悔恨、安寧
散々泣き疲れたらしいベビーはドフラミンゴ様に抱きついたまま、その腕の中でぐっすり眠ってしまった。
おれはというと、申し開きのしようがない。知らない船の縁でベビーを抱えて座っているドフラミンゴ様の前で、座り込んだままだ。
「お帰りは、明日だって……」
「用事が早めに済んだんでな。船をつけたら知った声がするから飛んできた」
ドフラミンゴ様が立ち上がる。カツカツと足音を立ててこちらへやってくるので、おれはもうお顔すら見ることができなかった。
「何があったかは戻って聞く」
「……戻れません。ヤエは、おれは、言いつけを守ることができませんでした。ベビーのことも危険に晒しました」
考えうる限り最悪の形で、おれはドフラミンゴ様のお手を煩わせてしまった。ご期待を裏切ってしまった。
「何がどう悪かったと思う」
「…………自分が……弱かったからです」
「その通りだな」
分かってはいるけど胸が苦しい。
自業自得だ。全部おれが弱いせいだった。
「明日からもせいぜい励め」
「ですが……」
「帰るぞ、ヤエ」
有無も言わさない態度でドフラミンゴ様は歩き始めてしまう。おれはどんな顔をしてついて行けばいいのか分からなかった。どうして、失敗したおれなんかを連れて帰ってくれるんだろう。
◆
事情を知っているらしいファミリーのみんなは「ぼろぼろだな」とか「運がよかったな」とか笑って言いながら出迎えてくれて、おれたちの手当てをしてくれた。全然落ち着かない。おれは失敗してしまったのに。
「予定より早く帰ると若から連絡があって、お前に伝えようとしたんだがベビー5と出掛けて行ってしまってな」
「グラディウス……」
「すぐ戻ると思って追わなかった。悪いな」
「…………謝られるようなことじゃない」
おれの頬に大きな絆創膏を貼ってくれたのはグラディウスで、ジョーラはベビーを部屋まで運んでくれた。抱き上げられたベビーはぼんやり目を覚ましたようだけど、まだ寝ぼけているのか言葉らしい言葉は発さずにジョーラにくっついている。
「若は懐の広いお方だ。お前が心配しているようなことにはならない」
「……失敗したら罰せられるのは当たり前だ」
「その罰し方を決めるのが若だということ。部屋でお待ちだろう。向かうといい」
◆
コンコンとノックをする。自分の手で叩いている筈なのにまるで感覚がない。中からは「手当ては済んだのか」と声が掛かり、それに返事をすると「入れ」と命ぜられる。
「何があったか聞こう。だが下手に誤魔化すなよ。明日ベビー5にも同じように聞くからな」
「…………かしこまりました」
もうドフラミンゴ様は椅子に座れとは言わない。おれはドフラミンゴ様が腰掛けている椅子の前へ座り込んだ。頭の中を整理しながらお話したいのに、全くもって上手く話せている気がしない。
それでもドフラミンゴ様は相槌を打ちながら根気強く耳を傾けてくださった。
「申し訳、ございません。全ておれの責任です。どんな罰でもおあたえください」
「罰か」
「水責めでも、吊られるのでも……」
「お前が一番キツい罰はなんだ」
「………………居ないものとして、扱われることです。あなたに」
おれたちは、そこに居るのにまるで居ないことのように振る舞われるのが何より一番苦しい。王様がいなければ生きていけないおれたちは、その存在を無視されてしまったなら——考えるだけで恐ろしくて今すぐ首を括ってしまいたくなる。
「分かった。覚えておくよ。だがお前は罰されるべき人間か?」
「……ベビーから目を離しました」
「そうか。それで? お前が見てねェうちに、ベビー5は『悪さ』をしたのか。そんな話はなかったように思うが」
「…………わるさ、」
——ベビー5やバッファローが悪さをしねェように、しっかり見ててやってくれ。
あの日、確かドフラミンゴ様はそう言った。
