02

あの日から二日過ぎても、ローくんがおれを訪ねてくることは無かった。当然っちゃ当然か。おれにとってのローくんはだいじな人で恩人だけど、ローくんにとってのおれは取るに足らない人間だ。いつか敵対するつもりでいる……だろうな、あれは。
 
そんな組織の人間になにか頼みごとなんてするわけがなかった。

「まあ、そんなもんだよな」
 
ちょくちょくシャボンディにきては宿を取るのが面倒なのでホテルをひと部屋買い取ったのだが、これでなかなか居心地がいい。
 
誰にも邪魔されないでゆっくりしていられたし、じゅうぶんな広さはあるけどここはおれの小さなお城だった。
 
各社の新聞を毎日取り寄せて読むのが日課で、おれの一日の始まり。すこしでもローくんの手がかりになり得るニュースは新聞に穴が開くほど読むのが好きだった。
 
億越えの船長たちとひとまとめにされて、ルーキーと称される彼が起こした事件は大なり小なり面白いもので。
 
事件現場となった島が少しずつこのシャボンディ諸島へ近づいてくるたび胸が踊った。
 
それでも、その度に思い知らされる。おれがこんな風に世間一般から見れば「遊んで暮らしてる」ような生活は、なにもかもドフィという後ろ盾があってのものだ。
 
金銭的な援助がたらふくあるわけではない。それは自分で断った。
 
ただただ「遊ばせてもらって、生かされている」という事実がある。こんな生活もドフィのお気に入りでいられる期間だけだ。
 
しかしそれも終わりを迎える。海難事故にあったふうに見せかければそれで全部おしまい。おれは人生に失敗したんだと言い聞かせ、自由のない生活から逃げてしまえば終わりになる。
 
ドフィのところに帰ったら、なに不自由のない自由が与えられる。聞こえはいいが、与えられる自由はまやかしなのだった。
 
ドフィのことが嫌いなわけじゃない。恨みどころか恩がある。頭じゃそれを分かっているし、好きか嫌いかで言えば断然好きなのだ。そういう風に生きてきて、生かされてきて、育ってきた。だからこの気持ちは死ぬまで消えやしないんだろう。
 
おれ自身の自由意志とはなんなのか。それはローくんのそばで、ローくんのために働くことだ。それだけがおれにとっての希望だったのかもしれない。
 
ドフィのところから逃げ去ってしまいたい。そう泣いて告げればローくんの気持ちはおれに傾けられただろうか。だがそれはおれのほんとうの気持ちじゃあなかった。
 
ローくんも好きで、ドフィもだいじ。そのふたつの相反する想いは同時に抱えられるものではない。「ドフラミンゴ」に対するローくんの態度を見ればわかるのだ。あれはいつか這ってでもドフィのところまでやってきて、きっとぶつかり合ってしまう。
 
その時、自分が居合わせてしまったらなにをするか分かったもんじゃない。だからドフィの元へは帰りたくないし、だけどローくんと一緒には居られない。まったく難儀な話だった。
 
死んでしまえば全部おしまい。元よりファミリーの皆とも、そう深く触れ合ってこなかったから、おれの世界はドフィとローくんのふたつで出来ている。

「どっちも欲しいなんてハナから無茶な話」
 
口に出せば虚しくなる。おれはいったいなにをどうしたかったんだ。なにをするために生きてきたんだよ。そりゃあローくんにまた会えただけでじゅうぶん良かった。満たされた。元気そうでよかった。ほんとうに病気が治ったところを見られて良かったんだ。
 
なのに。なのに、この心ってやつは我儘のかたまりだから、もっともっとと欲しがるばかり。乾いてばかりのこの胸は今も辛い辛いと泣いている。
 
どれもこれも自業自得のくせに、馬鹿野郎。こんなちっぽけなおれがひとりで死んだって、どうせ誰も困らないし悲しまない。ドフィだってそうだ。可愛がっていたペットが死ぬのは心が痛かろうが、すぐに次のお気に入りが見つかるはず。
 
