ジンさん育成キット編 09
うたた寝から目が覚めると、目の前には銀髪を桃色シルクの可愛らしいリボンで飾られているねんどろいどのような生き物がいた。その子は私の髪をゆるく引っ張っていたことから、眠りかけていたところを起こしてくれたようだ。
「あー……寝てしまったか」
「みぃ」
クーラーが利いて涼しい室内。いつもはハムスター用大理石で溶けたかのように倒れている彼も今は雪見大福の片割れを食べていて表情には出ないがご機嫌なようだ。器にある片方の穴に入って食べているせいか、いつぞやで見たハムスター大福を思い出す。
結べるほど長い銀髪に鋭い三白眼の彼は、あの有名なミステリー漫画にて出てくる犯罪者ジン……の、ねんどろいどのような生物。
彼は唐突にやってきた。今のうだるような暑さの真夏と正反対な、肌に突き刺さるかのような寒い真冬に玄関の前で凍えて震えているのを見つけたのが始まり。粗雑なダンボールにボロボロの飼育指南書と彼だけがつめこまれていたのには本当にビックリした。慌てて部屋を暖めてカイロを添え彼の震えがなくなったころにようやく『飼えなくなったから預かってくれ』とたいして仲が良くなく悪い噂が絶えない知人からのメールが届いて、やるせない気持ちになった。
最初の頃はものすごく警戒された。寄るもの全て殺すと言わんばかりの手負いの獣状態だったが、今ではすっかり慣れて、大福の粉がついた頬を撫でても嫌がりはせずお礼のつもりで指先にキスしてくれるくらいには懐いてくれた。
ねんどろいどを飼うなんて不可思議なことは初めてだしあるはずがないので色々苦戦はしたが、飼い始めのハムスターや猫のように構いすぎず、落ち着いた頃を見計らって撫でてみたりをして自分に慣れてもらった。指を噛まれたこともあったが、動物を飼っていると怪我なんてよくあることだとあらためて認識した程度でむしろ元気が良くてよろしいと思うくらい。ねんどろいどを人として扱うべきかペットとして扱って良いものかはわからないが。
調子に乗ってリボンで飾ってみたり女装させてみたりしたけど意外と嫌がられない。似ているのは見た目だけで中身は違うのだろうか。本当に不思議な生物だ。
「ちょっと大人しくしててね」
「む」
大福に悪戦苦闘している姿がとても眼福なのだが、随分と食べづらそうなので髪を結んであげようかと思い、先日兄から送られた菓子箱のラッピング素材であるリボンを使い、髪を一つ結びにしてみた。こうして後姿だけを見ると童話や舞浜のプリンセスに見える。正面から見たらイタズラされたイタリアンマフィアだけども。
「はい、できた」
「み」
枝垂れ落ちている私の髪束を拾い、目を細めて感謝の言葉の代わりだとでも言うかのように口づけを落としたあと、再度大福にかじりつく。
……本当に、不思議な生物だ。
* * * * *
『飼えるようになったから明日うちに持って来て』
それだけ告げられて、すぐに電話は終了してしまう。あとは機械的な音が続いて電話アプリが終了する様を眺めて、乱雑な連絡は知人の性格を表しているなと諦めの籠った感想がつい口に出てしまう。
出会いは突然だったが、別れも突然だったようだ。
「みぃ」
「おチビ、明日お出かけしようか」
マンガのほうのジンと区別をつけるために付けた名前を呼ぶと、首を傾げてこちらを見つめる色素の薄い目を見ていられなくなり、咄嗟にそらす。
本当ならこの言葉に対して無視でもすればいいだろう。勝手に押し付けておいて持って来てとは何様のつもりだと文句を言ってもいいだろう。こちらからいくら連絡しようとも繋がらなかったくせに、こうして一方的に連絡して何も返事させずに切るなんて。
だが、あんな自分勝手な性格の知人のことを考えるとそれは悪手にしかならないと思う。他人のペットを泥棒したと嘘をついて警察に通報されてこちらが悪いように言われるかもしれない。いや、この子は世間的に言えるような生物なのかは知らないけども。
この子を守ろうとして、逆効果となる可能性を考えた。
「……まだ、一緒にいたかったなあ」
「う」
一年と少し。ハムスターの寿命より短い思い出だった。時間を引き延ばせるだろうか、説得は可能だろうかとたいして良くない脳を働かせるが、日が替わり電車に乗って知人の家の前につくまで何も良い案は浮かばなかった。
肩に掛けたカバンからこちらを彼が覗き込む。指先で撫でてから、知人が住むアパートのドアを開けた。古臭くてインターホンすら無い部屋に入り声をかけるが、返事は無い。じっとりとした夏独特の蒸し暑さとけたたましい蝉の鳴き声だけが響いている。いないのだろうか。玄関の向こうの茶の間らしき場所で扇風機が動いているのが見えるから、電源入れたまま出かけたとは考えづらい。
「あ、おチビ」
どうすべきかと悩んでカバンを床に置かせてもらったら、そこから彼が抜け出し部屋の中へ入ってしまった。
どうしたんだろうか。いつもなら周囲を警戒して過激に動き回るようなことはしない子なのに。小さな足ながらも素早い動きで茶の間に姿を消してしまった。
「おチビ待って」
家主の許可をとっていないが、別に良いだろう。サンダルを脱いで上がらせてもらい、冷たい木の床をギシギシと響かせながら歩いていく。妙に静かだ。
茶の間には何もなかった。テーブルのうえには食べかけのカップ麺と知人が常飲しているのかラムネのような錠剤が数個くらい。それくらいのシンプルすぎる部屋だ。隣の部屋へ続くだろうドアが半開きになっており、その先におチビの背中が見えた。そこに知人がいるのだろうか。
「おチビ、何をして」
何をしているの、そう聞こうとしたら彼が振り向いた。否、振り向こうとした。それができなかったのは、彼の身体が黒い液体になって溶けだしたから。頭の先から氷が溶け出すように崩れていき、やがて私がおチビに着せた服だけが粘性を含んだ油のような液体の中に沈んだ。
なにがおこった。なにがどうして、と頭の中で突然のできごとに混乱するけど、暑さのせいなのかガンガンと痛むせいでまともに思考できない。
自分の目を疑った。だけど、窓から入り込む生暖かい風と背中を流れる冷や汗に痛む頭が現実だと私に叩きつけている。
「……ぃ……」
低い、男性の声がした。後ろから聞こえたと思ったときに、何か鈍い金属の音も一緒にする。
頭が痛い。連続していろんなことが起こりすぎてわけがわからない。
後ろから足音が聞こえる。廊下の軋んだ床を踏み歩いて、ゆっくりとしかし確実にこちらに近付いている。私がさきほど通った玄関から廊下の道を、私よりも時間をかけて、しかし鈍い音を響かせてこちらに向かっている。
知人ではない。見てもいないのに確証すらないが、そう思う。では、この音の人は誰だ。
ガタン
言葉にできない恐怖に固まっていたら、さらに物音が追加されて体が飛び跳ねる。まるで重いものが床に叩きつけられたような音がして、心臓が胸から飛び出そうな感覚を味わう。
音が止む。窓が大きく開けられているのに、外からは蝉の声が一切聞こえず廊下の足音はなくなっていた。無意識に、息が荒くなる。
視界の先。ドアで隠れた死角の向こうから黒い泥を覆うように赤い液体が流れ出ているのが見えた。
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