊重したいし。

「…………最後の。ドフラミンゴとの、」
「うん」
「……カッコよかったよ、お前」
「へ」

ジョッキに口をつけたまま、ローくんはおれを見下ろした。どこか熱のこもったその視線はじりじりとおれを灼くようで。俗っぽい言葉でローくんがおれを褒めるのはなんだか珍しいし、くすぐったい。カッコいいなんて初めて言われた。

「……え、っと…………お料理、もらってくる」
「行くな。ここに居ろ」
「…………はい、ローくん」

上げかけた腰を下ろす。おれはなんだか居たたまれなくなってしまって、乾いた喉を潤したくてジョッキを持ち上げた。上を向いてすっかり飲み干せば、なぜだかドキドキしてくる。まるで心臓が頭にあるような。そんな感覚だった。

「ニア〜!」
「ん、お? おあ!」

突然おれの目の前に骨つき肉が現れたかと思えば、次の瞬間麦わらくんがデッキの中央から飛び込んで来る。おれの胸に向かって。
ゴムである彼は腕をおれに巻きつけて飛んできたわけだけど、ズボラにも程がある。歩けよこのくらいの距離!

「……あー……痛、びっくりした」
「麦わら屋……」

だいたい同じくらいの体格でよかった。麦わらくんがもっと大男だったらおれは今頃海に投げ出されているかもしれない。とにかく、受け止められてよかったけど。

「おお、悪ィ悪ィ」
「どしたの?ゆっくりご飯食べな?」
「お前と話せてねェと思って。肉も持ってきた!」
「ん。んん?うん。そっか」

お肉を持ってない手はまだおれの肩に巻きついたままだ。普段ゴム人間なんて見る機会はないので、新鮮すぎるというかなんというか。

「でもおれも同感。うちの船長がお世話になりました」
「こちらこそ」

ぺこり、とお互いにお行儀よく頭を下げて笑い合う。ローくんは怪訝な面持ちでおれを見たけど、なんとも言ってこないのでそのままにしておこ。

「最後、ミンゴの足止めしてくれてありがとな!」
「んー?おれが適任だと思ったからだよ。怪我もなくて元気だったしね」

適任。適任どころかおれじゃなきゃダメな気がした。と言うより、おれの方があの人とケリをつけるチャンスを貰ったっていうのが正しい。

「こっちこそありがとうね。あの人ぶっ飛ばしてくれて」
「おう!トラ男もな、凄かったんだぞ!」
「ふふ……はは、とらお……!」

やっぱりその呼び方は可愛いし、まるでローくんに似合わない。そんなアンバランスさにおれは笑ってしまうので、ローくんはジロリとおれを睨みながら食事を続けている。

「ししし、お前のこと話すトラ男の顔すっげェおっかなかったぞ!」
「……へー? どんなこと話してた?」
「元々バカだから今更バカになっても変わんねェって」
「ローくん」
「ンな言い方してねェだろ」

まあそれに関してはもう許してあるからいいんだけど。怖い顔してたっていうのは初めて聞いた。今してる顔みたいな感じだろうか。

「お前、ミンゴに虐められてたんだろ?」
「虐め……うん、そうかな」
「それもアイツがやったのか?」

それ、と彼が指差したのはおれの足首で。マンシェリーに治して貰えばよかったのになと呟く麦わらくんはモグモグとお肉を食べている。

「まあ、でも自業自得っていうか」
「それトラ男とおんなじやつだろ」
「んん……んんんん、そう、です」

悪意のない彼の言葉がおれの体温をぐっと上げてきた。なんでこんなに恥ずかしい思いしなくちゃならないの。辞めてローくんそんな目でおれを見ないで。

「…………あの、なに……?」
「トラ男がなー、お前取り返すの後回しにするって言うからよー。あんま仲良くねェのかと思ったけど、違ったなー!よかったよかった!」
「へ、へえ……そお」