替えのきく存在なのだ。だからスペアだし、いつまでもコラソン代理と呼ばれて曖昧な立場をフラついている。与えられていた自由のなかに居たとしても、確かにおれの人生はあった。もう、もうそれでいいじゃないか。
 
灰皿から吸い殻が生えてるみたいだ。しめじみたいに。いい加減引きこもってないで外にでも出ようかな。そう思って灰皿の中身をゴミ箱へひっくり返す。
 
まだ真新しいジャケット、ぴかぴかの革靴。おしゃれをするのは好きだったな。服を着替えるたびになんだか違う自分になれる気がして。
 
シャボン玉のぷかぷか浮く町中をあてもなくさまよい歩く。とうとう本日このシャボンディ諸島へ、うわさのルーキーどもの面子が集まりきったようだった。
 
どこかいつもより浮ついた空気のなか、おれは視線を流しているうち、自然とローくんのことを探してしまっていた。
 
未練がないといえば大嘘だ。未練しかない。ドフィの手を二度と取らない、取れないと決めたおれのこころの唯一の拠り所だったからかもしれない。
 
女々しいことは重々承知だった。
 
お祭り感覚で賑わう人々を眺めていると、見知った男に呼び止められる。馴染みのバーのオーナーだった。

「ようニア」
「おはよ。今日は賑やかだねえ。儲かってる?」
「ルーキーさまさまってとこだな。それよりニア聞いたか? 一番グローブのオークションに人魚が競りに出されるらしいぜ」
「珍しいね。でもどうせ貴族サマとかが買っちゃうんだろ。冷やかしに行く気にもなんないな」
 
すると彼は「それがな」と声を潜めて耳打ちしてきた。

「さっき、お前が探してるトラファルガーってのがその一番グローブに行くところを見たぜ」
「……ほんと? でもオーナー、あの辺危ないから行っちゃだめだよ」
「ありがとよ。だがな、おれはお前があいつのこと探してるのは昔からよく知ってんだ。だからあいつの後ろをつけちまったのさ」
 
なんだって。
彼は軽々しく言ったけど、本当にあの辺りはカタギさんが行くのには危険すぎるのに。

「……変なの。どうしてそこまでしたのさ。おれのこと好きみたいじゃん」
「ああ、好きだとも」
「はえ」
「お前みたいなフラフラしてるガキがよ、長年ずっと追いかけてた奴だろうが。捕まえてどうするんだなんざ聞かねェけど、やりてェことがあるならやっときゃいい」
 
人生長いんだぜ、とオーナーは言う。
なんだそれ。

「…………けど、あんまり危ないことしちゃ嫌だよ。おれ、あんたのカクテルが好きなんだ。飲めなくなっちゃう」
「ニアよ〜、そこはそうじゃねェだろ〜?」
 
背中をトンと叩かれる。なんだ。胸がざわざわする。

「あ、あ……?」
「うん?」
「ありがと」
「そうそうそれそれ! それが聞きたかったんだおれァ」
 
からから笑ってオーナーはそのままおれの背中を押した。

「トラファルガーの話もよ、また聞かせてくれや。いつでも店開けて待ってるぜ」
「う、うん」
「うん?」
「ありがとね」
 
お礼の言葉に満足したのか、彼は「いってこい!」と豪快におれを送り出してくれた。
 
なんだ。もやもやする。
 
ちょっとだけ死ぬの辞めたくなった。



途中で引き返すことだってできたはずなのに、おれは歩きに歩いて一番グローブまでたどり着いてしまった。この辺りでハバをきかせてるヒューマンショップといえばドフィのしるしを貸してるあそこかな。
 
