03

「起きろ」
「ん…………んん、やだ」
「寝ぼけてやがるな……」
「ちゅーしてほしいな……ベッドよりきもちいやつ……」
 
誰かがおれを起こしてる。おれが誰かと一緒に寝るなんてときは、おおかたがドフィ。その他は仕事の成り行きでベッドまでもつれ込んでしまった男や女が大抵なわけだけど。
 
ドフィにしてもそうでないとしても「ちゅーして」と甘えてみせるのは寝起きのお約束になっているのだった。
 
だってみんな嬉しそうにしてくれるし、おれのことまだまだ子どもだって油断してくれる。

「ニア」
 
んんん、なんだか聞きなれない声だ。ドフィじゃないな。女の子でもない。男だとしても、こんな声のひとと会ったかな。
寝起きのぼやけた頭でもそのくらいは判断できるはず、だと考えられたまではよかった。

「っ、起きました! おはよう! ローくんだ!」
「……うるせェな。誰と勘違いしてやがった」
「ママ……かな」
「ごちゃごちゃ言ってないで立ってついてこい」
 
覚醒した頭を緩く左右に振って、おれは立ち上がる。
部屋を出ていくローくんの背中を追いかけた。

「どこいくの」
「面通し」
「クルーくんたちに?」
「そうだ」
「ははは、見世物小屋の晒し者みたいだ」
「……経験でもあるのか」
「なーーーいよ。なに? 心配した?」
「黙って歩け」
「聞いてきたのローくんなのにな」
 
たどり着いたのは先ほどおれが転がされた部屋だった。ダイニングのような造りをしていて、そこにクルーの面々がずらりと並んでいる。

「ベポくんいない」
「索敵と警戒中だ」
「残念」
 
ぐるっと見渡すとクルーくんたちからの視線とかち合った。みんな不思議そうな面持ちでこちらを見ている。さっきも思ったけど、どうしてそんなに敵意がないんだ。大丈夫か?

「ええと、ニアです。ローくんには八歳のとき命を拾って貰った過去があるので、いまもこうして命を握られています。下手なことしたら死ぬので、それまでよろしく……?」
「ある目的を達成するまでの期間だが、こいつをしばらく捕虜として船に乗せることにした」
「ローくんなんか騙されてるっぽくなってるけど大丈夫?」
「あ?」
「ローくんがいいならいいんだけどね。ムシが良すぎるでしょって話、なんだけど……なんでみんなピリピリしてないわけ? こんな得体の知れないの乗せないほうがよくない? って船長に言いなよ誰か」
 
するとクルーのひとりが「ニア!」と大声で呼びながら、おれの目の前までやってきた。

「シャチくんだ」
「え、なんで知って」
「ローくんとこのクルーはだいたい分かるよ。ペンギンくん、ウニくん、イッカクちゃん……白くまくんがベポくんって名前なのは今日知ったけど」
 
指折り数えながら言いあげて、いちばん最後に「ジャンバールくん」と締めくくる。

「それでシャチくんなにかおれにご用?」
「おれ、船長がウチら以外の……いや、おれら以上に親しく接してるやつを見たことねえんだ」
「ローくんはクルーくんたちと仲悪いの」
「いや! いやいや……!気になることは色々あるんだけどさ、なんか……さっきの話聞くと居た堪れなくて」
 
さっきの話? どれだ。

「おれの船長が拾った風船はゴミじゃない!」
「大丈夫か? 頭の中で事故起きてない?」
「見てらんなくてさ、お前みたいな若いのがなんもかんも諦めたみたいに言うの……!」
 
するとシャチくんは周りのクルーくんたちに同意を求めるように「なあ!」と声をかけたので、呼応するように他のクルーも頷いてみせる。

「ハートの海賊団ってお気楽集団なのか?」
「お人好しが多い」
 
ローくんが口を挟んできたので、おれはローくんを見上げた。むず痒そうな顔をしている。

「船長が残忍で通ってるぶん、クルーくんたちがやさしーのかもね」
「それは違うんだぞ、船長はすっっっげェ厳しいンだけど、ほんとはめっちゃ優しくてさ!」
 
慌てて否定してくるシャチくんは両手をバタつかせながら訴えたので、これにはおれも驚いた。くすくす笑って口を開く。

「あは、知ってる」
「おいそりゃどういう意味だ」
「言ったままだよ。ローくんはとってもやさしいひとだと思う」
「なんだニア! わかってるじゃん!」
「……うん、ああでも、あんまり気に掛けてくれなくていいからね。気の良い奴らがたくさん居るのは分かったけど、おれは捕虜だから」
 
