いちごアイスと流れ星

船がある港までは目の鼻の先なので、隙をついて逃げ出すことも不可能だった。おれたちはふたりそろって男たちに抱えられて知らない船の甲板へとやってくる。

「ヤエ……」
「悪い。おれが目を離したからだ」
「私がちゃんと避けなかったから。ごめんなさい、ヤエは具合もよくないのに」
「……任務中だから今は平気。泣くな。喜ばせるだけだから」

不安そうなベビーの手を取った。怖いんだろうな。震えてる。ドフラミンゴ様の大事な家族をこんなに怯えさせた落とし前はつけなくちゃならない。

「生きてれば逃げるチャンスはある」

静かに耳打ちすると、ベビーはぼろぼろ泣きながらも小さく頷いた。おれの仕事はベビーをドフラミンゴ様の元へ無事に帰すこと。自分の失態のせいで招いたことなんだから、おれがなんとかしないと。

とは言っても状況は悪くなる一方だった。すぐにおれたちの手は背中側で縛られて、武器も扱うことができない。この船が海へ出てしまえば事態に気づいたドフラミンゴ様たちが追いかけてくださっても当てのない捜索になる。弱った。

「ボス、船はいつ出すんですか?」
「食料の積み込みが終わったらな」

ベビーに気休めの言葉を掛けていると、奥からこの海賊船の船長らしき男がランタンを持ってやってくる。おれは背中の後ろにベビーを隠すようにして向き直った。

「上等なのがドンキホーテに居るってのは本当だったらしい。お手柄じゃねェか」

ランタンの灯りと一緒にボスと呼ばれた男の顔がぐいっと近づく。

「…………ん?」
「ベビー、目を閉じてあっち向いてろ」
「え?」

本当は耳も塞いでほしいけど。

心臓が痛い。波の音が遠くなる。

「見た顔だと思ったら、やっぱりお前か。どんな巡り合わせだよ。ハハ、あれから芸は増やしたか?」

苦い思い出があった。まさかこいつが海賊になってるなんて。去年、確か半年くらいはこいつの暇つぶしの道具にされていた時期がある。

「お前のこと捨てたの後悔してたんだぜ。なあ。次はもっと上手く使ってやるからよ。またたんまり稼いでくれや」
「……今は本当の王様がいる」
「お前みたいなのを置いて海に出ちまうようなご主人が? ドフラミンゴもお前の使い方がなってねェな」

今すぐにその喉笛を噛みちぎってやりたい。

「反抗的なツラだなあ。気分悪くなっちまうよ」
「そのまま口から臓物ぶち撒けろ」
「口のきき方がなってねェ。あれだけ教えたろ? また躾が必要か?」
「……要らない」

途端、力いっぱい耳を引っ張られた。引きちぎられそうな勢いで身体ごと引き上げられたかと思うと、甲板に向かって身体を叩きつけられる。

「お願いしますだろうがよ」
「……」
「いい子になるまで今度は何日掛かるんだ? 先にそっちから処理したっていいんだぞ、おれは」

ベビーに向かって顎をしゃくった男は音がしそうなくらいニヤついておれに目配せをした。心配そうにおれを振り返ってしまったベビーが、何にも言えないで狼狽えている。

「…………失礼、しました。ボス」
「うんうん、よしよし。いい子だ。そうだよな? しかし揃って別嬪だ。海賊辞めて店でも建てた方が金になりそうだ」

ギャハハと笑う男たちが甲板に集まってきた。
何を言われたのか分からないらしいベビーは不安そうな顔で、這いつくばるおれを見る。

「顔色が悪いな。おれたちは仲間だろ? 安心しろよ。悪いようにはするが殺しはしねェ。お前さえ頑張ってくれりゃあ、後ろの嬢ちゃんが酷い目に遭うこともねェだろ」
「……はい。ありがとうございます」

口から出まかせを言う男だ。
どうせそんな約束守るつもりもないくせに。

嫌な記憶が蘇ってくる。冷や汗が止まらない。
無理な命令ばかり下しては負荷の実験でもするかのようにおれを使い倒し、労いの言葉の代わりに精神的に追い詰めてくるような折檻。その繰り返し。

「戻ってこられてお前も嬉しいよな?」
「……はい、光栄です」
「おれこそがお前のご主人様だろ?」
「………………」

耐えられない。
耐えられない、耐えられない!