そう思って道を歩けば、やたらと海軍の姿が増えてきた。
 
おれが目指す店に近づくに連れて彼らは大所帯になってゆき、店が見えないくらいに海兵たちがヒューマンショップを取り囲んでいるのが見える。

「なんだこりゃ」
 
辺りには海兵たちの怒号のような指揮の声が響いているので、なんとなく状況は察することができたけど。なんだかややこしい事態になってるみたい。
 
ローくんは上手くこの海兵たちの包囲網から抜け出せたんだろうか。視線を左右に振っていると、拡声器に乗った声が耳をつんざいた。

『どうなっても知らんぞ! ルーキー共!』
 
――ってことは恐らくローくんまだあの中なんだね。困った困った。ローくんひとりくらいなら逃してやれるだろうけど、そうもいかないなあ。

よく見えるように店の入り口付近まで寄ってみる。その時だった。

「右から三億、三億千五百万、二億の首です!」
 
そんな大声とともに、エントランスから三人の船長が姿を現した。一番左手にローくんがいる。ローくん! ローくんだ!
 
もしかして戦うローくんが見られるかもしれない。そう思ったら頭の中を占拠していた憂鬱な気分も、おれが抱えてた不安なんかもどっかへ飛んでいってしまった。
 
るーむ、しゃんぶるず。

それがいったい何の合図かパッと見たところわからないけど、ローくんの耳当たりのいい声が聞こえて打ち震える。
 
オペオペの実の使い方、実にローくんらしくておれは好きだな。奇襲めいてて撹乱にもってこいだ。カッコいいなあ……って見とれていれば、ひとりの海兵がおれの腕を強く掴んでくる。なんだ、いまいいとこだった!

「……なあに」
「ここは危ないからはやく離れて!」
「ああ、どうも。大丈夫です」
 
一般市民じゃないから。
そう言い含めておれはドンキホーテのしるしの入った足首を見せる。足枷みたく彫られた墨を一瞥した海兵は苦い顔をおれに見せてから退きさがる。
 
おれにはドフィみたく降ろされた手配書なんかもないし。目立ったこともしてないから、ドンキホーテのことよくよく知らないとおれの所属もわからないよね、無理もない。
 
恐らく「七武海であるドフラミンゴ率いるドンキホーテの一員なら何かあっても大丈夫だろう」と判断されたんだと思う。一般海兵だって関わりたくないだろうしね。こういうときにこの彫り物は便利だったりもするけど、ほんとにいまはそれどころじゃない。
 
ローくんのカッコいいところ見逃しちゃったらもったいないよね。
 
おれは再びローくんを探して戦場を見やる。ユースタスと麦わらが視界に入った。興味はあるけどいまはそっちじゃない。

「居た居た!」
 
ちょうど海兵がひとり、ローくんに向かって斬りかかった瞬間だった。まずい? どうしよう。大丈夫かな、ここからじゃ間に合わない!
 
ローくんに向かって駆け出そうにも海兵たちで出来た壁が邪魔だった。だめだよ、いけないよ。おれがみてるところでローくんに傷をつけたら許さないからね!
 
だけど次の瞬間、白くまくんが飛び出して海兵をのしちゃった。ついでに他の海兵を何人も。

「すごーい。強いんだ! やっぱり!」

いつしかおれは目を輝かせていたけれど、白くまくんがローくんに「戻るの?」と声をかけているのがわかった。
 
戻る? どこだろ、船かな。こっそり追いかけてみよう。
まるで童心にかえったようだった。ここはまさに戦場で、これから大将もやってくるというのに。この事態をローくんがどう切り抜けるのかをみてみたい。
 
危なくなればおれがすこし助けてあげられるかもしれないし、おれのたすけが要らないならそれはそれでいい。もっと近くで見たかった。ローくんはこれまで生きてくために、どうやって戦ってきたのかを。
 
戦場が少しずつ移動するたび、おれはこっそりローくんについていった。
 
混戦に次ぐ混戦。長時間の消耗戦になればローくんたちのほうが不利になるだろうな。海軍たちはどんどん援軍を送り込めるけど、ローくんたちには限られたクルーしかいない。
 
ローくんやクルーたちの戦闘を見ているのは楽しかった。バーソロミュー・くまっていうのと対峙したときはどうなるかと思ったけど。おしまいにはうまく撒いて、まずは海兵の追っ手から逃れることを優先しているようだ。
 
