野良犬と飼い犬

いつの間にか部屋に戻されていたらしいおれは、自分のベッドで目が覚めた。まだなんだか頭がふわふわしている。王様のことをひとりじめにした時間は夢みたいだった。

隣のベッドにはベビーの姿はない。気になって子ども部屋をあとにしてダイニングへ向かうと朝食をとっている彼女を見つけた。手当てされてはいるけど、おれのせいで負った怪我はまだ痛ましい。

「ベビー、怪我は」
「怪我は大丈夫よ。縛られてただけだから……ヤエの方が辛かったよね」
「いや……おれは平気。もう二度とあんな失敗はしない。お前に惨めな思いもさせない」

隣に座ってパンを頬張る。おれだってあんな思いをするのは二度とごめんだった。自分の無力さをまざまざと感じさせられて、消えてしまいたいくらい苦しかった。

あの状況をひとりでひっくり返せるようになりたい。ドフラミンゴ様が安心して留守を任せられるようなひとになりたかった。

「……助けて貰えなかったらどうなってたか」
「ほんとに若様、すっごくカッコよかった! 若様のこともっと大好きになった……! 若様ね、私のこと抱き上げて守ってくれてね、それでね、」

それでねもあのねもない。おれはベビーと一緒に見てたんだから全部知ってるのに。それでもベビーは話し続け、更には自分がどんな経緯でこのファミリーにいるのかを語った。

「くちべらし、って言うんだって。知ってる?」

気の毒な話だと思う。同情することはなかったけど、妙な共感だけがあった。この子の哀しみや辛い気持ちは話を聞いたくらいじゃ理解することはできないし、他人の気持ちを想像することはおれには難しい。

それでも誰にも必要とされない恐ろしさは分かるつもりだった。

「若様はね、私のことが必要だって言ってくれるの」
「うん」
「荷物を持ったり飲み物を運んだりするとね、若様はありがとうって言ってくれるのよ」

よかったなあと思った。行く宛がなかったベビーが辿り着いたのが此処でよかった。生まれや育ちは関係ないのだと教えてくれて、ここに居ていいと言ってくれる。それがおれたちにとってどんなに嬉しい言葉なのか、もしかしたら王様にも想像がつかないかもしれないな。

「塞ぎ込んじゃいねェかと思ったが、問題ないみたいだな」
「若様! 今、若様のお話してたんですっ」
「ベビー、若様に挨拶が先」

座っていた椅子から立ち上がって、ベビーを小突く。

「…………?」
「……何」
「ドフラミンゴ様って呼ぶの、やめちゃったの?」

お喋りなベビーがおれの返事を待って黙ってしまうので、ダイニングはすっかり静かになってしまった。向こうのソファに座っているグラディウスが小さく笑う。

「…………お前につられただけ」
「ヤエ真っ赤だあ〜」
「ドフラミンゴ様、違うんです。ベビーが若様若様うるさいから」
「ふふふ! 慌ててる!」
「黙ってろ」

やってしまった。完全につられた。
いや、前からそう呼べたらいいなとは思っていたけど。もっとちゃんとタイミングを見計らって、許可を貰ってからにしようと——

「次はトレーボルにもつられてみるか、ヤエ」
「か、からかわないでください。失礼しました、ドフラミンゴ様」
「家族だってのに寂しいとは思ってた」
「……そんな言い方はずるいです」

結局そのままもう一度「若様」とお呼びすると、満足そうに笑いながら「ああ」とお返事をくださった。

穴があったら入りたい。恥ずかしくて仕方ない。

「ベビー、お前にも夕べ何があったかを聞きに来たんだが飯のあとにするか」
「もうすぐ食べ終わるので大丈夫ですっ」
「…………ヤエはグラディウスと射撃の訓練をして来ます」

ソファに居るグラディウスは「おれ?」と此方を振り向いた。

「さっき笑った」
「悪かった」
「謝っても駄目」

おれはすぐにでもこの場を離れたくて、ソファまでグラディウスを迎えに行く。腕を掴んでぐいぐい引っ張って無理矢理立たせ、そのままずるずる引きずった。





「グラディウスにしか頼れなかった」

照れ隠しに付き合ってもらったグラディウスに付き合ってもらったので、一応お礼は言っておく。

「さっきのお前は……まあ、なんと言うか」
「何」
「子どもらしかった」
「馬鹿にしてる」
「珍しいと思っただけだ。他意はない」

おれは早く大人になりたいのにな、と思いながらここは聞き流すことにした。下手に喋ってまたボロが出るといけない。

「銃の扱いに慣れてきたか? 今日は調子が良かったように思う」
「反動にはまだ負けるし……やっぱりまだ重い」
「最初に比べたら良くなってる」
「…………ありがとう。またよろしく」