麦わらくんはおれの肩に巻いていた長く伸びた腕をしゅるしゅる元に戻すと、そのままバシバシ叩いてくる。遠慮がない。一切ない。

「おいルフィ、誤解させそうなこと言うんじゃねェよ」
「なんだよゾロ。おれはよかったって言ったんだ!」

近くで飲み続けていたゾロくんが酒瓶を持ったまま顔だけをこちらに向ける。

「……悪ィな。悪気はねェ」
「分かってるよ。それに後回しにされて当然って言うか……ローくんの判断は正しいよ。おれのこと一番に連れ戻そうとしてたなら死ぬほど怒って殴ってる」
黙ったままのローくんに視線をやった。
「後悔してる?おれを優先しなかったこと」
「いや?」
「だよね」

そんなおれ達のやり取りを見たゾロくんは「そうか」と笑って再び酒瓶を空にしていく。気持ちを汲んでくれたようだった。

「ふーん、まァよく分かんねェけど無事でよかった! そんだけ! 肉肉肉〜!」

嵐のような男だ。おれはケラケラ笑って彼を送り出す。

「気にはしてる?」
「……そうだな」
「言わなくても分かるだろうけど。後回しにしてくれたの、めちゃくちゃ嬉しいからね」

信頼されて任されたということだ。彼が目的を果たす為にはおれのことを考えている余裕などなかったことは明白。そもそもおれが下手を打って軟禁なんてされなけりゃ工場の在り処だって……いや、いいや。もう終わったことだから。

「ニア」
「なあに?」
「……お前、……た」
「え? ごめん、聞こえない」

未だ賑やかなデッキの声に掻き消されて、ローくんの声が聞こえない。おれはすまなそうな顔をして、すこしローくんに身を寄せた。

「…………耳貸せ」
「ん」

落ちてくる髪を耳にかけて、ローくんへ向ける。するとローくんは応えるように口元を寄せてきた。そして静かに囁く。

「…………愛してる」
「へ、……あ」

ぴしっと固まるおれをよそに、ローくんは顔を離した。上手く頭が回らない。クラクラした。ローくん、今何て言った?いや、聞こえてはいるんだけど。

「…………あ、のね」
「なんだ」
「変な煽り方するの辞めて……?」
「……フッ」
「ただでさえ、」
「ただでさえ?」

ただでさえおれはあんたに心底惚れてるんだから、そんなこと言われたらちゅーしたくなる。って言ってやりたい。
ニヤつくローくんの表情は、きっと他の誰からも見えない。被った帽子が彼の顔に濃い影を落としている。そんな彼を睨みつけるおれだけが、彼の愉しげな笑みを見た。

悔しい。心底惚れてる。誰もいなけりゃ押し倒して乗りあがっていっぱいちゅーしてやるのになんなのローくんほんとなんなの!許せない……カッコいいのはどっちなんだよ……。

おれは持ったままだったジョッキを床に叩きつける。思ったよりも大きな音がした。

「ハハ……ただでさえおれは右腕どころか右、」
「なんだ、ケンカか?」
「オイ!ローとニアがケンカしてっぞ!」
「なんだなんだ!やれやれ!」

右手になるところだったのにって皮肉を最後まで言わせてくれやしない!
邪魔だお前らみんなどっかいってくれ……感謝してる。感謝はしてるんだけど今はもうダメだ……さっさと抱き潰されて今死にたいもうおれ今死んでもいい。

「――ローくんの馬鹿!」
「はァ?」

おれは引っ込みがつかなくなってしまって、咄嗟に立ち上がる。行き場はないのに。

いまローくんの隣になんていたら、いつ我慢できなくなるか分かったもんじゃない。
おれはデッキを駆け抜けて船の内部へ足を運んだ。ふいに漂ってきたいい匂いを辿っていくと調理場へ行き着く。ドアを開けて中を覗けば、コックたちが追加の料理を作っていた。おれは腕まくりをしながらシンクに寄って手を洗う。

「おっ? トラファルガーんトコのニアくんじゃねェのよ」
「どした? メシ足りてねェのか? すぐ作るぜ!」
「手ェ足りてないみたいだから手伝うよ。作っても作っても麦わらくんが食っちゃうんだろ?」
するとコックたちは手を叩きながらゲラゲラ笑った。
「っはは! そうなんだよ! 食材のが先に無くなっちまいそうだぜ!」
「だよね。ちょっと酔いも覚ましたくて……お米ある?ひたすらおにぎり握る係りやりたい」
「おおいいぜ、丁度さっき炊けたとこだ!」