眉を下げつつ、言っておくべきことは告げておいた。

「おれに何かできることがあったら言ってね。家事もできるし、砲撃もできる。肉弾戦とか射撃とかよりはナイフが好きです。でもお喋りするのがいちばん好きかな。年はローくんの四つ下だから今年で二十歳です。えーっと、あとは……ローくんがだいじなのでみんなにも酷いことはしません。悪魔の実も食べてないから安心してね」
 
当然ながら手放しでの歓迎ムードではないものの、船長であるローくんが決めたことならということでクルーのみんなは落とし所をみつけたように感じる。

「どうぞよろしくお願いします。ハートの海賊団のみなさん」


   ◆


ひとまずここを使えとローくんに案内された部屋は、部屋というよりはこぢんまりした物置くらいの広さだった。シングルベッドとデスクがあって、辛うじて小さな窓がひとつ。

「牢に放り込むんじゃないんだ」
「うちには牢なんざねェよ」
「不用心すぎる」
「鍵は外から掛けられる。中からは開かない」
「なるほどね」
 
そう柔らかくもないベッドの寝心地を確認していたのだが、ローくんはいつまで経っても出て行く気配はなかった。

「なにか用ある?」
「……どうしてアイツは能力者でも無いお前を側に置いてる」
「そりゃスペアだから」
「ああ?」
「ローくんが本当に裏切ったんだって確定したとき、オペオペのためにまずローくんを殺すでしょ。そしたら次に実るオペオペを食べる人間が必要なわけ。死んでも痛手にならないような」
「それがお前だってのか」
 
お気に入りが聞いて呆れるな、とローくんは扉に背を預けてから嘲るように笑った。

「織り込み済みの、お気に入りってことなんだろ」
「…………へぇ」
「おれはいい子だからね。ワガママはするけど逆らわない。言うことちゃんと聞いてればそれなりに楽しく生きてこられたから。実際この教育はローくんに施されるものだったんだけど」
 
結果的にこうなってしまったのだから仕方がない。何事にも繰り上げというのは有り得ることなのだった。だからおれはずっとローくんのスペアとして生かされている。

「恨んじゃいねェのか」
「あれ、もう忘れた? ローくんがドフィから離れられて良かったって、おれ言ったよね」
「……そうだったな」
「それに、悪魔の実を食べるチャンスは何回かあったんだよ。勧められもした。だけどおれは食べなかった」
 
ローくんは興味深そうな顔をして、おれをじっと見ている。

「勿論、食べたほうがいいなって判断したときには食べるつもりではいたけど。能力者じゃない従順なわんこで居るほうが信用してもらえる」
「……チッ」
「適任はおれ以外居なかったんだよ。だからコラソン代理。それにスペアのおれが居たほうが手間も省けるし」
 
再び従順な人間を獲得するのは簡単なことじゃない。てきとうな人間を支配して不老手術を行えと脅して食わせたとして、そいつが拒んで裏切りでもしたらまたイチからやり直し。
 
オペオペの入手と、能力者じゃない医療に精通した人間の確保。
不老手術はドフィにとって必要不可欠なものだから確実に手に入れようとするだろうけど、面倒ごとは少ないほうがいい。

「代理さまがオペオペ食ったって、知識がなけりゃ仕方ねェだろ」
「だからおれはローくんを探すようになるまでの期間で、たーくさん勉強したよ。仕事の合間に……って言っても、ローくんの足元にも及ばないだろうけど」
 
大事なのはそこじゃない。知識や経験はあとからゆっくりつけていったっていい。ドフィが欲しいものはあくまで「オペオペの能力を持った従順な人間」だから。

「だから手っ取り早いのはローくんを手中に収めることなんだよね。わかる? おれはあくまでスペアなの。完全なローくんの代わり身として扱ってるならおれはいまここに居ないよ」
「虚しくないのか、お前」
「虚しいって言えば何か変わる?」
 