倉庫まで戻ってくると、なんだか賑やかだった。またコラソンが転んでいるのか、デリンジャーがイタズラしてるのか。おれはグラディウスのあとに玄関を潜る。

「あれ誰? グラディウス」
「さあ」

知らない子どもが居る。新顔かと思った瞬間、そいつはコラソンによっていとも容易く部屋の窓から放り投げられてしまった。

「おかえりだすやん! 今の見たか!?」
「見た。誰?」
「ローって言ってた。新入りなんだって」
「へえ」
「お前は若が直々に連れて来たからはじめからこっちで暮らしてるが、本当はお前もあっち側だ」

コートを脱ぐグラディウスはそう言って部屋へ入って行ったけど、おれは玄関のドアをもう一度開く。

「どこに行くんだ?」
「だいぶ下まで落ちただろうから見に行く」
「物好きだな」
「逃げ出さなきゃおれの後輩になるんだろ。興味ある」



ゴミ処理場まで降りていくと、ぼろぼろになったローを見つけた。頭から結構な出血があって痛々しい。

「ロー?」
「……なんだお前」
「おれはヤエ」
「名前なんか聞いてない。何しに来たんだよ」
「お前が後輩になるかもしれないから見に来た。手当てしようか?」
「いらねェ。失せろよ、あっち行け!」

起き上がって傷口を押さえながら、ローは吠えるみたいに言った。野良犬みたいだ。

「おれ、若様にガキどものことは頼むって言われてる」
「お前もガキだろ」
「そう。お前は何歳? 好きな食べ物は?」
「なんなんだよお前、頭おかしいんじゃないのか」
「…………?」

おれのときのバッファローやベビーはこんな感じじゃなかったっけ。何か違ったか。まだ初めての相手と話すのは苦手だな。仕事以外で話すこと、最近結構上手くなってきたつもりだったのに。

「歳、近いと思う。はやく認めてもらえるといいな」
「お前には関係ない」
「先輩っていうの、おれもやってみたいし——」
「ヤエ」

遠くからおれを呼ぶ声がする。倉庫の方を見上げるとドフラミンゴ様、もとい若様の姿があった。

「何してる。来い」
「はい、すぐに行きます」

足場の悪いゴミ山を踏んでこの場を去ろうとした時、ローがおれの手を掴んだ。喧嘩かと思って拳を作りかけたけどどうやらそうじゃないらしい。

「お前の顔と名前、覚えたからな」
「うん。おれも覚えた。若様が呼んでるから放してほしい。お前のせいで遅れたって言ったらお前も困るだろ」
「…………チッ」





「あんな所で何してた」
「新入りの子どもが居たので見ていました」
「そうか。どんな奴だった?」
「……野良犬? 怪我をしていましたが動けていたので大丈夫だと思います」
「心配してやったのか」
「特には……そうするべきだったでしょうか」

自室に呼ばれたおれは、いつものように腰掛ける若様の前へ座り込んでいる。若様は「いいや?」と言って、おれをまじまじ見た。そんなにじっと見られるとどんな顔をしていいか分からなくなる。

「そ、それで。何かご用でしたか」
「悪魔の実の取り引きに連れて行こうと思ってな」
「取り引きですか。かしこまりました、すぐ準備をします」
「お前もいつか能力を手に入れるとしたら、どんな力がいい」

ということは今回の実はおれじゃない誰かが食べるものなんだろうか。ベビーも早く食べたいと言ってたから、普通は悪魔の実への憧れがあるのかもしれない。

おれとしては仕事がしやすくなるなら願ってもないことだし、若様がそれを望むならお気持ちに添いたいとは考えている。どんな力がいいだとかは考えたことがなかったけど。

「……あなたの為に使える力なら、なんでも」
「いい答えだ、ヤエ」
「ほ、本心です……」
「尚更だな」

途端、若様の手が伸びてきた。大人しくしているとその手がおれの頭のてっぺんに乗せられる。不思議とぎこちない動きでそのまま二、三回撫でられてしまった。

「…………若様?」
「なんだ。違ったか」
「……ヤエは子どもですが、子ども扱いをされても喜べません。若様がお望みなら……努力しますが」
「フッフッフッ、慣れねェことはするモンじゃねェな。おれも別にお前を犬猫のように可愛がる気はねェ」

じゃあなんなんだ、今のは。理屈の分からない若様の同行に目が回りそうになる。何をどうして、どう言えば失礼にあたらないか分からなかったから。

「ではどうして……何かありましたか」
「どう褒められりゃあ喜ぶか探ろうと思ってな」
「い、今のままでヤエは充分です。甘やかすのがお好きでしたか?」
「暇つぶしだよ。暇つぶし」

そう言った若様は立ち上がってコートを羽織る。その様子を眺めながら、おれは落ち着かない気持ちのまま座り込んでいた。

あんな風に大人に触れられたのは初めてだ。緊張した。いや、この気持ちは緊張なのか? よく分からない。あれは大人が子どもにすることだというのは知っているけど、でも。

ベビーと誘拐されかけた日の夜に、このお部屋で若様のお膝に頭を置いた時のことを思い出す。あの時もおれは混乱したまま考えることをやめたんだっけ。

なんだろう。
胸の奥の方がそわそわした。