「で、ですが……そんなのは」
「お前がまだあのカス野郎と通じていてこっそり手引きしたってんなら話は別だがな」
「……! ありえません、絶対に。あんなやつおれが殺してやりたかった。ドフラミンゴ様に面と向かって吐けもしないくせに調子に乗ったことばかり言って。本当に、あいつ、くずで……おれは」
目の前が真っ暗になる。底のないどろどろな沼にゆっくり、ゆっくり落ちていく。ドフラミンゴ様はどこにもいなくなってしまった。当たり前だ、こんな使えないやつを手元に置いておく理由はない。
「できないことをやれって言うんです……何度も、何度も。断ってもだめで、失敗しても断っても、どうせ同じなんです。おれたちみたいなのが上手く仕事ができないのを見て、笑って」
「————、」
「それでも誰かに言ってもらわないと。ひとを殺せ。ひとを騙せ、飯を食うな、油を飲め、寝るな、虫を食え、ごみを、……何もできなきゃそこで」
死ね。
耳元に直接吹き込まれた気がする。
おれに力があったなら。仮の主人に逆らおうという発想があったなら。あんなやつ、とっくの昔に殺してるのに。
途端、何かがおれの肩に触れた。冷えた手だった。目の前のずっと近いところにドフラミンゴ様のお顔がある。視界いっぱいに王様が居て、いつもはご機嫌に吊り上がる口元をへの字に曲げていた。
言わなくていいことを言ったかも知れない。おれ、さっき何を言ったんだろう。耳鳴りがうるさい。
「セレネの教えの成れ果てか」
「…………え……」
「お前から話すのを待つつもりだったんだがな。こうなるくらいなら聞いておくべきだった」
「……ご存知だったんですか」
どうしよう。どうしよう。
「ドフラミンゴ様への忠誠は、ほんとうなのに。あなたがおれの王様なんです……本当です。でも、ご存知なら、この気持ちも全部嘘に聞こえますよね」
おれにとっては本物なのに。おれが一番信じてない。何年も何年も、生まれた時から植え付けられてきた教えの元に芽生えた気持ちだろうから。本物のはずなのに、そう信じたいのに。
「そもそもおれがこの島に来たのだって、あなたを殺せと言われて——」
「ヤエ、よく聞け」
ドフラミンゴ様は床に胡座をかきながら、いつもよりずっとゆったりとした速さで言った。どうしていればいいか分からない。とにかく身を低くしたかった。王様と同じところに座るのなら、もっと頭を下げておかないと。
そう考えて頭を下ろしていくと、ドフラミンゴ様の手のひらに捕まった。そのままドフラミンゴ様はおれの頭を脚の上へ乗せてしまう。こんな格好になるのは初めてのことなので、おれの思考は完全に止まってしまった。
「確かにおれはお前の主人失格なのかもしれねェな」
「……?」
「仕事を終えたお前を真っ先に労ってやらなかった。許せよ」
「仕事なんて、おれは」
「留守中、バッファローもベビーも大人しくしてたらしい。ジョーラに聞いたよ。お手柄だ」
「…………ぅ……、……」
「これからもウチのガキ共のことはお前に任せたい」
居た堪れなくなって背中が丸くなる。ドフラミンゴ様の声がするたびに頭がぼんやりしてきた。その言葉のどれもがおれにとって嬉しいものだったから。
褒められるような人間じゃないという自意識を塗り潰していく王様の声が優しく届いてくる。
「生まれも育ちも興味がねェ。お前はおれの為に働いてりゃあそれでいい」
「…………はい」
「それだけだ。それだけ出来るようになれ」
「……はい」
「留守中ご苦労様だったな。気が済むまでそうしてろ」
おれにとっては優しく甘く響くその声に、強張る身体の緊張が解かされた。
「ありがとうございます、ドフラミンゴ様」
ようやく心が身体においついてきて涙が出てくる。おれの頭の中にある嫌な記憶も、胸にへばりついたままのモヤつく不安も、一緒に流れて消えていけばいいのに。