海兵たちの話を盗み聞くに、大将はすでに到着しており、現在は麦わらのほうへ向かっているらしいことが分かった。それに続くように、海兵たちもここら一帯から流れているようで。
 
なのに、ローくんたちがやっと一息つけたところでタイミング悪く数人の海兵たちに見つかってしまったみたいだ。少し離れたところから、一部始終をじっと見守る。
 
苦戦するわけがないが、いかにも面倒臭いなといった雰囲気を醸し出しているローくんは眉根を寄せて気怠げに大太刀を構えて舌打ちをする。
 
それじゃあおれが助けてあげよう。

「こんにちはあ。ドンキホーテのニアです」
 
間抜けな声をかけながらおれは物陰から海兵たちの前へ躍り出る。ドンキホーテの名を聞いた彼らはぴたりと動きを止めた。

「ここはおれが引き受けるので。海兵さんたちは他のルーキーくんを探したら?」
 
嘘じゃないよ、とサルエルパンツの裾を持ち上げ、左足の後ろ足首に巻きつくようなドフィの身内を示す彫り物を晒してみる。

「だ、だが……」
「勿論お手伝いに居てくれてもいいけど、巻き込まない約束はできないかも」
 
そう言っておれがにんまり笑うと、一応邪魔な海兵くんたちは「ドンキホーテ所属」の「なんのデータのないおれ」に臆してくれたようで踵を返したので一安心。
 
結構若い海兵くんだったから、いくら正義を背負っていてもドンキホーテって名前が突然でたらびっくりしちゃうよね。なんかおっかないし、七武海のとこのヤツなら任せちゃっていいやって思うよね。それはちょっとわかる。

「……なんの真似だ」
「おれ、追っ払ったりするの得意」
「そうみたいだな」
「船長早く! 後続の隊がこっちに来てる!」
 
おれはひらひらとローくんの方へ手を振った。

「他のも任せておいて。さっきの海兵のほうに誘導する。ローくんたちはそのまま真っ直ぐ進めば歓楽街に出るから、建物多くて視界も悪いし見つかりにくいよ。路地を走ったらローくんの船のところまでも」
「……船の在り処を知ってんのか」
「ううん、予想だよ。そっちじゃなけりゃ造船所のほうかなって。ここの海底は根で入り組んでるから内部には居づらそうだし……ほら早く走って! 面倒なんでしょ」
「……ROOM=v
 
ローくんに背を向けて、駆けてくる海兵たちに向かって歩き出す。すると一瞬だけ視界に靄がかかったような感覚があった。そして息をする間もなく、ふわっと身体が軽くなる。

「え、なに」
「シャンブルズ=v
 
おれは確かに海兵たちに向かって進んでいたはずだったのに。さっきヒューマンショップの前で見た「るーむ、しゃんぶるず」って体感するとこんな感じなんだな! とひとりケラケラ笑っていると、途端に身体がガクガク揺れた。

「なになにここ何処!」
「ジャンバール、そいつ抱えて走れ」
「わかった」
「はい?」
 
ジャンバールと呼ばれた男はかなりの巨体で、なるほどこれならおれを抱えて走るくらいワケないな、なんて分析していると「居たぞ! トラファルガーだ!」と、後ろのほうから海兵の鋭い声が飛んできた。

「もう! おれがせっかく! 逃してあげよって思ったのに!」
「黙ってろ。舌噛むぞ」
 
並走するローくんは視線を進行方向から外さず言うので、おれにはまったくこれがどういう状況なのかさっぱりわからない。

「人攫いだ! 誘拐だ!」
「うるせぇな、静かにしてろ」
「ひどいよ! おれはカッコよくローくんを逃せたらそれでよかったのに!」
「それで……、その後死ぬつもりだったのに?」
「…………なに。なんか文句」
「ある」
 
走り抜けてきた昼間の歓楽街は人も少なく、裏路地もするりと抜けることができた。あらかじめ連絡しておいたのだろうか、近くの海べりには真っ黄色の潜水艦。ローくんの船の、ポーラータング。実物を拝めるなんて思ってもみなかった!

