諸伏さん育成キット編 11
不思議な夢を見た。
大きな猫にいじめられてボロボロになって、逃げても逃げても獣の脚力には敵わなくって大きな牙に咥えられてしまった。俺はこの猫に食べられるのかと怖くて怖くて震えていたのを思い出す。あれは本当に恐ろしかったのを覚えている。
咥えられたままいつ食べられるのかと怯えていたら、大きな家に辿り着いた。今思えば大きいのは猫と家じゃなくって自分が小さいだけだったのかと気づいたのだけれども。
辿り着いた先で、いきなり猫の牙から解放された。暖かい人肌に包まれて、どこか困惑していて心配そうな目で見つめる女性がいた。彼女はそっと人差し指で傷跡に触れるように撫でて「もう大丈夫だよ、怖かったね」と言ってくれて、泣いた。ずっと死ぬかもしれないという恐怖に押さえつけられていた涙腺が緩みまくって、大きな声をあげて泣いた。こうして泣くのは何年ぶりだろうか。
彼女の手のひらが暖かくて心地良くて、すごく安心できた。まだこの手に包まれていたいな、と思ったところで目が覚めた。
「……夢……」
夢らしい、荒唐無稽で不可思議な夢だった。でも、すごく幸せな夢だった。
最初はどうしようもなく怖かったけど、怖かったのは最初だけで。ああして誰かに優しく抱きしめられるというのはなかなか無くこそばゆい思いもしたがそれ以上に何か満たされたような気さえする。
今でも思い出せる、指先でそっと撫でられる感触を思い出しまたあの夢を見たいと考えながら洗面台へと向かう。
今日から大事な任務が始まるから、気を引き締めて行かなければ。
まだ、あの夢を見ていたかった。目を覚ましてあれは幻想なんだと理解して胸が苦しくなって。
鏡に映った頬に、涙の跡が残っていた。
* * * * *
あれから、似たようなシチュエーションの夢を見ることが多くなった。
頻繁に見ることもあれば何か月も間を置くこともあるが、夢とはこうして続きを何度も見ることができるのだろうか?
夢については専門家でもないので詳しくは知らないが、日記でも書いてあとで調べてみようか。
例えば、今日見た夢。
夢に出てきた彼女が肉料理をふるまってくれたものだった。普通の状態であれば何でもないような食事風景なんだろうが、俺の目線では話が違う。肉がでかいのだ。いや、俺が小さいだけで実際は普通サイズだけど俺から見たらすごいデカイ。あと美味しそう。
夢の中で俺の飼い主になったらしい彼女は「多いだろうから残して良いよ」と言ってくれたけどとんでもない。こんなにいっぱい食べるなんて初めてだ。小学生の頃に夢見たケーキ1ホールとかバケツプリンとか、そんなロマンがある。何の肉かはわからなかったけど、噛み応えがあって全部食べてしまったのを覚えている。
組織の仕事に慣れるためにと食事をおざなりにしていた胃が満たされた気がしたひと時だった。
それから数日して、その肉と同じものを食べる機会があった。
組織の任務として向かった帰りに駅で東北フェアというものがやっていて、そこで牛タン弁当が売られていたがそれがまさしく夢で食べた味と酷似していた。偶然手に取ったそれを食べながら夢で感じた味を舌がまだ覚えていたことに妙に感動する。
夢というのは、記憶の整理ともいうらしい。過去に見た経験したことを脳が整理するために夢という形で見せるのだそうだが、俺は今まで牛タンを食べたことが無い。だからこの弁当を食べて既視感を覚えるのは本来なら無いはず。不思議なことがあるもんだな。
* * * * *
最近は本当に眠れなかった。
組織の仕事で仕方なくとはいえ、子供を殺してしまった。まだ幼い学生だ。スコープの向こうで射殺され倒れていく姿が今でも瞼の裏に蘇ってどうしようもない感情が渦巻いて眠ることができなくなっている。
ずっと起きているということは無理なわけで、昼間にうとうとする形でようやく睡眠がとれ、そこであの夢の続きが見れた。
夢での俺は、柔らかな布が詰め込まれたカゴに眠っていた。彼女が手作りしてくれたベッドで、目を覚ましたかのように身を起こしている。
隣で飼い主である彼女が眠っている。その姿が殺してしまったあの子供とかぶっている気がして、泣いた。何でああまで泣いたのかは解らない。この夢のなかで俺は精神的に幼くなっているらしく、こうして泣き出すことが多かった。最初は寝ている彼女を起こさないように、だけどすすり泣く声で起こしてしまい彼女は静かに目を開く。