おかしくなりそうだ。おれの王様はちゃんといるのに。本当なのに。別の人間に首を垂れるだなんて屈辱だ。これはドフラミンゴ様に対しての侮辱に他ならない。殺してやる。絶対に。絶対に殺す。

「ドフラミンゴは王様なんかじゃねェ。お前の便利な使い方も知らねェ馬鹿だ。そうだろ? そうだと言え」
「………………死ね、この、」
「いいのか? 後ろのガキが可哀想だな。なあ?」

自分のことを否定するのはいい。自分に嘘をつくのもまだマシだ。だけどドフラミンゴ様を貶めるようなことは口が裂けても言いたくない。言えない。言いたくない。

「……ぅ、…………ぐ……」
「言えねえよな。苦しいんだろ? 辛ェよな。お前たちは言葉ひとつで馬鹿みてェに縛られて。どんだけ力があったって、こうしちまえばなあんにも怖くねェ」
「………………最悪だ……」
「ハッ、いいか。お前らみてェなのは動物だ。奴隷以下だ。ちゃんと飼い方を知ってる人間様が管理するべきなんだよ!」

最悪だ。ここに居るのがこいつでさえなければ、ベビーだけは助けられたかもしれないのに。

ドフラミンゴ様に命じられた仕事を失敗するなんて、一番あっちゃいけないことだ。王様の言うことをきけないなら死んだ方がいい。こんな生き物に価値はない。だけど、だけどベビーだけは帰してやりたい。でももうおれに取れる手段はない。

「……ドフラミンゴ様より優ってるところがひとつでもあると思ってるのか」
「おい、次逆らったら女の方から売り飛ばすからな。そこでどんな扱いを受けるか知らねェが、コイツは毎日お前のことを恨みながら——」
「ヤエに酷いことばかり言わないで!」

ベビーが叫んだ。こんな怖い顔をしたベビーは見たことがなかったし、こんなに泣いてるベビーも初めて見た。

「私は大丈夫だよ、ヤエ。たぶん私たち一緒なの。誰かに必要とされて、お願いを聞くのが好きだから」
「ベビー……もういい、」
「だって私、若様に拾ってもらえたから! 可愛いリボンも貰ったの! ヤエは私にいちごのアイスをくれた! だからもういいの、私の人生しあわせだったから、どうなっても大丈夫だもん! 恨んだりしない!」
「な、なにやってんだ馬鹿! 騒ぎになる前に口塞げ!」

ベビー、そんなふうに思ってたのか。知らなかった。おれ、ベビーのことなんにも知らなかったんだな。この子はおれの為に怒ってくれるのか。自分が一番怖いだろうに、あんなに大きな声で泣きながらおれを庇ってくれようとしてるのか。

「おれもおんなじだと思う、ベビー。おれもドフラミンゴ様やベビーに会えたから。恵まれてた」
「そうよ。だからヤエ、若様のわるぐち、言わないでよお」
「大丈夫。言わない」
「若様って優しいんだから! 絶対絶対あんたたちを見つけてみんなみんな殺して仇を討ってくれるんだから!」

男に指示されるがままに部下がおれたちの口を塞ぐ。ふたりして暴れることもできないで甲板で真っ暗な空を見上げるように転がされた。おれは身動きが取りづらいながらも、なるべくベビーに寄り添っておく。

こんな気持ちになるのは初めてだった。この子を最後の最後まで守ってやらなくちゃと思った。

ここで死んでも仕方ない。それでももうよかった。ベビーも覚悟してるんだろう。おれの肩に額を当てて固く目を閉じている。おれも任務は失敗してしまったけど王様には会えたし、名前も貰った。悔いは残るけど、寂しくはなかった。

真っ暗な空に流れる星が視界に入る。
ひとつかふたつか、いつつかむっつ。

「ガキを転がして喜ぶような馬鹿に隙をつかれたおれも大概か?」

きらきら流れる光が、一直線に甲板へ降り注いでくる。瞬きのあとはとても静かだ。錆びたような匂いがするばかりで、辺りにはなんにも残っていなかった。

「元気なのは結構だが、肝が冷えるようなのは辞めてくれ。くだらねェ死に方を許した覚えもねェしな」

声がする方を振り向くと、ピンクのコートが揺れている。そこに誰が居たのかを理解したベビーが、さっきよりずっと大きな声で泣き叫んだ。