「勘違いするなよ」
「なにが! ちゃんとわかるように説明してほしいんだけど。ジャン……なんとか、下ろして」
「下ろすな、ジャンバール」
「な、」
「お前にはこれから捕虜になってもらう」
「…………ほりょ」
 
ぽかん、としたまま首を傾けていればジャンバールはローくんの命令を受けたようで、白くまくんの後を追うように潜水艦のなかへと足を運ぶ。
 
当然おれの身体を拘束したままだ。

「離せって、おい! なんなんだよ」
「喚くな」
「喚くよ。おれ、好き勝手されるの嫌いだな。ちゃんと話してくれないと怒るよ」
 
またも船長命令が下ったのか、おれの四肢の自由は荒縄で奪われる。こりゃ暴れてもどうにもなんないな、と諦めていれば軽く耳鳴りがした。
 
ポーラータングが潜っている。

「……ほんとに人攫いだ」
「捕虜だ」
「…………それ本気で言ってるの」
「ああ」
「おれを縛ってどうする気」
 
おれは、淡々と語りかけながら海中をくり抜く窓の外をじっと眺めていた。

「お前をおれのために使う。それだけだ」
「…………ふふ、ははは」
「……」
「なんだそれ」
「暴れて逃げるか? 助けを呼んでみるか?」
「まさか!」
 
夢でもみてる気分だ。

「死ぬ程嬉しい」
 
ぼんやり窓の外を見つめながら、このままどんどん沈んでいってしまえばいいのにと思う。海中はこんなに静かだなんてこと、おれは知らなかった。

「……馬鹿かお前」
「よく言われるけど、ローくんだって考え無しだよ。おれみたいなの捕虜にするなんて、ちょっと心配」
 
ざわつくクルーたちを、ローくんは「落ち着け」と言って鎮める。

「クルーくんたちに酷いことするかもよ」
「するつもりもねェくせに」
「ローくんを海に突き落とすかもしれないし」
「おれがお前に突き落とされるかよ」
「この船が辿り着く次の島をドフィに密告したりして」
「…………それは困る」
 
フローリングの上に四肢を縛られて転がされてるおれのそばに、ローくんはしゃがみ込んできた。気遣うようにクルーたちが息を飲むのがわかる。

「……しないよ」
「へえ?」
「ドフィはローくんが成長してくのを見てるのが楽しいんだって。懸賞金があがるたびに嬉しそう。ローくんのほうから会いにきてくれるの待ってるんだよ」
 
笑えるでしょ。だからおれがローくんを連れて帰ってこれても、連れて帰ってこられなくてもドフィは痛くも痒くもない。

「ならお前はなんのために」
「ローくんに会いたかったから」
「ドフラミンゴはお前を遊ばせてるだけってことかよ」
 
暇だな、と本気にしてないローくんは笑ったけど。

「そうだよ。他に意味なんてなーんにもない」
「……」
「おれがどこで死のうが失敗しようがなんともないの。風に攫われちゃった風船を、わざわざ追っかけないでしょ? そのうちゴミになるわけだし」
 
ぽろぽろ口からこぼれ落ちる言葉になんの温度もない。抑揚のない声はまるで自分のものじゃないみたいだった。

「……なんて顔してやがる」
「どんな顔。嫌わないで……ああ、ごめん間違った。ここはそうだな、おれはドフィのお気に入りでコラソン代理だぞ。お前なんてすーぐドフィが…………、」
「……コラソン、代理」