「……怖かったね」
静かに、まどろんだままで囁く彼女は俺が怖い夢でも見た子供にするかのように慰めてくれた。鳴き声が抑えられなくって、大声をあげて喚く俺をカゴからそっと救い上げて、同じベットに入れてくれた。
見た目的には問題なかろうが中身は成人をとうに超えた大人と女性が一緒に寝るのはどうかとあとで思うことになるが、彼女の人肌と撫でてくれる手のひらが心地よくて、そのままずっと泣いていた。言葉になっていないだろう鳴き声をあげて、自分の抱える罪をぶちまけた。
目が覚めた頃には、夕方に差し掛かっていた。自分の抱えているものを暴露して盛大に泣いたからか、少しだけ胸の内が軽くなった気がした。ガラスに映る涙の跡を見て、この出来事を忘れずにずっと抱えて生きて行こうと誓った。
* * * * *
偶然仕事が重なり多忙な日々を過ごす反面、夢ではゆったりとした時間を過ごしていた。
リビングの大きなテレビの前に陣取ってアニメ映画を彼女と見る。その風景や感情描写に感動して画面を見つめながらお菓子を食べる。それに飽きたら彼女にちょっかいを掛けて構ってもらう。
ただの日常なのに、こんなにも癒される。
* * * * *
飼い主である彼女……名前は長谷川 三鈴と言うらしい。電話で身内と会話しているときにそう聞こえたから、夢で三鈴と名前を呼ばせてもらっているのに口から出るのは「みぃ」とだけ。
仕事のために出かける準備をしている彼女に落ち着かない。何度も経験しているがこの広い家(俺の目線だと広いだけで実際は違うんだろうけど)で一人になるのは、すごく寂しい。そろそろ家を出るというときに、思わず引き留めるように裾を握ってしまった。
眉をしかめて「寄り道しないですぐに帰るからね」と言うが、俺はそんな顔をさせたかったわけじゃないと言いたかったがそれは言葉として届かない。
宣言通り早めに帰って来た彼女はたくさん俺に構ってくれた。
夢から覚めて、ホテルの窓から朝日が差し込む。静かで生活感の無い室内に、寂しさがこみあげてきた。三鈴に会いたい。
* * * * *
その日の夢は、いつもと違っていた。
仕事から帰った彼女の様子がずっとおかしかった。
俺をカゴに入れて、彼女がずっと部屋ですすり泣く声が聞こえる。過呼吸になっているのかと思うぐらいに苦しそうに泣いている彼女に、俺はどうしようもなく胸を締め付けられる思いをした。
カゴからよじ登って部屋の前に来たけれども、この小さな体ではドアノブを回して彼女の涙をぬぐってやることも抱きしめて慰めの言葉を語ることもできない。
俺は今までいっぱい慰めてもらっていたのに、君を慰めることができないのが、何もできないのがすごくやるせない感情を湧きあがらせた。
「ごめんね、もう大丈夫。ごはんにしようか」と、そういいながら出てきた彼女の目元は赤く腫れていた。
* * * * *
今回は電車に乗る夢を見た。
平日の夕方で、田舎方面だったからか車内に誰もいなかったためにそっと顔を出して車窓を眺めた。夕陽によって赤く染まっていく空と反射して煌く川に揺れる稲穂の輝きが、ちょっとだけ幻想的でノスタルジックだったのをよく覚えている。
俺と一緒に電車の外を眺める彼女の顔も夕陽に照らされていて、思わず見とれてしまった。俺は、この夢の人に惚れているんだろうか。
* * * * *
仕事で嫌なことがあって、最近よく眠れていなかった。
ようやく睡眠をとれたとは熟睡で夢を見なかったり別の夢を見ていたこともあったから、実に数か月ぶりの三鈴の夢だ。
君の顔を視界にいれて、ようやく会えたことに涙腺が激しくゆるんだ。ずっとずっと会いたかったんだよと泣き叫びながら、おいでと広げられた腕の中に飛び込んだ。
「君は泣き虫だね」と俺を撫でながらつぶやく彼女に俺は、俺を泣き虫にしたのは君のせいだよって言ってやりたかった。
* * * * *
もう連続して夢を見ることに疑問すら持たなくなった頃。だんだんと夢で自分をコントロールできなくなってきて、思ってもいないような行動をすることがあるのを最近思うようになってきた。
仕事から帰って来て疲れているだろうに俺に構ってくれる三鈴。かわいい、大好き、と言ってくれる彼女に俺も大好きだよと答えるのに、それは意味をなさずにただの声として彼女に届いてしまう。今はこの体がもどかしい。
* * * * *