ローくんの瞳が細まって、鋭くおれを刺した。

「あの日、コラソンはおれも一緒に連れ出してくれてればよかったのにとか。ひとりでドフィのところから死ぬ覚悟で逃げちゃえばよかったのにとか。そういうこと考えてると思った?」
「……いや、」
「そんなの嫌ってくらい考えたよ」
「ニア、」
「どうにもならないこと考えてるより、明日のご飯と寝床が保証されてるほうが重要だったね」
 
ベッドへ腰掛けて、フローリングに向かって投げ出した脚をブラブラさせる。

「自業自得なんだから、ローくんのこと恨むなんてそれこそバカだ。あの日のおれは確かに助かりたかったし、生きたかったわけだからね。ありがとね」
「…………」
「おれと話すと疲れるでしょ。ベポくんたちのところに」
「お前はそれでいいのか」
 
ぐん、と詰め寄ってくるローくんは意外にもすこし声を張り上げた。クールそうに見えるのに熱いところは今でも変わらないみたいで何故かほっとする。

「いいも悪いもこれしかない」
「捻じ曲がりやがって」
「どうとでも仰って、船長さま。おれはもうそういう風に出来てるの。今更変わらないよ」
 
沈黙の後、ローくんはまたひとつ舌を打った。狭い室内に響く音はなんだかさびしげだ。

「これはほんとの話だけど。おれはローくんと別れてからね、生きたいとも死にたいとも思わなかった」
「今は」
「え?」
「今はどうなんだと聞いてる」
「……いま、は」
「殺してくれとも、死ぬつもりだとも言ったよな」
 
怖い顔をしたローくんは、今にもおれに殴りかかってきそうなほどだった。どうして彼がそこまで怒っているのか分からないし、なにが悪かったのかもおれには分からない。

「……お前が食う明日の朝飯は焼き魚だし、今晩の寝床はそこだ」
「ん? うん」
「意味が分かるまで大人しくしてろ、馬鹿ニア」
 
それだけ吐き捨てるように言うと、ローくんは乱暴に扉を閉めて外へ出てしまった。カチャンという音は鍵がしまった音なんだろう。

「…………馬鹿ニアなんて、久しぶりに言われた」
 
ずっと昔、怒らせてしまったローくんにそう言われたことを思い出しながら、おれはベッドに横たわる。どうして彼を怒らせてしまったのか、結局あの日も今日も分からずじまいで夜は更けていってしまうのだった。


   ◆


次の日も、またその次の日も退屈だった。捕虜としてこの船へ置かれているので、特に仕事が割り当てられるわけもなく。楽しみと言えば食事を運んできてくれるクルーくんたちと二言三言交わすときくらい。わかっちゃいたけど、ローくんが構ってくれるはずもなく。
 
暇つぶしにと運んできてもらったのは医学書ばかりでクラクラした。学ぶことは嫌いじゃないし、医学を学ぶことに関しては素人よりは基盤ができてる。
 
とは言ったって似たような本ばかりでは飽きがくる。窓から見える景色はまだまだ暗い海の中――かと思いきや、直後ポーラータング号は浮上運動をはじめたようでみるみるうちに窓の外が明るくなってきた。
 
しばらくすると、軽い金属音がして部屋の扉が開く。

「おはよう、ニア」
「ベポくんおはよう。朝ごはん?」
「うん。今日は食べ終わるまでおれここに居る」
「んえ? なんで」
「食べたらニアを連れてこいって、キャプテンが」
「……あいあい」
 
いつかに聞いたローくんへの返事を真似て言えば、ベポくんはおかしそうに笑ってみせた。ローくんを待たせるわけにはいかないなと、おれは普段よりもすこし急いで朝食を平らげる。

船長室までの廊下でクルーくんたちとすれ違ったが、みんなどう接していいか分からないようだったのでおれならはなにも言わないでおいた。これ以上、ローくんが大事にしてるひとたちの迷惑にはなりたくなかった。