 喉が詰まった。

「……外のほとぼりがさめたら、すぐおろして」
「却下だ」
「乗せてくれたことには感謝してるよ。ローくんの船、乗ってみたかったから。ありがとね」
「このまま乗ってろ」
「ダメ。いつか絶対おれのことが邪魔になる。ドンキホーテのことだって口は割らないし。ただの荷物になるよ。だから、」
「うるせェ。おれに命令するな」
 
だって、と呟く声が震える。

「……もうじゅうぶんなんだよローくん。おれもうなんにも要らない。これ以上はおれにはもったいない」
「おれの言うことが聞けねェのか」
「忘れろって言ったじゃん。おれもうローくんの部下じゃないんでしょ」
「屁理屈言いやがって」
「元気そうなローくんを生きてひとめ見られた!」
 
見下ろしてくるローくんの瞳を、じっと見つめる。ローくんは少々目をみはっていた。

「代理だけど……コラソンとしてはもう、じゅうぶんなんだよ」
 
分かってね、と首を傾けると両耳にぶら下がった黒い羽のピアスがふわっと揺れた。

「何を、どこまで知ってる」
「買い被らないで。ろくに知らない」
「ニア、お前いったい今まで」
「…………ローくん。込み入った話ならふたりでお喋りしたいな」
 
クルーくんたちは心配そうだけど。と顎をしゃくれば、クルーくんたちは次々に「船長」「キャプテン」と口にする。

「ベポ、こいつをおれの部屋まで運べ」
「あ、アイアイ!」
「あとは海軍の警戒をしてろ。こっちは心配要らねェ。昔馴染みの大馬鹿だ」
「おおばか……」
 
まあもういいや、なんとでも言ってくれ。
 
クルーたちからおれに向けられる視線が攻撃的なものでないことに僅かながら驚いていると、ふわふわの白くまくんがおれの身体を抱き上げた。

「白くまくん」
「ベポだよ」
「ベポくん」
「船長のお部屋に運ぶからね」
「ああ、うん。ごめんね。助かる」
 
ベポくんに運んでもらった船長室は、背の高い本棚と広いデスク、それからベッドがあるくらいで余計なものは置かれていなかった。
 
おれはそっと床に降ろされるので不自由なりに身をよじって身体を起こす。

「……あのねニア、キャプテンは」
「ベポ、喋るな」
「でも」
「いいよベポくん、どうもね」
 
会話を遮られたベポくんは、おれとローくんを交互に見てから「部屋の外に居るね」と言い残して出て行った。

「……いい子だなあ」
「話を逸らすな。込み入った話をしてくれるんだろ?」
「やだ怖い顔」
 
デスクの向こう側にある革張りの一人がけソファへ腰を下ろしたローくんは、じっとりとした視線をこちらに投げかける。

「ロシナンテが海兵だった、って話は」
「……知ってる」
「そう」
 
やっぱりそこまでローくんは知ってたし、推測通りコラソンとローくんの間にはなにか事情があったんだろうな。

「コラソンが子どものおれたちを追い出そうとした理由については」
「海兵だから」
「まあ、端的に言えばそうだろうね」
 
しばしの沈黙の後、ローくんは重たく息を吐いた。

「コラソンがドフィに撃たれるまで、おれはずっとその場で見てたんだけど」
「……」
「辞める? この話」
「続けろ」
「…………おれはローくんとコラソンの間に何があったかなんて知らないし、聞き出そうとも思ってない。だけど……なんだろう。ローくんはとっても優しい人間に、ドンキホーテから逃してもらえたんだと思って」
「何が言いたい」
「よかったなって」
「……は?」
 
おれだって馬鹿じゃない。ドフィがどれほど後ろ暗い仕事をしてるか知らないわけじゃなかった。海兵であるロシナンテが、あんな劣悪な環境に子どもを置きたがるわけがない。

「ひとつ教えて。コラソンは能力者だった?」
「…………ああ」
「なるほどね。それなら納得。コラソンはドフィからオペオペを遠ざけるために、まだ子どものローくんを利用しようと思って連れ出したわけじゃ、」
「違う!」
「わかってるよ。それが分かれば話が繋がる」
 