彼女に抱き上げられているときに、電話が鳴ってしまったようで、かれこれずっと俺は抱っこされたままで彼女はずっと電話の相手に応答している。成人した男が抱っこされるというのは恥ずかしいものなのに、この夢のなかだとそんな感情が一切なかった。
彼女の肌に身を寄せて、心音に耳を傾ける。一定のリズムで刻む鼓動に、ちゃんと聞こえてくる心臓の音に、彼女はちゃんと生きているのだと思わせてくれる。その音に安心してしまったからか、そのまま夢の中で眠るようにまどろんだ。
夢から覚めて、彼女が本当にいたらいいのになという思いだけが高まっただけだった。
* * * * *
仕事だからなのか趣味なのかわからないが、三鈴ちゃんはPCの前にいることが多い。そのときは右手に対してあまり動かない左手に包まって指先でなでられながらまどろむのが好き。
時折作業風景を眺めたりキーボードを打つために離れて行った左手を迎えに行ったり、マウスを握る右手の間に滑り込んでみたり。ときおりペンタブのペンでつつかれて、けらけら笑いながら卓上を疾走する。
この日の朝、幼馴染に恋人でもできたのかと聞かれた。当たらずとも、遠からず。かな。
* * * * *
ここ最近の秘かな楽しみがある。仕事で彼女がいないあいだに寝室の枕にダイブすること。低反発枕独特の感触を全身で味わうのが新感覚で楽しいしなにより三鈴ちゃんの匂いがする。
……こうして文字に起こして改めて考えると俺って変態くさい。
* * * * *
人気のない公園を見かけると、ついつい寄ってしまうことがある。夢でみぃちゃんが連れて行ってくれた公園を思い出させるからだ。彼女がいないかな、なんて考えながら公園を練り歩く。桜が咲く光景を見上げて、一緒に行きたいなと思う。
夢で一緒に行った桜並木を思い出す。川のそばでたくさん並んでいたのを思い出す。あの場所は、見たことがあっただろうか。
* * * * *
みぃちゃんの様子がおかしかった。朝からずっと顔が白を通り越して青白くなってきていることや口元を抑えてえずくことが多い。見るからに体調不良。
眩暈も起きているのかどこを見つめているのか解らない目を視界に入れて、ただ見ていることしかできない自分が心底嫌い。こんな小さな自分では何もできない。この体では抱きしめてあげることも心配する言葉を投げかけることすらできない。 大好きなご主人様を助けることができない。
小さな体が大人になるには時間がかかりすぎる。……誰かの思考が、流れてくる。……僕じゃなくって、オリジナルなら、どうにかできるかもしれない。そうするには、いなくなるしかない。……自分ではない、自分とよく似た何かの声が聞こえる。……大人になることができない。でも、この人が助かるのなら、僕はいなくなってもいい。だからお願い、ママを助けて。
* * * * *
目が覚めた。いつもの起床時間、いつもの部屋。いつもの風景。いつもとは違う、夢。
あれは、いったい誰だったんだと考えることもなく地図を取り出した。夢の記憶は幸いにも鮮明で日記にもつけていたから忘れていても思い出すことができる。彼女を、みぃちゃんを助けなければ。
過去に乗っていた電車や乗り込んだ駅に周辺の建物などからすぐに彼女の住む場所が判明した。東北地方にある、都会ではないが田舎とも言えないようなごく普通の町。
組織の仕事を終わらせて報告前に仮眠をとっていたときのこと。俺は組織での報告時間を惜しんでまで新幹線に乗り込んだ。彼女のもとまで変なものを連れてこないために服装を全て変えて複雑な道を通ってまでして、それでもなるべく早く着くように。
新幹線が目的地まで到着したのちに電車に乗り込む。途中からは、夢でも見た光景が広がっていている。煌く川と輝く稲穂の、田舎特有のノスタルジックな光景。夢でしかなかった風景が、こうして実在している。もうすぐ、あの人に会える。
新幹線や電車に乗っているときも歩いているときも、周囲を警戒しながら俺は夢のことについてずっと考えていた。
『小さな体が大人になるには時間がかかりすぎる』
『オリジナルなら、どうにかできるかもしれない』
『ママを助けて』
その思念を受け取ったあと、夢でのコントロールは完全に失われて体は勝手に動き出していた。自分の身体なのに勝手に動かされる感覚は今でも思い出すだけで鳥肌が立つほどおぞましいものだった。今にも倒れそうなほど苦しんでいる彼女を背にして、部屋を飛び出して外に出る。彼女のそばを離れたくなかった俺は、必死にもがいて戻ろうとしたが体は言うことを聞いてくれなかった。走って走って、息が切れて苦しくなっても走り続けた。この思念の持ち主は何のためにこの体を動かしているのだろうと思っていたら、電車に乗り込んでようやく足はとまった。
