祈るように
悪魔の実の取り引きに同席することになったおれは、相変わらず若様が腰掛けるソファの肘置きの隣へ立っている。取り引き相手は小さな海賊団だった。その船長と副船長がソファに並んで座っている。
「それで、金額なんですがね。もう二百万ベリー積んででも買いたいって人が居るんですよ……」
「へえ。そうなのか」
「もちろんウチとしても、ねえ? 普段からお世話になってるドフラミンゴさんにお譲りしたいところではあるんだが」
テーブルの上には件の実があった。
蓋が取られた箱に入っていて、なんとも形容し難い形をしている。皮の模様みたいなのも少し気味が悪かった。こんなおかしな果物なのに、食べるだけでひとつ不思議な能力が身につくらしいから驚きだ。
「出来ればもう少し……助けると思って。相談させて貰えませんかねえ」
「先に話を持ち掛けてきたのはお前らだろ。断りもなく他の奴に話しちまうなんざ、筋が通らねェよな」
「いや〜……そ、そこをなんとか……!」
「残念だよ。交渉決裂だ、ヤエ」
それが合図だった。
「はい」
おれは目の前にあるデーブルごと引き寄せて果物の箱を若様へ近づける。それからグラディウスに習ったことを思い出した。人数が不利な場合は相手に対応される前にひとりずつ潰すこと。
「まともに取り合う気はなかったけど、ここまで考えなしだとは思わなかった」
副船長の額に目掛けて、力いっぱいナイフを投げた。遊びでやったバッファローとのダーツを思い出しながらだった。致命傷には至らないだろうけど、相手が避けた為に狙いが逸れて左目に突き刺さったのを確認する。大の男が獣のように雄叫びをあげて転がった。
「て、テメエ! 何しやがる!」
「若様をコケにするような席に着かせた責任を取らせようと思って」
「おい! 見張りは!? 何やってる!」
「ドアの前の見張りのことなら、多分もう居ない。他のお仲間も今片付けられてると思う」
「そんな……お前ら、ハナから金払うつもりなかったのか!」
「海賊が海賊を相手にしてるくせに甘いんだ。お前、いま誰の前に居るのか見てみろ」
おれの背中の後ろから、若様がご機嫌に笑う声が聞こえる。
破れかぶれに男が銃を取り出した。銃口がおれに向けられるのをじっと見ていると、その右手は弾かれたように床へ向かって振り下ろされる。
まるで何かを祈るようなポーズだった。
男の両腕はひとまとめにされて自由を奪われる。
「なんだ、身体が勝手に……!」
「座って」
若様の支配下にある男の身体は、おれの声に合わせてソファへ沈んだ。イトイトの能力のことも知らないで近づいてきたなんて、馬鹿にされているとしか思えない。おれはのたうち回る副船長の首を切ったあと、船長の男と向かい合うような体勢で腿へ乗り上がって座り込んだ。
「なん、なんだ! なんだよ! このガキ!」
「この間は自分で出来なかったし、殺していいのも久しぶり。ちょっと酷く殺すけど、馬鹿なことをしたと思ったならごめんなさいってたくさん言って」
銃を取り落として手を合わせ、お祈りを捧げる格好になっている男の小指と薬指の間に刃を入れる。ナイフの腹で指の関節をゆっくり撫でた。
「悪かった! 悪かったから、命だけは、」
「悪かったならごめんなさいだ」
若様に急かされることもなかったので、時間をたっぷり使って懺悔の時間を作ってあげることにする。
なのに、大きな男が恐怖に泣きながらおれみたいな子どもに向かって「ごめんなさい」と叫ぶので腹が立った。
「誰に謝ればいいのかも分からないから、噛みつく相手を間違うんだろ」
一本ずつ指を手のひらから裂いていく。ごめんなさいと唱えるたびにまた一本。おれの手も一緒に濡れていく。だくだく止まらない血が胸元に落ちてきて、だらりと垂れた。軽くナイフを握り直してまた一本深く裂く。そうして裂ける指がなくなった頃、男はもう呻くだけの生き物になってしまった。
「手の指が終わったけど足もやる?」
「ぅ…………ぅ゛……」
「それとも、もう死にたい?」
往生際の悪い男は首を横に振る。
おれは後ろを振り返って若様に尋ねた。
「若様、そろそろお食事の時間ですよね」
「ああ」
「おしまいにします。気も済んだので」
身動きが取れない男の胸元へナイフの切先を浅く沈める。少しずつ、奥へ、奥へ。
「自由に生きられた癖に。賢く生きないから無駄になる」
噴き出す血が頬に散っても、構わず両手を使って刃を胸に埋め込んだ。こんなくだらない人間が若様と同じ空気を吸ったことも許せない。対等だと勘違いしていたのも許せなかった。
おれの肩に乗る男の顎が震えている。口からは唸るような断末魔が発されたあと、ごぽごぽと滝のような血を吐いた。背中と服が濡れてくっつくのが気持ち悪い。
「終わりました」
「上出来だ」
「……嬉しいです」
ナイフを拭って片付けたおれは、座ったままの若様の元へ戻った。男を拘束する為に操ってくださっていた糸の操作をやめて手を下ろす若様が、満足そうに「ご苦労」と言って立ち上がる。
「捕まえておいてくださってありがとうございます。ヤエはまだ体重が足りないので」
「どうってことねェよ……ん?」
「何か」
「じっとしてろ」
「え? はい」
若様の手が伸びてきて、その指でおれの頬を擦った。
「返り血の似合わねェツラだな」
「血を拭ってくださったんですか? い、いけません。せっかく綺麗なお指なのに」
慌てておれは若様の手を取って、親指についた汚れを拭き取ろうとする。焦っていたせいで自分の手が血に塗れていることに気がつかなかった。若様の手が赤く汚れる。
「わ…………わーー!」
「フッフッフッ、お前のそんな声初めて聞いたよ」
「申し訳ございません若様、すぐ……すぐ、ど、どうしたら……!」
おれの両手は血でどろどろだった。せめて服で拭って差し上げようにも、殺しに夢中になっていたせいでどこもかしこも真っ赤で手の施しようがない。みっともなく泣き出してしまいそうだ。
それなのに若様はおれの手を弄ぶみたいに握ったり開いたりを繰り返す。大きな手が子どもの手を包んだり、閉じたり。糸を操っていた長い指が、取るに足らない男の血を悪戯に塗り広げていった。おれがこんなに狼狽えているのに、若様はずっと愉しそうなのも理解できない。
「わ、若様、どうして。罰ですか? 王様を汚してしまうなんて……うう、もうしわけ……!」
「どうしたヤエ! 何かあったのか!」
ドアを蹴破って部屋に入ってきたのはグラディウスだった。おれは半分泣きながら、助けを求めて眉を下げる。若様から手を離そうにも当の若様がご機嫌な様子なので振り払うこともできなかった。
「グラディウス、今すぐ水を持ってきてほしい」
「水?」
「若様を……汚してしまったから……!」
「わ、若……一体何を」
混乱するおれと部屋の状況を見て、更に困惑することになったグラディウスに若様が言う。
「ヤエがいい仕事をしたんでな。気分が良かった」
そんな風に言われるとやっぱりおれはもう何にも言えなくなってしまった。でも褒められている筈なのに、全然気持ちが落ち着かない。
「お前にも見せてやりたかったよ、グラディウス」