どでかいボウルにお米をたくさん入れてもらったので、おれは無心でおにぎりを握り続けた。ローくんの馬鹿馬鹿馬鹿。みんなが居るところであんなこと言うなんて。

『愛してる』
「〜〜ッ、くそ」

頭の中でローくんの声がぐるぐる回る。おれの頭をダメにしてくる。十個握っても三十個握っても変わらなかったので、おれは半泣きになりながらしゃもじを握り締めた。

一心不乱におにぎりを握り続けるおれは、慌てたコックたちに「もういい」と止められるまでおにぎりを量産し続けていた。気がつくと結構な時間が経っていたらしく、流石におれの酔いも頭も冷めている。

「……ごめん、ありがと」
「いやいやおれたちも助かったぜ!」
「それ持って戻んな! お前の海賊団、いま二人しか居やしねェんだろ? 船長が待ってるぜ」

コックにおにぎりの乗ったお皿を持たされて、背中をとんと押された。もう一度お礼を述べてデッキへ戻る廊下を歩く。
焼き海苔の巻かれたおにぎりは、自分で作っておきながら美味しそうだった。落とさないようにデッキの中央を通り抜け、元居た場所にご機嫌斜めなローくんを見つける。ひと時とは言えそばを離れてしまったことは悪かったが、さっきのはローくんが悪いんだぞ。

おれは彼の隣へどっかり腰を下ろす。

「…………怒ってんの」
「ああ」
「おにぎり作ってきたよ」
「…………フン」

拗ねてる。
死の外科医トラファルガー・ローが拗ねてる。

「要らないなら麦わらくんに持ってく」
「……勝手にしろ」

拗ねてる……拗ねてる!なんなんだこの二十六才。
おれはポーカーフェイスを保ったまま、おにぎりをひとつ取り上げてローくんの口元まで持っていってあげた。なのにローくんは頑なに口を開けない。

「はい、ローくん。おにぎりですよ」
「……チッ」
「あーんしてあげましょうね〜」

チラっと彼はおれの目を見た。なにか言いたそうな視線を寄越したものの、なにも言わないことに決めたらしい。それでもおれは彼が言わんとするところくらいは分かるのだった。

「鮭とね、こっちがおかか」
「…………」
「……逃げて悪かったよ。ご機嫌取らせて?」
「………………あ」
「ん?」
「あ」

食わせろとのことだ。まったくローくん、チョロいんだかおれに甘いんだか分からない。こんなにすぐ絆されてしまって大丈夫なんだろうか。
おれは鮭のおにぎりを、開いたローくんの口に運んであげる。

「一週間分くらい握った」
「ヘェ」
「手がホカホカしてる」

そう言って温もった手でローくんの手を握ってみた。ひんやり冷たいローくんの手が気持ちいい……ダメだ。これは毒だ。触るのやめよう。そう思って手を引こうとしたところ、指を絡め取られて失敗に終わった。

「……なに」
「…………返事は」
「え?」
「さっきの」
「へ、返事って、言ったって」

おれもだよ、とか言えばいいの?
内心頭を抱えながらおれは目を回す。やっと記憶の隅に置くことができたのに、おにぎりをモグモグしてるローくんが無理やり呼び起こすのでタチが悪い。

「……あー……情緒とか、そういう」
「あ?聞こえねェな」
「…………あれ?ローくん」
「なんだ」
「ピアス外れかけてるよ」

言っておれは繋いだ手を離して貰う。膝を立たせて彼の左耳朶に指を伸ばした。ローくんはじっとしてくれることを、おれは知ってる。

ここはデッキの隅だから後ろには誰も居ないし。みんなは中央にいる麦わらくんたちとワイワイやってるから誰も見てない。誰も見てない。
なのでおれはローくんの左耳へ顔を近づけ、そのまま触れるだけのキスを贈る。

「う、そ」

やられっぱなしは癪だし。なにより彼に触れたい欲が出た。おれは顔色ひとつ変えないローくんからゆっくり身を引き、再びお酒の入ったジョッキを手に取る。
「……ニアテメェ」
「おれのお返事、受け取って♡」
「…………覚えてやがれ」