それからは、ずっと何かが囁いていた。消えたくない、でも死なせたくない、助けたい。そればかりをずっと。
……どこかで、見たことのある車内だ。壁に貼られている広告ポスターも乗り込む人も、窓から見える風景も。
電車が止まり、駅に辿り着く。多くの人が乗り降りしているのを物陰から眺める。そこに、今まさに乗り込もうとしている『俺』を見つけて目が覚めていた。
『まもなく、xx駅 xx駅。お出口は……』
目的地についた。
* * * * *
何度も見たことがあるけど、見たことのないマンションについた。
記憶だけを頼りに階段からエレベーターに乗り、目的の部屋までたどり着いた。表札にはみぃちゃん……三鈴の苗字である長谷川が刻まれている。
インターホンを押してみるが、反応はない。ドアノブを回してみて、鍵がかかっていないのを確認できてしまったので室内に入らせてもらう。
「……みぃ、ちゃん?」
緊張のあまり、かすれた声で彼女の名前を呼ぶ。遠目にリビングのソファでうずくまっている彼女を見つけて、すぐに駆け寄った。
「みぃちゃん!!」
「……、……みけ?」
もうこんなに姿が変わってしまったのに、彼女は俺だとわかってくれた。
こんなにも苦しそうにしているのに、こちらに顔を向けて俺だけにつけてくれた名前を呼んでくれている。
「どうしたの、どこが苦しいの、今救急車を」
「いや、まって。呼ばないで」
「でも」
「大丈夫……大丈夫だから」
背中をさする。ゆっくりと俺の手のひらに彼女の体温がうつっていって、ここにちゃんと実在していて夢なんかじゃないと思わせてくれる気がした。
「こんなに顔色が悪いのに、熱中症とか思い病気だったらどうするんだよ!!」
「いや本当に大丈夫なんで」
「でも、で、も……」
「食後に飲む薬を空腹時に、飲んじゃっただけだから」
「…………は?」
「今薬飲んで、胃が荒れて、苦しいだけですから。時間たてば大丈夫です」
「は?」
* * * * *
あれから数時間後。
空腹時に薬を飲んでしまい胃が荒れて苦しんでいた彼女は水とゼリーを摂取していくらか回復していたようで、幾分か顔色は戻っていた。
「バカでしょ」
「君こそ仕事放り出してきたなんてバカでしょ」
「むう」
「……こんなに大きくなったのに、細かい仕草とかは同じなんだね」
「……、……こんな大きい俺は、いや?」
「どっちも好きだよ。大きくなったねえ」
そういって、夢で撫でてくれていたようにそっと頭に手を乗せてくれた。小さかったときのように指先だけでなく、手のひら全体で俺の頭を撫でてくれる。
こんなに姿が変わってしまったのに、彼女は俺に気付いてくれて態度も変えないでいてくれているのがたまらなく胸を締め付けて歓喜する。
「私はもう大丈夫だけど、どうするの」
「どうって」
「今日は平日だよ。普通ならこれからも仕事とかあるんじゃあないの」
「それは平気。暫くはお休みできると思うから」
「なら、良いけど」
ああ、でも急に組織から任務を言い渡されることがあるかもしれない。仕事の報告は時間があとでも良いけども。
今まで電源を落としていた携帯電話を開いて電源を入れると……幼馴染から連絡が何十件と来ていた。
「どうしたの、さっきの私並に顔色悪いよ」
「ちょ、ごめ、電話していい?」
「どうぞ」
まだ彼女と話したいことがあったのにと思いつつこれだけ連絡を寄越すということは何か非常事態でも起きたのかと危惧して頻繁に俺に連絡しようとしていた同じ潜入捜査官であり幼馴染に電話をかける。
「どうし」
「遅いッッッ!!」
「っ……急に大声あげるなよ、何かあったのか」
「あったに決まっているだろうが、お前は無事なのか」
「普通に無事というか元気だけど、どうしたんだ」
「スコッチがNOCだとバレた」
え、と声が思わず漏れてしまう。
「今スコッチをスパイとして捕獲するか処分せよと命令が下ったんだ……今どこにいるんだ、大丈夫だろうな」
「あー、えっと、今、宮城県にいる」
「は?」
「宮城県の田舎町にいる」
「はあ???」
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