激昂しかけたローくんを、できるだけ穏やかな口調で宥めた。
 
なるほどね。なるほど。穿った見方をすればよく出来た話だけど、きっと真実なんだろう。

「……だから、よかったんだよ。ローくんがドフィのところから抜け出せて」
「お前がコラソンの代理を務められなくなって立場を失うからか」
「ばーか。おれの立場は後付けだよ。ドフィがお気に入りをそばにおくための」
「ならどうして」
「考えてみてよ。ローくんがあのままドフィのそばにいたら、おれみたくなっちゃうでしょ。自分でもわかってるんだよね、頭おかしいのなんて」
 
ドフィがいくら悪どい仕事を続けてたって、どれだけ多くのひとの命を奪ったって、奪われた側に可哀想だなあとは思えど、ドフィに対して許せないだなんて思ったことは一度もない。

「教育っていうのは、いわば洗脳だから。おれはあの時、コラソンにローくんを連れてって貰ってよかったんだなって後から気づいた」
「後から?」
「ローくんが居なくなった直後なんてずっと駄々こねてたよ。はやく連れ戻して! って。おれ、ローくんのこと大好きだったからね」
 
考え込む素振りを見せるローくんは、口を閉ざしておれを見ている。

「実際、いまローくんが置かれてる状況は、あの頃のコラソンとおなじ」
「どういうことだ」
「ドフィが本気で連れ戻そうとしたらすぐに捕まっちゃうって話。ローくんは今も昔もドフィに見逃されてる。状況だけ見ればね」
「ナメてんのか」
「そうだよ、ドフィはローくんをナメてる」
 
弾かれたように立ち上がったローくんは、怖い顔のままおれのそばまで寄ると、身動きもろくに取れないおれの胸ぐらを掴んだ。

「……いたい」
「ニア」
「事実でしょうが。この十一年間、ドフィはローくんの動向に興味はあっても首を突っ込むことはしなかった。おれはそばで見てきたから知ってる」
 
ローくんは舌打ちとともにおれの胸ぐらを乱暴に解放する。

「今のおれもおんなじ」
「……だから?」
「生きてるうちは逃げられない」
「そうかよ」
「ローくん、この十一年間ドフィのこと少しでも警戒したりしてきた?」
 
やわく微笑んで問えば、ローくんは不敵な笑みを作って返す。

「おれはあいつを討つために生きてきた」
「…………そうだと思った」
「期が熟せば仕掛けるつもりだ。おれはコラさんの」
「コラさん」
「……捕虜相手に喋りすぎたな。忘れろ」
 
ローくんが話してくれたことを忘れろなんて言われたってなあ。でもローくんの命令なら仕方ないから聞かなかったことにしてあげよう。

「ローくんはおれのことほんとに捕虜にするの」
「害は無さそうだが、使い道はある」
「物みたいに言うね」
「不服か?」
「ううん。ちょっと嬉しい」
 
ローくんに、使えるって判断されたことは素直に嬉しかった。
当のローくんは変な顔してるけど。

「ローくんの役に立てそうなら、生きててよかった」
「大げさだ」
「ううん。おれにはもう、これしかないんだと思う」
だから、好きに使っていいよ。そう言い含めると、ローくんはたっぷり間を取ったあとにおれの手脚を縛る荒縄を解いてくれた。
「ありゃ、自由だ」
「言ったろ。害はない」
「本気なんだね。おれを船に置くんだ。辞めといたほうがいいと思うけど」
 
ほんとのほんとは嬉しいよ。叶うと思ってなかったし。でもいざそうなってみると、ローくんに迷惑が掛かることになるよなと漸く気が付いた。
 
全くダメだな。他のことならそうでもないけど、ローくんのことになると周りが見えなくなってしまう。

「この船に乗ったならおれの命令には従え」
「自分の意思で乗ったつもりはないけど、乗らなくたっておれはローくんの言うこと聞くよ」
「飯と風呂は都合してやる」
「待遇いいんだ」
 
おれは間違った選択をしたかもしれない。おとなしくドフィのところに帰って泣きつけば良かったのかもしれない。
 
頭じゃ賢い方法なんてのはわかってる。だけどおれはどうしようもない馬鹿だから。このひとが好きだという感情を優先して、そばに居させてくれるという条件を飲もうとしている。

「……だけど、やっぱり船からは下りたい」
「あ?」
「この近くのホテルに住んでるから。荷造りくらいは許してくれる?」
 
気の抜けた声でそう進言すれば、ローくんは難しい顔をした後で「一人じゃ行かせねェからな」と了承してくれた。
 
かくして、捕虜という形でポーラータング号へと乗り込むこととなってしまったのだ。
しばらくシャボンディ諸島内地は海兵で溢れかえっているだろうとのことで、荷物を取りに行きたいなというおれの申し出は一旦保留にされてしまった。そりゃそうだ。

「ローくんはおれに聞きたいことはある?」
「……」
「ああ、ドフィのこと以外がいいかな。おれ、平気で嘘ついちゃうから」
「自分で言ってりゃ世話ないな」
 
ローくんは呆れた風にそう言った。

「おれ自身のことだから素直に言うけど、おれ、ドフィのことちゃんと大事に思ってるんだよ」
「ああそうかよ興味ねェ話だ」
「でもいちばん大切なのはローくんなんだってね、おれ最近ちゃんとわかったし、ちゃんと決めたの」
「へー」
 
ほんとに興味なさそう。

「だからローくんとドフィが目の前で海に落ちても、おれはローくんのことだけ引き上げるよ」
「ご機嫌取りがよっぽど下手だな」
「でもかわいいでしょ。嫌いな人と比較されて、自分を選ばれるのって気分よくない?」
「馬鹿にしてんのか」
「おれはこれまでそうやって生きてきたよって話」
 
するとおれの目の前にしゃがみ込んだままのローくんは、鋭い眼差しを更に細めた。

「あいつと同じ扱いが通用すると思うなよ」
「思ってないない。ローくんとドフィは違うから」
「……お前と話すと疲れる」
「ははは、それね、仕事以外の時はすげーよく言われる。だから気分悪かったらすぐ言って。ちゃんと直せるし。おれいま結構浮かれてるからいつもよりイカれてるかも」
 
長年憧れ続けたローくんのそばに居られるんだと思うと天にも昇る心地だ。
条件つきだとしても、期限つきだとしても。信頼されているわけでもなければ仲間に引き入れてもらえたわけでもない。

だけど今この部屋に、ローくんが居て、おれが居る。こんな幸せな空間へ身を置いていることにひとつの不安も危機感も抱けないでいるから、ほんとにおれの頭はどうかしてるんだ。

「……どこ行くの」
「指揮をとってくる。大人しくしてろ」
「………………はあい」
 
腰を上げたローくんは、おれに命令してから部屋を出て行った。部屋の外でベポくんがローくんになにやら声を掛けているのが聞こえたけど、何と言ってるかまではわからない。
だから多分さっきここでした話も聞こえちゃいないだろうな。安心安心。

「…………しあわせだな」
 
すごいな。

おれは随分疲れてしまっていたので、すこし移動してベッドへ背を預けた。さすがにローくんの寝具に寝転がってだらけるなんてことはしないけど。
 
まるで夢みたいだ。夢の中で寝てしまったら夢から覚めてしまうんだろうか。やだな、寝たくないな。だけど、今日はいろんなことがあってすっごく疲れてしまった。
 
心とは裏腹に、身体は休息を求める。次第に瞼が落ちてきて、抵抗しようにも上手くいかない。寝て待っていることも、大人しくしていることに含まれるだろうか。
おれはそのまま意識を手放して眠ってしまった。